貴族の朝
今日の夢見はある意味で最悪だった。決して敵わないと思っていた、そして二度と会えないと思っていた奴が、ひょっこり夢枕に立ったのだ。
『彼女を頼んだよ、アドレイ』
行方知れずの親友の声が、起きてからも頭に響く。だが、いくら親友に彼女を頼んだと言われても、どうしようもない。そう、どうしようもないのだ。どこにいるのかも、何をしているのかも分からないあの子と再会するなど、夢でも叶わないのだから。……そもそも、姿を一切見せないでおいて頼みごとだけするのはどうかと思う。俺とて暇ではないし、というよりあいつを探すために割いている時間は決して少なくないのだから、夢で語りかけてくる暇があるならさっさと俺の前に出てきて釈明の一つでもしてほしい。
はあ、と自然に重い溜息を漏らせば、俺のカップに紅茶を注いでいた男から声がかかった。
「悩ましげな溜め息ですね。どうかなさいましたか?」
「いや、少し悪い夢を見ただけだ」
「ほう、さては想い人を他の男に盗ら」
「違うがそれ以上言ったら喉潰すぞゲイル」
「はは、おっかないお人だ」
俺のジト目にわざとらしく肩を竦めた眼鏡の男、ゲイル・ファーグは俺の執事だ。基本的に身近な人間の前では戯けた態度の男だが、外面は執事の鑑そのものであるためかなり人気があるらしい。その外面の良さ、いつかは崩してやりたいものだ。
ああ、ところで俺のことだが、俺はアドレイ・ディフ・ノーリス。伯爵家……の分家の長男である。分家とはいえ、本家同様に国の重役を代々務めていることに変わりはない。もっとも、跡を継ぐのは弟に任せて俺は勝手に軍人として戦場を駆け回るつもりなのだが。
「しかし、あなたがそのような夢を見られるとは珍しいですね。何かの予兆かもしれません」
例えば、彼らと再会する、とか。
そう言って笑ったこいつを殴る気になれないのは、ゲイルもあいつの友人だからだろう。俺と同じで、この執事もあいつに会いたがっているに違いなかった。その証拠に……。
「お元気なのでしょうか、ジル様は」
こんな物思いにふけるような声は、ジルの話をしている以外聞いたことがない。俺たちがこんなにも気にかけている「ジル」という男は、四年前に一家ごと失踪して以来音信不通となっている。今も俺たちのような知り合いの貴族たちによって捜索は続いているが、生存は絶望的と言われている。
まあ、そんなことを今考えても気分が暗くなるだけだ。
「さあな。まあ、会えたらその時は、心配させるなって一発殴るだけだ」
「アドレイ様は何でも暴力に訴えすぎですよ?」
「は? 馬鹿言うなよ殴るぞ」
「ほらあ」
まったく、主人に対してここまで軽薄な男は、俺が知る限りこいつしか知らない。話しやすいといえば聞こえはいいが正直なところムカつくことの方が多い。
「さて、主人の暴力性についてのお話は以上として、本日は一つ重要な予定がございますのでそちらのお話を」
「重要? 本家の方で何かあったか?」
「いえ、本家ではなく、王家より召集の命が下っています。グレイン王太子殿下がチェスの相手をご所望とかで」
「何も重要ではないだろう、それ」
この国の王子はこういう人なのだ。昔から「重大事項だ」と言いながら平気で俺に遊びの相手をさせる。俺も決して暇ではないから控えてほしいのだが。
「……夕方でいいかと訊いてこい」
「承知しました」
憂鬱な気分で始まった今日一日、どうやら俺に休む暇はないようだ。再び漏れそうになった溜息を紅茶を流し込むことでごまかし、ふと窓の外に目をやる。
今日の空は、いつになく青く輝いていた。