第44話 シンデレラ
「……つまらない。」
少女は窓をぼんやり眺めていた。腰まで届く長さの栗色の髪が美しい。顔もよく見ればそれなりに整っているが暗い表情で台無しだった。開店前でやることがなかったので窓際で両腕を重ねてうなだれている。彼女の名前はサリー。酒場の娘だ。
通りを馬車が通った。最近、週に一度は馬車を見かけるようになった。サリー自身が見ることは滅多にないが客が言っていたのなら事実だろう。それも同じ馬車が毎週水曜日、午後と夕方に通るらしい。しかし朝に見かけるのはめずらしい。重い足音が聞こえた。彼女の父だ。
「おい。またそこでぼーっとしてるのか?酒が届いたら手伝えよ!」
サリーは返事をしなかった。大柄で顎鬚が生えている下品な中年の男を見たくなかったので振り返らなかった。
「……ったく。いつになったら酒が届くんだ?」
どうやら注文した酒がまだ届かなくてイライラしているらしい。父は大声で「北門へ確かめに行ってくる!!」と言って出ていった。台所からは母がぶつぶつ文句を言っているのが聞こえた。
「うるさい男だね……。そんな大声で言わなくても聞こえるよ。夫は野獣だし、息子は遊び人だし、娘は愛想がない。いったい二人とも誰に似たんだが……」
サリーがまたしばらくぼーっとしていたら馬車が通った。気になって目を凝らしたら信じられない光景が見えた。
(ロバート!?)
反射的に顔を上げた。見間違えるはずがない。あの修道士の服……金色の髪と青い瞳……。しかも彼は一人ではなかった。隣りにいる黒髪の美少女と楽しそうに談笑していた。
(ロザ……リー?なんで……?)
胸が押しつぶされたようだった。まるで鈍器で殴られたように。サリーは初めてロバートと会ったときのことを思い出す。全ての始まりはあの収穫祭の夜だった。
***
収穫祭の仮装パーティーに行ったのは兄の気まぐれだった。ヘンリーはサリーの三歳年上の兄だ。いつもはサリーを無視して遊びに行く兄だが、めずらしく気を利かせてサリーもパーティーに連れていったのだ。適当に倉庫にあった黒いマントを羽織って死神を名乗り、サリーには黒いケープを着せて魔女と称した。しかし途中から面倒くさくなったのか、彼女を自分の友人に紹介したあと放置してしまった。そしたら彼女は見知らぬ若い男たちに話しかけられた。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
「おれたちと一緒に飲まないか?」
決して彼らに悪気はなかった。しかし人見知りで男性不審のサリーは怯えた。足がすくんだサリーを助けてくれたのはロバートだった。
「あの……大丈夫ですか?」
もちろん最初はびくっとした。きちっとした服装。優しい笑顔。初めて会うタイプの男性にサリーの心が動く。ロバートは若い男たちのほうを向いた。
「すみません。彼女はお友達とはぐれたようなので案内します。」
礼儀正しく会釈をするとロバートはこれから歩く方向へ手を向け、サリーを誘導した。歩きながらロバートは気さくに話しかける。
「お友達と来たんですか?」
「いえ……。」
「じゃあ同じ年頃の女の子たちがいるところへ案内しますね。お友達がいるかもしれませんよ?」
こうしてサリーはミランダやティファニーなどの顔見知りの少女たちと会うことができた。みんな幼いころ一緒に遊んだ子たちばかりだった。大きくなってからそれぞれの店の手伝いをするようになって疎遠になっていた。ミランダは昔からみんなを引っぱるリーダーで気が利く子だった。サリーがグループの輪に入れるよう紹介したり質問してくれた。そこそこ楽しんでいたら赤いジプシーが現れた。黒いウェーブの髪。全てを映す瞳。薔薇色の唇。豊かな胸。誰の目から見ても完璧な美少女……それがロザリーだった。
あれ以来サリーは毎週日曜日に教会へ行くようになった。ロバートはちゃんとサリーのことを覚えており、礼拝のあと挨拶しに来てくれた。
「こんにちは。またお会いしましたね。」
ロバートの爽やかな笑顔にサリーはとろけそうになった。しばらくして彼女はこの気持ちを恋だと知った。男性からあのように紳士的な扱いを受けたのは初めてだった。彼女は感動していた。それまで男性は全員汚くて醜くく臭い生き物で言動も思考も下品だと思っていたからだ。酒場ではそういう人たちばかりがが集まっていた。もちろん収穫祭のあとはそうでない男性も意外といるとわかった。町行く人々の中でも身なりがきちんとしている男性はけっこういる。酒場の客も下品な男性が印象的だっただけでよく見れば比較的まともな男性もいた。それでもサリーにとってロバートが一番素敵な男性に見えた。彼がサリーにとって白馬の王子様だった。
サリーがロザリーと再会したのもこのころだ。酒場に来てくれたときは純粋に嬉しかった。こんなつまらない自分に会いに来てくれた。母は「あんたの友達が来るなんてめずらしいわね」と言って休憩させてくれた。でもロザリーが昼間から飲むろくでもない客に絡まれかけたのであまり長居しなかった。マシューはサリーに「ごめん!また来るね!」と言って彼女を連れて行ってしまった。
それからというもの教会でしか会わなかったロバートをときどき町で見かけるようになった。彼と会う機会が増えたのは嬉しかった。彼はいつもにこにこ笑っている。みんなに優しい。
「やあ。サリー。元気かい?」
彼の笑顔に癒された。その笑顔を見るためにサリーは生きるようになった。唯一気がかりだったのは彼と会うたびにロザリーの名前が出てきたことだ。ある日、サリーはロバートと彼の親友のディーンが歩いているのを見かけた。ロバートは薔薇の花束を持っていた。その花束はなにか訊ねたら彼は上機嫌で答えた。
「ロザリーにあげるんだ~♪」
胸がちくりとした。この気持ちがなにか考えている間にロバートはディーンに引っぱられて消えた。そのときからサリーはロザリーのことを考えるたびに胸がざわついた。
国中の木々の色が変わるころ……ロザリーとマシューはもう酒場に来ないかと思ったらまた会った。ミランダが連れてきたのだ。サリーの知らない少女も来ていた。
「サリー、ひさしぶり!いっしょに紅葉見に行かない?」
「紅葉……?」
紅葉にはこれっぽちも興味がなかったサリーだが、この酒臭い世界から抜け出せるのなら歓迎だった。ただ一つ気になることがあったので返事をする前に確認した。
「……他に誰か来るの?」
「え?ううん。」
「ぼくたちだけだよ。」
ミランダとマシューの答えにほっとする。しかし行こうと思ったら母に反対されてしまった。
「木なんか見てなにが楽しいんだい?サボってるヒマがあったら働きな!!」
店はそこまで混んでないのに反対された。サリーは自分の母が虫の居所が悪かったと察した。ロザリーは申し訳なさそうにサリーの手を握った。
「ごめんなさい。邪魔をして……。お詫びにお酒を買うわ。」
彼女はサリーのポケットに5枚ほど金貨を入れ、なんでもいいから酒を数本持ってくるようにお願いした。16歳の少女が持つには大金だった。良い酒を渡したら両親に怒られるのでとりあえずサリーは安い酒を3本渡した。なにか言われると思ったがロザリーはただありがとうと笑った。ロザリーが酒を受け取ろうとしたら知らない少女が「おらが持つッス!」と言って酒瓶をバスケットに入れた。そのまま4人は店を出た。
***
そのあとは寒くなったので誰とも会わなくなった。寒くなくても生誕祭や年を越す準備でみんな忙しい。そんな矢先、馬車に仲良く乗るロバートとロザリーを見てしまった。もうサリーの胸には不安しかない。
(どうしよう……。もうなにもする気になれない……。)
そんな彼女をさらに不安にさせる出来事が起こった。
「ちきしょう!!」
サリーの父が乱暴にドアを開けた。サリーの母は機嫌を悪くした。
「あんた!いきなりなにするんだい!」
彼の息は荒く、いつも赤い顔は青ざめていた。
「注文した酒を運んでいた荷馬車が…………盗賊に襲われた……!」