二話 スライム令嬢誕生
誰かが来る! 私は急いでクローゼットに隠れた。手は震えている。なんなの? どうすればいいかわからない。それでも今見つかってしまうと大変なことになるというのは分かった。
キィ
誰かが部屋の中に入ってきた。私は息を潜めて耳をすませた。部屋の中に入ってきた誰かは、部屋を一周するように回っている。そして私のほうに向かってくる。私は通り過ぎることを祈った。足音が止まる。私はうずくまった。お願いだから見つけないで……!
そして、クローゼットが開いた。
………………
それからどれくらいの時間がたっただろう。クローゼットが開いたまま時間が過ぎる。しかし実際には数秒のことだった。誰かは静かにクローゼットを閉めた。私を中においたまま何もしていない。それからドアが開く音が聞こえ足音が去っていく。
…………どういうこと? 私は注意深くクローゼットのドアを開けて外にでた。部屋には誰もいない。確かにクローゼットが開いた。水槽の緑の光が差し込んできたのが見えた。しかし誰かは私を見つけられなかった。
私は振り返ってクローゼットを見た。そこで気づく。クローゼットじゃない。
「えっ……」
私が入っていたのは小さな薬品棚だった。キッチンにあるような食器を入れる棚のようなサイズである。17歳の私が入るには小さすぎる。四歳くらいの子供でやっと入れるくらいだろう。
そこである可能性に気づいた。スライム、寄生、擬態…………。人に化けたミミックスライムは変幻自在だという。私は周囲を見回してちょうどいいサイズのフラスコを見つけた。口の狭さからして私の手は骨を粉砕しない限り入らないだろう。その中に勢いよく手を突っ込んだ。
「うげぇ」
すっぽりと手がフラスコの中に入った。手はぬるりと形を変えフラスコいっぱいに広がった。しかもフラスコの色と同化して透明になっている。
「なるほどね」
おそらく私は薬品棚に体をぐにゃぐにゃにして入り、背景に擬態したのだろう。動かなければ触らない限り見つからない。そこでふと違和感に気づく。
「待って、私の服は?」
見下ろすとしっかり着ていた。それがおかしい。服は私の体の一部じゃない。本来は薬品棚に残ってないといけない。私は服を脱ごうと試みた。
「脱げない……」
私の体と完全に一体化している。確かスライムは相手を取り込むように捕食すると聞いたことがある。服を食べてそれを擬態により再構成したのだろう。ただしポケットの中にあった蓄光石はそのままだった。石はさすがに食べられないらしい。
「私は何者なんだろう……」
ため息とともにでた疑問に答えるものはいない。地下室はぞっとするほど静かだった。ここには長居したくない。私はドアのもとに向かいドアノブに触れる。
「あれ?」
開かない。しかし今の私には秘策がある。今の私はスライムだ。どんな形にもなれる。私はドアの隙間に手を突っ込んだ。そのまま鍵穴まで伸ばして手を鍵の代わりにすればいい。
「…………」
先に進まない。隙間を完全に密閉されている。ヤバい! 閉じ込められた!
ガタン!
「ひっ!」
とっさに音のしたほうを見ると小さな半透明の丸い物体が動いていた。スライムだ。よく見ると蓋の空いたからのビンが倒れていた。突然の魔物の出現に私は固まった。スライムはネズミくらいのサイズしかなく、排水溝に向かって這っている。そして排水溝にたどり着くと液体のように中に吸い込まれていった。
「……」
おそらくは唯一の出口だ。私は排水溝を覗き込んだ。長年掃除されてないせいかカビが生えている上にへんな薬剤がこびり付いている。いやだ。
「噓でしょ…………」
※※※※※
「おえぇぇえぇぇぇ!」
屋敷の裏手で小川から這い上がった私は盛大に戻した。これは排水溝で取り込んでしまった異物を取り出すためだけではない。本当に気分が悪かった。体を洗いたい。というか体の構成物をすべて入れ替えたい。私は水面に映る姿を確認した。見た目は地下に出た時の姿のままで汚れ一つない。とりあえず水のある所へ行こう。確か庭園に井戸があったはずだ。
薬で名高い我が家の庭園は非常に豪華なものだ。薔薇のような観賞用の花からハーブに薬草、果ては毒のあるトリカブトまでなんでもそろっている。今思うとそれもあの地下室での実験のためだったのかもしれない。
わたしは人目を避けながら庭にある井戸で体を洗った。そして服を再構成した。先ほどまでのドレスではなく運動用の簡単なものだ。
吐いたせいで体積がたりない。心と体を休めるためにベンチに腰掛けた。そして自らの手でハーブティーを入れる。心を癒す香りがあたりに広がった。私は一口飲もうとして、固まった。
「スライムって熱に弱いのよね…………」
今まで何も気にせず飲んでいたが急に怖くなる。熱で体が溶けたりしないかしら。お風呂は大丈夫だった。でもこれは沸騰直後の水だ。少し怖い。私は長々と迷った後、一気に飲み干した。
…………ぬるくなっていた。
そういえば屋敷で食べる食事もすべて薄味だった気がする。健康のためだといっていたがもしかするとスライムは香辛料などの刺激物に弱いからバレないように気を使っていたのかもしれない。だとすると私の正体はどのくらい知られているのだろう。メイドのコレットは知らなそうだ。家庭教師のヘクタは? お父様は間違いなく知っている。でも問いただすのは怖い。
「……お嬢様?」
「わっ! なに!?」
振り返るとコレットがいた。コレットは突然私のほうに走ってきた。身構える私に柔らかい衝撃が来た。
「あああぁぁぁぁぁ!! お嬢様! よくご無事で!! 旦那様が地下に入っちゃったときはどうしようかと!」
コレットに抱き着かれ、もみくちゃにされた。服も私の一部になっているので感覚がダイレクトに伝わる。なんだこの胸の大きさは。主人を馬鹿にしているのか。私は自分の未成長な胸を見て、コレットの減給を心にきめた。
「無事よ。離して頂戴」
思わず冷たい声が出た。
「ずびばぜん…………」
コレットは鼻水をぬぐいながら離れた。それを見て私は自分の服を確認する。鼻水はついていない。しかし、これが私の体内に吸収されたせいなのか、本当についていないのかは分からなかった。
……あとでお花を摘みに行こう。
「それにしてもどうやって外に出たのですか? 旦那様が出てきたときしっかり施錠されていましたよ?」
「…………秘密の抜け道があったのよ」
「へぇ~~!どこにあるんですか?」
コレットが輝いた目で見つめてくる。
「まあ…………うん…………いろいろね」
私はあの抜け道のことを思い出したくなかった。体を押し込むために多くの身体機能を簡略化したため、排水管の触り心地をフルに味わうハメになったのだ。ううっ、気持ち悪くなってきた。
「少し休みたいの。お風呂の準備をしてくれる?」
「了解しました!」
※※※※※
完全に清潔になった私はホクホク顔で脱衣所にでた。やはりスライムに湿度はいいようだ。体が瑞々しく感じる。脱衣所でコレットが待っていた。
「あれ? お嬢様、胸が大きくなってません?」
「そ、そう? まあ少し大きくなったのかも」
ふと思いついて少し大きく変形したらすぐにバレてしまった。次からは少しずつ盛ろう。
「そういえば服はどうしたんです? お洗濯しようと思ったらなかったんですけど」
コレットの質問にぎょっとする。そういえば服は私の体の一部なんだった。だから胸に回せる余分な肉があったのか。
「さあ? あなたがいない隙にほかのメイドが持って行ったんじゃない?」
「えぇ~? そんなことはないとおもうんだけどなぁ」
コレットが頬杖をつきながら考える。こういう時は下手に理由をいうと墓穴を掘ることになる。コレットは学はないけど勘は鋭いのだ。
「うーん。でも靴もないんですよねぇ~ おかしいと思いません?」
「た、たしかにそれは変ね」
「ま、ほかにたくさんあるし良しとしましょう」
私はコレットの持ってきた着替えに身を包んだ。今日は疲れた。自分の体のことは明日調べることにしよう。そう思い部屋に帰ろうとするとコレットに呼び止められた。
「そうだ、言い忘れていたんですけど旦那様がこれから出張で少し家を空けるそうです。明日に婚約者の方が来るっていうのに変な話ですよね」
「…………今なんて?」
「えっ? 旦那様が留守になるって……」
「違う、その後」
「明日婚約者の方が……」
「あ、あしたなの?」
「そうですよ。忘れたんですか? あんなに楽しみにしていたのに」
そうだった。会うのは明日だった! しかも――
「それにしても婚約者のウェイン様は前途有望な騎士様なんですよね。お嬢様と同い年なのに既に先輩騎士と一緒に魔物と戦っているそうですよ。今もこの前のミミックスライムの件で脱走したスライムを追いかけているとか――」
機嫌よく話すコレットと対照的に私の手は震えていた。どうしよう! 婚約者に魔物とバレたら絶対処刑される!