28
私は何も言葉が出てこず、ただ無言で歩き続けた。荒川もそれ以上何も言わなかった。
気まずい雰囲気だったが、お互いに雰囲気を良くしようなんてことはしない。何を言っても、更に妙な空気になることが分かっていたから。
「着いた」という荒川の言葉でようやく沈黙が破れた。
私は足を止めて、ゆっくりと前の建物を見上げる。超高層マンションとはこういうことを言うのだろう。外観は丁寧に磨き上げられていて、一つ一つの窓ガラスがキラキラと見えた。
私とは住む世界が違うんだな、と思いながら荒川の方へと視線を向けた。
「タワーマンション?」
「親の金だよ」
お金があっても、荒川は幸せそうには見えなかった。
荒川は慣れた手つきでタワーマンションへの中へと入っていく、エレベーターに乗り彼は最上階のボタンを押す。こんなにボタンのついたエレベーターに乗ったことがない。
映画の世界に入ったような気持ちになってしまう。
「世界は広いね。井の中の蛙大海を知らず、だね」
荒川は一呼吸置いた後、口を開いた。
「されど空の深さを知る」
彼がそう言ったのと同時に、エレベーターの扉が開いた。
荒川の言葉に思わずぼーっとしてしまった私はエレベーターから降りるが少し遅れた。彼は一番端っこまで歩いていく。
マンションのことをあまり知らない私でも角部屋が一番高いことぐらい知っている。
私なんかがこんな所にいていいのか、という不安は一切なかった。いつか私もこんな所に住みたいという願望が生まれた。
あの地獄から這い上がってみせる。
「どうぞ」と、荒川は鍵を開けて、ガチャッと扉を開ける。目に入ってくる光景に、思わず心の声が漏れてしまう。
「玄関、私の部屋よりも広いかも」
私の言葉に荒川は黙ってしまう。
「あ、ごめん。そんなことないかも」
そう付け足したが、荒川の難しい表情は変わることはなかった。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」と、彼は笑みを浮かべてくれた。
靴を脱ぎ、ゆっくりと家へと上がる。長く綺麗にされた廊下を進んで行く。
「自分で掃除しているの?」
「いや、お手伝いさんが週一で来る」
「私もそのバイトしたいな。こう見えても掃除は特技なんだよ」
笑みを浮かべる私に荒川は少し考え込んだ素振りを見せる。
一番奥の部屋に入ると、大きなキッチンが目に入った。私の家の倍の大きさだ。冷蔵庫も大きく、一人暮らしだとは思えない。
余計なものが何も置かれていない殺風景な家。シンプルなのが好きなのかな……。
壁いっぱいの大きな窓へと近づき、地上を見渡す。……人間ってあんなに小さい生き物なんだ。
あの小さな二つの生き物に私の人生は振り回されているって考えると、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「週一でバイトする?」
その澄んだ声に私は思わず荒川の方を振り向いた。




