足フェチ
「皆さまのお帰りをお待ちしておりました。すでに湯と食事の準備は整っております」
「クイナさん。またお世話になります」
「もったいないお言葉です。ではさっそく失礼しますね」
昨日も驚かされたが、この屋敷に上がろうとするとメイドさんに足を洗われる。別に意味がわからないってこともないが、いきなりでビックリするやら恥ずかしいやらで落ち着かない。
回収された靴下は洗濯行き。穴があった場合は廃棄され、新品を無理やり押し付けるそうだ。
姉妹の足を担当しているクイナさんは、二人にとって大切な親友だと言っていた。短めの黒髪と鋭い目が、どこかドーベルマンを思わせる。
ついでに重度の足フェチ。
あのネットリした視線と手つきはガチだと思う。舐めてきそうな凄みすら感じるからな……。
「おまたせいたしました。シルバー様とアサガオ様。湯と食事、どちらを先になさいますか?」
「じゃあ俺は、先に体を洗わせてもらいます」
「かしこまりました。では、足のマッサージはお任せください」
「いやいやお気遣いなく。すぐに終わりますから」
「遠慮はいりません。私のマッサージもすぐに終わります」
「男の水浴びはこう、ザっと洗ってバっと終わっちゃいますんで」
「私のマッサージもバっと揉んでザっと終わりますからご安心ください」
「ご安心できません。ディーネ、この足フェチを連れて行ってくれ」
「クー。いい加減にするゴブ」
「すみませんシルバーさま。クーちゃんは足に目がなくて……」
「だろうね……あぁ、そうだフィーネ。ついでにアサガオちゃんも頼むよ」
やっぱりゴブリン族は変な人が多い。
他のメイドさんが脱衣所まで案内してくれたのはいいんだが、出て行かないし股間をガン見してくる――って、拝むな! そこに後利益はないから。
この里大丈夫か?
ディーネは変な子だと思っていたが、実はまともな方かもしれない……。
「お召し物はこちらです。着替えが終わりましたら広間へご案内しますね」
「ありがとう。できれば股間じゃなくて目を見て言ってほしい」
「まぁ……」
まぁじゃないが。
女性のみの職場が大変だとはよく聞いたことがある。
派閥問題に始まり、陰湿なアレやコレで精神が持たないような話も多かった。
大なり小なりどのコミュニティにもある問題だとは思うが、ここもそうなのだろうか? 俺の股間しか見ていないメイドさんを見ていると、別のベクトルで腐敗しているような気がしないでもない。
大浴場を楽しんだ後は、食事が用意されている広間へと案内された。
「シルバー!」
「グホァッ!? っとに元気がいいなお前は」
「ご飯だゴブ。早く早く!」
「わかったわかった。どこに座ればいい?」
「ディーネ! 申しわけございませんシルバー様。この子ったら落ち着きがなくて……」
「こういうのも悪くないですよ。なんだかんだ元気をもらっている気がします」
「ふふ。シルバー様は二十歳とお聞きしましたが、まるで年上の方とお話をしているような気分になってしまいますね」
「は、母さま、それは言っちゃダメですぅ!」
「フィーネ、今はフォローすると悪化しちゃうぞ」
俺の姿を見たアサガオちゃんが肩に戻ってきた。先にトマトをもらっていたのか、ニッコニコでテシテシしてくる。トマト汁がたれないように口元を拭ってやりつつ、テーブルに並んだ豪勢な食事を見るとよだれが垂れそうになった。
昨日も不寝番の際に差し入れをもらったのだが、マジで美味かったんだこれが!
いつもクソみてぇな味噌炒めばかり食っていたから、実はカインド家(ディーネの性)の食事が楽しみで仕方がなかったんだ。
村ではお目にかかれないような輝く白米。ソースがたっぷりの大猪ステーキ。山菜やレタスっぽい色どりのあるサラダ。何もかもが愛おしい……。
「さぁ召し上がってください」
「いただきます!」
うめぇ……うめぇよ母ちゃん……。
メシって大事だよなぁ。久々に美味いものを食ったわ。
それがわかっていて、なぜ食事の不味い成金になり亭にいるのか。そこにはちゃんと理由がある。
はっきり言うが、あの村は基本的に食事が不味い。最底辺はあの宿に違いないが、どこで食おうがそんなに美味くなかったりする。五十歩百歩、串焼き一つをとってもイマイチという有様だ。
そこで俺は考えた……どこも不味いの言うのであれば、最底辺の味に慣れてしまおう。
そうすりゃ、何を食っても我慢できるようになるはずだと思ったから。事実、俺は硬いパンですら不満を持たなくなっていた。もはや塩があればなんでもいけるぜぇ。
だから、いつか自分で美味いパンを作って食いたいって気になったんだがな。
それが夢に変わるんだから人生わからんもんよ。
隣でおいしそうに食べるディーネを見て、パン屋になる決意がみなぎった。
「どうかしたゴブ?」
「いや? エリーゼさんは二人をちゃんと育てて凄いと思っただけだ」
「もちろんだゴブ。ディーネたちは母上さまから制裁教育を受けてきたゴブ」
「やべぇ教育されてんな……」
「英才です姉さま」
ほどほどにボロが出てきたぞディーネ。今までよく隠してこれたな。
「それでエリーゼさん。さっそくこの指輪のことなんですが……」
「シルバー様の言いたいことはわかっております。ですが、それは我が犬耳族の覚悟と忠誠の証としてお受け取りください」
「……ロゼならまだしも、俺には身に余るお話です」
「ご安心を。里に縛るような不埒な真似はいたしません。これは世辞ではなく純然たる事実としてお話しますが……もしもシルバー様に救われていなければ、犬耳族は滅んでいたことでしょう」
フィーネの件は本当にギリギリだったと教えられた。
ディーネも俺が間に合わなければ死亡していたため、後継者を全て失った犬耳族に未来はなかった。さらにはレクセンや地竜の件も含めると、確実に里は滅んでいたとエリーゼさんは断言する。
「お気持ちに水を差すような言い方になってしまうんですが、俺にとっては本当に成り行きだったんです。ただ争いを避けようと情けなく走り回っただけで、ほとんどアサガオちゃんとロゼが解決してくれたようなものですから」
「アサガオ様とローゼリア様。その全てを繋げてくださったのがシルバー様でございます。そして、ずっと言いたかった……我が娘たちを救ってくださり、本当にありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
エリーゼさんだけではなく、メイドさんたちが一斉に頭を下げてきた。
俺は慌てて頭を上げてくれと戸惑うばかりだった。ほとんどアサガオちゃんの功績なんだから、俺が礼を言われるのは違うと思うんだが……。
「い、いえそんな! お気持ちは受け取りましたので、もう頭を上げてください!」
「できれば、もっと感謝の気持ちをお伝えしたいのです。何かお役に立てることはございませんか?」
「本当に充分ですって。これ以上は――あ、それでしたら、山の厄介な魔獣について教えてもらえませんか? 珍しい皮が取れる奴とかの情報が欲しいですね」
「お安い御用です。フィーネ」
「はい母さま」
スラスラと答えてくれるフィーネに驚きを隠せなかった。
ディーネはディーネで可愛いところがあるし、見ていて飽きない二人で微笑ましい。
で、なぜ魔獣の話を聞いたのかというと、今回は泣く泣く地竜の素材を諦めたからだ。
こうなったら仕方がない。こんな言い方は最悪だが、ぶち殺しても心が痛まないような魔獣を狙うことにした。できれば珍しくて、実用的な素材になるヤツを。
そんな都合のいい話があるわけないと思うが。
「――くらいかな。どの魔獣も手ごわいです」
「そうだよな。特に山頂付近は面倒なヤツばっかだし」
「靴用の皮が欲しいゴブ? じゃあ山虎がいいと思うゴブー」
「虎かぁ……あいつは苦手なんだよ」
「シルバーさまにも苦手な相手がいるのですか!?」
「そりゃいるよ。早くて群れで襲ってくるような狼タイプは戦いたくないな」
「地竜もあっさり倒したのに、そんなわけないゴブ」
「冗談抜きで、地竜か虎と戦えって言われたら地竜を選ぶ。それくらい嫌だ」
人も獣も、数で襲ってくるパターンが一番厄介だ。
特に仲間を呼んで連携攻撃してくる狼は死因のトップクラスに入る。素手による戦いが中心の俺にとって、受け流しができない獣系は天敵と言ってもいいだろう。
「では、 黒鳩はいかがでしょうか。暇さえあれば汚物をまき散らし、ナメクジを繁殖させて森を腐らせる。まさに害悪を煮詰めたような畜生にございます。強固な皮膚と翼に守られ、天敵のいない空を悠々と飛び回る下種共です。靴底にしてやるのがお似合いかと」
「な、なるほど。黒鳩ですか」
「一流の狩人でも黒鳩を狩るのは困難ですから、市場に出回ることは稀でしょう。つい最近まで、里に現れては頭に汚物を投射され、怒りのあまりに憤死する者もおりました」
「 糞だけに、でございます」
「やかましいわ」
何をくだらねぇこと言ってんだこいつ……思わずクイナさんに突っ込んじゃったよ。
だけど、黒鳩がここまでボロクソ嫌われているとは知らなかった。確かに素材としてはかなり優秀だ。
「以前ならおすすめはしませんでした。ですが、ディーネ」
「ふっふっふ! ディーネに任せてほしいゴブ!」
「ディーネが? いやいや、冗談抜きで黒鳩の狩りは本当に難しいだろ」
「もちろんです。今の姉さまは、里の二番手として評価されるほどになりました。どうか姉さまにお任せください!」
「ようやく恩返しができるゴブー!」
そうか。ディーネも頑張っていたんだな……。
最初の危なっかしい印象だけで判断していた。彼女がどれだけ努力をしていたのか知ろうともせずに、勝手に能力を決めつけて鍛えてやろうなんて、俺も傲慢が過ぎるな。
今回はぜひとも好意に甘えさせてもらおう。逆に、ディーネから教わるのもいい経験になりそうだ。