5. 考え中
クラウディアへ告白したエディは、妹の部屋を目指していた。
──完全に勢いで告白してしまった。
「んんんんん……」
思い出してしまい、ふらふらと近くの柱に頭をぶつける。
後ろから近衛兵が心配そうにしていた。
クラウディアのことをずっと好きだった。
可憐な姿も、思い切りのいい性格も。
しかし、ただの友人としてしか見てもらえていないことには気付いていた。
王太子の妃候補を国外で検討していることを知っていたのだろう。色恋のない気楽な会話は彼女との距離のなさを感じることができるが、同時に意識されていない切なさも覚えるものだった。
それに、実家の立て直しに奔走していたことを近くで見ていたのだ。
実家の状態をなんとかしたいと相談を受け、当代存命ながら代替わりするための方法を共に考え、若い弟侯爵の教育に協力したのはエディであった。
社交界から離れ、同じ世代の友人はおらず、家族と向き合っていた。
いつだったか、忙しい時期にクラウディアが言っていたことがある。
「キースには苦労かけてしまったから、わたしがいつか結婚して子どもができたら、その子にはのんびり育ってもらいたいわ」
どのように返したか思い出せない。
だが、王太子妃になったら彼女にもっと苦労させることになる。
クラウディアには幸せになってほしい。
そのためには、自分ではきっとだめなのだ。
そう思っていたのだが。
マリアーヌの部屋をノックすると、妹はすぐに出てきた。
「お兄さま」
「マリアーヌ……」
「どうしたの、泣いているの?」
「泣いてない」
部屋に入ると、マリアーヌが侍女にティーセットを準備するように指示する。
エディは長椅子によろよろと座り込んだ。
「クラウディアに告白してしまった」
「まあ、ようやく! でもなぜいま?」
エディはマリアーヌに一連のことを話して聞かせた。マリアーヌは、クラウディアが外交官と出会っていたことは知らなかったようだ。
「これまでクラウディアが好きな男と幸せになれるならそれでいいと思っていたんだ。むしろそれを見届けないと僕は結婚できないと思っていた」
「妃候補者を探す文官たちを待たせていたものね」
「だけど、実際クラウディアが相手を見つけるとなると我慢できなくなってしまった。その相手が怪しいものだから」
きっと、クラウディア自身が大好きになった相手であれば、涙を呑んで祝福していたであろう。
しかしそうではなかった。しかも、クラウディアは結婚のかたちに対して妥協しようとしていた。
「思い出しても腹が立つ。クラウディアだって、諦め半分で相手を選ぶなんてどうかしている」
「きっと相手が誰でもお兄さまは満足していなかったと思うわ」
「そんなことはない。ハシュムはいいと思っていた」
「おあいにくだけどハシュム様はわたくしと出会う運命だったのよ」
「お前ね……」
「それにお兄さまがハシュム様を勧めたのって、自分の見えるところでお姉さまに幸せになって欲しくなかったからでしょう。女々しいわ」
言い返したかったが、痛いところを突かれたのでエディは言葉に詰まった。
ハシュムが任せるに値する人物であることは前提として、確かに、クラウディアが国外に嫁ぐなら諦めがつくだろうと心の奥で思ったことは事実だ。
幸せになって欲しいけれど、他の男に寄り添う彼女を見てしまったら嫉妬で悶えるだろう。
「ま、告白なさったならよろしかったですわ。でも追い込みをかけないとお姉さまは逃げてしまいますよ」
「なんて?」
「お姉さまはきっとお兄さまのことを異性とは見ていらっしゃらないでしょう? ここで本気を出さないと、きっと無かったことにされてしまうわ」
「まずい、こうしちゃいられない」
へたり込んでいたエディががばりと立ち上がり、足早に部屋を出ていく。
マリアーヌはその様子を微笑ましく見送った。
♦︎
──エディは本気なのだろうか。
クラウディアは自室の机に肘をつき、ぼんやりと外を眺めながらエディの言っていたことを反芻していた。
僕にしときなさい。ずっと好きだった。
絶対幸せにする。僕を選んで、と。
クラウディアの現状に同情してくれた? いや、それにしては見たことがないくらい思い詰めた表情をしていた。
王太子妃選定を待たせていたというのは本当なのだろうか。本当に好きと思ってくれているのであろうか──。
「うーん……」
「お嬢さま」
「…………」
「お嬢さま」
「ひゃっ!!」
物思いに耽っているところを急に話しかけられ、クラウディアは飛び上がった。部屋の入口で家令と侍女が驚いたような顔をして立っている。
「すみません、ノックはしたのですが……」
「ごめんなさい、考え事をしていたの」
「お手紙です」
家令が差し出してきた手紙は二通。
そのうち一通はいま思っていた人からだったので、どきりとした。
もう一通は隠居した父から。
急に胸に石を詰め込まれたような気持ちになり、クラウディアは天を仰いだ。
間違いない。嫌な知らせに決まっている。
嫌なことはさっさと済ませた方がいい。
クラウディアは机のペーパーナイフで雑に開けると、荒々しい手つきで手紙を開いた。
「むむむ……」
案の定、喜ばしい内容では全くなかった。
手紙の中で父が言うには、いま興味を持っている投資先は必ず伸びるので出資したいが、現在自由に使えるお金が少ないので増やして欲しいとのこと。金の無心だ。
父には隠居先で生活する最低限の金銭を送っている。しかしながら当然、増額するはずなどない。
むしろ自分の過去の行いを反省していないような内容に、クラウディアは大いに呆れた。
娘相手とはいえ、恥ずかしくないのだろうか。金の無心をして送金してもらえると?
しかもこの調子だと、今回だけでなく今後も同様のことが生じる恐れがある。
家から追い出しただけでは足りなかった。
縁を切り、永久に関与しないよう対処すべきであったか。
キースを呼んで手紙を見せると、弟も顔を歪ませた。
だが少し考え、一度頷いたキースが顔を上げる。
「縁を切ろう」
「わたしもそうした方がいいと思うわ、でも……」
きっぱりと言い切るキースだが、クラウディアは決断できなかった。
父は引退し侯爵家の当主は弟に代わっているものの、父は前ブラームス侯爵として貴族名鑑には載っている。
完全に縁を切り、ブラームス侯爵家から父の存在を消すことも出来なくはない。しかし、醜聞に社交界は敏感だ。
前侯爵を引退させただけでなく貴族名鑑からも抹消してしまうような対応を情が無いと受け取られないだろうか。
まだ若いキースが血も涙もない人間であると思われる可能性があることが、将来不利になるのではないだろうか。
「うーん…………」
逡巡していると、パタパタと足音が聞こえて若い侍女が姿を見せた。
「お嬢さま、王太子殿下がお見えです」
「えっ、いま!?」
急なエディの来訪に、クラウディアはキースと顔を見合わせた。
ということは、先ほどの手紙は訪問の先触れだったのだろうか。手紙の到着とほぼ同時ではないか。だが、ちょうどいい。
「……いいわ、今回の件をエディにも話しましょう、キース、いい?」
「もちろん」
キースと二人、早足で応接室に入ると、エディは落ち着かない様子で立っていた。
「クラウディア! 先に手紙を出したんだけど、居ても立っても居られなくなって……」
「ちょうどよかったわ。我が家の歴史から父を永久に抹消する以外に方法ないかしら?」
「へっ??」
目を丸くしたエディを座らせ、父からの手紙を見せた。
顔に疑問符を浮かべながらも手紙を読んでいたエディは、すぐに眉間のしわを深くした。
「父への援助を増やす気はないの。でも縁を切るのは本当の最終手段とも思っていて」
「うーん……」
手紙から顔を上げたエディの黒い瞳が虚空を見つめる。真剣に考えてくれているらしい。クラウディアは声をかけることなくじっと待った。
それから少しして、エディはクラウディアとキースに対して指を三本立てた。
「いろいろと方法はあると思うけど、一つはさっき言っていたように縁を切ること。これはあまり難しいことじゃない。当主の申請で可能だ」
「うん」
「他には、例えば前侯爵が病気であると医師に診断させる。ずるいやり方だけど、判断能力が無ければ借金返済の義務は無くなって、投資先も敬遠する。それから前侯爵の投資先に違法性があれば、そこを突くとか。前侯爵が騙されていたという方向に持っていけるかも」
「うーん……」
「いや、縁を切ろう」
頭を悩ますクラウディアの考えを断ち切るように、弟がきっぱりと言った。
「姉さん、どんな方法を取ったとしても今後も同じようなことが起きる可能性がある。もう代替わりしたんだ。縁を切って、憂いは晴らすべきだ」
「でもキース、あなたは今後結婚も控えているのよ」
「伯爵には、父を縁切りした判断を褒めてもらえるだろうさ」
キースは悪戯っぽい笑みを浮かべた後、「早速手続きします、ありがとうございます殿下」とエディに礼を言って部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、クラウディアはほーっと息を吐いた。
いつのまにか、キースの方が思い切った判断が出来るようになっていた。そのことを嬉しいとも思うし、少し寂しいとも思う。
それから、エディはいつも頼りになってありがたいとクラウディアは感じた。
縁を切ることしか思い浮かばなかったが、それ以外にも選択肢を教えてくれる。いつもそうだ。そして、最終的な決定はこちらに任せてくれる。
「エディ、本当にありがとう。また改めてお礼するわね」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
キースを手伝おうと思い、席を立とうとすると慌てたエディに腕を掴まれた。
「あの、今日来たのは理由があって……、この間言ったことなんだけど」
「え………………、あっ!!」
すっかり頭の中から抜けていた。そういえば告白されていたのだった。
明らかにいま思い出したクラウディアに、エディは大変ショックを受けた顔をした。
「違うの、ごめんなさい。父の件で頭の中がいっぱいになっていて」
「いや、いいんだ、クラウディア」
気を取り直したようで、エディが真剣な顔で言う。
「この間は返事をずっと待っていると言ったけれども、その……」
「あっ、いま聞きに来たのね? ごめんなさい、別の話しちゃって」
「い、いや、いまじゃなくていいんだけど」
聞きたいのか聞きたくないのか、どっちなのだ。はっきりしないエディに首を捻る。
「そうだわ、来週豊穣祭の後、晩餐会があるじゃない? わたしも出席する予定だから、そこで会ってもう一度話しない?」
「…………わかった」
──といっても、クラウディアのこたえはもう決まっていたのだけれど。