4. 本当にこの人しかいない?
レーニエや皇子たちが視察を終えて帰国してから、クラウディアは悩んでいた。
分かっている事実は、マリアーヌは恋人から家族に紹介すると言われ、結婚後は相手の国へ行くだろうということ。
それから待っている間の証として、婚姻間で交換したり、互いの名を彫ったりするというバングルを渡された。
一方のクラウディアはこの国に留まっていていいと言われ、バングルは渡されていない。
かつ、彼の着けていたバングルには文字が刻まれていたということだけだ。
レーニエが外交官だからという理由が大きいのかもしれない。
きっとあちこち移動しているのだろうから、そもそもあまり家に留まっていないのかもしれず、だからクラウディアについて来て欲しいとは言わなかったのかも。
そして、大切なバングルを渡すという発想には至らなかっただけかもしれない。
クラウディアは最悪のパターンを想像して動くタイプだ。
今回の件でいえば、実はレーニエには国で結婚しており配偶者がいて、クラウディアをいわゆる現地妻としようとしているとか。
あるいは、クラウディアが本妻だとしても自国に恋人がいるとか?
将来を考えてほしいと言われただけで、『結婚しよう』とは言われていないのである。
だからバングルも渡されなかったし、ついてきてほしいとは言われなかったのかも。
いずれにしても念のため、相手のお国事情などは調べた方がよさそうではある。
「うーん……」
一方で、上記の点は気になっているものの、レーニエは素敵な人だった。
クラウディアのことを貶したり、侮ったりしたことはなく、尊重してくれた。将来もこの国に住んでいていいと言ってくれたのは、クラウディアの実家のことを配慮してくれたためかもしれない。
社交界に復帰してから、こんなに楽しくおしゃべり出来た人はいない。この機会を逃すと、もう本当に結婚することは出来ないのではないか。
悶々と考えていると、侍女から声をかけられた。
「お嬢さま、王太子殿下からお手紙です」
「エディから?」
送られてきた手紙を読めば、隣国の視察も済んだので久々にお茶でもどうかという誘いだった。
ちょうどよかった。エディとは全然会えていなかったので話が出来ていない。
クラウディアは早々にエディに会うことにした。
「知らない間にそんなことになっていたの……」
数日後。
王宮の応接室でクラウディアはこの一週間のことを話した。
ティーセットを挟んで向かい側で一人椅子に腰掛けたエディは始めはのんびりと聞いていたが、だんだんと難しい顔になっていき、話終える頃には彼は手で顔を覆って呻いた。
「どうしたの、エディ。大丈夫?」
「……大丈夫。クラウディアはその外交官が怪しいとは思っていないの?」
「うーん、最悪、愛人契約なのかしらと思って。ちょっとよく分からないから、調べさせようかと思っているの」
「そうだね、その方がいい」
「でもね、」
クラウディアは言葉を切った。
「もしそれでもいいかなとちょっと思っているの。最近こんなに楽しくおしゃべりできた人いないし。キースのことも近くで見ていられるならいいかなって」
クラウディアの発言に、エディは愕然、といった様子で顔を上げたのでクラウディアは怯んだ。
幼なじみのこんな怖い顔、見たことがない。
「正気なの、クラウディア」
「しょ、正気だけど……」
「君がそんな愚かな人だとは思わなかった」
「なんですって?」
思わず腰を浮かせかけたが、向かいに座ったエディに制される。
「国外には君に合う人がいるかもしれないと言ったけど、そんな怪しい男にクラウディアを嫁がせるつもりだったわけじゃない」
「あなた、わたしのお父さまだったかしら?」
「言い方悪いが、君の父親ほどぽんこつだと? 皇子とマリアーヌが恋仲になったのは予想外だったけれど」
「そうでしょうね」
元々は皇太子の弟であるハシュムをクラウディアにどうかという話だったのだ。それがうまくいかなかった中で、自分で出会いを見つけたのはよいことではないか。
しかしエディは茶を一口飲むと、厳しい視線でクラウディアを見つめた。
「その男を僕ははっきり見ていないけれど、クラウディアはもう好きなの? その男とキスできる? 結婚して、肌を重ねられる?」
「なっ……」
露骨な言葉に狼狽えた。そういえば、キスは避けてしまったのだった。
エディが続ける。
「いい? もしクラウディアがその外交官に良い返事をしたとする。そうしたらその男の出張中だけ夫婦ごっこをするんだ。始めのうちはいいかもしれない。でも相手に本妻や恋人がいたら? もし君に子どもが出来たら?」
「…………」
「君は必ずその不条理に耐えられなくなる。断言していい。そのうち相手に別れを切り出す。本妻にも知られるかも。またもや君は『壊し屋』としての実績を積むんだ」
──もしレーニエと結婚するにせよ、彼の国に本妻や恋人がいたら。
──もし自分に子どもができて、歳を重ねていったら。
エディの語る内容が想像出来てしまい、クラウディアは天を仰いだ。
リアルすぎる。
現地妻でもいいかなと思っていたけれど、もっと先の将来を考えられていなかった。
そうだ。だらしなかった父親を家から追い出した自分が、中途半端な関係で疑問を感じないはずない。
いずれレーニエに現実のおかしさを突きつけ、自分の視界に入らないように対処してしまうのだ。父にしたように。
せっかく出会った人で、やり方によっては幸せな関係を築けるかもしれないのに。自分の偏狭さが嫌になる。
「どうしよう……、もうわたし本当に一生ひとりなんだわ……」
「クラウディア」
悲観して呟けば、エディが言った。
「僕にしときなさい」
一瞬よく意味がわからず、クラウディアは「なんて?」と聞き返す。
「僕にして」
その意味をじんわり理解し、クラウディアは言葉を失った。
今のは、レーニエではなくエディとの将来を考えるということであろうか。
「え……っと……、エディは他国の方をお迎えするのよね?」
「いや、王太子妃選定は待たせていたんだ」
向かいに座っていたエディが立ち上がり、クラウディアの座っていた長椅子に腰掛ける。
隣で膝が触れそうなほどの距離に詰められ、手を握られた。
「クラウディア、ずっと好きだった」
固まったクラウディアに、エディは真剣な顔で語った。
「でも君は侯爵のことでとても苦労し、頑張ってきたのを知っている。僕の相手になってしまったら君は王太子妃だ。苦労してきた君にもっと大変な思いをさせる。僕では無理だ。でも、どうにか幸せになって欲しいと思ったんだ」
「エディ……」
「君が良い相手と幸せになるまではと思って、僕の結婚相手選定は待たせていた。でも君が幸せになれない相手と結ばれるくらいなら」
握られた手の力が強くなる。
「僕の方が絶対いい。苦労させる立場だけど、絶対に幸せにする。誰よりも君のことを見てきたから。ずっと好きだから」
「…………」
「だから僕を選んで、クラウディア」
言葉が出てこず、クラウディアはうつむいた。
情熱的な言葉に頭がくらくらする。いつもは穏やかな幼なじみにこんな一面があったと思わなかった。
エディはずっと仲の良い友人の位置だった。
幼い頃は自分が婚約者候補であることは知っていたけれど、その話が立ち消えてからは気の置けない友人だ。
言いたいことも言ってくれるし、自分も言うし、相談事だってたくさんしてきた。その相手が自分を好きだという。
「…………えっと……、ありがとう、エディ」
「待って待って、振ろうとしているね? いま判断しないで」
「いえ、なんて言えばいいか……」
「一度ゆっくり考えて。それでこたえを教えて。ずっと待っている」
クラウディアは混乱した頭のまま頷いた。