第52話 人身御供
次の日の夜、サリーはこっそり酒場へ忍び込んだ。自分の荷物を取りにきたのだ。親にバレないように不本意ながら自分の部屋の窓から入る。黄薔薇の姫をパレードで見た日、サリーは寝込んでしまった。パトリシアはしかたないと言ってくれたが彼女も彼女の母親も困った顔をしていた。それもそうだ。年末は一切商売ができない。居候を抱えてたら蓄えていた食料が減ってしまう。いつまでもパトリシアの家で世話になるわけにはいかない。サリーは酒場の客からもらうチップを密かに蓄えていた。もらったチップのほとんどは母親に没収されたが親の目を盗んで一部を貯金していたのだ。親からおこづかいをもらったことはないが長年少しづつ貯めた貯金は一カ月分の食費にはなりそうだった。
―こんな店……いつか出ていくわ。
親には表だって反抗しなかったがいつか店を出ようとずっと思っていた。本当は好きな人と駆け落ちしたかったがそれはもはや不可能だ。ロバートはロザリーと婚約してしまった。たとえロザリーが王族でなくても敵わない気がした。彼女は完璧すぎる。サリーはため息をついた。
(今はこのことを考えるのはやめよう……。)
僅かなお金と私物を鞄に詰め込む。食費だけでも先にパトリシア一家に払い、残りはティファニーの店で稼いで返そうとサリーは思った。サリーは自分の家である酒場にも自分の部屋にも未練はなかった。仕事場には嫌な思い出しかない。自分の部屋はただの逃げ場にすぎない。パトリシアの家に匿ってもらったときサリーは自分の部屋が初めて殺風景な部屋だと気づいた。狭い部屋にあるのはベッド・机・椅子だけ。必要最低限のものしかない。酒と接客の本が2冊あったが持って行くつもりはない。読みたい本は基本的に貸本屋で借りていた。客や友人から本をもらうこともあったが読み終わったらすぐ売った。ずっとあったら邪魔だし親に捨てられたり破かれたりしたらお金にならない。
―わたしの人生は恋愛小説のようにはいかないのね。
それでもサリーは自分が恋愛小説を読み続けると知っていた。夢を見るために……。しかし荷造りが終わった瞬間ドアが乱暴に開いた。父親だった。
「今までどこに行ってたんだ!?」
サリーはビクッとする。子どものころから親に愛されずこき扱われていたため叫ぶのも泣くのも諦めていた。でも生きることを諦めていなかった。彼女は怯えながらも鞄を持って窓から出ようとする。体を半分以上外へ出すがのけぞった。髪を引っぱられたのだ。そのままサリーは父親によって床へ押さえつけられる。
―痛いっ!
サリーは抵抗したが父親の太い腕はビクともしない。廊下に2人分の足音が響く。
「こんな夜中になにをしてるんだい!?」
「あ。サリーじゃん。」
母親と兄だ。両親はカンカンに怒っている。
「仕事をサボりやがって!」
「育ててやった恩を忘れたのかい!」
「お前のせいで客が減ったんだぞ!」
「どんだけ大変だったかわかるか!?」
二人はくちぐちにサリーにまくしたてる。兄は怒っていなかったが味方ではなかった。彼はあくびをするとのん気に言った。
「まあまあ。戻ってきたならいいじゃん。これで店も潰れずにすむし。」
―え……?
父親は他国から注文した酒は盗賊に盗まれ大損をした。国から補償金が出るも父親と兄がギャンブルに使ってしまった。そのためサリーは娼婦のような格好で客引きをさせられ店を飛び出した。それなのに兄のヘンリーは店は潰れないと言った。その一言で両親の機嫌もマシになる。
「むう……そうだな。」
「あんたには感謝しないとね。」
父親はサリーの頭を抑えつけるのをやめた。サリーはふらふらと立ち上がる。両親はもう怒っていなかったが嫌な予感がした。父親は芝居かかった咳をする。
「おい。薄着で客引きをしたときのことを覚えているか?」
サリーは恐る恐る頷く。忘れたくても忘れられない。思い出すだけで顔が真っ青になる。
「そのとき客の中に身なりがいい太った商人の男がいたんだが……。」
言われてみればそんな人がいた気がするとサリーは思う。背筋が寒くなってきた。
「そいつがお前のことを気に入ってな、お前を嫁にもらう代わりに店を立て直してくると言ったんだ!」
サリーの顔が引きつった。希望の光が消えたのを感じた。両親は自分を商人に大金で売ると言ったも同然だった。
「たしか20歳くらい年上だがガマンしろよ。ちょっとブサイクだがお前を大切にしてくれるんだからな。」
「喜びな。妾じゃなくて正妻だよ!それもあんたのような無愛想な娘をもらってくれるんだから感謝しなさい!」
母親はふんと笑う。両親とヘンリーの表情が明るくなる。絶望しているのはサリーだけだった。
「よかったじゃん。玉の輿だぞ!」
ヘンリーはヘラヘラしていた。
「あたしの若いころに似て美人でよかったね!結婚したら贅沢できるわよ!」
「お前が嫁に出たら店を改装するからたまには遊びに来いよ。楽しみだな~。」
三人はサリーを差し置いて店をどう改装するか何人従業員を雇うか話し始めた。サリーの脚がガクガク震える。
「嫌……嫌よ!!」
サリーは窓から身を乗り出そうとして寸でのところでヘンリーに止められた。今までにないくらい激しく抵抗した。
「おいおい!どうしたんだよ?」
ヘンリーに羽交い締めされるがサリーは暴れ続ける。狂ったように初めて暴れる娘に家族は困惑する。
「嫌!金持ちでも太った中年の男と結婚したくない!」
「はあ?!」
母親は呆れた声を出す。父親は身動きができないサリーの頭を叩いた。憐れになったのかヘンリーはサリーの腕を話した。
「じゃあどうやってこの店の借金を返すんだ!?」
父親は鬼のような形相で叫んだがサリーも負けずに言い返す。
「知らないわよ!!自分でなんとかして!わたしを巻き込まないで!!」
「いいから言うことを聞け!」
「嫌!もう嫌!!」
自分をタダ働きさせる両親。遊んでばかりで助けてくれない兄。自分ではなくロザリーを選んだロバート。もううんざりだった。サリーは自分の人生に嫌気がさした。
「他に方法はないんだよ!」
母親は大声を出す。サリーは目眩がした。
―本当に……本当にもう終わりなの……?
思えばつまらない人生だった。毎日毎日店の手伝い。暇なときは窓辺で本を読むかぼーっとするだけ。本当は酒場で働きたくなかった。花屋で働きたかった。でも自分は酒場の娘なのだ。修道女になれば商人と結婚しなくてすむがロバートと結婚できない。そもそもロバートはロザリーと結婚するのだ。自分と結婚する気は全くない。
―どうすればロバートの隣りにいられるの?
ふとサリーは馬車に乗っていた二人を思い出した。
「方法は……あるわ。」
「へ?」
家族は初めて見る娘の顔に困惑している。サリーはゆっくりと兄のほうへ歩く。
「……強力して。」
妹のただならぬ様子にヘンリーは唾を飲む。彼は父親と目を合わせるとサリーに目を戻し、おずおずと頷いた。