10 聖女交代準備
王太子アーロンは冷ややかな視線を浴びながら大神殿を訪れることになった。
それはそうだ。彼のやらかしを知らない人間はいない。ここにいる人間は、彼の謝罪すらただのパフォーマンスだと気付いている。未来の聖女とされていたアリソンをコケにしたということは、神殿をコケにしたのと同義語なのだ。
「やぁアリソン! 久しぶりだね!」
何を勘違いしているのか、まだまだアリソンは自分のことを好きだと疑っていないかのように、いつもの調子で話しかけてくる。
まさに王子様の微笑みだ。周囲がキラキラと光って見える。
(これで下半身のコントロールができる男だったらな~)
やれやれとため息をつきたいのを我慢した。
「……はい。私の誕生日パーティ以来かと……」
声は小さく、頭を下げたまま彼の顔は見ない。
「あはは! 会えなくてとっても寂しかったよ!」
(嫌味通じないじゃん! 面の皮厚すぎじゃない!?)
「……左様でございますか」
呆れながらも演技を続ける。オドオドと、怯えるように声を詰まらせながら話した。周囲からはしっかり同情を買えるように。
それにアーロンは口喧しい女性が苦手なのと同じように、ジメジメと恨みがましい女性もタイプではない。単純につまらないからだ。
(自分に都合のいい女が好きなのよね~)
恋愛を思いっきり楽しんでいる姿は羨ましくもあるが、自分が当事者になるなら話は別だ。思いっきり冷めた態度で婚約者の対応をした。
「殿下、こちらへ」
現聖女の世話人カルラが、アリソンから遠ざける為にアーロンを誘導する。アリソンの前には彼女の同期達がアーロンから隠すかのように前に立っていた。
王家側は今はまだアリソンを次期王妃として望んでいる。デボラではなく。あくまで今はまだ、だが。
(予防のための好感度アップ作戦が王家にも効きすぎね……)
新たな預言に懐疑的なのは、ある意味でまともな人間も王家にはいると言うことだが、それもあとひと押しの所まできている。
クローズ男爵家の地道な金のばら撒きと、ギルバートによる噂……アリソンは王家に恨みを持っているので、王家への治療魔法の精度は酷く落ちてしまう……その噂の流布が王の判断を曇らせ始めていた。王家はもちろんアリソンの絶大なる治癒能力を期待している。自分達の生死に直結するから当たり前だ。それにケチが付くとなると……。
(さぁ! デボラの出番よ~!)
「アーロン様! どうぞこちらへ……本日は私、デボラ・クローズがご案内させていただきますわ」
彼を唯一本気で歓迎している人間、悪役デボラ。頬を染め、目を潤し、高い声でアーロンを歓迎する。
案の定、塩対応の婚約者ではなく、自分に夢中な真なる聖女へとアーロンは擦り寄った。
「やあ、君が新たな預言を受けたというお嬢さんだね……あれ? どこかで会った?」
デボラの顔を覗き込み、そっと手を取る。
「ひゃっ! あの……その!!!」
――パチンッ!
どこかで扇子の閉じる音が鳴った。
舞い上がっていたデボラだが、その音を聞くやいなや、彼女は急いで照れながらもただ嬉しそうに優しく微笑む乙女の顔になったのだ。
(よーしよしよし。いい子ね~!)
◇◇◇
「いい!? 絶対に神殿側とは仲良くやるのよ!」
「はぁ? 聖女になるなら神殿は私のものじゃない!」
「おバカ! マレリオ様だっているのよ!? あの人、その内絶対に貴女を脅してくるわ」
「な、なんでよ……」
白々しい態度にアリソンはため息をついた。
(原作で知ってるから~とは言えないのよね~)
「そりゃ~賄賂渡して預言してもらってるんだから当たり前でしょ~弱み握られたまんまじゃない!」
「そんな……それはちが……」
――パチンッ!
これはアーロンがやってくる前夜の会話だ。デボラはやっとアリソンから合格点を取ることできたのだ。ただ、デボラは特訓の後遺症で、パチンと扇子を閉じる音を聞くと黙る、という条件反射が出来上がっていた。
「貴女と神殿が仲が悪いとわかれば、それこそアーロン様はやりたい放題よ。貴女を怒らせるってことが、神殿を怒らせるってことに繋がらなきゃ」
実際、原作ではデボラとマレリオと対立したせいもあり、神殿内部は混乱していた。デボラの聖女としての神殿内の権威が弱まったせいで、アーロンはしめしめとやりたい放題だったのだ。
「……アーロン様がああなったのは貴女のせいではなくて?」
「あぁ!? 今なんつった!? なんで……」
あまりに納得いかない言葉に、アリソンはついつい言葉が荒くなるが、途中でグッと堪えた。
ギョッとした顔のデボラはそろそろ見飽きそうだ。
(カーッ! 本当に腹立つ女だこと! 流石悪役!)
とはいえ恐ろしい目をしたアリソンを見て、悪役デボラは怯んでいる。
「……あのねぇ。真実の愛って言うならそれも含めてアーロン様を愛してるってことでしょう?」
あまりアーロンのネガティヴキャンペーンはしたくない。デボラの恋心が冷めて、王妃にも聖女にも関心がなくなっては困るのだ。
(我慢よ我慢! 押し付ける相手がいなくなっちゃう!)
「そ、それに……真実の愛なら彼を真っ当にできるかもしれないわ! そのためには何が何でも聖女になって、アーロン様に見初められなきゃ!」
深く考えさせないようにまくしたてる。
「私じゃダメだったけどデボラ様ならいける! いけるわ!!!」
ここまで言うとただのゴリ押しだ。だが、それでデボラは納得したようだった。どうやら彼女には必要な応援だったようだ。
「じゃあどうすればいいの」
デボラは素直に尋ねた。下手に反抗すればまた恐ろしい睨みが待っている。
「まずはこれまでの態度の謝罪ね。主に私に。皆の前で」
もちろん他に巻き込んで迷惑かけた人にもね、と言い切る前にデボラは反射的に叫んでしまった。
「いやよ! なんで私がそんなこと!」
「別に謝ったって死にはしないわよ……それより味方を増やす方が今後大事でしょ」
「いや!!!」
――パチンッ!
ビクッとデボラの体が震え、すぐに黙る。
「ごちゃごちゃ言わない! 幸せになりたいんでしょ! 聖女の肩書きが欲しいんでしょ!」
「それはそうだけど……」
「じゃあその為に神殿の人間を全力で騙しなさい!」
本来の聖女であるはずの人間がなんてことを言うんだと、デボラは目を丸くし、口をあんぐりと開けた。
「いい? 謝罪に心はいらないの。相手が満足すればいいの。許してやってもいいかなって思わせればいいのよ!」
アリソンは拳を握り熱く語った。これは彼女が前世で体感したことだ。
「わかった!?」
「わ、わかったわ……」
デボラはアリソンに言われた通り、多くの人が見る前で彼女に謝罪した。
「貴女が聖女に相応しいと思うからこそ動揺してあのようなことを……しかし私はマレリオ様の預言も信じているのです……不安とプレッシャーで毎日眠れずとんでもないことをしてしまいました……申し訳ございません」
屈辱だ。デボラは人生で一番嫌っている女に、人生で初めて頭を下げ謝罪した。だがこのセリフを用意したアリソン本人に逆らう気にはもうなれなかった。
「まぁそんな! 顔をお上げになって! 私、デボラ様のお気持ちとてもよくわかります……私もそうでしたから……。それに預言の順番が逆だったら私だって同じことをしたかもしれません。謝罪を受け入れますわ!」
なんて白々しい! と、デボラが思ったことは言うまでもない。
そのやりとりを見て、神殿の人間は安堵した。預言された2人の聖女は手を取り合い、お互いを高め合おうとしている。さらには自分達にまであのプライドの高いデボラが頭を下げる姿を見て、これ以上、周りが騒ぐべきではないと判断した。
ね、言ったでしょう? というアリソンの視線がデボラは少しだけ悔しかった。
これをきっかけに、少しずつデボラが聖女でもいいのでは? という声が神殿内からも上がり始める。アリソンは相変わらず聖女という役職に消極的だ。ならばやる気に満ちた方が神殿内も士気が高まるかもしれないと考える者も出てきた。そう吹き込んだのは、もちろんアリソン本人なのだが……。
「あ~~~疲れた……やっとここまできた……ビール飲みたーい!」
気が付くと神殿での生活は半分を過ぎていた。原作ならすでにどん底にいるはずのアリソンは、無事今日も前世のアルコールを夢に見ながら眠りについたのだった。