11
「ど、どうして?」
自分の声が微かに震えるのが分かった。
驚きじゃなくて恐怖に似た感情だ。きっと、今私は初めて兄を怖いと思っているのだろう。
感情を隠すことは得意だと思っていたが、動揺のあまりうまく隠すことが出来ない。
「さっきの質問の答え、なんだと思う?」
兄は私を射貫くように見つめる。「俺が一番この世で大切だと思っている人物は誰だと思う?」という言葉が頭の中で反芻される。
私は鈍い女じゃない。元カノでも母でも父でもない、今彼が真剣な瞳で視線を向けている先の人物。
「わた、し?」
「正解ッ! 田原紗英がこの世で一番大切な人」
兄は嬉しそうに私を指さした。私の脳は未だに混乱している。
どうして兄が突然そんなことを言い出したのかが理解出来ない。兄は両親からの愛を嫌というほど貰っているのに母を忌み嫌っているなんて想像出来ない。
彼は両親が私にしてきた仕打ちを知っていたの……?
「最初に憎悪を感じたのは、幼い頃、紗英が母の口紅をこっそり使っただけで真冬の寒い中裸足で外に出された時だ。凍える紗英を見て助けてやりたかった。母と口論して、俺が家を飛び出そうとすると、父が力ずくで俺を止めて部屋に閉じ込めた。部屋の中は暖かったから苦ではなかったが、紗英が外で極寒に耐えていることを想像するのが一番苦しかった。心が張り裂けそうだった」
淡々と話す兄。私はぼんやりと頭の中で当時のその時の様子を思い出していた。
本当は幼い頃の記憶なんて消し去りたかったけど、脳はそう上手く作られていないらしい。
あの日、兄が私のことで戦ってくれたのは僅かに覚えている。子どもが親のものを勝手に使ってしまうことぐらいあるだろって必死に私を家の中に入れようとしてくれた。それが嬉しくて、心の支えになった。
寒さで足の感覚がなくなる中、私は必死に叫んだ。自分のことじゃなくて、兄を許して欲しいって。
「その日から俺はあいつらが許せない」
私が血の繋がっていない妹だと知ってもなお、兄は変わらず私に優しくしてくれた。だから、私にとっても兄は大切な存在だ。
何も知らない兄に黒い感情を抱くことはなかったと言えば嘘になるけど、幸せになって欲しいと心から願っていた。
「どこまで知ってるの?」
私が言葉を発したのと同時にピカッと眩しい光が雲で覆われている空に放たれる。もうすぐ雨が降りそうだ。
「両親が紗英にしてきたこと? ……弁当を作らない。お小遣いを渡さない。誕生日プレゼントを渡さない」
「お兄ちゃんは毎年プレゼントくれたよね」
兄が話すのを遮って、私は口を開く。
何が欲しいと聞かれるたびに私はアイスと答えていた。もっと欲張ってもいいと言われたけど、アクセサリーを貰ったとしても両親に奪われるのが目に見えていた。
それでも兄は、アイス以外にも可愛いクマが描かれたメモやシール、私が成長するにつれて化粧品をくれた。今思えば私が母の口紅を使っているのを見た時から、私に化粧品をプレゼントするつもりだったのかもしれない。
けど、実際兄からもらったものは全て母が持って行った。私が兄からの誕生日プレゼントを使用したことなど一度もない。
だから、すぐに消えてなくなってしまうものが良かった。アイスを食べている瞬間、嫌なことを全て忘れて幸福感に包まれた。