6. この人しかいない
豊穣祭は街のお祭りだ。
各地で行われているこの祭りは王都でも同様に開催されており、毎年中央広場が主会場である。
国王は挨拶しない。代わりに、次期国王が挨拶することになっている。
つまり、ここ数年はエディの仕事だ。
挨拶が終われば、エディは祭りの様子を視察し、暗くなる頃に城に戻る。
一方のクラウディアも、侍女を連れてこっそりと豊穣祭に出かけていた。
エディの挨拶の様子を見てから、市民に交ざって祭りを楽しむのだ。
この後に晩餐会が控えているのであまり食べられないが、少しだけ甘いものを食べて、城で待っているマリアーヌに土産を買うのが個人的な例年の行事である。
エディが城に戻ってからは、ごく一部の親しい上位貴族だけで晩餐するのが通例だ。
ごく一部といっても三十名ほどはいるだろう。
そこにブラームス侯爵家も呼ばれており、クラウディアはキースと共に参加し、食事した。
その後はエディと約束していたので、クラウディアはキースを先に帰した。
それからマリアーヌの侍女を見つけ、土産を渡そうとしたら、「お部屋にお越しください」と案内された。
マリアーヌもクラウディアを探していたらしい。
マリアーヌの部屋には、エディもいた。
「あら、エディ。あとで客室で待ち合わせだったわよね?」
「クラウディアお姉さま、客室だと護衛もいて二人でお話しできないでしょう? だからわたくしのお部屋を使って頂ければと思って」
「まあ」
マリアーヌが気を遣ってくれたらしい。すでに事情を知っているのだろうか。
仲の良い兄妹なのでエディが話したのだろうと思って彼を見ると、エディは死刑判決を待つような顔色の悪さでソファに座っていた。
豊穣祭では堂々と挨拶していたのに、とクラウディアは苦笑した。
先日の告白の返事をこの後に控えて、緊張しているのだろう。
きっとクラウディアが断ると思っているはず。なぜそう思うのかが不思議だ。
クラウディアはマリアーヌへ豊穣祭の土産として、綺麗な桃色に染色されたリボンを渡した。
マリアーヌがそれを嬉しそうに受け取る。
「綺麗! お姉さまありがとう。さ、わたくしは失礼しますわ。少ししたら戻ってきますわね」
そう言って部屋を出て行くマリアーヌを見送って、クラウディアはソファに座るエディの隣に腰掛けた。
座面が沈むのと同時に、エディの身体がびくりと震える。
あまりにも緊張している様子の彼がなんだかいじらしく思えてきた。
本当に、ずっと好きでいてくれていたということなのだろうか。
クラウディアはにっこり笑って距離を詰めた。
「エディ、この間のお話だけれど」
「…………はい」
「お受けしようと思うの」
はっきり告げたクラウディアに、エディが一瞬息を詰めたのが分かった。
しかし、エディはすぐに訝し気に眉を寄せた。
「…………本当に? クラウディア、しっかり考えた?」
「考えたわよ」
「あの外交官のことは?」
「ごめんなさいってお返事したわ」
結局、レーニエが既婚者なのか、本当の恋人がいるのかどうか調査はかけなかった。
エディの相手となることに決めたので、もう不要だったからだ。レーニエには丁寧に断りの返事を出した。
なのにエディはまだ疑うような目を向けてくる。
「本当に? 同情じゃなくて? 僕のこと、男として見ていないよね」
「きちんと男の人として見ているわ。エディとならキスできるし、肌をかさね……」
「うわあぁぁ、そんなこと言っちゃだめだよ!」
うろたえたエディがクラウディアの口を手で塞ぐ。
元はと言えば自分が言い出したくせに……と思い、クラウディアは口を塞がれた手をかぷりとかじった。
エディがまた悲鳴を上げて仰け反った。
疑うなら、証明してやろうではないか。
「ん」
少し顎を上に向け、目を閉じる。
空気が止まった。
意味は分かるだろう。
────なのに、待てども反応がない。
焦れたクラウディアがちらりと片目を開ければ、エディは両手で顔を覆い、見てはいけないものを見るかのように指の隙間からこちらを見て固まっていた。
心外である。
きちんと考えて結論を出したというのに、気持ちを疑うだけでなく、卑猥なものを見るように感じられてしまうとは。
「……なによ。エディの方がわたしとそういうこと出来ないんじゃないの」
「ち、違う!!」
エディが慌てて身を乗り出した。
「違う、そういうのではなくて、本当にクラウディアは大丈夫なのかなって。君は全然僕のこと意識していなかったはずで、でも僕はずっとそういうことしたいと思っていたから」
「ずっとそういうことしたいと思っていたの?」
「あああちょっと待って、邪な目で見ていたわけではないんだけど」
「邪な目で見ていなかったの?」
「えーーっと、えー、見ていました。いや待って見てない、あああ、待ってなんか余計なこと喋ってる気がする……」
「ふふふ、あはは」
普段落ち着いている彼がしどろもどろになっているのがなんだか可笑しくて、クラウディアは声を上げて笑ってしまった。
さらにバツの悪そうなエディの顔を見たら、なんだか可愛いなと思えてくる。
「エディ、わたし始めはとにかく結婚しなきゃと思っていたけれど、でも誰でも良いわけじゃなかったんだわ」
「クラウディア……」
「エディの言っていたように、ずっと一緒にいたいと思える人じゃないと、きっと家族ではいられない。だからエディ、あなたがいいの」
ようやく、エディがほっとしたような顔をした。
「むしろあなたの方が大丈夫? この評判の悪い人間を妻にして。もしあなたとダメになったら、きっとわたしは歴史に名を残すわね」
おどけて言えば、エディはぶんぶんと首を横に振った。
それから腕が伸びてきて、ぎゅうと抱きしめられる。
「絶対にクラウディアじゃないと嫌だ。僕と結婚したら苦労させてしまうと思って、ずっと好きだと言えずにいたけれど、もう放すもんか」
「ありがとう、エディ」
「礼を言うのはこちらの方だ、ありがとう、クラウディア」
しんみりした気持ちになって、しばらく抱き合ったままになっていた。
抱きしめたのなんて子どもの時以来だが、いつの間にか幼なじみは自分よりもずいぶん大きな男性に成長し、なくてはならない存在になっていた。
そのことをクラウディアは実感した。
一方、それはそれとして、先ほどの続きはしないのだろうかとクラウディアは気になった。
「……ねえ、エディ」
「うん?」
「しないの?」
「…………………………なにを?」
たっぷり考えて、困惑した色ののった声が頭上から落ちてきた。
唇をとんがらせて見上げると、エディの喉が鳴った。
「しないならいいけど……」
「待って、しますします、させてください」
体を離そうとしたところを強く引き止められ、エディが覆い被さってくる。
おや?
「あいつ、いつ頃戻ってくるのかな……」
え、どういうこと?
そう思った時には遅かった。
扉がノックされるまで、クラウディアはたっぷり濃厚なキスを味わったのだった。
《 おしまい 》
クラウディア「軽くちゅってするくらいだと思ったのに!!」
エディ「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
2024/5/23 キスの日(大遅刻)