第23話 事態の急変
「うわあっ、大司祭様っ!」
目が眩んで確認できないが、回廊の向こう側からも悲鳴があがったところをみると、時を同じくして別の騒ぎが起こったようだ。
(う……、ううう……)
どこからともなく、低いうなり声が聞こえてくる。
(ななな、何が起こってるの? いままで血を見ずに彼が出てくることなんてなかったのに……!)
どうやら、麗しの薔薇でさえもこういうことになった原因がわからないようだ。
「えっ? い、石が……!」
ポケットの中の石が激しく震えだし、ポケットの生地を突き破らんばかりに浮き上がっている。
どこかに飛んで行きたいんじゃ……?
よく分からないながらも、なんとなく外へ出たがっている気がした私は、ポケットから石を取り出した。
すると、びゅんっと音が鳴りそうな勢いで石が中庭の方へ飛んで行ってしまう。
ガキィィィン……!
石が飛んで行った方向を目で追う間もなく、何かがぶつかり合ったような音が鳴り響いた。
気が付くと、いつの間にか目を開けていられないほどの眩しさは収まり、薄暗かった回廊をほんのりと優しい光が照らしていた。
この光はどこから……?
ぐるりと見回すと、中庭の花壇の上に一回り大きくなった石がふわりと浮かんでいるのが見えた。
「もしかすると……、呪いの石の片割れが見つかったんじゃ……?」
私は誰に言うともなくポツリと言った。
「石が……浮いている?」
リュシアンの呆然とした声が聞こえるが、私は石から目を離すことが出来ずにいた。
なぜなら……、大きなお腹を抱えた女性と、その人を抱きしめる男性の透き通った姿が浮かび上がっているのが見えたからだ。
男性の方が私を見て御礼を言うように微笑んだかと思うと、2人はだんだんと石から遠ざかり、天に昇って行くかのようにスーッと消えてしまった。
「2人は今やっと天国へ行けたんだわ……」
私は夫婦が数百年の時を経て再会できた感動に胸がいっぱいになり、涙が溢れてきてしまった。
「天国?」
「呪いの石の片割れはここにいたのよ。奥様の方もご主人を探して天国へ行けなかったのかもしれないわね……」
「そうだったのか……」
花壇の中にポトンと落ちた2人の石を、私たちは万感の思いを込めてじっと見つめた。
「お前は……! なぜ、なぜ生きているッ!」
耳をつんざくような場違いな絶叫が私たちの感動を打ち破った。
声の主を見ると、お供を連れて歩いていた大司教が蒼白な顔でわめいている。
衣裳が破れているところを見ると、呪いの石の片割れを所持していたのは大司教だったらしい。
「お前はさっき殺した筈……! おのれ、ラインハルト!」
急に何を言い出したの……?
はっ、そういえば、呪いの石は精神をおかしくするんじゃなかっただろうか?
私たちが河原で盗賊に襲われた時、呪いの石の邪気に当てられた盗賊がおかしくなっていた。
そんな石を、結界の魔法具も持たずに長年持ち続けていたら……?
「リュシアン! ラインハルトさんが危険だわ! 早く助けに行かなければ!」
「よし! 国王陛下、案内をお願いします!」
「う、うむ。誰か、大司教を捕えよ!」
国王は足早にラインハルトさんの部屋へ向かいながらも、大司教を捕えるよう周りの者へ命令するのを忘れなかった。
「この部屋だ。ラインハルト!」
国王はノックもせずにいきなりバアンと部屋の扉を開け放った。
「きゃあっ!」
中で看病をしていた侍女から悲鳴があがる。
「ラインハルトは無事か!」
「へ、陛下!? ラインハルト様はお休み中でございますが、何かございましたでしょうか?」
部屋に乱入して来た一団が国王だと分かり、侍女は気持ちを落ち着かせるように胸に手を当てながら返事をした。
「大司教が訪ねて来なかったか?」
「は、はい。先ほどお見えになられましたが、お休み中だと申し上げると、祈りを捧げご聖体を置いてお帰りになりました。ラインハルト様が目を覚ましたら必ずご聖体を差し上げるようにと……」
侍女はそう言って、傍らのテーブルに乗っているご聖体を指し示した。
必ずご聖体を差し上げるように!?
怪しい!
「きっとそれです! 毒が混ぜてあるのではないでしょうか」
「ど、毒……! ご聖体に……」
ご聖体とは小さな円状のウエハースのようなもので、祈りの後に食すと決められているものだ。
まさか聖職者から渡されるご聖体に毒が仕込んであるとは、誰も考えもしなかったのだろう。
「失礼。これは私が預かります」
執務室の外で待機していた筈のボーデン伯がいつの間にか私たちの背後にいた。
ご聖体をハンカチで包み、部下らしい男の人に何かを指示している。
「ライン……! ラインハルト! 目を覚ましてくれ……! ラインハルト!」
まだご聖体を食べる前だったとはいえ、おそらくは今までに何度も毒を盛られていたのだろう。
国王は悲痛な声でラインハルトさんの名前を呼んだ。
「ラインハルト!」
「ラインハルトさん!」
私たちも、国王と一緒になって何度もラインハルトさんの名前を呼んだ。
「ん……、父上……?」
「ラインハルト!」
「不思議な夢を見ました……。見知らぬ男女が、こちらへ来ては行けない、名前を呼ぶ声がする方へ戻れと言うのです。戻る途中、決して振り向いてはいけないと……」
それは……、おそらく呪いの石に宿っていた2人だろう。
正気に戻った奥様が、せめてラインハルトさんだけでも助けたいと願ったのではないだろうか。
「ラインハルト……。信じがたいことが分かった。お前は、大司教に毒を盛られていたようなのだ」
「だ、大司教に……? なぜそんな」
「あのう……、お話し中失礼いたします。もしよろしければ、呪いの石について私の知る限りのことをご説明させていただきます」
私は出来る限りの事情説明を申し出た。
「えっ……、私がいる……?」
私が声をかけたことで、私の隣にいるリュシアンの存在に気が付いたラインハルトさんが目を丸くしている。
兄妹の説明については国王にお任せするとして、私の方の話を始めてしまおう。
「呪いの石とは、大きなサファイアの原石のことです。遠い昔、その原石を見つけた夫婦は1つの石を2つに割ってそれぞれ所持していました。ところが、ある強欲な領主にその石を見られたせいで、濡れ衣を着せられた上惨殺されてしまったのです。そして2人の魂は、天へ昇ることも出来ずにそれぞれの石にとどまり続け、呪いの石となってしまいました」
「なんと……。その呪いの石がなぜ王家に災いを?」
国王は呪いの石の身の上に同情する気持ちも少しはあるようだったが、なぜ無関係の自分たちが呪いを受けなければならないのかと不満そうな様子だ。
「呪いの石の片割れは、大司教が所持していました。おそらくは呪いの石の影響で大司教の精神が蝕まれ、このような事件を起こしたのだとは思いますが、なぜ王家を狙ったのかまでは私には分かりません」
「そうか……。動機は本人を取り調べればいずれは分かるだろう」
私に出来る説明はここまでだ。
それに、ラインハルトさんは呪いの石よりもリュシアンのことが気になるようで、さっきからずっと視線を外せないでいる。
「父上……、大司教が私を殺そうとしていたことは分かりましたが、その男は誰なのです?」
一向にリュシアンを紹介しようとしない国王にしびれを切らしたラインハルトさんが尋ねた。
「ラインハルト……。お前の弟を紹介しよう。お前の双子の弟、レオンハルトだ」
「お、弟!? 私に弟がいたのですか?」
ラインハルトさんは仰天するあまり、ベッドの上でガバリと身を起こした。
「ラインハルト、体は大丈夫なのか?」
「えっ? ……そういえば、不思議なことに体が軽くなったような気がします」
言われるまで自分でも気づかなかったらしく、ラインハルトさんは確かめるようにベッドの上でもぞもぞと体を動かし始めた。
「おお、ラインハルト! 我が息子よ!」
見違えるように元気になったことを喜んで、国王はガバリと息子を抱きしめるが、息子の方は若干迷惑そうな表情である。
「よかったわね……」
「そうだな」
私とリュシアンは微笑ましい親子の様子に、自然と笑みがこぼれるのだった。




