五話 スライム令嬢と街
「まさかあれだけの証拠があって令状がでないとは……」
よくよく考えてみれば我が家は公爵な上に王に怪しい薬を卸しているのだった。いくら魔物が潜んでいる可能性があっても薬の材料としか思われないだろう。捜索されるはずがない。
ただし、二人で街に行くという約束は生きていた。私は庶民的な服を着て、ウェインの馬に二人乗りしていた。騎士団の家宅捜索は早朝に攻めてくると聞いて、玄関でスタンバっていたら、扉をたたいたのはウェイン一人だった。それから流れるように馬の後ろに乗せられ街に向かっている。
婚約破棄するつもりなのにデートに連れ出されてしまった。どうしよう。あれよあれよという間に街につき、私たちは二人で通りを歩きだした。はたから見ればどう見てもカップルそのものである。
「あっ、あの公園……」
どことなく覚えがあった公園に思わず立ち止まった。ベンチと鉄棒や滑り台といった簡単な遊具しかないただの公園だ。しかしなにか心惹かれるものがあった。
「たしか君とよく遊んでいた公園だよ。懐かしいな」
ウェインに連れられ、私たちは公園のベンチに腰掛けた。遊具で子供たちが遊んでいた。一人の少女が私たちの目の前で転び、泣き出した。膝を擦りむいたようだ。私は彼女のもとに駆け寄り、傷口の上に手を当てる。
「いたいのいたいのとんでけー」
私が手を離すと、少女はすぐに泣き止んで、不思議そうな顔をした。その微妙な反応に、私はとまどった。少女は首をかしげてから、
「ありがとう!」
といって、さっきのように駆け出して行った。よく観察してみると膝に傷がなくなっている。
……なにこれ。もしかして私、傷を癒す能力があるの? これってスライムが基本的に持ち合わせているものなの? とりあえず私はウェインの前なので疑われないようにノーリアクションで通した。幸いウェインは気づかなかったようだ。検証は後にしよう。
ベンチに戻ってきた私に、ウェインは懐かしそうに語りだした。
「この公園で初めて君と出会ったんだ。その時はお互い貴族だとは思わなくてね。今の子たちみたいに追いかけっこをして遊んでたんだ。後で貴族学校の医務室であったときは驚いたよ」
「そ、そうだっけ?」
いわれてみればそんなことがあったような。
「君は自分が魔女の末裔なんだって秘密めかして教えてくれた。逆に僕が代々騎士の家系だと明かすと、もし私が魔法を使って魔女裁判にかけられたら逃がすって約束をしたんだ」
なんとなく想像ができる。実際祖母は魔女裁判にかけられたし、子供の頃の私はそれをアイデンティティにしていたんだろう。
「もし私が魔女だったら今でも見逃す?」
ウェインは驚いたように目を見開いた。しかしすぐに笑って、
「見逃しはしないな。一緒に逃げはするけど」
といった。
「魔女なのかい?」
「……女はみんな魔女よ」
私は意味ありげな笑みを浮かべる。ウェインもつられて笑った。調子に乗りすぎた私は下手に追及される前にウェインに質問を仕掛けた。
「ミミックスライムはそんなに危険なの? だれそれがやられたーって話は聞かないけど」
思えばミミックスライムが捕まれば、私がスライムとバレてもなりすましとは思われない。それなら実験レポートを見せればウェインは見逃してくれそうな気がする。婚約しているだけあって割と本気で愛している感じはする。
「直接的な被害は少ないよ。変な行方不明者もいないし死者は出してないんじゃないかな」
「それならどうしてこんなに騒ぎになっているの?」
そもそもスライムである私も別に人肉を食べたような記憶はない。それについ最近まで自分を人間だと思って生きてきたのだ。死者も出ていないのにはるばる騎士団が派遣されてくるのは異常である。
「まあ住民からすれば自分の知り合いに魔物がいるかもしれないってのは不安だろうしね。実際教会にもだれそれがスライムに違いないって通報が相次いでいるみたいだ。それにあのミミックスライムは騎士団の留置場から脱獄したからね。脱獄した魔物が野放しなんて騎士団の沽券に関わる」
「それは……仕方ないんじゃない? スライムはどんな隙間でも通れるらしいし」
そもそもスライムを捕えておくことができることに驚きだ。手錠も檻も役に立たないのだから。逆に言えば次に捕まれば即刻処刑なのかもしれない。
「ああ、だから完璧な密閉体制をとっていたんだけど、忽然と消えてしまったんだ。言い訳ではないが、魔法でも使わないと脱出は不可能だというくらい完璧だった。それこそかの有名な魔女、アルティシア・ヘクタリオでもないとね」
それは最も有名な魔女の名前だ。多くの女性が魔女裁判にかけられたが、本当に魔女だったのは彼女くらいだと言われている。実際、魔女裁判で処刑されるときまばゆい光に包まれて忽然と消えたといわれている。
「ただ一番危険視しているのは教会側みたいだ」
「教会が? なんで?」
それはおかしい。神の家たる教会に魔物が近寄れないのは有名な話だ。実際教会の周囲には魔物が近寄れないので、街を守るように間隔をあけて教会を立てているくらいだ。教会が魔物を恐れるなんて神に見放されでもしない限りありえない。
「ミミックスライムが教会で発覚したという話は聞いたかな。あれは大聖堂の中で見つかったらしい。この街で一番神聖な場所だ。普通ならありえない。だから聖的なものに耐性のある危険なスライムとして討伐依頼が出たんだ。市民の教会への信頼が失われると大事だからね」
そういってウェインが親指で後ろを示した。つられて視線を向ける。
……うわっ教会だ! こんな近くにあったなんて……存在に気付いた瞬間、急に寒気がしてきた。でも今のところ私に支障はない。教会が魔物に強いという情報はでたらめなのだろうか。
ちょうど教会を見ていた時に二人のシスターが出てきた。二人は教会の裏手の段差に腰掛け、タバコを吸い始めた。神の使いの意外な一面にウェインがムッとする。さっさと教会から離れようと思っていたら、気になる会話が聞こえてきた。
「最近司祭がフェアクロフ家と仲悪いらしいけど大丈夫なの? あそこって一応公爵家でしょ?」
「司教に納品してた薬の品質が落ちたって上につつかれてるかららしいよ」
「司教に送ってた薬? 育毛剤かなにか? 剃髪するからいらないでしょ」
「それが不老薬送ってたんだって」
「マジで!? どうりで何十年も司教務めてるってわけだ。でもあれって魔花が材料に使われてるんでしょ? 違法じゃん」
「なんか昔の取り決めで向こうを見逃す代わりに薬をもらってるんだって」
「魔花ってことは魔物飼ってるもんね」
「飼ってるどころか魔物と結婚したらしいよ」
………………は? あまりの情報の乱流に脳の処理が追い付かない。ウェインもわけがわからないといった顔をしていた。
「ど、どういうこと?」
思わず出た疑問の声にシスターたちが私たちに気付いた。ウェインが腰に佩いた剣をみて騎士と判断したのか、タバコを捨てて教会の中に引っ込んでいった。
「ちょっと!」
私は落ちたタバコを拾った。ウェインは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。教会は治外法権だ。騎士のウェインは入れないし、魔物の私も入れない。
カーンカーンカーン!
突然の鐘の音に私はビクッとした。轟音に驚いた馬車が通りを駆けていく。ウェインは私をかばうように肩を抱き、周囲の危険を見回した。人々が走って逃げていく。私たちは逃げていく方向と反対側をみた。大きな黒煙が上がっている。
「火事みたいだ」
ウェインは冷静につぶやいた。
火事か、熱に弱いスライムにはどうすることもできない。逃げるしかないだろう。しかしこんな群衆のなかほとんど記憶にない街で一人で帰れる気がしない。私はウェインの動向を待った。ウェインは行くべきか私を逃がすべきか迷っているようだった。そんなところにまっすぐこちらに向かって走ってくる女性を見つけた。嫌な予感がする。
「ああ、騎士様! 助けてください! 娘が! 娘がまだ中に!」
腰に佩いている剣を見て騎士だと判断したらしい女性がウェインにすがりつく。答えは決まっているようなものだ。
「わかりました。案内してください」
※※※※※※
ウェインが火事の中に飛び込んで行って数分、煙を吐く四階建ての集合住宅を私とその女性は固唾を飲んで見守っていた。火の勢いは強く、すでに消防士たちは消火を諦めて他の家に火が飛び移らないよう対処している。火の勢いは強く、離れた場所にいる私も解けそうになるくらいだった。事実汗に偽装しているが、体が縮んでいくのを感じる。しかしここで逃げるのは人として駄目だ。
バタンッ
四階の窓が開く。そこには煤だらけになったウェインと女の子が見えた。二人の背後に炎が見える。
「大丈夫!!?」
大声で問いかける私にウェインは
「大丈夫だ! でも建物の中に戻れそうにない! 誰か下で受け止めてくれないか!?」
と答えた。私は周囲を見回す。みんな火事の延焼を阻止するために走り回っている。誰も手の空いている人はいない
ウェインの抱える女の子は八歳くらいだ。結構大きい。それが四階から落ちてくるとなれば大人一人では受けきれない。なにかクッションになるものはないかと辺りを見回すが、火種になりそうなものはすべて撤去されていた。役に立ちそうなものは何もない……
……そうだ、私はスライムだ。体を弾力のあるものに材質を変えれるし、普通の人以上のパワーがある。私なら受け止めれる。でも……
ドーーーーーン!
爆発音がして、二階の窓が吹き飛んだ。建物が揺れる。次に起きることが予感できた私は駆け出していた。
空から女の子が降ってきた。爆発の揺れで窓から飛び出たのだろう。見事に着地点にいた私は女の子を受け止めた。
衝撃で背中から地面にたたきつけられる。背中が液状化し体積を増してショックを逃がす。女の子は無傷で私の上に収まった。私は魔物とばれないように元の体に戻した。しかし熱の影響か、完全には戻らない。女の子は不思議そうに私を見ている。私は安心させようと微笑んだ。しかし女の子は笑わない。
女の子は顔に大きな火傷を負っていた。表情を動かすと痛むのだろう。ふと、公園でのことを思い出し、私は彼女の顔に手を当てた。私のスライムである体の一部が剥がれ女の子の顔にくっつく。くっついたスライムは徐々に女の子に同化していった。だんだん人間の肌のようになっていき、火傷による皮膚の傷は完全に治った。
形状を変えるのは他人にも使えるようだ。これで傷を治せるのだろう。しかし私はもう足を形成できなくなるくらい損傷していた。増量した胸も縮んでしまっている。熱で弱った体に衝撃を受け止めた上に、他人の治療までこなしたのが悪かったのかもしれない。
女の子の母親が駆け寄ってきて、私はバレる前に女の子を離して背中を押した。女の子が母親のもとにかけていく。その光景を見送ってから周囲を見回した。
「あっ……」
ウェインが私を見ていた。信じられないものを見る目で私を見ている。当然だ。今の私には下半身がないのだから。
「…………セレス」
「えっと、これは……」
逃げないと。考えろ。変形はまだ出来る。体積が足りないだけ。なら出来ることはある。
「セレス!」
私は体を猫に変形し走って逃げた。