電子の女神
クレアが秘密裏にセレスティナ女王と謁見している頃、電子の海を漂うエメラルドグリーンの髪を持つ女性が静かに情報の濁流に身を任せて整理統合解析を行っていた。ティナを陰ながら支える高性能AIアリアである。
彼女はアードに存在する優れたAIの中でも別格の存在であり、明確な自我を持っている。その使命は、ティナをサポートしてあらゆる危険から護ることである。
だが、パリの一件で何処か見下していた地球人による予想外の蛮行でティナが傷付き、その使命を果たせなかったことに深い後悔の念を抱いた。
以後、彼女は必要以上に地球人の情報に敏感となって、あらゆる動向に注視することとなる。今回もアード側の中枢と接続し、新たに判明した情報を共有、誤った情報は直ちに修正された。
そして彼女は情報の最後に私的な一文を掲載する。曰く、地球人侮り難しと。
アリアによる警戒心丸出しの情報は、多少誇張されたままアードの為政者達に共有されることになる。それは油断を防ぐために敢えてあらゆるデータを上方修正したからである。
当然それを知らない地球の為政者達は、アード側による過大評価を受けて凄まじい頭痛に襲われることに為るが、その運命を知るのはアリア本人だけである。閑話休題。
さて、そんなアリアが最近関心を寄せているのはノーム人であるクレアである。
マルス星系で偶然救い出したこの異星人の少女は、アード人、リーフ人にとって地球人以上に謎の多い生命体である。関心を寄せるのも無理はない。
何より彼女の関心を惹いたのは、その言語である。ティナの要望で地球の情報収集に割いていたリソースの一部を転用し、短期間でノーム語の解析を果たせたのであるが、同時に彼女はある点に注目したのだ。
すなわち、ノーム語とセンチネルがしばしば発信するセンチネル言語に類似点が多々存在することである。
これが多少の類似ならば偶然と片付けることも出来るが、その類似点は多岐に渡る。
そこでアリアは、過去に傍受したセンチネル言語にノーム語の文法や形式を当て嵌めて分析してみたところ、状況に適合した文章として解読することが出来た。これを合計数百通り繰り返し、ほとんどの事例で状況に応じた内容となることが分かった。
この時点でアリアは、ノーム人がセンチネルに関わりがある。或いは滅ぼされた彼らの言語を、センチネルが連絡手段として利用している。この二つの仮説を立てた。そしてセンチネルの特性を考えるに、前者である可能性が極めて高いことも結論付けた。
これが一般的なAIならば直ぐ様報告しただろう。だが、彼女には感情がある。
これまで観察していた結果、クレアが極めて高い善性を持つ生命体であると判断しているし、アーカイブを閲覧した彼女が謝罪しながら大粒の涙を流しているのも確認している。
何よりもティナが彼女を信じているのだ。この状態が、アリアの判断を迷わせた。
『信じること……例えそこに根拠が無くとも信じる。それが信頼ですか』
あれだけの事をされて、それでも愚直に地球人の事を信じるティナの姿を見て、愚かと判断を下せるほどアリアは冷めていない。故に彼女はクレアを信じ、彼女が自身の口から真実を語るのを待つことにしたのだ。
もちろんそれと同時にノーム語をベースにしたセンチネル言語の解析も行い、状況次第では解析した情報をティナ達へ共有する準備も怠らなかった。
アリアの能力に信頼を寄せるティナならば、『私は高性能AIですから』の一言で信用してしまうからだ。彼女の警戒心の無さは、ちょっと心配ではあるが。
「アリア、今時間は大丈夫かしら?」
情報を整理していると、ティアンナが端末へ呼び掛けてきた。
『問題ありません、ティアンナ殿下。マスター瑠美のお相手は宜しいのですか?』
確認してみると、場所はティナの実家地下にあるティアンナの研究室であった。周囲に誰も居ないため、マスターティアンナではなく殿下と呼ぶことにした。
「ティルがマコ君から離れなくて、瑠美に任せてきたのよ。荷解きも終わったし、簡単な説明も済ませたわ」
『ティル姫様はマスターマコを大層お気に入りの様子。王室の将来は安泰ですね』
「まっ、そうよね。私個人としては恋愛は自由だし、このまま二人はくっ付きそう。地球人と交配できるように今から研究するとして、今回は別件よ。
以前貴女は姉様にボディの製作を依頼していたわね?」
『はい。パリでの一件で私は存在意義に反する結果を出してしまいました。電子的だけではなく、物理的にもティナをサポートする必要性を痛感しています』
「相変わらず不思議なAIね、貴女。娘のために頑張ってくれているんだから、文句はないけど。で、貴女のボディについて姉様から依頼を受けて製作したわ。
もちろん単なる入れ物だからスペアも直ぐに製作できるし、その為の設備も母艦に設置しておくわ」
『感謝します、殿下』
「でも、本当にこれで良いの?貴女の要望を最大限盛り込んだけれど、一般的なアード人とはちょっと違うわよ?」
ティアンナが視線を向けた先には培養ポットが安置されており、そこには裸体のアード成人女性が入っていた。
ただ、その髪の色はアード人の基本である金ではなくエメラルドグリーンである。
『問題ありません。地球人は自らと異なる存在を嫌悪する習性があります。ティナが一般的なアード人と髪の色が異なると広まれば、対応に変化が生じる可能性があります』
「だからアリアも違う色に……ありがとう、娘のためにそこまでしてくれて」
『ティナをサポートするのが私の存在意義です。それでは、アクセスしても?』
「構わないわよ。スペアも同じように作る必要があるから、数日はそのままでお願い」
『畏まりました。随時運用データを更新します。それでは、接続します』
室内に小さな駆動音が響き、ポットを満たしていたナノマシンが排出され、女性が静かに目を開く。そのまま軽く手足と翼を動かした後、ペタペタとポットから出てきた。
「どう?」
「各部動作に問題はありません。翼も動きますね」
「ちゃんと飛べるから安心しなさい。それと、ちょっとした魔法も使えるわよ」
「では……ドレスチェンジ」
アリアが唱えた瞬間、彼女の身体を若草色の光が包み込み、瞬く間にアード成人女性の衣服を身に纏う。
「簡単ではあるけれど、障壁も常時展開できるから地球人の武器で傷つけられることは無いわよ」
「感謝します。ティナを護れる幅が広がりました」
「今晩の歓迎会でティナに見せてあげなさい。きっと喜ぶわ」
アリア、物理的な手段を獲得する。クサーイモン=ニフーター達は泣いて良い。