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第二章 たとえ君を忘れたとしても⑤

 ――怖かった。恐ろしかった。


 置いていかないでほしい。

 遠くにいかないでほしい。

 そう願うのは簡単で、きっと優しいブラムはそれを叶えてくれるだろう。

 ずっと傍で甘えさせてくれるだろう。

 都合の良い幻想に浸らせてくれるだろう。

 でも、そこに彼女が求めた関係性は存在しない。


 ――ルナ=ベイリーは、英雄の血筋に生まれた少女だ。


 魔法騎士になる道が約束されており、幼い頃は自分もまたその道を歩いていくのだと疑わなかった。

 だから幼馴染のブラムと共に、毎日厳しい鍛錬を耐え抜いていた。

 最初はブラムより強かった。しかし徐々に剣で負けるようになり、それでも魔法では勝ち越していた。

 ベイリー家でも随一の魔力量だと称されたルナは、魔法に力を注いでいた。

 二年前まではブラムと互角の実力だった。


 一緒に魔法騎士になると約束した。

 将来、背中合わせで戦うことを夢見た。


 そんなある日。

 ルナの魔法が暴走してブラムが大怪我を負った。

 頭の中が真っ白になって、無我夢中になって治癒魔法をかけ続けた。

 何とか彼は一命を取り留めた。

 安心して、涙が流れた。人を傷つけることの恐ろしさを知った。

 それ以来、なぜか魔法が上手く使えなくなった。

 徐々にブラムとの差は開き、模擬戦の相手すらままならなくなった。それでも必死に鍛錬を続けて、しかし騎士学園入学前にはすでに家族から失望されていた。

 剣も魔法も凡庸な実力。

 同年代の平民にすら敵わず、ベイリー家の子息としてはいまだかつてないほどの落ちこぼれ。魔法騎士になることは諦めろと冷たく告げられた。

 だが、家族の反対を押しのけてルナは騎士学園に入学した。

 それはもちろん、魔法騎士になりたかったからだ。

 みんなを癒し、みんなを守る。

 先祖のように強く高潔な魔法騎士に憧れていた。

 幼馴染の少年もそれを支えてくれた。

 いずれは彼に背中を預けるのだと信じていた。

 だから辛く厳しい鍛錬にも耐えられた。

 落ちこぼれと蔑まれても、決して折れることはなかった。


 ルナの才能を、ブラムだけは信じてくれていたはずだった。


 ――扱いが、徐々に変わっていくのを感じた。


 それを最初に感じたのは、レオ=クラックネルがブラムに絡み始めた頃だ。

 勝手に親友を名乗るレオを鬱陶しく思っていたはずのブラムは、しかし学年首席である彼の力に、徐々に信頼を預けていった。

 ルナはその変化を最も近くから眺めていた。


 ――ブラムにとってのルナの立ち位置が変わっていくのを感じた。


 欲しかったはずのものは、気づけばレオに取られていた。

 ルナはブラムにとって、共に戦う仲間から守るべき女の子に変わっていった。

 それは今の互いの実力を考えると仕方のないことで、ブラムにとっても無意識の変化だと分かっていた。

 大切に思ってくれること自体は嬉しかったし、お姫様のような扱いが嫌だったと言えば嘘になる。

 だから、このままでいいやと自分を納得させようとした。

 現実に折り合いをつけて、実力に相応な人生を歩んでいこうと思った。


 その度に心が叫んだ。


 ――欲しかったのは『こんなもの』じゃない。


 だから現実に抗い続けた。

 毎日、夜遅くまで鍛錬を続けた。

 分不相応だと分かっていながら大言壮語を吐き続けた。

 英雄の末裔として意志の強さを見せ続けた。


 ……本当は心が折れそうだった。

 でもブラムにだけは頼れなかった。

 弱さを見せるわけにはいかなかった。

 そうやって「楽」になっても、現実は何も変わらないから。

 ルナの努力は徐々に実を結び始めて、かつての魔法を取り戻しつつあった。

 これならもう少しで、魔法だけでもブラムに追い付けるかもしれない。

 そう思った矢先のことだった。

 実戦魔法の講義で、ブラムが赤子の手をひねるようにレオを圧倒した。

 ルナの目でも、そこには隔絶した差があると分かった。

 気づいたら魔力色まで黒に変質していた。


 ルナは何も知らなかった。

 何も知らされていなかった。

 尋ねても、何も教えてくれなかった。

 誰にでも分かるような誤魔化しをされた。

 もうルナには、何かを話すだけの信頼もないのだと気づいた。

 徐々に変わっていった扱いは、ここ数日で完全に変わり切ったように感じた。

 ルナはブラムの事情を知らない。

 彼が八年後の未来からやってきたなんて知らない。

 かつて殺してしまった少女を守ろうとしてしまうのは当然だと知る由もない。

 だから最も傍にいるはずの幼馴染の少年が、今は最も遠くに感じた。


 ――置いていかないで、と強く思った。


 焦りがルナを支配した。

 これまで以上に、鍛錬にのめり込むようになった。

 ブラムからの信頼を得られるようになるには、どれほど強くなればいいのか想像もつかなかった。

 心配される度に、心配されてしまう自分が嫌になった。

 守るべき対象としての扱いが受け入れられなくて、でもそれをブラムに押し付けるのは違うと自分に言い聞かせた。

 助けてくれるのは、守ってくれるのは嬉しい。

 それほど大切に思ってくれていることが、泣きたくなるほど嬉しい。


 でもそうじゃないんだ。

 違うんだ。

 辛いんだ。

 苦しいんだ。

 もう嫌なんだ。

 まだ学外実習の途中だけど、もうどこかに逃げ出してしまいたくて、その心の弱さを悟られないように強気な振る舞いを続けて、それでもブラムやレオに助けられてしまう自分を呪って。

 だから。


『――俺ならお前の力になれる。あいつを超えるほどの力を、お前から引き出してやれる』


 心の内から生じたその甘言に乗ってしまった。

 禁忌からの誘いだと半ば分かっていながら、体を明け渡してしまったのだ。



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