第37話 すべる口
木々が少しずつ色づいていく中、人々もまた密かに生誕祭と年明けの準備を進めていた。今日も聖書の時間だというのに司教様はいない。司教様が王と一緒に生誕祭のパレードについて細かくあれこれ決めているからだ。おかげでまたロバートと2人っきりになってしまった。正直気まずい。前回は私が盛大に転んだあと普通に聖書の勉強をした。幸いロバートは私が最も恐れる質問をしなかった。
『姫様はロザリーなのですか?』
いや……実際は違う言い方をするのかもしれない。『姫様はロザリーという花屋の娘をご存じですか?』とか『姫様は城下町へ出かけたりするのですか?』とか……。とにかく私はいつロバートが私の正体を暴こうとするのか気が気でなかった。
ロバートが聖書を読むのを真面目に聞くふりをしながら、私は紅葉に行ったときのミランダとの会話を思い出す。
***
「な~んか最近ロバートとディーンに会わないわね~。」
「……そうね。」
「いつもは呼んでなくても来るのに。」
空になったティーカップ。飲み物がなくなったので私たちは並木道を眺めていた。赤、橙、茶、黄色の葉がひらひらと落ちていく。
「な~んかいなかったらいなかったで寂しくない?」
ミランダは笑っている。寂しいもなにも私は城の聖書の授業で会ったばっかりだ。しかもまた今週中に会うことが決まっている。返答に困っていると何も知らないマシューは得意げに答えた。
「ぼくはあいつがいなくてせいせいするね!」
私がロバートのことが気になっているため、マシューはロバートのことが嫌いだ。ロバートがいないのが嬉しいのか鼻歌まで歌っている。
「あいつってロバートのことすか?おらもあいつは苦手っすね~。」
マーサもマシューに同意する。
「姫様に馴れ馴れしいっす。」
「図々しいよね。」
「聖職者ならずっと独身でいればいいのに。」
マーサ・ミランダ・マシューは本人がいないのをいいことに好き勝手言っている。散々な言われようだ。私は思わずふふっと笑う。
「ロザリー様も悪口言っていいんだよ?」
「私はいいわ。もうあなたたちが代弁してくれたもの。」
するとミランダは私をじ~っと見始めた。
「……何?」
「ずいぶんと余裕ね。」
ミランダは引き続き私を見ている。男性にうっとりとした目で見つめられることはよくある。女性に羨望の眼差しで見られることもある。私の美貌を一目見ただけで感嘆する者もたくさんいる。ただミランダが私を見る目はそのどれにも当てはまらず、落ち着かなかった。
「ロザリー。もしかして……他の場所でロバートと会ってる?」
「はあっ!?」
図星だった。マシューとマーサが反応する前に私は立ち上がった。勢い余って椅子を倒してしまう。
「ち、違うの!あいつから勝手にやってきたの!」
「ロザリーの屋敷に?」
「ええ……。」
「ぎゃあああああ!いつの間に~~~!」
「そーいえば司教様の後ろに若い修道士がいたような……。」
マシューは頭を抱えて叫んだ。マーサは城でロバートらしき人物を見たことを思い出す。ミランダは興味津々だった。
「何?司教様と一緒に屋敷に来たの?何しに?」
「聖書の勉強を……。」
「司教様が家庭教師なんだ!?すごいわね!」
「聖書の授業だけなんだけど……。」
「それでもすごいよ~。司教様にずっと前から教えてもらってるの?」
「ええ。」
ミランダの質問は止まらない。
「ロバートはいつから来るようになったの?」
「今週の水曜日……。」
「つい最近じゃん!あいつ真面目に勉強してる?」
「ええ。」
「へえ~。意外。馴れ馴れしくない?」
「ううん。……あ。」
ふとロバートが私の紅茶にクランベリージュースを入れたことを思い出す。そして水曜日に私に手を差し伸べたことを。
「2回だけ馴れ馴れしかったわ。」
「それって良いこと?悪いこと?」
「さあ……?」
私とミランダは首をかしげた。マシューは心の中で叫んでいた。
(うわあああああん!早くなんとかしなきゃーーーーー!!)
親しくなっていくロバートと私。一体マシューに何ができるというのだろう?どうやってなんとかしようとしているのかよくわからなかった。
***
今日も無事に聖書の授業が終わった。私とロバートはメイド長が淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
「失礼します。陛下にも給仕しに行かなければならないので……。」
「ご苦労さま。」
お父様と司教様はまだ生誕祭について話し合っているようだ。メイド長がいなくなっても私たちはのんびり休んでいた。ロバートは私の紅茶を観察する。
「それ、クランベリージュース入りですか?」
「そうよ。」
「気に入ったんですね!よかった!」
ロバートは無邪気に笑った。素直なロバートが羨ましいと思った。私はロバートに対してなぜかいじっぱりで素直になれない。心を読めるせいで人を見下すこともある。でもロバートはきっと……いや、絶対そんなことしない。だってロバートは優しいから。
「僕も飲んでいい?」
「どうぞ。」
ロバートは余ったクランベリージュースを自分のティーカップに注ぐ。
「……うん!おいしい!」
このように私たちは純粋にアフターヌーンティーを楽しんでいた。堅苦しい聖書の授業は終わり。あとは紅茶を飲んだあと別れるだけだ。温かくておいしい紅茶のおかげで私たちは心身ともにリラックスしていた。
「……ねえ。ロザリー。」
「何?」
当たり前のようなやりとり。あまりにも普通すぎて私は自分の過ちに気付くのにしばらく時間がかかった。