メスガキドラゴン
そいつは正しくメスガキだった。
カウンターに頬杖をついたまま、俺が必死に集めた稼ぎを指先でコロコロと転がし、つまらなそうに見下ろしながら鼻で笑っている。
この蔑みが超越者にはちょうどいいらしいが、常識人たる俺には理解できない。
「ねぇねぇ、今日もこれっぽっちなの?」
「……あぁ」
「そっか~」
「……」
この世界には探索者と呼ばれる者たちがいる。
主に古代遺跡や魔境に入り、魔石と呼ばれる特殊な力を内包した鉱物を持ち帰ったり、危険な魔物を狩ることで生計を立てている者たちの総称だ。
魔石は必需品であり、インフラを支える重要な役割を担っている。
相場の変動は激しいものの、時には通貨の代わりとして、時には戦いの切り札として、純度によっては一攫千金も狙えてしまう。まさに俺のような底辺の希望だな。
だからこそ大成する者は少ない。まっとうな仕事していれば、底辺に留まる探索者を鼻で笑うのも仕方のないことだろう。
「でもわかるよ。どうせシルバーには仲間や友達なんて一人もいないだろうし、これからも孤独に寂しくがんばってね!」
「やかましい! グダグダ言わずに清算しろ」
「は~い。じゃあシルバーの慎ましい稼ぎと回復薬を交換するね」
「慎ましいはやめろ……本当にやめろ」
丸みのある金のショートカット。燃えるように赤く、爬虫類特有の瞳が楽し気に揺れている。
彼女の愛くるしい童顔を見るたびにわからせてやりたくなるが、何があろうとも絶対に手を出してはいけない。
見た目は小学生並みのちびっ子に見えても中身は別物。村や町はおろか、国単位を焦土にできるとんでもない化け物だからだ。
この世界で敵対してはならない内の一人。それが、目の前にいるロゼという名のメスガキドラゴンであった。
「そういえば、シルバーって探索者になって何十年なの?」
「勝手に桁を増やすな。探索者一年目の新人だ」
「でも貫禄あるよね。なんて言うか、老舗っぽい」
「なんだその例えは……老舗で稼ぎが慎ましいとか死にたくなるだろ」
思えば、俺がこの世界でシルバーとして目覚めてから、もう一年になるのか……。
このシルバーが何者かを説明すると、売れに売れたアクションゲームの登場人物であり、心が折れた飲んだくれの元傭兵だった。
見た目は可もなく不可もなく、しょぼい剣と皮鎧を装備した黒髪の兄ちゃんで、役割は結果を出していく主人公に嫌味を言うだけのキャラクターだ。
一応は仲間にもできるが、能力は平凡で成長しない。さらには一般人という枠組みに属しており、ボスや主要キャラクターには一切ダメージを与えられない。だから連れて歩くメリットは一つもないモブキャラだな。
当初はよりによってなぜコイツなのかとガッカリしたものだが、俺にはこの世界の情勢や原作に関わる知識が豊富にあった。その気になれば危険から身を遠ざけ、楽に稼ぎ、楽に生きることができるのだ。いやむしろ、モブキャラだからこそ長生きできる。
もちろん、喝采を浴びるような英雄にはなれない。
生活水準はそこそこで、仕事に忙殺された過去に比べれば今の方が幸せだと思っている。ネット環境がない不便さと退屈さを除けば。
「ねぇシルバー」
「ん?」
「ちゃんと休んでる? 人族ってすぐ死んじゃうじゃん?」
「そりゃ休みまくりよ。そこにある慎ましい稼ぎを見ればわかるだろ」
「……ふ~ん。じゃあ食事はちゃんと食べてる?」
「そりゃあ――ん? もしかして腹が減ったのか? 串焼きくらいならシルバーお兄さんが奢ってやるぞ」
「ウサギのウンチみたいな稼ぎのクセに見栄は張るんだ? それはいいけど、今すぐこれ飲んで」
「ウンチって言うな! それに、なんだソレは?」
彼女に手渡された小瓶には、ギラギラと発光する謎の液体が入っていた。
果てしなく虹色に輝いている……見た目は途方もなく体に悪そうだ。
「元気になるから」
「……元気に?」
「うん」
「そっか。まぁ俺なんぞに嘘つく意味ないしな。じゃあ、いただきます」
ともあれ、メスガキドラゴンからもらった初めての贈り物。
ここは男らしく、グビっといただきマンモス。
ん~。ねっとりぃ……。
「よくわからんが、元気になりそうだ……」
「うんうん。絶対なるよ、ボクが保証する」
「村一番の薬師が言うなら間違いないな。その……ありがとう」
「んーん。ゴミみたいなシルバーの稼ぎでもこの村には必要だからね」
「いいか嬢ちゃん……こういうのはいいお話で終わらせるのが大人のマナーってヤツなんだ。まぁ、頭の悪いガキにはわかんねぇだろうがよぉッ!!」
いつものように罵りあってから店を後にした。クソガキがよぉ……。
だが、冷静になってロゼのお薬屋さんと書かれた看板を見上げたとき、妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
気軽に会話をしているが、ロゼは一部で神扱いされるほどの高位な存在。原作でも特別なイベントはなく、仲間にもできなかった。だから謎の液体とはいえ、有象無象の俺が贈り物をもらうなんて考えもしなかったことだ。
この世界の人々が、物語の登場人物であることは間違いない。けど、今やみんな自我を持ってちゃんと生きている。だから原作と差異があるのは当然かもしれないが、俺のうかつな行動が無事に終わるはずの未来を壊してしまうかもしれない。
まるで、初心を忘れぬよう心に刻んでおけと警告を受けたような気分だ……。
世界には主人公がいて、余計なことをしなければ全て上手くいく。
大好きなキャラクターを生で見るチャンスでもあるし、これからも目立つような行動は極力控えていかなければならない。
そうして気持ちを新たに、道端の屋台で買った串焼きを頬張りつつ、のどかな海岸通りをいつものようにゆったりと歩いた。
海に沈んでいく大きな夕日。そしてはるか遠くにある月は、なぜか過去に見た情景よりも小さく見える。
海岸沿いは石造りの建造物が立ち並ぶ住宅区域。その中には、遺跡探索者ご用達の宿がいくつかあり、俺はその一つである“成金になり亭”でお世話になっていた。
安い。ボロい。飯が不味い。まさにクソみたいな宿だが、なんでだろう……なんとなく気に入っていた。
「ただいま~」
「おう、お疲れさん」
受付に座るスキンヘッドの店主に挨拶しながら、食堂でメシを食う探索者たちに手を振り返す。もしかしたら、このユルい空気が心地いいのかもしれないな。
――翌朝、目を覚まし大きく伸びをした。
時間に追われることもなく、ゆったりと過ごせる毎日。
好きに稼ぎ、好きに休む。命を賭けた遺跡探索ではあるが、俺なら贅沢をしなければ安全かつ簡単に稼ぐことができる。
未踏破である遺跡内の構成。襲ってくるアンデットの能力。魔石の効率的な稼ぎ方など、俺は探索者にとって喉から手が出るような情報を知っているのだ。幸いにも、飽きるほどやり込んだ作品の世界だったから。
無論だが、このことを公表したり、誰かと共有するつもりは一切無い。無益な諍いの元になるのは火を見るより明らかだし、俺にメリットがない。
二階の自室で水浴びを済ませた後は、一階の食堂で不味い朝食を摂るのが日課となっている。食事中の探索者に挨拶をし、窓際のテーブルに座れば、周囲から聞こえてくるのは朝食に対する不満の声だった。
「……まず!!!」
「シルバー……今日のおススメはやめとけ、バナナの味噌炒めだった」
「また味噌か? 店長って味噌炒め好きだよな」
「ああ、特にこいつは食えたモンじゃねぇ。黙って干し肉にすんのが無難だ」
「助かった。そうする」
この宿はワンオペ営業。だから飯もスキンヘッドの店主が用意する。
店主のおススメは日替わりなので、注文しないと詳細がわからない。そして、十回に九回は不味い。それでもみんなが注文するのは、その内の一回がやたらと美味いからだ。
――ァァァアアアアッ!! 裂けちゃうぅぅ!!
突然、食堂にくぐもった大きな悲鳴が響き渡った。
食事中の全員が手を止め、またかとつぶやきながらうんざりした表情を浮かべる。
「静かにしろよマックス! こっちまで聞こえんだよ!」
「あいつは今日も凄そうだな」
「わかってっから口に出すな。食事中だぞ」
探索者たちが便所に向かって口々に不満をこぼした。
色々あって、この宿にはマックス専用と書かれた個室便所があるのだが、どうか理由は察してほしい。
――ブバンッッ!!
突然、激しい地鳴りと衝撃波が発生して食器をカタカタと揺らした。どうやら今日は過去一番だったらしく、俺たちに聞こえてきたのはマックスの泣き声だった。
――ぅ、ぅうわあああん! こぼれちゃったぁ!!
ガチャンとフォークを投げて頭を抱える探索者たち。俺はもう慣れたが、耐性のない奴には地獄だろうな。
「……よりによって味噌炒めの日に」
「あいつも黙ってりゃいいのに」
「お前らもそのクソみてぇな味噌をこぼすなよ~? ヒャハハ!」
「クソ不味いもん食ってる時に余計なこと喋んなボケが!」
「は? 不味いってなんのことだ?」
こうして究極に頭の悪い会話とケンカが始まった。手料理をクソ扱いされた店長も参戦し、ボロボロになっていく食堂を肴に干し肉をかじる。
いつか、この日常が愛おしく感じる日がくるのだろうか? 若い僕にはわからない。
いつものように便所掃除の手伝いを終えた頃には十時をまわっていた。
泣きながらお礼とお詫びを言うマックスを励ました後、村の北にある遺跡入口へと向かった。
入口へは海岸通りから中央広場を抜けていく。広場は半ばフリーマーケット化しており、食料品からガラクタまで幅広く取引されている。
そんなにぎやかな広場を抜けて十分ほど歩くと、酒場と一体化した探索者組合の施設に到着した。
遺跡に入るときは、施設の受付で探索申請を行う必要がある。別に申請といっても難しいことはなく、行きと帰りにサインすればいいだけ。
要は、無事に帰ってきたかどうかの雑な確認だ。
「……?」
妙だ、静かすぎる。
探索者の大半はチンピラまがいの荒くれ者。いつもなら探索前後にかかわらず、酒を片手に大騒ぎしているはずなのに……。
不思議に思いながらも扉を開くと、探索者の姿はどこにもなかった。
「…………え??」
「や、やぁおはようシルバー君!」
入るなり受付から駆け寄ってきたのは、組合長を務めるダンカンさんだった。
彼は出口を封鎖するように回り込み、胡散臭い笑顔でニッコリと微笑んでいた。