第11話 怒りの矛先
私はただひたすら剣を振った。布を何重にも巻きつけられた木の棒を毎回違う角度で斬りつける。ずっとその繰り返し。しばらく前部屋で暴れたのはいいが倒れてしまった。3日間何も口にしていなかったのにいきなり体を動かしたからだ。私は意識を失っている間病室に運ばれ薬やスープを飲まされたらしい。目を開けたら母が父に寄り添いながら涙ぐんでいた。私の目が覚めたことを知ると母は泣き出した。
「どうしてあんな馬鹿なことをしたの?……心配したのよ」
母は泣きながら私を抱きしめた。名前を何回も呼ばれてなつかしいと思った。私をファーストネームで呼んでくれる人数は限られている。フレデリックにファーストネームで呼んでくれるように頼んだが丁重に断られてしまった。
なにはともあれ私は部屋に閉じ篭もるのをやめた。私の部屋はメチャクチャになったから今は客室を使っている。ほとんど飾り気のない部屋だが気に入っている。姫であることには疲れた。勉強する気になれなかったからこうして薔薇園で毎日鍛錬することにした。鍛錬場に行ってもよかったがそれでは父と母が心配する。だからこっそり道具を運んでこうして鍛錬に励んでいる。私しか入れない薔薇園なら何をしているかわかるまい。
それにしてもフレデリックめ…………彼があのとき私を受け入れていたら幸せになっていたはずなのに。今ごろ私のことなど忘れて仕事に没頭しているのだろうか。ああ、屈辱的だ。王族なのに、美女なのに、聡明なのにフラれるだなんて。思い出すだけでイライラする。剣の的をフレデリックに見立てて斬りつけた。
(フレデリックさえ…………フレデリックさえ素直になってくれれば……!)
そう考えた直後背後から草を踏む音がした。私の体は反射的に動いた。片手で持っていた剣を両手で構え侵入者を刺そうと振り向いた。
(死ね……フレデリック!)
「わーー!?姫さま刺さないでーー!!」
私はすんでのところで剣を止めた。背後で音を立てたのはフレデリックではなかった。見慣れない少年が両手を上げている。私より背が低くて幼い。特徴のない顔は泣きそうな目をしながら唇を震わせていた。薔薇園に入っていいのは私と庭師だけだ。私がいないときは老婆の庭師がここの薔薇の手入れをしている。
(新しい庭師か……?)
それにしてはやけに馴れ馴れしい。だが彼の顔も声も身に覚えがない。
(誰だこいつは?)
武器も持っていないので暗殺者ではないことは確かだ。私は剣を鞘に納めた。
「姫さま!ぼくだよ……マシューです。忘れちゃったの?」
その名前を聞いて私は警戒心を解いた。庭師の孫、マシュー。かつて遊び相手のいない私に年下で邪心が少ないという理由で母から紹介された付き人だ。3歳年下の彼にはいくらか心を許していた。たとえ彼が私を異性として意識したあとも。確か5年前彫刻家になるといって国外の彫刻家に弟子入りしたはずだ。声も身長も変わっていたから気がつかなかった。よく見たら5年前のマシューの面影がある。…………平凡な顔とか。敬語と普通語がごちゃまぜになるくらいマシューを恐がらせてしまったことを後悔した。
「ごめんなさい。思い出したわ。久しぶりね、マシュー。修行は終わったの?」
芸術家の修行はそう簡単に終わらないはずだ。まさか途中で投げ出したのかと失礼なことを考えたが返ってきたのは明るい返事だった。
「まだです。でも姫さまと面会できるくらい上手くなりました!城の近くのアトリエに移ったんです。これからは姫さまともっと会えます」
以前より声が低くなったものの彼の明るい声と素直な性格はそのままでほっとした。
(子どもは素直でいいわね……。ん?マシューはもともとこういう性格なのかしら?まあいいわ)
ここ数日硬かった顔の筋肉がゆるくなった気がした。母を安心させるために見せた笑顔とは違う笑顔になった。
「おかえりなさい、マシュー」
みんなマシューの素直さを見習うべきだ。特にあの狼男は。
新キャラ登場です。