第43話 環境
孤児院での時間は騒がしくて、慌ただしくて、温かくて……思っていたよりはるかに楽しかった。最初は親がいない子どもたちが辛い思いをしていないか、暗い性格になってないか心配だった。だけど孤児院にいた人は誰一人自分が不幸とは思っていなかった。いささか気が引けたがみんなの心を覗かせてもらった。服やおもちゃが古いとかノートが足りないとかいう悩みはあったもののみんな今の生活に満足していた。今回、人数分の新しいおもちゃをおみやげに持って行ったから悩みは一つ減ったはずだ。もうすぐ新年を迎えることだし次は新しい服でも持って行こうと決めた。
―それにしても……。
私はナイフとフォークを持つ手を止めた。静かな食卓だ。父と母がナイフとフォークを動かす音しか聞こえない。フォークをスプーンと取り換えるときや、新しい食べ物か飲み物を用意するときもあるがそれでも静かだ。私たち王族の食事は静かで優雅だ。食事はオードブル、スープ、サラダ、パスタ、メインディッシュ、デザートの順番で運ばれる。食前も食後も紅茶とお酒が出る。
「本日のデザートはイチジクのタルトです。」
ちょうどデザートと食後の飲み物が運ばれてきた。
他国の王族の食事はもっと豪華で量が多いから私たちの食事は王族にしては質素なほうだと父が言っていた。食事も必要な分だけ作って食べているのでほとんど余らない。しかもそのぶん社会福祉にお金を回している。父の無駄遣いをしないところが国民に支持される理由の一つだろう。
そんな父が唯一、私情でお金を使うときは必ず私が絡んでいる。父は愛する人としか結婚しない主義だったため30代まで独身だった。ようやく母と出会い結婚したもののなかなか子どもを授からなかった。父が40台、母が20代のときに生まれた子どもが私だ。幼いときはいつか私に弟か妹ができるかもと期待していたが残念ながら今も私は一人娘のままだ。だから父は私がかわいくて仕方がないのだろう。
孤児院での出来事を両親に話そうと思っていたら父からその話が出た。
「ところでジャンヌ。初めての孤児院はどうだった?」
父の声が弾んでいる。内心かなり気になっていたようだ。父の笑顔が一瞬ロバートの笑顔と重なる。父のほうが威厳があるが、私を見る温かい眼差しと笑顔はロバートに少し似ていると思った。母はデザートを食べながら楽しそうに私を見る。
「とても活気にあふれていたわ!城下町の市場や貴族の社交パーティとは違うの。子どもたちはみんな元気いっぱい。食事中も騒がしかったけど……。」
父と母はうんうんとうなづきながらも私から目を離さない。
「なんだか……その……温かったの。とても。」
この会話で初めて両親は瞬きをした。
「優雅とはほど遠いんだけど修道女が子どもの喧嘩を仲裁したり、年長者が小さい子どもの面倒を見たり、子ども同士でお互いを注意していて……新鮮だったわ。騒がしいけど思いやりにあふれているの。」
「ほう……。」
「まあ!」
両親は自分たちも見たことのない光景を私が見たことに感心しているようだった。母は目を細める。
「楽しかった?」
「ええ!とっても!また行っていい?」
「もちろん!」
父が返事をする前に母が許可を出した。出遅れた父は驚きはしたものの気にしてないようだ。
「うむ。良い経験をしたな……。何か必要なものはあるか?」
「ええ。孤児院にいる人たちに新しい服を……。」
「修道士と修道女の分も?」
「ええ。」
「子どもたちの人数とサイズはわかる?」
「大体は……。」
服の話となると男が入る余地はない。父は自分が話の輪に入れないと寂しい顔をする。せめて最後に一言と口を開いた。
「社会福祉に貢献するのは王族として素晴らしいことだが……そろそろ結婚しないか?独身でも即位できるがいずれは結婚しないといけないぞ?」
母と私は思い出す。そうだ。寄付をするのはいいが結婚と即位も大事だ。私もそろそろ王位を継ぐ意思があるかどうか告げなければいけない。
「半年前にも見合いの席を設けようと思ったが姫が病気になったからな……。もうすっかり治ったようだし、そろそろ結婚相手を決めないか?」
幼いときからずっと憧れていたとはいえ、いざ結婚の話となると顔が赤くなる。それに最近“結婚”という言葉を聞くと真っ先にロバートのことを考えてしまうのだ。私は顔色を誤魔化すため紅茶を飲んだ。
私の気持ちを知らず父は話を続ける。
「どの親族も貴族も下心があるから結婚相手を決めるのは難しいが……ルプトーブ子爵の息子はどうだ?名前はフレデリックだったか?」
ビキッ。私の右のこめかみがぴくっと動く。それと同時にティーカップを持つ指に力が入る。
「身分はあまり高くないが王族に媚を売らないところが好感的だ。初めて会ったとき彼と両親の心を読んで、貴族にしては野心がないからめずらしいと言っていたよな?優雅で物腰が柔らかい。美男美女でお似合いだと思うぞ?」
こめかみがむずむずする。握力がどんどん強くなっていく。フレデリック……。私のことを好きでありながら振った男……。彼の存在を思い出したのはロバートに正体がバレたとき以来だ。
―フレデリック…………嫌い。嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い大っ嫌い!!自己中心!見かけ倒し!私の顔だけ愛して心を見てくれなかった!!!
恋していたときには気づかなかったがフレデリックは実際、大した男ではなかった。彼の一族が貴族との会話で当たり障りのないことを言うのは問題を起こしたくないからだ。せっかく大金を払って手に入れた子爵という地位。野心はないが現状を維持したいだけ。だからフレデリックは姫である私にメロメロだったくせにリスクが大きすぎて尻尾を巻いて逃げてしまった。苦労して二人で幸せになる道より、私を犠牲にして自分だけ楽に生きる道を選んだのだ。あの見た目だけきれいな男の顔を思い浮かべるだけで腹が立つ。
「ジャンヌ……?」
父が私の名前を呼んだあと母は悲鳴を上げた。
ふいに右手に持つティーカップが軽くなった。陶器がぶつかる音と紅茶がこぼれる音がした。どうやら私の握力でティーカップと取っ手が分離し、ティーカップはソーサーの上に落ちてしまったようだ。
「お父様…………。フレデリックは半年前、私を振った男です……!」
「な……!?」
もし人が神話のように怪物になれるのであれば、私はこの瞬間に怪物になっていただろう。見るもおぞましい怪物になってあの男を八つ裂きにし、奴の腸を撒き散らしていただろう。それでも怒りは収まらず奴の頭を剣に刺し踊り狂うかもしれない。そんな怪物と化した私を止められるのは父でも母でもなく……ロバートやミランダかもしれない。
いつのまにか怒りでわなわなと震えていることに気づき、私は深呼吸した。
―大丈夫……。私にはお父様もお母様もいる。ロバートとミランダとも出会えた。マシューとマーサだっている。みんな私の味方。大切な人たち……。もう二度と大切な人が私を裏切らない限り、私は大丈夫……!
ここ最近できた良い思い出を振り返ると落ち着いてきた。ティーカップの片付けとおかわりを頼もうと思ったら今度は父がわなわなと震えていた。
「ジャンヌ……半年前病気になったのはフレデリックのせいだったのか……?」
このあとどうなるかわかっていたが未来を変えるつもりはなかった。
「そうよ。あの男が先に私に恋したのに振ったの。私は本当のことしか言わなかったのにあの男は嘘をつくことが多かった。」
母は青ざめていた。私が苦しんでいた理由と、その原因となった意外な人物にショックを受けている。父は静かにゆっくりと……判決を下した。
「……剥奪だ。」
「え……?」
母の驚きをよそに父は続けた。
「爵位剥奪だ!!そして追放!本日を持って、ルプトーブ家の爵位を剥奪する!今後、ルプトーブ一族がロサキネティカ王国の地を踏むことを禁ずる!!あの親子をここに呼び出せ!今すぐにだ!!」
こうして外はもう真っ暗だというのにルプトーブ子爵とフレデリックは城へ呼び出され、この国で生きる資格を失った。私はあの男の顔も見たくなかったのでさっさとお風呂に入って寝てしまった。父は政治に長け、武術も学術も秀でていながら思いやりと威厳を併せ持つ王だが一つだけ弱点がある……。私のこととなると判断力を失うのだ。滅多に怒らない王が怒ったとしたら、大抵の場合私に関わることだと国民も理解していた。