人肉トマト
翌朝、久しぶりに感じる腕のしびれに目を覚ました。
だらけきったディーネの寝顔に苦笑していると、枕元で何かを食べているアサガオちゃんと目が合った。
「……おはよう。今日はミニトマトか」
「う!」
アサガオちゃんは、俺のおでこで栽培したミニトマトを収穫していた。
生やされた茎はペリッと剥がれるので文句は言わないが、人体で培養した野菜なんて気持ち悪くないのだろうか? 俺の角質とか混ざってそうで身震いしてくる。
いや違った、俺の体で野菜を作るな。
「裏に畑を作っただろ? そっちでやりなさい」
「う~」
「面倒? 動くのが面倒だから俺の体でミニトマトを栽培しやがったのか? 横着しないで働けバカもんが!」
「うー!!」
アサガオちゃんを窓からぶん投げてやった。
俺だけなら別にいいが、村人まで苗床にするようになったら困る。こういうことはキッチリ教育していかないとダメだ。
アサガオちゃんのことは敬愛しているが、信頼とは妄信することではない。道を踏み外そうとするのなら指摘する勇気も必要なんだ。たとえ相手から嫌われてもな。
ここの村人は、俺のバターたっぷり殺人パンで幸せな地獄に落としてやるのだ。
アサガオちゃんであろうと絶対に邪魔はさせんぞ。
「……神さまを投げ捨てたゴブ」
「おはよう。水飲むか?」
「うん」
切り替えの早さは折り紙付き、それがディーネの長所でもある。元から心配はしていなかったのか、畑から戻ってきたアサガオちゃんをニコニコと出迎えていた。
当の本人は丸々と太ったトマトを持ち帰り、定位置である俺の肩へと帰還を果たした。
「……ディーネ、お前も手から葉っぱが生えてないか?」
「あ、ほんとだゴブ。神さま、これ制御がむずかしいゴブー。起きたら勝手に生えてくるゴブ」
「う~?」
「いや、俺には生えてこないが……エルテンシードの影響かもな。アサガオちゃん、見てあげてくれるか?」
「う!」
しばらく問診やら触診を繰り返した二人であったが、当人たちにもよくわからないらしかった。命には影響ないとのことで心配はしていないが、念のためメスガキにも挨拶がてら見てもらうか。
それで思い出したが、犬耳族の権限を与えられてしまったんだよな……。
本当にどうしたらいいのやら。
里長の言葉は里の意思そのもの。それはディーネのお母さんだけではなく、里に生きるゴブリン族たちの総意だ。
彼らは封健的な支配体系を持つが、反対意見を封殺することは少ないと記憶している。でも総意だからって、人族に生殺与奪の権限を与えようとするかね? 正気とは思えん……。
ただ、喉を鳴らす勢いで頬ずりしてくるディーネを見ていると、その価値観まで揺らいでしまうが。
「ところでディーネさんや。お母さんになんて説明したんだ? かなり誤解されているみたいだが」
「ん~ん、誤解はないゴブ。ドラゴンさまにも聞いてほしいゴブ」
「ロゼに? なんでロゼの話が出てくる? お前はまだ会っていないだろ」
「それもご挨拶するとき一緒に説明した方がいいって母上さまに言われたゴブ」
「???」
初日の話……ではなさそうだ。元々知り合いだった?
うん、一人で考えるだけ無駄だな。
「……わかった。なら、メシにするか」
「う!」
「今日もカレー? あれ酸っぱかったゴブ~」
「ルーにも絞ったブドウエキスがふんだんに使われているからな。パンと組み合わせれば、それなりに食えてしまうのが腹立たしい」
「う~?」
「神さまは気に入ってるみたいゴブ」
アサガオちゃんは環境にやさしいんだ。俺の生命力を吸ってトマトを我慢するときもあるくらいにはな。きっと体内のリコピンでも吸い上げているんだろう。
驚いたことに、ディーネは自ら食堂での朝食を提案してきた。
気を使ったのか、あるいは郷に入っては郷に従えの精神かは不明だが、人族の社会に理解を示そうとしているのかもしれない。
念のため、この宿が人族でも嫌がる環境であることは黙っておいた。
――ぁ……あぁ……ぁぁぁあああああ!!
今日のマックスは尻上がりの絶叫だ。おそらく後半戦で逆転ホームランに晒されたと思われる。ビクッとしたディーネが微笑ましい。
以前、マックスに遠慮なく聞いたことがあった。すると、どことは言わないが一度たりとも裂けたことがないらしい。出血経験もないと言っていたが、俺は絶対に信じない。
「シルバー。ブドウにお味噌がかかってるゴブ……」
「きっとブドウの在庫が余っていたんだろう。そんな日もあるさ」
「で、でもお味噌いらないゴブ。 ブドウだけでいいゴブ」
「黙って命に感謝を。そして飲み込め。アサガオちゃんもそう言ってる」
「う!」
「今日はおいしくないって言ってるゴブ」
気にするな。店主が聞いたら卒倒するから黙っておけ。
そうしていつもの仕事を済ませ、畑に水をあげるたびに思うのだが、この毎日収穫できる畑が恐ろしくて仕方がない。
もしもの話……この世界の住人が、森の神に畏怖の念を持っていなかったら? 大森林に手を出してはならないという、暗黙の了解がなければどうなっていたのか?
きっと、この力を巡って今よりも絶えぬ争いがあったに違いないんだ。
俺の軽率な行動によって人に興味を持たせてしまい、アサガオちゃんの未来に大きな変化をもたらしてしまった。
もちろん反省はしている。けど、自分の行動に後悔はしていない。あれが、俺にできる最良の結果であったと信じることにしたから。
笑顔で急かしてくるディーネを見て、そう思った。
数分後にロゼのお薬屋さんへと到着し、来店の鈴を鳴らしながら店内に足を踏み入れる。すると、俺たちを見たロゼがニンマリと眩しい笑顔を見せてくれた。
邪気にあふれたいい笑顔だ。
「おはよ、長の子も戻ってきたんだ。元気?」
「は、はい! 挨拶が遅れました。ディーネです!」
「ディーネだね。そっかそっか、ボクは歓迎するよ!」
「あ、ありがとですゴブー!」
「…………なんか、今日のロゼさんは機嫌がいいっすね」
「くふっ。お茶出してあげるから座ってて」
「……緊張したゴブ」
「その気持ちはよくわかる。アサガオちゃんが森の神なら、ロゼは生物の頂点だ。でも、本当に優しくて頼りになるドラゴンさんだぞ」
テシテシと催促してくるアサガオちゃんにトマトをくれてやり、ロゼが上機嫌に出してくれたお茶をゆっくりとすする。
あ、いつもと違う茶葉使ってる。
「んしょ。それで、今回のシルバーはどんなふうに困ってるの?」
「まず前提がおかしい。けど、色々と相談があってな……まずはディーネの体を見てやってくれないか? 油断すると、体から葉っぱが生えてくるんだ」
「……明らかにその子の影響じゃん。ボクに言ってどうするの」
「それが二人にもよくわからないらしい。ダメ元で見てあげてくれないか?」
「別にいいけど」
なんだかんだと面倒見のいいメスガキドラゴン。相当な知識を持つ彼女であったが、神にわからないことがドラゴンにわかるはずもなかった。
「う~ん。単純に神の力が強すぎるだけじゃない? そのエルテンなんとかを体内に取り込んだわけだし……でもそれだと、一体化レベルで寄生されてるシルバーが、どうしてなんともないのかって話になるけど」
「そうですゴブ。もしもディーネがシルバーだったら、全身トマトになってるゴブ」
「それも楽しそうだね」
怖いんだが。
とはいえ、俺がアサガオちゃんの影響を受けないは呪いのせいだろう。
すると、俺を見つめていたアサガオちゃんが何かを閃いたらしい。
例の触手をにょろりと伸ばし、高速で鼻の中にズブリと差し込んできた。せめて断りを入れてからやってくれないだろうか。
しばらく俺の中にナニかを注入してきたが、おでこにミニトマトの茎が生えるだけ。
プラプラとぶら下がったミニトマトを横目に見ると、アサガオちゃんは無言で収穫を始めていた。
いや、なんか言えよ。
「う~?」
「侵食できなかったゴブ? あ、シルバートマトおいしいゴブ!」
「ほんとだ。おいしいね」
「やめろお前ら! 俺のトマトを食うな!」
腹を下しても知らないからな。
「わかった。葉っぱの件は後ほど考えるとしよう。実はもう一つ、大問題が発生してしまってな……ディーネ、お前からも説明してほしい」
「はいゴブ!」
そう、お母さんご乱心の件だ。
ディーネの説明を聞いてわかったことだが、俺は犬耳族の里で神の化身とされているんだとか。
森の神とドラゴンを引き合わせ、さらにはゴブリン族の存在を認めさせたバランサーでもあるらしかった。
結果として森の神から加護を得られ、ドラゴンに存在を認知させ、人族と敵対しないように取り計らってくれた慈愛の化身。それがシルバーさんというお方だそうな……。
「くふふふ! 大変だねシルバー?」
「……ディーネ」
「ち、違うゴブ。ディーネは本当のことを言っただけゴブ!」
「まぁまぁ、もう指輪を受け取っちゃったんだし、諦めるしかないよ」
「お前はどうして嬉しそうなんだ……でも、この指輪ってやっぱり特別な物なのか?」
「あ~、まだ教えてないでしょ?」
「は、はいですゴブ」
……なんすか。
「ちなみにだが、この指輪にはどんな意味があるんだ?」
「里長の証ゴブ」
「…………」
「あはは! シルバーすっごい顔してる。そういうこと。犬耳族を生かすも殺すもシルバー次第。もちろん嫌なら捨てちゃえば? この子たちが泣いてもいいならね」
「……シルバー」
やめろディーネ。捨てられた子犬みたいな目をやめるんだ!
それは俺に効く、やめてくれ……。