14 保健室
気付けば保健室まで来ていた。兄はガラガラッと乱暴に扉を開ける。それと同時に昼休みが終わるチャイムが鳴った。
「どうしたの?」と目を丸くして保健室の先生が慌てた様子で私達の元へと駆け寄って来る。
毛先だけ巻いて一つにまとめた茶色い髪が揺れる。可愛らしい童顔に小柄で華奢な体型。世の男性が好きそうな女性だ。
老若男女問わず皆が「良い先生」と答えそうな先生ナンバーワンだと思う。
白衣の胸ポケットには二本ボールペンがささっており、小倉と書かれた名札が付けられている。小倉沙良。それが彼女の名前だ。
なんて綺麗な名前なんだろう。名前も容姿も完璧で、モテないわけがない。
「雨で濡れたんだ。制服ある?」
兄はいつも皆に見せている爽やかな笑顔でそう言った。嘘くさいなんて今まで一度も思ったことないのに、何故かそんな気持ちが出てきてしまう。
上半身裸の兄に戸惑いつつも、小倉先生は「制服はないけど、体操服ならあるわ」と部屋の奥の方へと慌てて走っていく。
保健室に来たのは高校に入ってから初めてだ。消毒の匂いがする。
思っていたよりも広い。ベッドが六つも横並びになっていて、それぞれカーテンのようなもので仕切られている。流石人数が多い高校は違う。
「寒くないか?」
「大丈夫だよ」と笑顔を向ける。笑顔を作るのは兄だけじゃなくて私も上手だ。
そこだけは私と兄が似ている唯一の共通点かもしれない。
「何が大丈夫なんだよ」と兄は小さな声で呟く。こんな余裕のなさそうな兄を今まで見たことがない。
「これ、体操着。田原君のサイズはあったのだけど、女の子用の体操着がなかったの。だから、少しダボッとしちゃうかもしれない」
私達は小倉先生から体操着を受け取る。どうやら先生は兄のことを知っているようだった。
先生の中でも兄の話は話題になるのだろう。
「大丈夫です。ありがとうございます」
私は丁寧にお礼を言う。大丈夫、と言う言葉を今日はよく使う。
「私、今から二人のことを報告しに職員室に行ってくるわ。えっと、貴女のお名前は?」
「田原です。田原紗英」
小倉先生は少し固まって、私と兄を交互に見つめる。
「ということは、二人は……」
「兄弟です」と兄が口角を上げて答える。
「なら、二人にしても大丈夫よね」
彼女はそう言って、保健室を出て行った。
私と兄だけが取り残される。保健室に二人だけという状況はいくら兄でもどこか緊張してしまう。
「私、こっちで着替えるね」
一番端のベッドへと向かい仕切りのカーテンを閉める。シャッとカーテンの閉まる音と同時に兄が「意識してんの?」と少しからかった様子で話しかけてきた。
「子供の頃ともう違うんだから。……そんなことより、皆の前であんなことして大丈夫だったの?」
私は話を逸らす。
さっきまで何も考えていなかったけど、私達は公の場で結構まずいことをしてしまったかもしれない。
兄が妹を庇うのはよくある話だけど、あの庇い方は……、恋人みたいだった。