入浴文化
惑星アード、聖地ケレステス島にあるハロン神殿最奥区画。セレスティナ女王が住まうアードで最も神聖な地であり、近衛兵や神官達以外は許可無く立ち入りが禁じられている神聖不可侵とされるエリアである。
豊かな自然と多種多様な花畑が広がる区画の一角にて、セレスティナ女王は遊びに来ていた妹のティアンナと談笑していた。
今回は姪であるティルは居ない。父であるティドルが面倒を見ているためだ。
「まあ、地球では水浴びをほぼ毎日行っているのですね」
「ええ、地域によって差はあるみたいだけどほとんど毎日水浴び……入浴だったかしら?それをしてるわ。
まあ地球人は魔法を使えないし、毎日体を清めないと衛生状態が良くないことをちゃんと理解してるみたいよ」
アードやリーフには魔法があり、浄化魔法を使えば簡単に体を清められる。
故に両種族には地球のように定期的に入浴する慣習は存在せず、水浴びも気分転換としての意味合いが強い。
子供でも簡単に扱える浄化魔法すらロクに使えなかったティナは、基本的に両親から魔法を掛けて貰っていたが、日本人だった名残で水浴びをする回数が多く、里でも変わり者として見られていた。
「ですが、水浴びだけで清潔を保てるものでしょうか?」
「安心して、地球の医療水準は原始的だけど低すぎる訳じゃないわ。
ちゃんと衛生概念も育っているし、清潔を保つための消毒薬品も発達しているわ。
そちらに関しては、私達より優れている面があるわね」
アードは浄化魔法があるため、消毒薬等が発達し難い社会である。それ故に、アード側も地球の医療薬品技術に関心を寄せる部分がある。
「ふむ。地球には、水浴びの際に体を清める品物があるのですね。興味深いものです」
「そうよ、地球の水浴び……入浴はとても気持ちが良いの!本当なら姉様も一緒に地球へ連れていきたいけれど、それも当分は無理でしょう?
でもね、私はそこまで我慢するのは嫌なの。だから、ちょっとこの辺りを借りるわよ?」
「借りる?」
妹の言葉にセレスティナ女王は首を傾げたが、その疑問に答えるより先にティアンナが巨大な魔法陣を展開する。
「AI、サポートをお願い」
『畏まりました』
ティアンナが唱えた魔法は、創造魔法である。自らのイメージした物質を作り出してしまう便利な魔法であるが、保有するマナの量で実現可能な質量が決まる。
それに細部まで詳細にイメージする必要があり、大規模な物体を作るためにはAIのサポートが必須。
消費されるマナも膨大であるため、使い勝手が良い魔法とは言えない。
だが、そもそも膨大なマナを保有しているティアンナが使えばどうなるか。
「まっ、こんなものかしら。ちょっと簡略化したけど」
彼女達の目の前に現れたのは、地球で滞在した旅館やすらぎである。
簡略化したため完全再現はされて居なかったが、温泉とそれに付随する施設および客間は完全に再現されていた。
温泉そのものは暖かい湯で代用しているが、そもそも温泉と言う概念がないアードからすればそれだけでも未知との遭遇となる。
尚、旅館出現に合わせてそのエリアにあった植物類は消失。丹精込めて整備していた庭師達は泣いて良い。
「ほら姉様!早く入るわよ!私が教えてあげるから!」
戸惑う姉の手を引いて、二人は脱衣所へ突入。魔法を使えば一瞬であるがわざわざ手間暇を掛けて衣類を脱ぎ、浴場へ足を踏み入れた。
「滑るから気を付けてね」
「落ち着いてください、ティアンナ。私は何処へも行きませんから」
ペタペタと再現された大浴場を姉妹二人で歩き回り、ティアンナの手引きで身を清める。
「泡が心地好いですね」
「折角だから洗いっこしましょ。美月からやり方を聞いたのよ。日本に伝わる裸の付き合いと呼ばれる風習で、相手への信頼を表す儀式らしいわ」
「それは素敵な儀式ですね。教えてください」
色々と誤解を挟みながらも二人は仲良く体を清めた。翼の手入れは二対あるので常人の倍の労力を要したが、それでも二人は笑顔であった。
「ティアンナ、これは何をするための道具なのでしょう?」
セレスティナ女王が手に取ったのは、日本の伝統入浴道具である桶だ。
「お湯汲むための道具……だとは思うけど、浴槽から離れているわね。わざわざ汲みに行くのは面倒で効率が悪い。
地球人は効率化に関心が強いから、お湯を汲むための道具じゃないわね」
「では、何か別の用途が?」
二人はシャワーで身体を清めたので、桶を使う発想が無いのだ。
ティアンナは姉の疑問に答えるために頭を捻り、そして足元が滑りやすいことに気付いた。
「分かったわ。固さもあるし、これは頭を守るための道具よ。
ほら、床も滑りやすいし、転倒して頭を強打したら大変なことになるわ」
「なるほど、身を守るための道具ですか。実に合理的ですね。私達も地球人に倣うとしましょう」
ここに桶を被った女王姉妹が爆誕してしまったが、正しく突っ込めるティナが居ないため誤解が晴らされることは無かった。
そして充分に体を清めた二人は、いよいよ湯船へ向かう。慣れない外国人向けに檜で作られた大きな湯船に爪先からゆっくりと浸かっていく。
セレスティナ女王は初めての感覚に若干戸惑いながらも妹と一緒に湯船へその身を沈めた。
「はぁ……」
温かな湯に包まれる感覚に、セレスティナ女王は無意識に息を吐く。
そんな姉を見て、ティアンナも笑みを深めた。
「どう?姉様。気持ちが良いでしょう?」
「はい、とても。お湯に体を浸すと聞いた時は驚きましたが、こんなにも素晴らしい文化が地球にはあるのですね」
「そうでしょう?身体を綺麗にするだけなら魔法があるけど、心までは休まらないわ」
「精神的な癒しですか……そう考えれば、私達にとっても決して無駄にはなりませんね」
身体が温まる感覚に自然と笑みが浮かぶ。
妹が庭園の一部を上書きした時はどう叱るべきかと悩んだセレスティナ女王であったが、アード人にとっても有益な地球の文化を持ち込んだ結果であると実感して不問とすることにした。基本的に妹に甘いのが女王なのだ。
「女王陛下、こちらにいらっしゃいますか?」
ふと脱衣所に気配が現れたと思えば声を掛けられる。
「この声は……」
「アナスタシアね。アナスタシア!」
近衛兵を率いるアナスタシアである。
「殿下も御一緒でしたか。庭園に見慣れぬ建造物が現れたと皆が案じておりまして、様子を見に参りました」
「それは、心配を掛けてしまいました」
「立ち話も何だし、貴女も入りなさい。温泉よ」
「おんせん、とは?」
「ああ、知らないの?教えてあげるわ。姉様、ちょっと待ってて」
躊躇無く湯船から上がったティアンナは、裸体のまま脱衣所へ突入。
「で、殿下!?」
「ほら、大人しくしなさい。教えてあげるから」
そのままアナスタシアをひん剥いて(揶揄表現)、浴場へ連れ込む。
目元を隠している青い布も外させ、身体を清める手伝いをして恐縮する彼女をそのまま湯船へ誘う。
最初は自分達の間へ招こうとしたが、流石に萎縮してしまったので向かい側へ座らせた。
「これは……温かく心地好いものですね」
傷跡は消されていても光を失った瞳ではあったが、アナスタシアも心地好さに口許を緩めた。
ティアンナによって旅館創造の経緯を聞き、セレスティナ女王の為になるならばと納得したのだ。
「地球の文化もバカには出来ないでしょう?まさに安らぎを得られる場所よ」
「この文化は、私達も取り入るべきです。この場所を皆に解放しましょう」
「それは良い案ね」
「なんと!?しかし、これは殿下が陛下の御為に!」
故に、セレスティナ女王の提案に驚愕した。女王と同じ施設を利用するなど、アード人の感覚からすれば畏れ多いものである。
「問題ないわ。貴女も利用して効果を理解したでしょう?先ずは近衛から始めて、アード全体に浸透させなきゃいけないわ」
「アナスタシア、皆の安らぎのためにどうか協力してください」
「御意のままに、女王陛下」
斯くしてアナスタシアは入浴文化普及のため奔走することとなる。当たり前のように巻き込まれた夫パトラウスは、急に降り掛かったセレスティナ女王の意志を実現するために訳も分からず奔走する羽目となった。
またティアンナが持ち込んだ入浴・温泉文化は、誤解や独自解釈が多分に含まれているおり、後にティナが魔改造された文化と称する形となったが、ご愛嬌である。




