三話 スライム令嬢と婚約者
翌日、私は応接室で婚約者の到着を今か今かと待ち構えていた。確かまだ街では脱走したミミックスライムを探していると言っていた。それの捜索に巻き込まれ、とばっちりで処刑される可能性が十分にある。
「……お嬢様、貧乏ゆすりはやめましょう。はしたないです」
「……はい」
コレットにたしなめられて、私は足の震えを止めた。しかし今度は手が震え始める。そんな私を見てコレットはため息をついた。
「どうしたのですかお嬢様。らしくないですよ」
「……武者震いよ」
そう武者震いだ。決してバレてその場で斬られたりするのではないかと怯えている訳ではない。大丈夫、大丈夫、大丈夫……
コンコン、
「はいっ?!」
私はビクッとして立ち上がった。私の声を入室の許可と判断したのかドアが開く。
扉から出てきたのはまさしく騎士そのものだった。すらりと伸びた背筋に見事に整えられた黒髪、そしてしわ一つない衣服。装飾過多な騎士の儀礼用制服にもかかわらずスマートな体型をしている。
整っているのは衣服だけではない。顔のパーツはあるべきところに納まり、高名な彫刻家のつくった傑作のようである。しかし彫刻のような無機質さは感じない。私をみる蒼い瞳は慈愛に満ちている。なんとなく優しそうなだ。
安心しかかった私は、あるものに気づいて思わず身震いした。サーベルを腰に佩いている。しかも見た目が悪くなるのも気にせず持ち手に滑り止めの包帯を巻いていた。おそらくアクセサリーではなく実戦用のガチのやつだ。絶対に殺し慣れてる。あの慈愛に満ちた瞳は相手を油断させるための営業スマイルなのだろう。荷馬車に死体を積んだまま門番と談笑できるようなサイコパスタイプに違いない。
「ひ、久しぶりね、ウェイン」
私は心底おびえながらも昔のように名前を呼んだ。そうだ、三年間文通した相手なのだ。いかに彼がサイコパス魔物キラーになっていても恐れることはない。
婚約者のウェインは私の幼馴染だ。代々騎士の家系で父親は一つの騎士団を率いているらしい。英才教育で幼少の頃から訓練をしていたウェインは生傷が絶えず、よく医務室に来ていた。そこで薬に興味があって医務室でたむろしていた私と話すようになったのだ。
最後にあったのは私が十歳の時に、二人で出かけた時だ。そこで私は事故に遭い、私は四年間意識不明だった。今から考えるとあの時の事故で私は死んで、復活に四年かかったのだろう。
目が覚めた時ウェインからの手紙が大量に溜まっていて、それからずっと文通している。その文通でウェインについてわかっていることはひとつ。私をオープンに愛しているということだ。
「久しぶりだね、セレス。体はもう大丈夫なのかい?」
「え、ええ。すっかり良くなったわ」
ぎこちない会話。その原因は空白の七年間もあれば、私のウェインへの怯えもある。だが最大の原因は別にあった。
「セレス、ずっと直接謝りたかったんだ。あの時は本当にすまなかった」
深々と頭を下げるウェインに私はため息をついた。あの時というのは最後にあった日のことだ。私が子供を助けるために魔物を引き付けたのだ。私が先に飛び込んで襲われたのを目の当たりにしたウェインが自責の念に駆られるのは仕方ない気もするが。
「気にしないでと言ってるでしょう? 別にあなたが悪いわけではないだから」
「だが僕は……」
「終わったことよ。私は気にしていないし。もうこの話はおしまい」
私はパンと手をたたいた。
「さ、つまらない過去のことは忘れて新しい話をしましょう? そろそろお互い新しい段階に進むべきよ。というわけで――」
「私たち、婚約を解消しましょう」
私の発言に場の空気が凍る。言った私も内心で心臓がバクバクしていたが、スライムなので表に出さずに済んでいる。こういう時に形状変化能力は便利だ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! お嬢様! いきなり何を言い出しているんですか!?」
なぜかクレスが食って掛かる。ウェインは相当ショックを受けているように見えた。
「考えたのよ。七年もあってない幼馴染ってほぼ他人じゃないかって。それにウェインはきっと私に気を使って婚約を続けている気がするの。意識不明の婚約者の幼馴染を捨てたら周りに何と言われるかわかったものじゃないでしょう? だから私から切り出したの」
本当はスライムだとバレたら殺されそうだからだ。騎士の妻ならきっとほかの騎士と会う機会も多い。王宮に行くなんてことがあれば絶対に検査される。何より結婚したら結婚式で教会に行かなければならない。神の家たる教会にどうやって魔物が入るとでもいうのか。
「ま、待ってくれ。僕はそんなつもりで婚約を続けているわけじゃない。君を心から愛しているからだ」
「七年もあってないのに私のどこが好きだっていうの?」
答えられるはずがないだろう。最後にあったのは十歳、辛うじて異性を意識するかしないかの瀬戸際程度の年齢だ。おままごとも同然である。
「優しいところと正義感があるところ」
ノータイムで即答したウェインに私は面食らった。
「ぐ、具体性がないわね」
「毎日怪我して医務室に来る僕を虐待の疑いがあるとして通報したのは優しさからだろうし、幼い子供のために身を投げ出したのはまさしく正義感の表れだ。それにさっきの婚約解消を切り出した理由も相手を思いやってのことだろうし」
「そもそも三年文通しておいてお互いのことを知らないというのは無理がありますね。めんどくさい女のノロケ自慢を見せられてる気分です」
コレットがにべもなく言う。このクソメイド、後で減給してやる。
「でも君が別れたいというなら僕は君の気持を尊重するよ。実際七年間あっていないのは確かだしね。お互い変わっているだろうし」
まさしくウェインのいうとおりだ。実際私はスライムになっているのだし。
とにかくこれは好機だ。ウェインには悪いがここで婚約を解消してもらおう。
「そ、そう? ありがとうウェイン。実は私好きな人がいてね……」
「ずぅーと屋敷に引きこもってたお嬢様が好きな人ですって? それは空想上の産物なのでは?」
「黙りなさいコレット」
私はコレットを小突いた。ウェインはその光景を見て笑っていた。
「そうだ、僕からも君に話があるんだ」
そういってウェインは私の前にひざまずいた。わけのわからない私は不思議そうに見守っているとウェインは小さな箱を取り出した。嫌な予感がする。ふたが開くと予感通りのものがそこにあった。
「セレス、君を愛している。結婚を前提に付き合ってくれ」
ウェインはさらに追加で婚約を申し込んできた。箱の中には指輪が光っている。宝石の大きさからして、公爵令嬢の私からみてもかなり高価なものだ。遊びで買うものじゃない
「お、おもしろいジョークね」
「婚約破棄とかいうおもしろジョークをかましたお嬢様には負けますよ」
「コレット、次に口を開いたら減給二ヶ月ね」
「ひぃ」
ようやく口をつぐんだコレットを無視してウェインが続ける。
「確かに君の言う通り七年間というのは大きな空白だ。本来なら今にでも結婚を申し込みたいくらいなんだが、ある程度お互いのことを知りなおす期間も必要だと思う。だからセレス、もう一度婚約してほしい。まっさらな状態からやり直そう」
「まっさらな状態なら婚約を申し込む理由がないと思うけど」
「君の美しさに一目ぼれした」
「……月並みな表現ね」
正直満更でもなかった私は思わず笑みがこぼれた。というか婚約破棄しないといけないのに不味い雰囲気だ。どうしよう。
でも本気で婚約をはねのける程、私はウェインに非情になれなかった。
※※※※※
これで今日はお開きという段になった。部屋を出て外に向かう途中、ウェインが口を開いた。
「そうだ。いまこのあたりに脱走したミミックスライムが潜伏しているのは知っているかい?」
私はぎくりとした。自分のことではないのに一瞬心臓が止まる。
「え、ええ。噂程度は知ってるわ」
「それなら話は早い。少しこの屋敷周辺を捜査させて欲しい。実をいうと君の家に行くと決まって上に調査するよう頼まれたんだ。君も近くに魔物が住んでいないと知れば安心できるだろうし」
にこやかな顔でそう提案したウェインに、私は凍り付いた。