悲しき銀の剣
王都への道のりは気が重かった。
伯爵の兵と馬を失ったせいで、東平原の町にたどり着くまでに数日を無駄にしてしまった。遺跡の村から最も近い町のはずが、ここまで遠く感じるとは……。
今回の損失は補填がきかない。レクセンに魔石と秘薬を弁償させるような浅ましいマネはすまいが、町で調達しなくてはならない馬の代金でさえ涙が出そうだ。
「ぬぅ。こんなひもじい思いは二度とすまいと思っていたのに」
「…………狂犬殿。聞きたいことがある」
「なんだ? 気の紛れる話なら歓迎しよう」
「ゴブリン族についてだ。自滅魔術なる存在を聞いたことは?」
「……どこでそれを? 始祖の一族の捕縛は私たちにまかせる、そういう手筈で――なるほど、アストラの姫か」
「事実ということか……」
「要領を得んな。それを知ったからどうなるものでもあるまい?」
「いや、自分の愚かさを確認しただけさ」
「??」
なんだ? まるで人が変わったように落ち着いている。死にかけて自意識過剰な性格に気づいたか。ふん、ならば秘薬まで使った甲斐があったというものだ。
王都の城壁が姿を見せるまで、さらに数日の時を要した。
自慢のローブも雨埃にまみれ見る影もない。見慣れた城下町に足を踏み入れたとたん、押し寄せる疲れに思考能力が奪れていく。
あぁ、うんざりだ。
報告は明日でもよかろう。今は食事と睡眠を最優先としよう。
「明日、伯爵家で落ち合おう」
「了解した。狂犬殿、世話になったね」
「今後の活躍を期待している。次は計画通りに結果を出すことだ」
「わかっているさ。助けたことは後悔させないよ」
ふん、吠えよる。しかし、貴重な戦力に変わりはない。
今回のようにアストラの姫が相手でもない限り、レクセンが後れをとるなどありえぬことだ。奴の神速剣は、かの剣聖アルファでさえ褒め称えた達人の妙技。あのような田舎で朽ちらせるにはあまりに惜しい逸材だ。
無論のこと、失った魔石と秘薬分はキッチリと利用させてもらおう。
翌日の朝、王都東区にあるハイライン卿の本低にて報告を行った。
よもや惨憺たる内容だが、レクセンの失態については言及しないでおく。被害を最小限に抑えるため、安全に始祖の一族を得ようとして読み間違えただけだ。
兵の損失は痛いが、竜の気まぐれに振り回されてはどうにもならん。むしろレクセンを失わずに済んだのだ。御の字と言えよう。
「……この度の失態。まことに申し訳なく」
「レクセン殿。ドラゴンを相手に生きて戻れたことこそ勲章よ」
「もったいないお言葉です。このご恩は、後の働きにてお返しします」
「そこは心配しとらん。して狂犬殿。ワシとしては、そちらの考えを聞いておきたい。計画の変更は致し方ないが、サンタマリアが相手となれば火傷では済まぬぞ?」
「それはそうでしょうな。ですが、アストラの姫君と敵対してもなお、犬耳族を捕らえよと言うのであれば、私は尻尾を巻いて逃げさせていただく」
「くはははは! 然り然り」
長身で肩幅の広いハイライン卿は、座っていても大きく見える。
軍部を支える伯爵家に生まれ、恵まれた体格と才能を持ち、若くして頭角を現した。三十にも満たない若さで騎士団長を務め、今では将軍位を受けるまでに上り詰めている。
短い金の短髪に、迫力のある顔立ちは中々のもの。
寛大で好色。来るものを拒まず、上に立つ器として不足なし
ハイライン卿に対する、我が主からの評価は高い。このような大物を従えるとは、盟主殿もなかなかの人望をお持ちのようだ。
「改めて計画を立て直さねばなりませんが、サンタマリアを相手取ると戦力も物資も足りません。そこで我が主の腹案として、帝国側への干渉を進めてはいかがでしょう?」
「ほうほう。つまり、我らと利害の一致する相手に心当たりがあると?」
「左様です。帝国側の兎耳族と、サンタマリアの猫耳族の関係は最悪の一言。双方の子供を数匹捕らえ、疑心暗鬼に陥れてから様子を見ます。おそらくは、帝国側にとっても渡りに船となりましょう」
「ふむ……ワシに何を望む?」
「さすがはハイライン卿、話の早いお方だ。まずは帝国へ使者の手配を。我が方から一名の同伴をお願いしたい」
「クハッ! 無理難題を言いよるわ。だが、外務卿への橋渡しをするにも、顔の知れた狂犬殿でなければ許可は下りぬやもしれん。問題はあるか?」
「ありませんな。是非に」
「決まりだな。レクセン殿、護衛は任せる」
「は。お任せを」
そうだ、失敗してもまた立ち上がればいい……。
私は必ず成し遂げて見せるぞ。
空から見ていてくれ息子よ。
私たちからお前を奪い、思いあがった畜生共に思い知らせてやるからな。
――アサガオちゃんの食費がヤバい。
あげたら何が何でも完食しやがるのだ。このままでは村がトマト不足に陥るので、宿の裏に小さなトマト畑を作ることに。
幸いにも、組合長が結構な謝礼を用意してくれた。その額なんと金貨二十枚!
ちょっとした家も買えるほどの金額には驚いたが、村長が村中からかき集めてきたらしい。正直かなり助かった。
金貨はメスガキに預けてある。この世界で一番安全で、最も恐ろしいお薬屋さんに。
ちゃんと仲直りもしたし、前より親しみが湧いたような気がしないでもない。
「うー」
「おいちい?」
「う!」
「おーよちよち。いっぱい食べていいからな?」
今日のおすすめはトマトの味噌炒めだ。
スキンヘッドの店主が、今日はトマトだぜって言うからさぁ……。
アサガオちゃんがうるさいから、仕方なく注文せざるを得なかったんだ。
もちろん、ありえないくらい不味い。
――ぁ、ぁあああああ!!
マックスはいつも大変そうだな。
アサガオちゃんを珍しそうに眺めていた住人たちも、マックスの叫びが聞こえると頭を抱え、眉間を抑える者であふれかえる。いい加減に慣れりゃあいいのに。
「う?」
「今のか? あれはマックスっていう女の子が、うんちをブリブリしている声だ」
「……てめぇ正気かよ!? 食事中に露骨な説明は鬼畜ってレベルじゃねぇ」
「でもアサガオちゃんだっけ? 全然動じてねえのな」
「ヒャハハ! お前らの味噌も――ブゲラッ!?」
いいボディだ。
小学生並みに低俗でつまらない下ネタでキャッキャ言ってるから殴られる。
アリとキリギリスではないが、“人の嫌がることを率先してやる”という言葉がある。
一つは、人が嫌がる様子を楽しむ者を指しており、もう一つは汚くて人がやりたがらない仕事を、自ら率先してやる者を指している。
殴られたあいつは前者。逆に、便所掃除を手伝うような美しい心を持った者は後者となるわけだ。
そう、俺のように。
決して、決してマックスが可愛いから手伝っているわけではない。
「うー!」
「そんなにおいちい? じゃあおかわり頼んでおくから待っててくれ。俺は掃除を手伝ってくる」
「う」
さぁて、今日も悲しむマックスを慰めてやらんとな。
あー忙しい忙しい。
掃除を終えた後、トマト畑のために宿の裏へとやってきた。
アサガオちゃんが土に何かをしている様子を眺めながら、数日前の事件を思い出していた。
具体的には、羅刹掌の火力が低すぎたことだ。
できうる限りの最高効率でスキルアップに努めてきたが、レクセンとかいう雑魚すら一撃で潰せなかった。これにはかなりショックを受けている。
これまで遺跡の最下層に潜っては、宝物庫の門番であるゴーレムにひたすら体術を打ち込んできた。それが現状できる最高効率のレベリング法なのだが、この前のように結果は芳しくないのが露呈してしまった。
俺が強くなるには、この方法しかないのに。
本当は畑を耕している場合ではない。
俺がコソコソして暗躍したり、体術を鍛えているのも、保身のために村やメスガキに媚びを売っているのも、主人公に対する備えでもあるからだ。もちろんイレギュラーに対応するためでもあるんだが。
もしも、主人公が俺のような元プレイヤーだったとしたら?
全ては性格次第になるが、世の中には信じられないほど話の通じない奴がいる。
唯我独尊を地で行くような相手なら、なおのこと付き合ってられない。暴力で全てを解決するタイプならもうお手上げ。全てをかなぐり捨ててでも逃げるしかないだろう。
とにかく、どんな人が主人公になるのか想像もつかない。
味方を増やすためにも、恨まれるような行動は控えた方がいい。さらに自分を鍛え上げ、なるべく目立たぬようにそれらを行うのだ。
だから誰もこれない遺跡の最深部は最高の訓練施設なんだ。ここ数日は行けなかったから、明日こそは潜ろうと思っている。
「う~」
「ん? ここら辺をほじって混ぜればいいのか?」
「う!」
「あいあい。ちと待っててな……よし」
亜空間に手を入れて、アイテムボックスから銀の直剣を取り出した。残念ながら私兵たちの鎧などは燃やされてしまったが、この剣だけはこっそりパクらせてもらった。なんたって高価だからな。フヒヒ。
こいつは中々に頑丈で、地面に突き刺して掻き出せるくらいにはしっかりしている。
余談だが、俺だって神速突きは使えるぞ? 威力を出せないだけだ。
「どうよ、こんなもんか?」
「う」
「愛が足りない? 愛を知らんだろお前は」
「…………」
「吸うな。無言で生命力を吸うんじゃない」
「……もったいない」
「ん? なんだ坊……坊主? 初めて見る顔だな」
「剣、もったいないよ」
「あぁこれか」
俺の開墾作業にケチをつけてきたのは、異常なほど美形な少年だった。
包帯を巻いた右手に木の枝という謎の装備……素振り用だろうか?
「その木、素振り用か?」
「え、あ、うん……」
「どれ、貸してみろ」
「別にいいけど」
「アサガオちゃん。この枝を……こっちの剣みたいにできる?」
「う!!」
神をなめるな! って怒られた……こいつ、神の自負を持ってやがるぞ。
そういえば、森の神様って呼ばれたとき嬉しそうだったもんな。自己顕示欲の高い神なんてただの俗物では。
とはいえ、さすがは森の神。あっという間に枝を美しい木剣へと生まれ変わらせた。
その様子に少年は目を見開き、隠し切れない笑顔をのぞかせている。
「よかったな少年。森の神様に感謝するんだぞ」
「……ほんとうに神さまなの?」
「この子は本物だ。自然や果物、野菜を蔑ろにすると怒られるから気をつけてな」
「う!」
「はい……!」
おぉ、すげぇ爽やかで健全な交流じゃん?
つい気をよくした俺は、簡単な剣技を教えてあげることにした。