第34話 それでも俺は、祝いたい
スマホを頼りに高層マンションを出て駅へと向かう。
一週間という間にすっかり夏本番を迎えた日差しが、ジリジリと照り付けて鬱陶しい。
「ああ……あっっつい!!」
(なんだコレ!?日差しもヤバイし、道路やビルからの照り返しもヤバイ!風は熱くて喉が焼けそうだし、こんなところでオリンピックするとか、正気の沙汰じゃねーな!?)
俺は、死を感じた。
(外の世界は、こんなにも災いに満ちている……)
脳内で中二病が再発する程に、外の世界は過酷だった(というより、快適空間に馴染みすぎた俺の体は『外』への適応力が著しく退化していた)。
だらだらと額から滲む汗を拭いながら、咲月の用意してくれたアイスティーを飲み干す。
「夏の暑さ如きに、めげてる場合じゃない……!」
俺は最寄りの駅から都内の繫華街に向かう地下鉄に乗った。
外とは打って変わって冷房の効き過ぎた車内で、鳥肌の立った腕をさすりながらスマホの検索結果を漁る。
「ここにするか……」
目ぼしい店を見つけた俺は最寄り駅で下車して、目的地へと向かった。
今は平日の日中。営業の外回りなのか、背広を片手にせわしなく道行く人は皆、暑さとストレスで苦悶の表情を浮かべている。
(お、お疲れ様です……)
数年後の自分の姿を重ねて、俺は無言で労わりの視線を向ける。
そんな彼らを横目に俺は目的の店へと入り、お目当てのモノを手に入れた。
(よし、任務完了。これで……)
時計を見ると、まだ昼過ぎだ。
(思いのほか、早く済んだな)
「…………」
満足のいく朝食をたらふく食べてきたせいか、腹は減っていなかった。
(せっかくだし、もう一軒回ってみるか)
俺は再び電車に乗り込みスマホで検索をかける。気に入った店を見つけてそこに向かい、追加でいくつか購入した後、ふたりの待つ家へと戻る。その足取りは、俺がいままで経験したどんなものよりも軽かった。
◇
玄関の扉の前へ辿り着き、手荷物に注意しながらズボンのポケットからくまのキーホルダーがついた合鍵を取り出す。ガチャリ、と鍵を刺した瞬間、扉の奥からバタバタという足音が迫ってきた。
鍵を捻って抜くや否や、目の前の扉がバンッ!と勢いよく開く。
「――っ!」
あまりの勢いにびっくりして目を見開くと、そこには息を切らしてドアノブを握る咲夜がいた。
「はッ、はぁ……お、おかえりなさい!哲也君……」
(……ここまで走ってきたのか?運動苦手なくせに、頑張っちゃってまぁ……)
「た、ただいま……?」
「ふふ、おかえり!」
そう言って、ぎゅーっと抱き着く咲夜。両手に荷物を抱えた俺は、万歳の状態で為すすべなくそれを受け入れる。
「咲夜、『おかえり』二回目だぞ?」
「いいの!帰ってきてくれて嬉しいんだもん。何回でも言わせてよ?」
「はいはい」
勢いに圧倒されたまま玄関に足を踏み入れると、そこらじゅうに、嗅いだだけでも『ご馳走』だとわかるいい匂いが充満していた。
「おお……!」
思わず感嘆の声を漏らすと、廊下の奥からパタパタとスリッパを鳴らして咲月が姿をあらわした。
「おかえりー……わっ、凄い荷物。そんなに何買ってきたの?」
「内緒。開けてみるまでのお楽しみだ」
「「……??」」
「さ、腹減ったからもう夕飯にしようぜ?」
俺は不思議そうに首をかしげる双子の背を押すようにしてリビングに向かう。
咲月に『お昼食べてないの?』と聞かれたが、結局昼飯は食べていなかった。だって、どれもこれもなんだかイマイチに見えてしまったからだ。それは、外が暑くて食欲が無かったとか、きっとそんなことではないんだと思う。
俺たちは三人で夕飯の準備をしていった。大きな食卓には、咲月シェフお手製のローストビーフに、ポテトサラダ。鶏肉のハーブ焼きに、ミニグラタン、コーンスープ……とその他にもおよそ食べきれないくらいのご馳走が所狭しと並べられていく。
「おお!まごうことなきご馳走……!見てるだけでも腹いっぱいになりそうな……」
「凄いよね~!ほんと、何品あるんだろ?咲月ってばプロになれちゃうよ!」
「別にそんな……今日はバイトも大学も無かったから、時間をかければこんなものよ」
「いやいや、プロだろ」
「プロだね」
「もう、大袈裟。そんなこと言って、お姉ちゃんも今日はポテトサラダ作ってくれたじゃない?」
「えっ……これを、咲夜が?」
驚きに目を丸くすると、咲夜はどこか自慢げにたゆんと胸を張る。
「潰し、ました……!」
「――適度に、ね?お姉ちゃんは力が無いから、どんなに頑張ってもやり過ぎにならなくて丁度いいのよ?」
くすくすと口元に手を当てて笑う咲月。さすがは双子。お互いの適材適所は熟知しているようだ。その様子に、思わず口元がほころぶ。
「ふたりとも、ありがとう」
気がつけば、俺の口からはそんな言葉が漏れ出ていた。だが、意図せずに漏れた台詞も今は好都合。俺はそのままの勢いでふたりにゆっくりと告げた。買ってきた荷物の中から小さな包みを取り出しながら。
「そして――誕生日、おめでとう」
「「――――っ!?」」
揃いの色をしたふたりの瞳が、大きく見開かれる。
「……なんだよ、覚えてなかったのか?」
とは言いつつも、そんなわけがないことを俺は知っていた。
咲月の部屋でカレンダーを見たとき、今日の日付には確かに丸がついていた。だが、日が近づいても一向に用意される気配がない誕生日ケーキ。ふたりとも甘いものが好きで、料理が好きな咲月がいながら、どこかおかしいその様子が俺は気になった。
それで、なんとなく気づいてしまったのだ。
ひょっとして、ふたりにとって『誕生日』は、『手放しで喜べるものじゃない』のではないか――と。
ふたりの驚きようを見る限り、どうやらそれはアタリだったようだ。
俺は慎重に言葉を選びながら話を続ける。
「お前たちが、小さなころに色々あったのは知ってる。咲夜が、『俺以外に生きがいを感じていない』っていうことも……」
「「…………」」
「天ちゃん、俺には聞いておいて、結局最後まで自分の誕生日は教えてくれなかったよな?『女の子はだれでも秘密を持ってるの』とかはぐらかして……」
「あ――」
「お前たちに色んなことがあって、その結果、何をどう感じたのかまでは俺にはわからない。けど――」
「「…………」」
「少なくとも俺は、お前らの――咲夜と咲月の誕生日を『祝いたい』と思う程度には、生きてて欲しいと思ってるよ」
「「――っ!」」
俺が最後まで言い切ると、ふたりは揃って泣き出した。俺はプレゼントをテーブルの端に置くと、その頭を抱えるようにしてふたりを抱き寄せ、ぽすぽすと頭を撫でる。
肩を震わせて嗚咽を漏らす、悲しみか喜びかわからない波が落ち着くと、咲月がぽそりと口を開いた。
「私……お姉ちゃんが病院にいるのに、ひとりだけ学校で『おめでとう』って言われるのがキライだった……心が苦しくて、耐えられなくて……気がついたら誕生日が来るのがこわくなってたの……」
咲月の告白に驚いたような表情の咲夜。俺の胸元ですすり泣く咲月の手をぎゅっと握ると、咲月に続くように口を開く。
「ごめん……それ、きっとわたしのせいだ」
「違う!お姉ちゃんのせいじゃない!私が勝手にこわがってただけで――そんなつもりで言ったんじゃなくて……!」
「ううん、わたしのせいだよ。だって……中学にあがってからも、誕生日はふたりとも外で過ごしてたでしょ?家で鉢合わせないように、夜遅くに家に帰ってきたり……『なかったこと』にしてたよね?」
「…………」
「それをし始めたのは、確かわたしだった……」
(咲夜……)
「わたし達の誕生日は、何の因果か両親の結婚記念日と同じ日だった。この日が近づくにつれて不機嫌になるお父さんとお爺様の様子に耐えかねて、わたしが家出したのがきっかけだよね?」
「え――?」
「…………」
言葉を返せない俺と咲月をよそに、咲夜は静かに語りだす。
「病気がよくなって中学に通えるようになってからも、わたしはあんまり学校に馴染めなかった。咲月以外に仲良く話せる子はあまりいなくて、その割にはこの見た目のせいで人からよく話しかけられて。居心地、よくなかったの……」
「「…………」」
「だから、どうしても学校が嫌な日は昔みたいに病院に行ってサボってた。病気はキライだったけど、病院のお医者さんや看護師さんの中には、親切で良いひともいたから。アフターメンタルケア?っていうのかな?そんなのを理由にして、わたしは時々家や学校から逃げてたの」
「お姉ちゃん……」
「なんか知らないけど、典ちゃんは裏口の鍵を持ってて、いつもこっそり空いてる病室教えてくれたし。わたしはそこで本を読んだり、勉強して過ごしてた。看護師さんの人たちはわからないところがあると皆得意げに教えてくれて、今思えば、それはそれで楽しかったのかも。でも――」
黙って耳を傾ける俺の胸に、咲夜はこつんと頭をくっつける。
「だからって、いくら『自分の誕生日』がキライだからって……家出して、咲月の誕生日まで『なかったこと』にするのは、わたしがバカだった……」
咲夜はそう言うと、顔を上げてしっかりと咲月を見据える。
「ごめんね。咲月」
「そんな、こっちこそ……」
「ねぇ、これからは、一緒に『お祝い』してもいいかな……?」
「――!」
その言葉に、咲月はまた泣き出した。今度は俺でなく咲夜の胸に縋り付いて、鼻水を啜る。
「――うん、うん……!一緒にお祝いしよう?今までできなかった分、私、美味しい料理もケーキも沢山作るから……!」
「ふふ、ありがとう。でも、これ以上作っても食べられないよ?」
「――だな」
俺と咲夜はそろってテーブルに並んだご馳走に目を向けた。そして、ふたりして咲月に手を差し伸べる。
「「さぁ、一緒に乾杯しよう?咲月――」」
「そう思って、シャンパン買ってきたぞ?」
「うん……!」
俺たちは席に着き、三人揃って手を合わせる。
そして、いつものように口をそろえた。
「「「いただきます!」」」




