第10話 発狂
「…………最悪」
なんとなくつぶやいてみた。思ったことを口にすれば少しは気が楽になるかと思った。だがなにも変わらなかった。2、3日飲まず食わずでベッドに横たわっていた。最初は泣き叫んでいたがしばらくするとどうでもよくなった。なにに関しても無気力だった。起きるのも着替えるのも面倒。食べる気もしない。
「フレデリック……」
あんな終わり方、納得できなかった。両思いなのに上手くいかないのはロミオとジュリエットだけだと思っていた。2人の家族は敵同士だったから彼らには死んで結ばれる方法しかなかった。だけど私とフレデリックは違う。私たちの家族の間に敵関係なんて微塵もない。身分の差はあるけど同じ上流階級。結婚するにはやや不釣合いだったかもしれないが父も母も私が望むなら許してくれたはずだ。フレデリックの両親だって私がフレデリックに思いを寄せていると知ったら両手を挙げて喜んでいただろう。なにしろ逆玉の輿だ。元平民だったルプトーヴ家が王家と血縁関係になるのだから。
「……死ね」
私はベッドの下から剣を取り出した。父から護身用にもらった剣だ。談話室に飾ってある剣とは違い無駄な装飾は一切ない実用性を重視した剣だ。鞘も柄も茶色で目立たないから暗闇の中有利に戦える。刀身が光に反射しない限り相手に武器を持っていることを悟らせない便利な剣だ。私は静かに剣を鞘を出すと枕を斬りつけた。枕は綺麗に裂け中に詰められた羽が露わになった。
(斬りにくい。)
そう判断した私は聞き手ではないほうの手で枕を掴んだ。顔を動かさず朦朧とした意識のまま枕をに宙に投げた。ぼんやり壁を見つめるなか枕が目に入った瞬間手が勝手に動いた。
(綺麗……。)
小さな羽がベッドの上に落ちてきた。一度横に斬られた枕は縦からもう一度斬られたことで切り口が十字架みたいになった。剣で二度斬りつけたのはいいがそれだけでは足りなかった。私の胸の中に巣くう憎しみはこの程度では収まらない。憎い。フレデリックが憎い。私のことが好きなくせに私を振った。憎くて憎くて仕方がない。
(私に一目惚れしたくせに……。)
剣を振った。ベッドを幾層も覆っていたベールが切れたけど気にしなかった。むしろ斬る前より心が軽くなった気がした。ほんの少し…………ほんの少しだけだったが。
さっきより高い位置を切った。ベールがすとんと落ちてベッドへの入り口が出来た。
(好きになってあげたのに……。)
そもそも先に惚れたのはフレデリックのほうだ。私に惚れた男は腐るほどいる。数多くいる片思いの男どもの中からフレデリックを選んでやったのに。フレデリックが誰よりも私のことを好いてくれたから私も彼のこと好きになったのに。彼が私に好かれたいと誰よりも強く望んだから好きになったのに。
(どうしてこんなことをするの……?)
あの男は私のことが好きなのにどうしてあんなことをしたのだろう?人が自分の好きな人を拒絶するなんて間違っている。ベールが切れては落ちた。私が無意識に切り落としていたのだ。剣を振る回数は増えていった。
「あああああああああああああああ!!」
世の中は狂っている。そもそも最初から狂っていたのかもしれない。なにがいけなかったのだろう。私がフレデリックに迫ったことか?彼を毎日夕方に呼び出していたことか?彼を好きになったことか?私の性格?私の容姿?私の知性?私の身分?私の力?
(ああ……なんで気づかなかったんだろう。)
身分が高いことは良いことだ。お金があることは悪くない。美しいということは幸せなこと。一番いけないのは私に心を読む力が授けられたことだ。私の暗い性格と人間不信のせいで友だちがいないのもフレデリックを好きになったのも振られたのも全て私の心を読む力のせいだ。
(……消えろ!)
すっきりしたベッドを後にして私は飾り棚に向かった。花瓶、像、食器、時計……棚に飾られたものは全て剣の餌食になった。陶器や金属が傷つき割れる音は綺麗なオーケストラを奏でた。次は本棚だ。
(賢いと損ばかりする……!)
数々の本を手当たり次第ドアに投げつけた。王家に代々受け継がれていた本もあったけど罪悪感はなかった。全ての本を投げ終わったころにはドアに立派なバリケートが出来ていた。
「なんだ?この音は!侵入者か?」
「わかりません!」
「姫は無事か?!」
廊下が騒がしくなったけど無視した。壊す順は特に決めてなかった。理性のない獣のように目に入ったものから壊していった。
「姫様!何が起きているのですか!?」
メイドがドアを叩く音がした。うるさいのは私の部屋だけで十分だったのに。ドアに背をむけたら化粧台が見えたのでわざわざ飾り棚まで戻り隣にあった化粧台に刃を振るった。
―八方美人になれない私に美しさなんていらない!
一太刀で机がびしょ濡れになった。化粧水と油が入った瓶は倒れて化粧台を濡れた。。香水のコレクションは噴き出し別々だったものが一つになった。
薔薇・百合・水仙・撫子……ありとあらゆる香りが混ざり強烈な香りが部屋に充満した。化粧台を蹴ったら床に落ちた衝撃で鏡が割れた。棚に入っていた宝石類が零れた化粧品の上に落ちた。
―いい気味だわ。
鏡や宝石に対してそう思ったのかそれともそれらを欲しがる貴族の女のことを考えていたのかわからなかった。
「はああああああああああああああああああああああああああっ!!」
八つ当たりはまだまだ続いた。クローゼットからドレスを引っ張り出すと八つ裂きにした。タンスに入っていたコルセットやパンツ、ドロワーズやパニエもギザギザにした。壁、壁に掛かった絵画、窓、カーテン、カレンダー、なんでもよかった。壊せるものは全て壊したかった。ひたすら剣を振るったらすっきりした。心も体も軽くなった気がした。
「あはは…………あははははははは!」
笑いながらベッドに寝転がると枕の切り口に手を突っ込んで羽をばら撒いた。暗闇を鮮やかに照らす色とりどりの花火よりも真っ白な羽が落ちるのを見るほうが楽しかった。小さな羽根が散り散りに舞う光景は心に安らぎを与えた。何かが動く音がしたけど気にならない。全ての音は遠くから聞こえてくるようだった。
派手なものなんて私には似合わない。ものは少ないほうがいい。私はなにもかももらいすぎた。美しさも賢さも身分もお金も。食べ物も衣服も住まいも召使いも。宝石も本も家具も。憎しみも嫉妬も敵も。泣きながら笑っている私は喜んでいたのだろうか?悲しんでいたのだろうか?どこかで色んな声が飛び交って天使が子守唄を歌っていると錯覚した。喜びと怒りと哀しみと楽しみが複雑に入り混じった感情に溺れながら私の意識が途切れた。意識が飛ぶ寸前に聞こえた叫び声が夢の国へ出発する合図になった。
今回はほんの少し書くつもりが長くなってしまいました。
2時間くらいかかりました。前回が短かった反動でしょうか?