元カレ、犬、マンション、商業ビル、散歩、空、不快感
ちょっと印象深い夢を見たので。
なにかの仕事で引っ越ししてきてしばらく、貸家から商業ビルの2階部分を通り抜けて職場へ向かう毎日。貸家では4人が住んでいて、男女2人ずつ。同じ仕事の仲間。犬を1匹飼っている。朝は男子が手分け、夕方は女子が手分けして散歩している。私は女性で、もう一人の女性が散歩に行くときも着いていくことが多かった。特に散歩が好きというわけではなく、その子がよく変な人に絡まれるからだ。私も大概だが、彼女は明るく気の強い性格に見えて実際のところ気の弱いところがあるので、守るためにも一緒に散歩したり、私がお多めに引き受けていた。
いつものように犬を散歩している。公園にも寄る。私が散歩する時間帯は陽がちょうど落ちるくらいで、出るときは外が赤く、帰るときはすっかり夜、という時間帯。まだかろうじて明るい時間に公園につく。そこにはたまに、ある男性が来る。彼も犬を連れていて、散歩に来ているのがわかる。私達の犬も彼の犬も小型犬。犬種が一緒だったような違うような、とにかく似ている体格の犬だった。私は彼をよく目に留めていたが、私の犬は今日はじめて彼の犬を認識したらしい。キュンキュンと吠えてリードを引っ張る。「だめだよ」と私はリードを引き寄せて、こちらに気づいた彼に申し訳無さそうに頭を下げた。彼は少し笑って、こちらに近づいてきて、2つ並んだベンチの私の隣のベンチへ座った。
「こんばんは」
「どうも、すみません」
彼から挨拶されて私はだいぶどぎまぎしていた。犬たちは平和に挨拶を交わしている。私は私たちの犬が他の犬と社交できることに少し驚いていたが、それより、彼と関わってしまったことに複雑な思いをしていた。
私は昔付き合っていた恋人のことを引きずっており、彼はその元カレとよく似ているのだ。別にタイプというわけでもないのだが、その元カレだけは特別だったから、彼のこともよく目に留まったし、今こうして話すのも緊張していた。声も似ていたし、話し方も似ている気がした。
「うちの犬、ハナっていうんですけど。あんまり他の犬と交流したがらないからびっくりしました」
「そうなんですか…うちの子もそうですよ。上手に挨拶できるとは思わなくて」
上手に挨拶できないのはむしろ私の方だと思った。彼とはもう少し会話してその日は別れた。その日から、彼とはたまにあって、挨拶程度の会話をするようになった。散歩はいままでよりももっと請け負うことにしたのは言うまでもない。関わりたくない気持ちと、少しでも話してみたい気持ちでせめぎ合っていた。元カレというけど、なんというか、前世くらい昔に付き合っていたのか、私や彼の年齢と私の中での『昔』の感覚があっていなかったが、夢の中だしと思うし、数年前だったような気もした。
犬の散歩を請け負う回数が多くなれば同居の彼女にも私の様子がおかしいこともバレる。隠すようなことではないから、聞かれたので理由を話した。彼女は例の彼をみたいと言い出した。私は彼女が彼を、または彼が彼女を気に入るんじゃないかと思ったが、それもまた気持ちを切るにはいいのかもと思った。その日は二人で散歩に出た。3日くらい彼とは会ってなかったし、今日も出会えるとは限らなかった。
いつもの散歩ルートから公園に行くと、彼はもうベンチにいた。不便なので同居の彼女のことは明子とする。夢の中では名前は出なかったと思う。明子は、彼がそう?! と少し興奮気味に私の腕を叩いた。
そうだよ、と明子に言ったのとほぼ同じタイミングで、彼も私に気づいて手を振ってきた。私も会釈して、隣のベンチに座る。
「今日は二人なの?」
彼の顔を見ることができない。恥ずかしくてだ。そういえばずっと見てない気もする。
「ルームシェアしてるんです。犬の散歩も彼女と一緒か交代でやっていて」
「そうなんだ」
明子も、彼にこんにちはと挨拶する。彼もこんにちはと言った。
その時何を会話したかはもう覚えていない。すごく緊張したのはよく覚えている。
帰り道、明子は私に、彼はこうだったねああだったねとすごく喋ってきた。明子は明らかに私を応援する素振りだが、私は明子に大事なことを伝え忘れていた。
「彼とはあまりその…そこまで親しくなりたくないんだけど」
「え! なんで! だって彼って、本当にその元カレなんじゃないの?」
「違う…と思うし…わからないけど。でもそうだとしたら…私たちはうまくいかないと思うし」
なぜ『違うと思う』なのかそのときはわからなかった。とにかくその元カレと私は、付き合っていたときはうまくいかなかった。喧嘩をしていたとかそういうことではなく、愛の表現の仕方が違うみたいな感じだったと思う。要は私の愛が重いタイプだったと思う。夢の中の私は当時のことをあまり思い出したくないみたいだった。彼とは付き合う前の友達期間のほうがよかったと思っていたのは間違いない。
「そうかな。すごくうまくいきそうに見えたけど」
「『前』も…他の人にそう言われた。とにかく、犬の散歩で時々会う人、くらいで…そのうち会わないようにもしたいの。どうせこの仕事が終わればまた引っ越しだし」
「えー…。まあ、言ってることもわかるけど…。でも、初めてだね、そういう話してくれるの。元カレ引きずってるってのは聞いてたけどさ。本当に好きだったんだね。全然顔上げないじゃん」
言われて、私は思わず顔を上げた。
「すごく深刻そうな顔してるよ。私ももうあんまり引っ掻き回したりしないけど、でも…諦めなくてもいいと思うよ」
私は複雑な顔をしたと思う。実際複雑な気持ちがした。夢の中の私は、なにか人と深く関わりたくない理由があるんだなと思った。私は私の設定をまだ把握しきれていなかった。
毎日通る商業ビルには、数件ずつ両側に店が並んでいる形で、オレンジの古いタイルみたいな外装をしていて、私達が住む住宅街からそこに入ると、ビルの2階に入っていく形になる。ビルの出口は階段をおりてそのまま向こうの道路に出られる形で、半地下のような1階もある。1階にはカフェかファミレスみたいな飲食店、2階には服や雑貨の店が並んでいる感じだ。2階の通り道にある本屋にはたまに寄っていた。2階は24時間営業なのか夜中や明け方も開いていて、変な人もなぜか多い。私は元ヤンなのかなんなのか、変な人相手にはヤンキーみたいな口調で追い払っていた。その時、私の見た目がちょっとギャルぽいことにきづいた。髪は黒いけどちょっと派手目な感じ?というか、少なくとも地味でおとなしい感じではないようだった。今日はしつこく絡まれて、しかも男女一人ずつ計2人もからまれてげんなりしていた。時間帯は深夜。めずらしく遅い帰宅途中だった。こういう日は住宅街も変な空気だ。もう一人くらい絡まれてもおかしくないかもと思っていた。
急に背後に気配を感じて振り返ると、彼がいた。彼は急に振り向いた私に驚いたようだった。
「あ…びっくりさせた? 今帰りなの遅いね?」
「いえ…そちらもですか? 私はたまにこの時間になるので」
「ああ、俺も。女性がこの時間に帰るの怖くない? 仕事は仕方ないけど。タクシーとか使わないの?」
「別に平気なので…でも、今日はよく絡まれる日で。あの商業ビル通ってくるんですけど、たまに変な人いますよね」
私は笑ったが、彼は笑わなかった。そうこうしているうちに、彼が帰るマンションの前まできたので、じゃあまた、と私は言った。散歩の流れで彼がこのマンションに住んでいることは聞いていた。
「いや送るよ」
「え」
彼が歩き出すので、私は思わず立ち止まった。
「家知られたくない?」
ちょっと意地悪そうに言う口調は本当に元カレに本当によく似ている。私が何かを遠慮するときによくする口調だった。ちょっと泣きそうになった。
「いえ、悪いなと思って。大丈夫ですよ私は。あなたが…帰るの心配になりますし」
「なんだそれ」
彼は笑った。そんなに遠いの? と聞かれたので、10分くらい歩いたところです、すぐですと言ったら、じゃあなおさら送るよと言われた。私が迷っていると、彼は先に立って歩き出した。こうして一緒に歩くことになった。私はものすごく緊張していた。仕事の疲れも、絡まれたストレスも何処かへ行ったかのように、緊張と恋の不快感でつらかった。彼と歩いて話しているうちに、元カレとはぜんぜん違うことがわかっていくのに好きになっていくのがわかった。彼と彼とは同じかもしれないが違って、違うことで好きなんだとわかったのがつらかった。やっぱりあのとき話さなければと、口では犬や最近の天気の話をしているのに、心の中では後悔がぐるぐると回っていた。
しばらく歩いて、貸家の前まで来た。
「ここだったんだ。すぐ手前のあそこの家、友達の家だよ。たまに来るんだけど、気づかなかった」
貸家は路地の突き当りにあるのだが、手前に数件家があって、すぐとなりが彼の友人宅だったらしい。たしかにたまに宴会しているようだったが、彼もその中にいたのだろうか。
「結局送ってもらっちゃって、すみませんでした」
「いいよ。遅くなる日は連絡くれれば送るのに」
「いやいや、ほんとにたまになので…」
彼が私を見ているのがわかる。観察する目だ。私が何を考えているのか、観察してながめている。彼は『昔』もそうだった。私はこの目が苦手だった。私が暴かれたくないことも暴く目だから。
「あれっ、やっぱりいた?!」
玄関が開いて、男性の同居人がびっくりしていた。玄関に人の気配があるのを感じて開けたのだろう。
「ああ、ただいま。よく犬の散歩で会う人。送ってくれたの」
「そうなんだ?! 邪魔したかな?! 上がってもらえば?」
男性すごく気まずそうにあわあわしている。お兄さん的な親戚のおじさん的な雰囲気のやわらかい人で、見た目は同じ年くらいに見えるが、仕事内容ももうちょっと上の内容をする人という認識だった。
「ルームシェアって、男も一緒なの?」
彼は男性に挨拶をしたあと、私に聞いた。
「そうですよ。もう一人男性がいて、みんな同じ会社ですから。社宅みたいな感じです」
「そうなんだ」
明らかに戸惑っている声だった。これで少し距離が空いてくれればいいと思うのに、誤解されたくない気持ちが覗いてくる。
「あの…ありがとうございました。おやすみなさい。気をつけて帰ってくださいね」
断ち切るように私がいうと、そうだね、おやすみと彼も言って、帰っていった。私はその背中を見送って、角を曲がるまでと思って見ていた。曲がる直前彼は振り返って、手を降った。そういうところだ。今日は振り返らずに帰ると思ったのに。私もとっさに手を降って、彼が見えなくなったので玄関に入って扉を締めた。
「ほんとによかったの? ごめんねなんか」
男性がまだあわあわしていて、私は思わず笑った。と同時になぜか泣きそうになった。
「話してて帰るタイミングとれなかったからちょうどよかったよ。あの人も明日仕事だろうし、かえってよかった。ほんとに。そういや隣の家、お友達の家なんだってよ」
不自然な明るさの口調だとはわかっていたけど、もうこれ以上の平静さは自分に期待できなかった。男性も深くは聞かずに、部屋に戻る私をただ相槌うちながら見送ってくれた。
こんなことがあって、夢の中の私はどうやら普通の人間じゃなさそうということがわかった。もっと言えば、この家にいる4人というか、会社?全体がそうみたいだった。例の『彼』が元カレの来世なのかぜんぜん違う人なのかはよくわからなかったが、共通点や『私』の態度から多分来世的なやつなんだろうと思う。
彼とは私が望んだ通り、少し距離が空いた。今までは彼から距離を詰めてきていたが、距離は少し離れてそのまま保たれるようになった。といっても、彼は自分と距離を取りたがる人と距離を詰めるのが趣味みたいなところがあるから、と私は思っていた。私個人に興味があるわけではなく、誰に対してもそうなのだ、という認識。
その日は金曜の夜的な、カレンダーでいう休日の前日だった。私が彼のマンションを過ぎたあたりで、彼が出てくる気配がした。振り向かなくても何となく分かる、彼だなと思った。でもあえて振り向かなかった。彼も私に気づいたようだが、声をかけるつもりはないようだったから。私は背後に彼の気配を感じながら、タイミング悪いな、彼のことを考えないようにしていたのになと思った。
私が彼に興味をもつのは所詮元カレに似ているからで、彼にとって私は犬の散歩仲間くらいなんだから、いいから気にしないでさっさと忘れればいいのに、とぐるぐる考えながら歩いた。空はもう暗かったので、多少変な顔をしていても大丈夫だった。考えるなと言い聞かせるたびに彼のことを考えている自分が憎くてつらくて、ちょっと過呼吸になってきていた。彼は私の様子がおかしいことに気づいたのか、声をかけるか迷っているような雰囲気を感じた。私は声をかけられないようにちょっと歩みを早めた。ここまできて、彼は例の友達の家で宴会なんだと気づいて、そりゃ気まずかろうな、どこか寄ればよかったと気の利かない私に後悔した。スーパーは商業ビルより手前にいかないとないが、コンビニはマンションを過ぎたあとでもちょっと遠回りすればあるのに、コンビニに行く道は通り過ぎてしまった。もうずっと家まで一緒だ。
私は一度も振り向かずに家まで行き、ドアも振り向かずに締めて、それから座り込んだ。なんだか我慢してた何かが溢れたように泣き出してしまって、静かに泣いた。少し泣いて、涙を拭って、ダイニングへ続く扉をあけて、今日はつかれたからそのまま部屋に行くと告げて自室へ行った。リビングとダイニングとキッチンが一続きになった広い部屋から、各部屋へ続くドアがあるような感じの間取りで、今日は全員ダイニングに揃っていた。ちょうどご飯の前だったようだ。
「もうごはんできるよ、食べない?」
誰だったか忘れたが、一人が声をかけてくれた。今日はいいかな、先に寝たい、と私は言って、部屋に入った。ダイニングの方からはテレビの音が漏れ聞こえている。私は窓を開けた。ぬるい空気が抜けて気持ちがいい。ベッドに倒れ込んで、また少し泣いた。この世に未練がありすぎるなぁ、とつぶやいたので、私はやっぱり普通の人間じゃないのかな、と思った。
外から会話が聞こえてきて、そういえば私の部屋のすぐ向こうが例のお友達の家だったなと気づいた。そちらも窓を開けているらしく、盛り上がって声が大きくなったのか、内容まで聞こえてくる。何人かいるようだ。
――そういや俺最近油揚げハマってんだよ。
――なにそれ?
――いやお隣さんさ、4人住んでんだけど、みんなそれぞれ油揚げの得意料理があんの。
どうやら私達のことを話しているようだった。
――どういう意味?
彼の声だ。油揚げにハマっているのはおそらく隣家の家主だろう。
――たまにお隣さんと一緒に飯食うことあってさ。最近はないんだけど。髪の長い方のおねーちゃんはきつねうどんがうまいんだよ、ちゃんと出汁でおあげを煮て作っててさ、絶妙に甘しょっぱくてうまいんだ
――んん?!
この家の髪が長い方というのは私のことだ。彼は私について聞き出そうとしているようだったが、ちょっと嬉しかった。そういえば最近忙しくて作っていないな、と思う。引っ越してきて最初は仕事が少なかったのもあったし、世の中が大型連休だったのもあって、挨拶も兼ねてお隣さんをよく昼食に招いていた。気さくな人で、一度うちで夜に酒盛りしたこともあったはずだ。というか、私達4人って狐なのか? と今更思う。夢の中の私の設定を把握しきれていないせいで、少し混乱する。でも多分、私たちは人間じゃなくて妖怪的なやつなんだろうな、と思いながら彼らの話の盗み聞きを続けた。
――んで、黒髪のお兄さんはあれが本当に絶品で、金髪のにーちゃんはあれが上手で…
お隣さんは私達をよく気にしてくれていたみたいで、嬉しい。変な仕事(仕事の内容は夢に出なかったのでわからない)なのに仲良くしてくれるのはありがたいなと思った。
――特にショートヘアの女の子のさ、油揚げをのりみたいにコンロで焼くんだよ、でっかいやつ。ぱりっぱりになって、それにタルタルとか、食べるラー油とか、ああいうののせて食べるんだけど、ほんっっとにうまいんだよ、あれ家では再現できないんだよ~
私はふふふと声が漏れるくらい笑った。たしかにあれは美味しいし、彼女しか作れない。多分なにか特別な秘密がある。お隣さんは明子のことが気にっているようで、彼女の話ばかりだ。
――あーえっとさ、髪が長い方の子なんだけど。犬の散歩で結構会うんだよな~…
彼が私の話をしている。私はまたじわりと出る涙を枕でこすった。なんで私なんかの話をするんだろう。
――え、名前も知らないの? あ、でも…俺も知らないや。あれ? なんでだ?
お隣さんも不思議がっているが、たしかに私たちはあまり名乗らない。たぶんそれは、『私』が夢の中で名前を決めるのをめんどくさがっているからだ。
不思議な人たちだなぁ、みたいな感じで私達の話は一旦落ち着き、隣家の人は明子を、彼は私を好きなのかといじられながらたまに私達の話題が出るくらいで、学生時代の話や最近の仕事の話なんかをしてるようだった。私は彼らの会話をBGMに眠ってしまって、
その瞬間目が冷めて、現実だった。
実際にネタ時間は5時間半くらいなのに、何日も夢の中で過ぎていて、胸の痛みも涙の感触もあったのが印象的。
でも、泣くことは走ることみたいに、あまり夢では上手にできないみたいだった。