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突然兄に抱きしめられた。突然のことに私は驚き、体が少し硬直する。
男性の腕だ、と思いながらも不思議と怖さは全くなかった。
どこにも逃げないのに、兄は私の息が止まるほど力強く抱きしめていた。ピッタリと体がくっついている部分からは兄の熱を感じた。
……心臓の音が聞こえた。
「守ってやれなくてごめん。紗英がそんな状態にあることを気付いてやれなくてごめん」
兄は己のことを責めるような口調で、微かに声を震わせる。
何度も思ってきたが、これは決して兄のせいなんかじゃない。彼が自分を責めるのは間違っている。
それでも、兄が謝ってくれたことで、私は少し気持ちが楽になった。
私の代わりに怒ってくれて、私の代わりに悲しんでくれている。私はいつからか、感情というものを失いかけていたのだと実感する。
感情を持てば、生きることが余計に苦しくなる。それならば、最初から感情を捨ててしまえばいい。そんな風に思っていた。
「家出する理由が分かる。あんな家から逃げて当然だ」
殺意あるその声に私は背筋がゾッとした。「クソ野郎」と耳元で兄が呟いた。
自分の父に対してここまで嫌悪感を丸出しに出来るものなのだろうか……。「父」という存在を知らないから何とも言えない。
彼は父ではなく最初から他人だった。父にとっても私は最初から他人だったのだろう。だから、簡単に手を出すことが出来た。
「今すぐあいつをぶっ殺してやりてえ」
「……捕まっちゃうよ」
だらんと体の力が抜けたまま、私は静かにそう言った。
憤怒する兄を落ち着かせるためにも、私は冷静でいとかないといけない。私まで爆発してしまえば、収拾がつかない。
本来、私は今泣くべきなのだろうけど、涙が一切出てこない。涙が枯れるまで泣いたことなど一度もない。
泣くことはあっても、一時的なものでしかない。もっと、ちゃんと涙を流せたらいいのに。
……自分って変わっているのかも。正しい涙の流し方を知らない。
「紗英は、紗英はどうしてそんなに平然としてられるんだ?」
兄は私からようやく体を離し、私の肩を両手で掴みながら、真っすぐ私を見る。
そんな目で見つめられると、目を背けたくなる。
「もうどうでもよくなっちゃったのかも」
私は射貫くようなその目に耐え切れなくなり、思わず目を逸らしてしまう。
彼がいくら私のことを想ってくれていようと、今まで輝いてきた兄には絶対私の気持ちを理解することなどできない。
私もやり返したい、復讐したい、って気持ちはないわけではなかった。けど、もう今はどうでもよくなってしまった。
いちいち復讐とかしていられない。面倒くさいし、それなら自分の為に時間を使いたい。
……けど、一生あの人たちの奴隷として過ごさなければならないのなら、彼らを殺したいと何度も思っていた。
「…………死んでほしいって何度も思ったんだよ」
兄に聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう呟いた。彼が何か言い返してくる前に、私はいつも通りの笑みを浮かべる。
ビジネススマイルはプロ並みに上手いと思う。
「ねぇ、タイムカプセルを掘り出してみない?」




