第39話 幸せの権利
肌寒い秋の空の下……散歩が楽しい最後の季節。私とロバートは秋が終わるのを惜しむように薔薇庭園の中を歩いていた。大好きな薔薇庭園。父が私のためにマシューの親に造らせた。フレデリックと出会い、フラれ、マシューと再会した場所。1人で物思いに耽ることもあれば、マーサと2人で紅茶を飲んだこともある。そんな思い出の場所に久しぶりに来た。城下町へ出かけるようになってから庭園に足を運ばなくなった気がする。
「わ~。冬でもバラって咲くんだね。」
ロバートは興味津々で薔薇を見る。数は少ないが寒さに負けずに薔薇が咲いている。彼に薔薇を見せたくて連れてきたのだ。結局、聖書の授業は司教がいないと成り立たないからしばらく休講にしてほしいと頼んだ。幸いメイド長も父も納得してくれた。
「四季咲きの薔薇は一定の気温以上であれば冬でも咲くんですって。庭師が温度を調整して剪定してくれるの。それにここには世界中から集めた薔薇が植えられている。だから一年中薔薇が咲いているわ。」
「詳しいね。」
心を許した人しか招かない薔薇庭園。ロバートと親睦を深めたくて来たのに説明口調になってしまった。無愛想だっただろうか。
「マシューのお父さんが世話しているの?」
「ええ。」
印象を良くするため口角を上げてみる。ちゃんとかわいく笑えているのだろうか。最初は緊張していてぎこちなかったがそれは杞憂だった。ロバートが私を楽しませようと気を利かせてくれたからだ。互いに好きな食べ物や趣味を語ったあと、話は教会が運営する孤児院に移った。孤児院の子どもたちの面白い間違いやイタズラを聞いて私は笑ってしまった。
「えっ!ロバートも孤児だったの!?」
ロバートは司教様と同じチャーチヒル姓だったため、てっきり司教様の孫かと思っていた。
「うん。物心ついたころには孤児院にいたよ。でも孤児院にいる子どもたちも教会の修道士・修道女はみんな家族!ディーンも同じ孤児院で育ったから兄弟だよ。」
「そうだったの……。」
胸がざわつく。私は改めて自分が世間知らずであることを思い知った。かつては人の心を読める自分を呪った。何も悪いことをしてないのに私を疎ましく思う親族や嫉妬する貴族たちを見下した。でも私には自分を愛してくれる両親がいる。心を読めない両親に私の何がわかるのかと心を閉ざしたこともある。食べ物も着る物も住む場所も全て上質なものだったのにありがたみを感じなかった。……なんて贅沢だったのだろう。卑屈になっていて感謝の気持ちすらなかった。
父が教会と孤児院のため援助していることは知っていた。でもどんなにお金があってもいなくなった家族は戻ってこない。
「大丈夫!僕は幸せだよ。」
私の表情が曇ったことに気づいたのか、ロバートは無邪気に笑う。
「司教様も修道士も修道女も兄弟もみんな大好き!もちろん、ロザリーも。」
「ロバート……。」
頭がぼーっとする。頭と胸が熱い。こんな風にさらりと好意を言うなんて反則だ。
「……ありがと。」
ロバートはにこにこしている。私は動揺させられてばっかりなのにロバートは余裕でずるい。優しくて素直でいつも自然体なロバート。そんな彼が好きだけど、まだ「好き」と言う勇気がなくて、まだ認めたくなくて……。私は目をそらして小声で「ありがとう」と言うのが精一杯だった。
―ロバートのこと、もっと知りたい。
「……行ってみたい。」
「ん?」
ロバートは一旦笑うのを止める。
「孤児院……行ってみたいわ。」
父が援助している孤児院。好きな人が育った孤児院。知りたかった。姫としても恋する乙女としても。
ただでさえ明るいロバートの顔がさらにぱあっと明るくなる。
「……うん!歓迎するよ!子どもたちも絶対よろこぶ!」
「ええ。」
私も彼に釣られて笑う。私は幸せだった。マシューとマーサに覗き見されていることが気にならないくらいに。
***
「む~~~~!」
マシューはしゃがんでレンガの壁から姫とロバートを見ていた。正確に言うとロバートを睨んでいた。口をへの字にし、眉毛はきりり、目はぎろりとしている。そんな彼の後ろにメイド姿のマーサがやってくる。
「な~に獲物を横取りされた狐のような顔してるんすか。」
どれどれ、とマーサも薔薇庭園を除いてみる。
「うわ~。絵になるカップル……じゃ~ないけど姫様幸せそ~。」
「あいつ……身分わきまえろよ……。姫様のとなりにふさわしくない。」
マシューの目はぎらぎらしたままだ。負のオーラは彼の体から安定して出ている。
「じゃあマシューはふさわしいんすか?」
「はあああっ!?」
マシューは飛び上がった。負のオーラが吹っ飛ぶ。敵を睨みつけることも忘れ彼はおろおろ言い訳した。
「ぼ、ぼくが姫様にふさわしいわけないじゃん!美男子じゃないし、背ぇ低いし、そばかすあるし……。」
そう言いながらマシューの背中が丸くなっていく。
「それに頭よくないし……お金持ちじゃないから姫様を幸せにできない。」
「へえ。」
マーサはよくわからない返事をする。
「じゃあ美男子で背が高くてそばかすがなくて頭よくてお金持ちだったら姫様と結婚するんっすか?」
「う、うん。たぶん……。」
「たぶん~~~?」
マーサはこの小さくて気弱な少年をじろじろ見る。
「じゃあもし姫様が姫様じゃなかったら?」
「えっ?」
マシューは目をパチパチさせる。
「姫様が姫様じゃなかったらプロポーズするんすっか?」
「ええっ?」
考えたこともなかった。マシューにとってジャンヌ姫はジャンヌ姫だった。それ以上でもそれ以下でも……いや、むしろそれ以上で女神と同格だった。圧倒的存在感。永遠の初恋。永遠の片思い。この世の全ての美しさの象徴。絶対手が届かない雲の上の存在。だから最初から彼女の心を手に入れようとすら思わなかった。
「す、するよ!プロポーズ!」
「幸せにできるんすっか?」
「……たぶん。」
マーサは両腕をWの形にし、「はああああああ……」と大袈裟にため息をついた。
「マシュー。友だちとして忠告するっす。今のあんたには決定的に足りないものが2つある。」
「へ?」
同じ覗き見仲間だったのに、いつのまにかマシューは説教される立場になっていた。
「ロバートにあってあんたにないもの…………それは自信と覚悟っす!!」
マーサはびしっとマシューに指を指して決める。いつも眠たそうな顔をしていても決めるときは決めるのだ。
「正直あたしもロバートはヘらへらしてるし馴れ馴れしくて好きじゃないっす。そんな美形じゃないし、背も姫様よりちょっと高い程度だし。」
田舎娘のメイドは腕を組んでうんうんと頷く。
「でもあいつは『姫様が花屋の娘でも姫様でも好き』って言ったっす。『恋人として一緒にいたい』って言ってたっす。マシューも姫様のことが好きならもっと努力するっす。姫様を幸せにする術を身に付けろっす!」
「えっ?えっ?……ちょっと待って!」
怒りでいっぱいだった少年の頭に驚きの渦が加わる。
「ロバート、姫様がロザリーだって気づいちゃったの……?ってかなんでマーサがそのこと知ってるの?」
「【家政婦は聞いた】っす!!」
再びマーサは人差し指をマシューに向ける。
「……あ。盗み聞きしたわけじゃないっすよ?たまたま廊下を通りかかったらあいつの声が聞こえたんす。だからドアに耳をくっつけただけ。」
「…………。」
マシューはもうどこからつっこめばわからなかった。