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当時、その名前を聞いた時は男友達だと思っていた。淳子の「淳」だったんだ。
「どうかしたの?」
「ううん、なんにも」
平然を装っていたけれど、心のどこかで少し動揺していた。
どうして今、こんな風にして彼女と出会ったのだろう。神様は私をどうしたいのだろう。
現在の状況をいまいち理解出来ないまま、私は松沢淳子をじっと見つめた。
確かに年上と言われれば、どこか大人びた雰囲気がある。シュッと引き締まった身体でアスリートとしてストイックに生きてきたのだと分かる。
「紗英ちゃんはどうしてこんなとこにいるの?」
「……さあね」
また笑みを浮かべる。何度この笑みを浮かべてきたのか分からない。
自分の心を閉ざし偽り、人と関わらないようにして生きていかなければならなかった。心を閉ざしていなかったら、私の心はとっくに崩壊している。
日々情緒不安定になっていたかもしれない。……それなのに、兄や荒川は容赦なく私の心に入って来る。
「死にたくなったってわけじゃないんだ」
「むしろ生きたいから逃げてきた、かな」
「……皆、色々事情があるんだね。律も明るくて優しいのに、どこか闇を抱えていたような気がする。誰にも深入りさせなかった。彼女だったのに、あまり彼のことをよく知らないんだよね」
兄が闇を抱えているなんて、一番身近にいた私でさえ最近まで気付かなかった。
自分のことで精一杯だったっていうのもあるけれど、大好きな兄のことを全然知らなかった自分に苛立つ。兄も私が両親に虐められていることを知った時、こんな気持ちだったのかも……。
私のこと何も知らなかった自分に腹が立ったのかな。
「知ってることは、エッチが上手かったってぐらいかな」
「それは教えてくれなくていいよ」
私は思わず顔を顰めてしまう。
「あ、ようやくあのビジネススマイルから表情を崩してくれた」
嬉しそうに口角を上げた淳子に対して「死のうとしている人に思えないぐらい元気じゃん」と言った。
ただの偏見だけど、死ぬって覚悟を決めた人はもっと顔は強張っているだろうし、陰気な雰囲気を醸し出していると思う。
淳子に死ぬ勇気はないだろうな、と涼しい夜風に吹かれながらそんな風に思った。
「顔は似てないけど、律と同じ目をするよね、紗英ちゃん。見透かすようなその目。律にそっくり」
私が何も言い返さないでいると、淳子は付け加えた。
「田原律くんはね、最低な男だったよ。彼のことを知ろうとしても、これ以上踏み込んでくるなってどこか冷たいしさっ。してる最中に私の名前間違えたんだもん。…………紗英って」
私はその言葉に驚きのあまり大きく目を見開いてしまった。
今度は淳子が私を射貫くようにして見つめた。




