最終話 それぞれの幸せ
「ねぇねぇギル! あの話聞いた!?」
「あー……アーロン様のことでしょうか……」
「そうそう!」
帝国にあるアルベール家の屋敷でアリソンはウキウキと機嫌がいい。今はよく手入れされている庭園を2人で散歩している。花々が咲き乱れ、穏やかな風が吹いていた。
(どのアーロン様の話だろう……)
このように美しい場所でしてもいい話題だろうかとギルバートは少し戸惑い歯切れが悪い。
「いや~ついに刺されたわね! いつかこうなると思った!」
笑い話に出来るのは、無事アーロンが生きているからだ。あの後すぐに治癒師が駆け付け、最後は妻であるデボラによって一命をとりとめた。だが……
「大事な所はちゃんと治さなかったらしいの! 潔癖なデボラがしそうなことね~」
「ハハ……」
ギルバートは乾いた笑いだ。
「お世継ぎ問題もあることだし、私が燃やさなくても結局王宮は大炎上ね!」
近頃、アーロンの子を身籠ったという令嬢が相次いで王宮を訪れていたのだ。もちろん、デボラは怒髪冠を衝く形相で対応している。
「可能性がある令嬢の情報を送りましょうか……?」
ギルバートは帝国に移住前はもちろん、移住してからも仲間にアーロンの動向を探らせていた。後々難癖つけられた場合に備えて、出来るだけたくさんの彼の不誠実さを表す証拠を集めておいたのだ。
彼はデボラの事を嫌っていたが、流石にこの状況には同情した。彼女の執念深い愛のおかげで、自分の愛する女性は今とても楽しく暮らしている。
「そうね~……そのくらいしてあげましょうか……」
それはアリソンも同じだった。
(まぁあなたの愛でアーロンを変えるのよ! なんて言って騙したようなもんだし……)
アーロンがそう簡単に変わるような男でないことはよくわかっていた。
「いや~デボラに押し付けて本当によかった……」
記憶が戻った時、未来をデボラに押し付けるのではなく、デボラを退け、アーロンを改心させて実権を握る! なんて考えが全くなかったわけではない。だがどうしても、あの王国で自分が幸せになる未来が見えなかった。
(あの男は生まれた時から教育しなおさないと厳しいでしょ)
だがデボラは違う。彼女も根本が変わるとは思えなかったが、目的の為になら何でもできるタイプなのはわかっていた。それで押し付ける相手に決めたのだ。
(なにより本人が望んでたしね~)
とは言っても、騙したという自覚がある。現状は彼女の望んだ未来では絶対にない。そのせいか多少の罪悪感が今更湧いたのは、今アリソンがとても幸せだからだ。
「あのだらしない下半身はしばらく大人しくなるわねぇ~強制的に」
そうして急にアリソンはハッと気がつく。ついつい心のまま言葉に出してしまっていた。
「いやだわ! 私ったらはしたないわね!?」
「いえ。素のアリソン様を見ることができるのは嬉しいです」
彼のくしゃりと笑う顔がアリソンはとても愛おしい。
(ギルと火の海に飛び込むことにならなくて本当によかった)
心底ホッとする。
家族も全員無事だ。自分のせいで移住することになり申し訳ないと謝ると、両親は笑い飛ばしてくれた。
『僕達は帝国で出会ったんだよ? 遊学中にお互い一目惚れでね……長いことクロエは僕の為に王国で暮らしてくれた。今度は僕が帝国で暮らす番だよ』
『僕も帝国での生活、とっても楽しみですよ!』
アリソンが気にしないようにと、弟もニコニコと答える。
『ありがとうございます』
そんな優しい家族に囲まれ、アリソンはこれまでの頑張りが報われたと泣きたくなった。そんなアリソンを優しい表情で見つめてくれたのはギルバートだ。これまでもずっとアリソンを支えてくれていた。
(もう絶対に好きになるやつじゃん~!)
これまで目的の妨げになりかねないと、ずっとギルバートのことは意識しないようにしていたが、帝国に来た今、なにも問題はない。
(ありがとう異世界転生~! 一時はなんつ~運命を背負わせてくれたんだと思ったけどっ!)
物語が終了した後のご褒美とばかりにギルバートの凛々しい顔を見つめ堪能する。だが彼は少しもアリソンの気持ちには気付いていない。自分の気持ちが報われると考えたことがこれまで一度たりともないからだ。
「アハハ! こんなんじゃ貰ってくれる殿方もいないわねぇ」
チラっと彼の方を見る。
(さぁ! パスは出したわよ!!?)
普段ならこんな言い方はしない。だが、ギルバートに関してはお膳立てが必要だとわかっていた。
「あ……あの……」
「ん? なぁに?」
(さぁ言うのよ! 私の事が好きだって言うのよ!!! 『俺が貰います!』 って言うのよ!!!)
アリソンは興奮して鼻息が荒くなるのを一生懸命抑えていた。
「あ……アリソン様であれば必ず相応しい方が現れるかと……」
「……ッ!」
思わずコントのようにカクンと足に力が抜けて転げそうになる。
(そんなシュンとした顔して! そんな顔するなら思い切って言えばいいのに!!!)
「そうね……もう身分も関係ないし……あぁ! どこかにいつも私を守ってくれる殿方はいないかしら!?」
これでどうだと言わんばかりに、ギルバートの方を見つめる。
「身分……」
(おっ! 気づいたか!? もう身分という障害すらないのよ!)
ギルバートは少し何か考えたあと、アリソンの前に跪き、顔を赤くして見つめてきた。
(キ、キタァァァ!!!)
だが、アリソンが期待していたのとは少しだけ違う言葉が彼の口から出てくる。
「アリソン様……俺、帝国軍に入ろうと思います……!」
「え?」
ぽかんと目と口が開く。
「そ……そこで出世して、アリソン様に相応しい男になってきます……だから、だからそれまで、他の男を探すのを待っていただけませんでしょうか……!」
ギルバートは真剣だ。目が潤んで泣きそうになっているのがわかる。
「プッ……アハ! アハハハ!」
「ア、アリソン様!?」
(はぁ~やっぱり思い通りにはいかないものね)
だけどアリソンは満面の笑みだ。
「もちろんよ! ギルのお願いなら、おばーちゃんになっても待ってるわ」
それでやっとギルバートはアリソンの気持ちがわかった。顔を真っ赤にして固まってしまった。
「こ、こんなに幸せなことがあってもいいのでしょうか?」
「それはこっちのセリフよ!」
そう手を取り合って見つめあうのだった。
◇◇◇
――パチンッ!
デボラは使い込まれた扇子を握っている。そしてそれで大きく音を立てて手を打った。
「ヒィッ!」
「何をチンタラしているのです! 可能性のある令嬢の名を書き出すことがそれほど難しいことですか!?」
デボラは高齢の王を味方につけ、王太子を軟禁状態にしていた。表向きは今回の騒動の責任をとって謹慎していることになっている。
「だ……だが本当にわからなくって……」
「そんな中途半端な気持ちで令嬢達に手を出したとっ!?」
「い、いや……あちらから来たこともあって……」
「言い訳無用!!!」
バチンッ! と、また強く扇子を叩き大きな音を出す。
アーロンは大切に大切に育てられてきた。このような仕打ちを受けたことなど一度もない。デボラの変わりようにパニックになっていた。どう対処していいか少しもわからない。厳しく接されることに慣れていないのだ。
ただ今は言われた通り、自分の子を宿した可能性のある令嬢達の名前を全て書くしかない。彼女達が万が一アーロンの子を産んだとしても、王位継承権の放棄をさせるために。
「……ソコも治して欲しいのでしょう?」
「も、もちろん……!」
アーロンの大事な下半身が元に戻るかどうかはデボラの手にかかっている。他の治癒師達も未来の聖女であるデボラの手前、アーロンがどれほど望んでも手を貸すことはなかった。デボラがアリソンに倣って同情を引き、周囲をうまく味方につけることが出来ていたのも大きい。
(あの女と同じ手を使うなんてっ!)
そう苦々しい気持ちでいっぱいだったが、これがデボラの『今』の目的の為には必要だった。
正直、アーロンには騙されたという気持ちでいっぱいだ。
(いいえ……気が付かないようしてただけ……)
その方が幸せだったのだ。何よりあれだけ苦労して手に入れようとしたアーロンが、自分を、自分だけを愛さないなんて思いたくもなかった。
「お、王位継承権を放棄するなんて……認めるだろうか……?」
「貴方は心配無用です。私に任せておけばよいのです」
神殿の、治癒師の力を使う手はずは既に整っていた。現役聖女イザベラだけではなく、あのローガンすら手を貸してくれている。
(何考えてるかわかんないし、私の権力を抑えようとする鬱陶しいやつだと思ってたけど……味方だと心強いわ)
継承権を放棄させるのは簡単だ。放棄しないなら今後一切神殿、治癒師達は力を貸さない。それはつまり、今後一切この国では、怪我も病気も出来ないことを意味する。
(母子共々殺さないだけ有難いと思いなさい!)
と、口から出そうになるのをグッと堪えていた。だが周囲はその姿が、デボラが悲しみや怒りを抑え、気丈にも今回の騒動を収束を図ろうとしている風に見えたのだ。人知れず評価を上げている事にはまだ気づいていないデボラだった。
グッと手に持った扇子を強く握りしめる。ここまで努力して手に入れたものを早々簡単に諦めるつもりはない。
「絶対に幸せになってやるんだから!!!」
バチンとまたまた扇子を叩いた。
デボラの戦いはまだまだ続く。