愛犬家
あれから数日後。
アルファから王都へ帰ると言われ、一抹の寂しさを感じるくらいには親しくなっていた。俺は騒がしさを好むタイプではないが、節度をわきまえたアルファの悪ノリは嫌いになれなかった。あの人は、無邪気で奔放に見えても成熟した大人だからな。
ルウも同じくらい寂しそうに見送っていた。ああ見えて教え方が非常に上手く、基礎を重点的にみっちり教えていた。その結果、ルウの練習効率も格段に上昇している。一文字をマスターするのも時間の問題だろう。
「賑やかな人だったな」
「毎日一緒だとうるさいけどね」
「素直じゃないなロゼは。ね、アサガオちゃん」
「う」
「……どうでもいいけど、あんたたちは店を汚さずにいられないわけ?」
「今回はもみあげなんだ。どうか大目に見てほしい」
「意味わかんないから。でもシルバーってさ、子供ばっかり寄ってくるよね。さっきの子もそうじゃん」
「ルウのことか」
確かに最近は子供とばかり縁があるな……。
ディーネに、アサガオちゃんも子供みたいなもんだし。ルウも子供か。
「ここに長の子もいればおもしろかったのに」
「……なんてこと言うんだ。ディーネまでここにいたら大変なんてもんじゃないぞ? あいつは清楚な見た目とは裏腹に、結構いい性格してやがるからな。面倒なんか見てたら仕事もできやしない」
「元からしないじゃん。適当に遺跡の壁掘って帰るだけのクセに。だったら面倒見ながら仕事すればいいよ」
「無茶言うな。お前は地獄を味わっている俺を見て楽しみたいだけだろうが。本当にそうなったら、お前にも苦労の一端を担ってもらうからな」
「ふふん。別にいいけど? ディーネだっけ、あの子が村に住むならボクも協力してあげてもいいよ」
「……お前はどんだけ俺を苦労させたいんだ」
「だって、シルバーは追い詰められた時しか本気出さないじゃん。いつもは死んだ魚の目だし」
「やかましい! 人生は安心安全ゆとりを持って、だ。アサガオちゃんもそう言ってる」
「う!」
「トマトよこせだって」
気にするな。ようやく落ち着いた日常が戻ってきたんだからな。
こうしてロゼの営業妨害をして、帰り道にいつもの串焼きを頬張り、日課になったトマトの世話をして宿に戻る。いいルーティンじゃあないか。
そう、これでいい。飽きるほど見飽きた日常こそが、最も尊いのだ。
愚かな奴ほどそれに気づけない。昔の俺のようにな。
「おう、おつかれさん」
「ただいま」
「う!」
「おう、花の娘っ子もおつかれさん」
スキンヘッドの店主に挨拶をすると、今日がもうじき終わるのだと安心してしまうな。どうやら俺も、ここを自宅のように感じる程度には愛着があるらしい。
「おかえりなさいゴブー」
「ただいま」
「う!」
「神さまもおかえりなさい!」
部屋に戻ると、アサガオちゃんがふよふよとディーネの元へ飛んで行った。どうやら互いに再会を喜んでいるみたいだ。表情を見れば、妹さんの件も無事に解決したと見ていいだろう。
それでいい、悲しみなんて無くなっちまえばいいんだ。
「シルバーシルバー! おなか減ったゴブ」
「そうか、じゃあどっか食いに行くか――ってなんでやねん! なんでここにいる?」
「さっき着いたゴブ」
「お前って奴は……ケガはないだろうな? 一人は危ないと言っただろう」
「シルバー!」
「お、おい……困った奴だな本当に」
首に頬ずりしてくるディーネを抱きしめると、前世で一緒に暮らしていたワンコを思い出した。あいつも甘えん坊で、散歩の時間になるとソワソワと落ち着かなかった。寝る時は布団に入ってきて、毎朝毛だらけになって起きたもんだ。
あのコロコロシートが欠かせなかった毎日が、本当に大好きだった。
「ディーネ。とりあえず何か食うか」
「うん。一緒に食べるゴブ」
そうだ、話は食いながらゆっくり聞かせてもらおう。
実際驚きはしたが、今回はそこまで心配をしていない。おそらく報告に来ただけだろうし、里の仲間にもちゃんと連絡しているだろうからな。あくまで公認ならいいんだ。最悪の事態だけは免れられる。
ちょっと大きめな荷物入れ――それも、凶悪な山虎の毛皮をふんだんに使った高級品が、なぜかベッドの脇に置かれているのは気になるが。まぁ二日三日滞在するつもりなのかもしれない。
「とってもまずいゴブ」
「そういう時は独特な味ですねって言葉を濁せ。世渡りの秘訣だ」
「う?」
「アサガオちゃんはいいの。トマトでも食ってろ」
結局、食事は一階の食堂で済ませることにした。
最近はアサガオちゃんが絶賛したせいか、無駄に自信をつけた店主が劇物を量産している。くたばればいいのに。
ここの住人は順応力の高い連中が集まっているが、ディーネの存在にはかなりの動揺が広がっていた。チラチラとこちらを見ながら、ブドウのカレーを嫌そうにすすっている。
シャクシャクと耳元で聞こえる、アサガオちゃんの咀嚼音が心地いい。
「だからな? どう足掻いてもまずいんだから、ブドウとカレーを別々に食うといい。てか、普通に食っているけど玉ねぎとか問題ないのか?」
「玉ねぎ? 大好物だゴブ。でもこれ、別々に食べたら作った人に失礼だゴブ」
「もう作った人の前でまずいと言ってるからな。もはや失礼もクソもないぞ」
「う」
「ん? あぁ、アサガオちゃんがブドウはおいしいってさ」
「フ。そうか」
店主いい笑顔してるなぁ。ブドウしか褒めてないが。
「それで、妹さんは無事か?」
「うん! シルバーと神さまのおかげ。今は里で修行に励んでいるゴブ」
「今までは体を自由に動かせなかったもんな。元気ならそれでいい」
「あと、これ。里長の母上さまから」
「え? あ、あぁ。そこまで気を使わなくてもいいだろうに……でも、確かに受け取った。部屋に戻ったら読ませてもらうよ」
その手紙は、見るからに厳重な封印が施されていた。
俺は魔術式を解読できないが、かなり複雑なものであることくらいは理解できる。
見られては困る内容であることは確実だとして、それはそれで俺が困るのでは不安になるが。
結果的に腹は満たされたので、自室に戻って話の続きと手紙を読ませてもらうことにした。ここに来た詳しい理由も書かれているだろう。
「アサガオちゃんを植木鉢に乗せておいてくれ」
「はいゴブ」
「うー」
「おやすみなさいゴブー」
「あぁ、おやすみ」
ディーネもアサガオちゃんの意思がわかるようになっていた。俺も耳を刺された瞬間から理解できるようになったから、エルテンシードを授かった時に変化が起きたんだろう。
そして、いざ手紙を開こうとしたのだが、ディーネが小さな針を持って待機していた。
……なんすか?
「……どうした?」
「手紙の開封はディーネとシルバーの血が必要だゴブ」
「なんだその黒魔術みたいなのは……。爆発しないだろうな?」
「契りを交わすだけゴブ」
「さらっとやべぇ単語を使うな」
大丈夫かこれ? 犬耳印のツボ買わされたりしないよな……。
いや、ゴブリン族は義理堅いみたいだし、大丈夫だとは思う。やや不安ではあるが。
軽く針を刺した後、ディーネが俺と人差し指を重ね、交わった血を手紙の封へと押し当てた。すると、自動でパカッと開いてビクッとしてしまう。
ハイテクだごど。
しかし、中には紙が入っておらず、綺麗な指輪が手のひらに落ちてきただけだった。
「指輪?」
「ここ」
「薬指にか」
とりあえず言われた通りにはめてみると、頭の中に女性の声が聞こえてきた。
言葉の内容から、ディーネのお母さんであることは間違いない。この上ない感謝の気持ちと、姉妹を救ったアサガオちゃんにも返しきれない恩義を感じているみたいだった。
最後に、犬耳族を従える権限を全て俺に明け渡したと言って話が終わった。
そうなんだ。いらねぇよ!!
「ディーネ。今すぐお母さんとお話をする必要がある。背中に乗れ」
「もう眠いゴブ」
「起きろバカ! 犬耳族の危機なんだよ。お前のお母さんが血迷って、犬耳族の未来をゴミ箱にエキサイティングしちまった! どげんかせんといかんのだ!」
「シルバー、落ち着いてほしいゴブ」
「……なんでお前が冷静なの? おかしいだろ」
「明日はドラゴンさまにご挨拶したいゴブー」
「あ、そうか……さすがにロゼを優先しないとまずいのか」
この村はロゼの縄張りだもんな。ゴブリン族としては、敵対の意思がないことを伝えないとまずいはずだ。こいつらはそういった問題に敏感だし。
「焦っても仕方ないか。なら今日はもういい、水浴びして寝る。もう知らん」
「早くするゴブ」
「やかましい! 誰のせいだと思ってんだ……」
「シルバーまくらが急務だゴブ」
ポンポンとベッドを叩いて催促してくるこの図々しさよ……。だというのに、どうしてもディーネが前世のワンコと重なって見えてしまう。
俺の顔は、知らない内に笑みを作っていた。