6 新たな聖女
「そろそろ物語は始まったかしら」
あの大騒ぎになった誕生日パーティから1か月経った。
原作はのどかな昼下がりのシーンから始まる。アリソンが屋敷の庭で侍女たちと楽しく散歩しているのだ。小鳥が肩に止まり、美しい髪が風になびく。いかに彼女が美しく、家族から愛され、優しく穏やかな人物か語られていた。
まさかこの美しい乙女が『復讐姫』と呼ばれることになるとは……という導入だ。
だが彼女はあのパーティからずっと部屋に篭っている。
(傷ついてますアピールはきいてるみたいね)
連日、アーロンからの謝罪の手紙やあの場にいた人々からの同情や気遣いの手紙が届いていた。そしてそれにアリソンは逐一返事を出したのだ。
『私はもう聖女としてやっていくことは出来ないでしょう。治癒の力は心の力が源になります。それはあの時、あの部屋に入った瞬間、全て失われたのです』
半分は嘘ではない。治癒の力は使う人間のメンタルも重要だ。精神が不安定だと効果も不安定になる。
(まぁ実際あの部屋に入った瞬間は思わず、キター! って大興奮のガッツポーズしそうになったんだけどね!)
さらに手紙は続く、
『この様に意志薄弱な聖女など、未来の王妃には到底相応しくありません。自ら身を引くのが、これまで私に期待を寄せていた国民へのせめてもの償いというものです。
そもそもアーロン殿下のお心すら離れていくような女など、誰も王妃とは認めないでしょう』
(はい。これは~そんな事ないよ! って言われるの待ちの文章ね)
羽根ペンをクルクル回しながら、もう15度目になる似たような内容の手紙を書き続ける。
『ですがご安心ください。きっと間も無く、私に代わる聖女が現れる事でしょう。
預言者のように神託があったわけではありません。ただ未来の聖女と言われた私だから感じるのでしょうか、最近、確信に近い感覚を覚えることが度々あるのです。
そのような方が現れた時、私は喜んで彼女に私の未来だったものをお渡しする所存です』
その後は、感謝の言葉を書き連ねてお終いだ。
結局こんな手紙を王に王妃に王太子、さらに公爵家から子爵家、この国の大商家に神殿の高位神官にまで出すことになった。
「先に預言を出したんですね」
ギルバートはアリソンが書いた手紙に目を通しながら時々肩を揺らしていた。笑うのを我慢しているようだ。
悲壮感漂う字を書いている本人は目の前でピンピン元気に過ごしている。それらしく水滴を垂らして涙の跡までつけるという小細工までしていた。
「可哀想なアリソンの演出は大事なんだから~! 同情もそれなりに力になるし」
(こっちは命かかってんだからプライドなんて言ってられないのよ!)
彼の表情を読み取って、アリソンはわざと怒った口調で言い返す。
「……まあどっちに転ぶかわかんないけど、これだけ言いふらしてたらデボラが出てきた時、私がショックを受けて彼女に嫌がらせしたなんて難癖つける人は減るでしょ」
これは予防線だ。原作では不意打ちされ動揺したままあれよあれよという間に悪い方に転がっていった。
(原作の私、あまりにも悪意に耐性がなさすぎなのよね~)
それが悪意だと気づくのに時間はかかるし、気付いた時の衝撃で動けなくなっていた。
そしてその不意打ちにやられたのは、王や王太子、貴族達も同じだった。デボラとその一族は、スピード感を以て瞬く間にライバルを蹴落としたのだ。
このアリソンの預言に乗っかって、正式に預言を出してくるか、それとも先にアリソンが新しい聖女の話をした事で何か変えてくるか。
(まさか偽の預言をやめちゃったり?)
それならそれで、婚約破棄だけに全力投球するだけだ。
「先制攻撃は効いたようです」
最後の手紙を書いてから1週間後、少し悪い笑顔をしたギルバートの報告を受けたアリソンは小躍りしたくなるのをグッと我慢した。とはいえ、マレリオの今後の役割を考えたら喜んでばかりはいられないのだが。それでもムカつく相手に一発かませたのは気持ちがいいものだ。
「預言者マレリオとクローズ家が揉めています」
「聖女に先を越された預言なんて立場がないって?」
くすっと笑ってギルバートは頷いた。マレリオは自分に人気がない事はわかっている。さらに自分の能力を疑われるようなことはしたくないのだろう。
だが、新たな聖女の話は、まことしやかに世間に広まり始めていた。
「ざまぁみろ! 私の誕生日パーティを仮病で欠席したことを後悔してることでしょうよ!」
フンッとアリソンは鼻を鳴らす。
高齢の現聖女からは、事前に手紙やパーティに出席できないお詫びに、綺麗な花束が届けられていた。彼女は間もなく引退だ。自分の後継者を苦労なく選べそうだと、何も知らずに安堵していた。
マレリオはただ参加しない、と素っ気ない返信がきただけだ。すでにデボラ側と手を組んでいると非常にわかりやすく今のアリソンに教えてくれたようなものだった。
(以前の私だったら、お忙しいのね! なーんて能天気に過ごしてただろうな)
それはそれで幸せなことだと今ならわかる。他人からの悪意というのは自分だけでコントロール出来るものではない。わかってしまえば、ただのストレス源にはなってしまう。
「預言者としての力がありながら人を見る目がなさすぎますね。アリソン様を選ばないなんて」
冷たい眼差しに冷たい声。ギルバートはアリソンに害なす者に一切の容赦をするつもりはない。
彼女から恐ろしい未来の話を聞いてさらにその気持ちは強まっていた。
「まぁまぁそんなに怒らないで! この人、その内デボラが雇った暗殺者に殺されちゃうから」
(原作の私が唆したのが原因だけど!)
作中ではデボラが聖女となった後、世間へ偽の預言をバラすと脅し、デボラの聖女としての権力と大金を巻き上げようとしたのだ。
「……そうなるべき男です。必要があれば俺が」
冗談ではない、本気の表情だ。
(しまったっ! 軽口が過ぎたわね……)
アリソンはギルバートの愛情表現の方向性を再認識した。彼女の為なら文字通りなんでもやってのける。
「あらやだ! 私は平和主義者よ。多少苦労しても流血は避けるつもりだからね! そのつもりでよろしく」
なによりギルバートの手を汚したくはなかった。
アリソンの気遣いに気がつき、ギルバートは困ったように笑う。
「ま! 彼がどうするか様子を見てからでもいいでしょう。今のところ実害はないし」
マレリオに動いてもらわなければ、アリソンが聖女になってしまう未来が近づいてしまう。今の彼女の望みを実現する為には、彼の偽預言は都合がいい。
結局新たな聖女の預言は、アリソン達が大神殿へ行くほんの少し前に発表された。原作通り、真実の聖女はデボラ・クローズであり、アリソン・アルベールは前預言者の妄言を利用してその地位を手に入れようとした、と。デボラ側がごり押して、予定通りの預言を発表したのだ。
「バカね~もうちょっと上手いこと考えればいいのに」
「アリソン様でしたらどのように?」
ギルバートの問いかけに得意気な顔をして答えた。
「私は今、悲劇のヒロインよ! 私を貶めないで利用しなきゃ。こっちの預言に乗っかるの。例えば、傷つき力を失った聖女アリソンの後任としてデボラは聖女に選ばれた! とかね」
(そうしてくれたら聖女交代もやりやすかったのに!)
「なるほど。しかしそれでは預言者マレリオの威厳に関わるでしょうね。アリソン様の預言をそのまま使っているだけになりますし」
「それはそうね……けど私を引きずり下ろすならこっちの方が確実でスムーズなのに! マレリオのプライドバカヤロウ!」
アリソンは聖女になりたくはない。デボラが望むなら、いや、望まなくとも喜んで代わるつもりでいる。
ただし、こちら側に害をなすつもりならそれなりの対応をする心積りだ。アリソンにも、その家族にも今後の生活がある。世間体だって、アリソンほど有名になれば大事なことだ。
マレリオの預言はすこぶる不評だった。可哀想なアリソンに追い討ちをかけたのだから。だいたい、アリソン本人によって次の聖女の預言はされている。ギルバートの予想通り、マレリオの新たな預言はただ便乗しただけと思われていた。
「本当に預言はあったのか? それこそ金で出来た預言なのでは?」
原作と違い、人々はこの預言を全く信じなかった。なぜならもう1つの噂が王都に出回っていたからだ。
クローズ領の金山開発が順調に進みゴールドラッシュが始まった。
作中では預言者買収の疑いがかからないよう世間には伏せられていた事実だ。実際にはゴールドラッシュなんていうほどの盛り上がりはないが、噂の出所が話を盛っていた。
「クローズ家は犯人探しに躍起になっているようです」
素知らぬ顔をしたギルバートを見てアリソンはプハッと吹き出した。そんな彼女を彼は愛おしそうな目で見る。
ありきたりだが、ギルバートは幼い頃アリソンに命を救われた人間だ。王都の路上でただ1人死んでいく寸前、彼女に助けられた。それから自分の命はアリソンの為に使うと決めている。
そしてそんな身分の彼を、あっさり受け入れてくれたアルベール家のお人好しな人達のことも、彼は守ろうと誓っていたのだ。
「ギルも、ギルの友達もいい仕事するわねぇ」
「なんのことはありません。皆アルベール家には恩がありますので」
ギルバートは顔が広い。一時は浮浪児達のリーダーのような存在だった。
ギルバートの一件で王都の浮浪児の現状を知ったアルベール家は、そんな彼らが飢えや寒さを凌げるよう住処を用意し、教育し、未来を与えていた。
悪役の運命か、クローズ領の金山開発はすぐに下火になってしまう。思っていたより採掘量がなかったのだ。それは物語の中盤で発覚する。そしてそれをきっかけに、クローズ家の卑劣な攻撃は加速するのだ。
(デボラが聖女、そして王妃になれば一発逆転だもんね~)
やれやれとため息をつくアリソンの手をギルバートはそっと握り、
「アリソン様のことは俺が必ずお守りします」
ついに物語が始まる。アリソンにとっては辛い物語だ。
今回は以前のように茶化すような物言いではない。真剣に見つめるギルバートの瞳を、アリソンはしっかりと見つめ返した。
「ならギルのことは私が必ず守るわ」
そうしてビックリと目を見開く彼を見ながら、ぎゅっと彼の手を強く握り返した。