13 移住
「アリソン様! お荷物お持ちします」
「大丈夫よ! ……私はもう貴族でもないんだし、そんな気をまわさないで」
それでもそっとアリソンが腕に抱えていた買ったばかりの荷物をギルバートは自分の腕に持ち替える。アリソンは小さな声で照れながらお礼を言った。
ギルバートとアリソンは帝国の市場を2人で散策していた。世界中から集まったあらゆる物に目を回しながら、これまで王国で味わえなかった自由を満喫している。新生活はデボラからの『謝礼金』がたんまりとあるので全く困っていなかった。
「……そう言えば今日は結婚式ですね」
アリソンの反応を気にしながらギルバートが尋ねる。初恋相手が結婚したのだ。彼女が今どう感じているか少しだけ不安な気持ちになっていた。
「お祝いの品は贈ったわ」
そんな彼の気持ちはつゆ知らず、アリソンはニヤリと久しぶりに悪い顔をしていた。帝国に移住してからは、新しい生活にバタつくことが多く、王国のことはしばらく考える暇もなかったのだ。
アリソン・アルベールは帝国ではただのお金持ちのお嬢様だ。もう貴族ではないがこの国では特段問題はない。むしろ貴族特有のわずらわしさもなく、生き生きと生活できていた。ギルバートは引き続きアリソンの護衛として雇われているが、彼には帝国軍よりスカウトが頻繁に来ていた。だが少しでもアリソンと離れるのが耐えられないのか、なかなか首を縦には振らない。
王国では王太子アーロンがめでたく結婚式を挙げていた。もちろん、原作通り悪役デボラと。そしてもちろん、違う部分も多い。アリソンの涙ぐましい努力はきっちりと反映されていた。
「イザベラ様はまだしばらく頑張られるんですね」
「私の治療魔法が効いてるに違いないわ!」
ふっふっふ、と得意気にしている。
本来なら引退してデボラが聖女になっている時期だが、イザベラは現役続投を決めていた。デボラにはまだまだ早い、という判断のようだ。
「まあ、次期聖女として指名はされていますし……デボラ嬢も満足でしょう」
「話が違うってキレてたけどね~アーロンとは無事結婚できたんだから感謝してほしいわ」
またもや悪い顔だ。
イザベラは今、聖女としての心得を懇々とデボラに説き続けている。聖女としての心得に関してはアリソンはノータッチと言ってもいい。聖女になった後のことは話題にも出なかった。
その辺りをイザベラは粘り強くデボラと向き合っている。性根を叩きなおそうとしているのだ。
(まぁあれは一種の洗脳ね)
現役聖女の国を憂う執念は馬鹿にできない。
あのデボラがそれで変わるとは思えないが、根負けして受け入れるとアリソンは予想している。彼女の時もそういう節はあった。自分が変わって受け入れた方が自分に利があるとわかれば、デボラは苦虫を嚙み潰したような顔をして自身を納得させるのだ。
(根本は変わらないけど、変化を受け入れられるって大事よね~)
悪役デボラから感じたのは執念か、はたまた生き残るための生命力か……。
「贈り物は例の証拠ですか?」
「そうよ~。クローズ家絡み不正の証拠一式ね。これでデボラ一家と縁が切れるでしょう」
マレリオは既に次期預言者のローガンのコントロール下に置かれていた。アリソンがマレリオが隠していた数々の不正や戒律破りの証拠を盗み出し、ローガンに手渡していたのだ。もちろん、デボラが次の聖女に正式に指名された後で。
(絶対誰にも見つからない場所……って原作に隠し場所をバッチリ書いててくれたのはありがたかったな~)
証拠の現物自体は預言者専用の金庫の中にさらに金庫を作り、その中に厳重に保存してあったが、その鍵は高級娼婦ヴィータの屋敷に隠されていた。マレリオは自分に何かあれば暴露を任せようと思うほど彼女を信用していたが、彼女はアッサリとマレリオを売った。自分に火の粉がかかるのはまっぴらごめんだったようだ。
その証拠はマレリオが酒を飲み大暴れした挙句に怪我をしたその日、アリソンが騒ぎに乗じて取り出した。悪酔いする薬を混ぜていたのだが、それが思っていたよりよく効き、さらに思っていたより大きな怪我になってしまったので実はアリソンはかなり冷や汗をかいたという思い出もある。
(まさか一晩でボトル2本開けるなんて思わないじゃん! 飲みすぎよ!!!)
今更思い出して腹を立てる。そして原作のマレリオの酒好きという表現を甘く見積もっていたと反省した。
(あの時はカルラ様が出てきてくれて助かったわ~もう私が治療するしかないかと……)
そんなことをしていたら証拠を取り出すことは出来なかった。その証拠はアリソン達が国外に出る為の重要な切り札でもあったので、終わってみるとギリギリの綱渡り作戦だったと改めてわかり、アリソンは今更ブルッと身震いする。
(あーなんとかなってよかった!!!)
「では間もなくスピニア島ですね」
「まぁ多少は騒ぎになるでしょうけど。すでに体制は整ってるし、なんとかなるでしょう」
王国は盤石……とは言い難いが、それなりに安定した人事が予定されている。
原作で一番あくどかったクローズ家が私財をつぎ込んで王国民を救おうとしている事実は知れ渡り、もう誰も成金貴族とは呼ばなくなっていた。
クローズ家の方もその世間の評価を保ったままの方がいいと判断し、表立って他家を潰すようなことをしなくなったため、有能な人材が王国の内部に残っている。
(名声の気持ちよさを知ってくれてよかったわ~)
十分なリターンを得る算段も付いているようだった。
「ローガン様、デボラ嬢もコントロールされるおつもりでしょうか」
「するでしょうね~なんか含みのあること言ってたし」
ローガンにマレリオの不正の証拠を渡した時、待っていたとばかりの高揚した笑みを浮かべていた。マレリオの行動にはいい加減我慢がならなかったのだ。デボラやクローズ家の証拠は省いていたにも関わらず、彼にはわかっていた。
『デボラ様が大人しくされているうちはヨシとしましょう』
線の細い見た目からは予想できないほどの威圧感の持ち主だった。
どうやら新預言者ローガンは清濁併せ吞んででも、王国の平和を守ることにしたようだ。
現役聖女も新預言者も覚悟が決まっている。
アリソン達はこのローガンの手助けを得て無事帝国へ移住が可能になった。
『嘘の預言でも出せと言うことですか?』
『とんでもない! 王国の安寧を守るための必要な助言を王にしていただきたいのです』
不正の証拠と引き換えに、アリソンのお願いを聞くことになっていたローガンは、柔らかな口調で尋ねた。非難しているわけではなく、揶揄っているつもりなのだ。彼なりのコミュニケーションだが、周囲には伝わりにくい。そのせいでアリソンの後ろに控えているギルバートは怖い顔になっていた。
(実際に目の当たりにすると、本気か嘘か分かりづらいわね……)
ローガンの性格が記載された原作での知識が役にたっていた。アリソンのある種の心の支えでもある。
『聖女と預言された者が2人いては争いの元です。王都が業火に包まれたらお嫌でしょう? 1人は帝国に縁があり、今なら王国を去り、新天地でやり直すことも考えていると。そうお伝えいただけませんか?』
『争いの元……それはその通りですね』
ローガンは王都が業火に包まれる預言を既に見ていた。預言は夢とは違い、ハッキリと預言者の目の前に映像として現れる。だがその預言は日に日に粉々に崩れていく……まるで画面にヒビが入っているかのようなヴィジョンだった。
(アリソン嬢が関係しているのだろうか……)
ローガンはアリソンの口ぶりから、ほんの数人しか知らないはずの彼の預言を知っているように感じ取った。なにより、アリソンはデボラの出現を予見していたこともあり、彼女の言葉は決して無視できない。
『わかりました。ではそのように』
やはりアリソンほどの治療師は手放したくはないのか、次期聖女決定後も、王からは爵位を返上して国外へ出る許しがおりなかったのだ。
(あの時のデボラの顔ったら……笑えたわ~)
憎しみと絶望が混じったような表情だった。よっぽどアリソンとは今後関わりたくないらしい。早く出て行って欲しくてたまらないが、この頃のデボラは以前のように我儘に騒ぎ立てるようなことはしなかった。アリソンの……いや、アーロンの理想通りの女性の姿を纏っていたのだ。
ローガンに不正の証拠を渡してから数日後、無事、王から国外へ出る許可が下りた。理由は帝国との架け橋として……と、それなりの理由をつけて。偽聖女なんていう単語は、ほんの少しも出なかった。
そうして、惜しまれながらもアルベール家一行は帝国へと旅立っていった。