第53話 宣言
年が明けた。こんなに清々しい気持ちで新しい年を迎えたのは初めてだ。小さい時は新年の何がめでたいのかわからなかった。無事に年を越せることのありがたさを知識で知っても理解はできなかった。どうせ新しい年になっても自分の能力はそのままだとひねくれていた。でも今は違う。今年の最初の朝、私はベッドから飛び上がり両手でカーテンを開けた。冷たい風を覚悟して窓を開く。朝日が街を、国を、山を照らしていた。
―なんて美しいの……!
残っていた眠気は冷気で飛ばされた。私は深呼吸をする。新鮮な空気。生きててよかった……心からそう思えた。
―きれいな景色……ロバートやミランダにも見せてあげたいわ。
このまま景色を切り取ってみんなに見せたかった。きっとどんなに一流の芸術家でもこの景色を絵の具で表現できない。
―クシュッ。
感動的な景色に見惚れていたらクシャミが出た。体は正直だ。メイド長に怒られる前に窓を閉めた直後、ちょうどドアがノックされた。メイド長だ。
「まあ、姫様!もう起きていらしたんですね!」
今まで新年の朝は不機嫌に布団にくるまっていたためメイドたちは目を丸くする。
「おはよう。明けましておめでとう。」
メイドたちはまた面食らった顔をしたがマーサだけのんびり挨拶する。
「姫様~!ご機嫌うるわしゅう。今年も姫様と新年を迎えられてうれしいっす!」
「私もよ。」
あいかわらずのマーサのマイペースにメイドたちがひやひやするなかメイド長はすぐに仕事の顔に戻る。
「おはようございます、姫様。新年明けましておめでとうございます。」
お約束の挨拶を終え、メイドたちにテキパキと私の洗顔・歯磨き・着替えの準備を始める。メイド長はメイドたちの行動を一通り目視したあと私をじっと見る。
「今年もよろしくお願いします。……ご機嫌ですね。」
「そう?」
自分がどんな顔をしているか気になって鏡を見た。少し嬉しそうな顔をしていた。知らないうちに笑っていたようだ。どうりで顔がくすぐったいわけだ。私はイタズラっぽくメイド長に語りかける。
「今年もよろしくね。……もうすぐ会えなくなるかもしれないけど。」
「えっ?それってどういう……」
何か言いたげなメイド長を置き去りにして私は顔を洗った。
***
この国の年末年始は静かだ。南国のハイビスカシアでは年越しは飲んで騒いで踊るが、ロサキネティカの年越しはみんな眠って過ごす。起きたら身支度し朝食の前にいつもより少し長めの祈りを捧げる。最初の7日間は休日でどの店も開いていない。そして8日目に国王が城の屋上から新年の挨拶をする。このように王族は新年、春夏秋冬の挨拶、復活祭、収穫祭、クリスマスなどの行事にスピーチを行う。国民はこれらのスピーチを聞くことを義務付けられていないがいつも多くの国民が国王のありがたい言葉を聞きに集まってくる。特に私が生まれてからは年々集まる人が増えていると言う。国王・王妃・王女の言葉が聞こえなくても、遠目でもいいから一目見ようと押し寄せてくる。
そんな中でも城で働く人たちは幸運と言われている。新年の初日から場内の聖堂で国王のありがたい言葉が聞けるからだ。今年も父はスピーチを行った。しかし私が国王としてスピーチを担当する日はとうとう来なかった。
「皆の者、明けましておめでとう。」
大臣、書記官、騎士団、召使い、聖職者。それぞれの役職の者が固まり列を作っていた。聖堂に入りきらない騎士は聖堂と城を守っている。聖堂では城で働く者が全員敬愛する国王陛下に真摯に目と耳を傾けている。マーシュ、マーサ、チャーチヒル司教とロバートもいる。ただ一人父を睨んでいたのは叔父だった。本当は自分が王としての責務を果たすはずだったと言わんべき顔をしている。従兄弟のロナルドとアンジェリカも面白くなさそうな顔をしていた。二人の兄であるアルフレッドだけは真面目にスピーチを聞いていた。
「去年は皆私たちによく仕えてくれた。皆の厚い支援がなかったらこの城も国も成り立たなかった。礼を言う。」
聖堂は拍手で包まれた。飾り気のないありきたりな言葉だが父の裏表のない言葉は皆の心を温かくした。メイド長いわくみんなこの毎年同じような言葉を聞き気を引き締めているらしい。
「この城で働く者だけでなく全国民にも感謝している。一足先にここにいる者たちに告げよう。ありがとう。」
その後、父は国の情勢や近国との外交方針を説明をした。私はいけないと思いつつ時折ロバートをちらりと見てしまう。このとき誰も父が最後に重大発表をするとは思っていなかっただろう。
「……最後に大事な知らせがある。皆動揺すると思うが落ち着いて聞いてほしい。」
いつもと違う流れに城の者は少し戸惑う。
「我が娘、第一王位継承者にして我が一人娘であるジャンヌ・ロサキネティカ姫は今春、結婚する。」
事情を知らぬその場の全ての者はざわめいた。特に大臣や叔父、ロナルドは激しく動揺した。アンジェリカとアルフレッドも驚いたもののロナルドほどではなかった。叔父の心の乱れが伝わってきた。
(誰だ……?結婚相手は誰だ!?他国の王族に嫁ぐのか?それとも……他国の王族か我が国の貴族と結婚し、我が国を統治するのか?その場合は夫婦で共同統治か?それともあの小娘が単独で……?)
「結婚相手は……平民だ。ジャンヌは自分を姫としてではなく一人の女として愛してくれる男を見つけた。彼は賢く勇敢で清廉な魂を持ち、姫の見た目だけでなく心も愛している。そのため姫は彼の愛に応えるため自ら王位継承権を破棄し、国王の座を辞退することを決めた。」
その言葉を聞いて逆にざわめきが収まった。中には顔面蒼白になっている召使いもいる。自分の息子に王位を継承させようとたくらんでいた叔父までぽかんとしている。私は打ち合わせ通りいったん父と入れ替わり、スピーチを行った。
「皆さん。今まで国王・王妃だけでなく私に仕えてくれてありがとうございます。中には私がこの国初の女王になること期待していた方もいたでしょう。残念ながらその期待には応えられません。」
再び聖堂がざわついた。私はみんなの心の声を聴きながらスピーチを続ける。
「私はこの国と国民を愛しています。でも……本当にやりたいこと、一緒にいたい人を見つけてしまったんです。自分勝手だということはわかっています。恩知らずと思われても仕方ありません。申し訳ありませんが私は王位を継ぐことはできません。」
本当に申し訳なかった。今まで私が受けた教育はなんだったのか。誰のために男を倒せるほど体を鍛えたのか。私はみんなの期待を裏切ってしまった。私が女王になるプレッシャーを感じていたことはみんな薄々知っていたかもしれない。でも誰も私が人の心を読めることを知らない。この能力のせいでどれほど苦しんだことを知らない。だから私には……言い訳かもしれないが……全てを手放して幸せになることを許してほしかった。
「私はこの国の王にはなりません。しかし私と同じくらい、もしくかしたら私以上にこの国を愛している者が国王になります。」
ここでようやく城の者は気づく。私が誰と結婚するか、なぜ女王にならないか。私のほうに気を取られてもっと重大な問題を忘れていた。国の今後を最も左右する者――誰が新しい王になるのか。
「私は……アルフレッド王子を次の国王に推薦します!野心のない彼なら今後も我が国の平和を守ってくれるはずです!」
「ええっ!?」
ここで初めてどよめきより大きな声が聞こえた。アルフレッドだ。ずっと第一王位継承者の私が女王になると思っていたので、台に王位継承者である自分が王になるとは思っていなかったのだ。叔父は長年アルフレッドが王になることを望んでいたが狂喜乱舞するどころか頭が真っ白になっていた。さっきまであんなに心の声が激しかったのに何も聞こえない。心の底で叶わない夢と思いつつ暗躍し、いざ叶うと知ったとたん拍子抜けしてしまった。もしかして息子に王位を継がせるという野望が今まで彼を生かしていたのかもしれない。私は叔父が抜け殻にならないかと初めて彼のことを心配した。父は自分の兄の様子に気づかすスピーチを締めた。
「次の国王はアルフレッドだ。……アルフレッドが望むならな。もしアルフレッドが辞退したらロナルドかアンジェリカか王位を継ぐ。まだ三人に王位を継ぐ覚悟がなければそれまで私が国王を続ける。……皆の者、今年もよろしく頼む。」
スピーチを終えた私たち家族は晴れ晴れとした気持ちで聖堂を去った。しかし残された者は興奮が収まらず、自らを落ち着かせるように周りの者と感情を共有した。しばらく聖堂を離れられない者がほとんどだったが、給仕係の召使いだけ慌てて私たちの朝食を運びに行った。
すみません。去年完結させるつもりでしたが休載してしまいました。今年こそ終わらせます。あと数か月かかるかもしれませんが、それまでどうかみなさんお付き合いください。