第17話 森の中のおじいさん
「あと1時間くらいで日が落ちてしまうな。そろそろ次の町へ着けるといいが……」
ヴァインロート伯爵領を出て数日が経った頃、昼過ぎにとある町を出発した私たちは、なかなか次の町にたどり着けずにいた。
街道をまっすぐ進んでいたのだから、道さえ外れなければ宿場町がいくつもある筈なのに……。
悪いことに、日没までもう時間がない。
「地図には次の町が書いてある?」
「いや、地図には大きな町しか載っていないんだよ。実際には街道沿いに宿場町がいくつもあるが、地図には書いてないことが多いんだ」
縮尺の関係で、すべての町を1枚の地図に収めるのは困難なのだろう。
「道を間違えたのかしら?」
(そうよ、どう見ても間違えたわよ。だって人通りがぜんぜんないもの)
「うーん……。人に尋ねようにも、誰にもすれ違わないな。こうも人気がないんじゃ、本当に道を間違えたのかもしれない」
「今日は野宿かしら……?」
人生初の野宿!
ちょっとワクワクしてしまう。
「野宿は最後の手段だけどな……。せめて農家でもあれば、納屋に泊めてもらえるが……」
「じゃあ、どうにもならなくなるまで悪あがきしましょうか。時間切れになるまで飛ばしましょう!」
「そうだな、行こう!」
(えっ、引き返す選択肢はないの!? もー、なんなの、この子達!)
ブツブツと小言をいう麗しの薔薇のことは、今は気にしないことにする。
私たちには相手をしている暇はないのだ。
引き返すことなく先へ進んだ私たちは、完全に暗くなる一歩手前のところで、前方に明かりを発見することが出来た。
「リュシアン! あれを見て、明かりよ!」
「助かった! あの家に泊めてもらえるか聞いてみよう」
まるで私たちを導くかのような明るい光に、私は胸を弾ませながら馬を走らせた。
近くに行くと、明かりの元は大きな木の根元に張り付くように建てられた山小屋だということがわかった。
厩を兼ねているらしい家畜小屋には、馬、山羊、鶏などの姿もある。
「ちょっと聞いてくるから、エルはここで待っててくれ」
「わかったわ」
リュシアンはそういって私に手綱を渡すと、1人で山小屋の戸口に立った。
「こんばんは!」
コンコンとノックをしながら、リュシアンは家の中の人物に声をかける。
「誰かいませんか!」
返事がないところを見ると、どうやら留守のようだ。
だけど、火を付けたままそう遠くへ行くとも思えない。
「誰かな?」
思いも寄らぬ方向から声をかけられ、私はビクッと体を撥ねさせた。
「ひゃっ!」
慌てて後ろを振り向くと、手に棒のようなものを持った60代くらいのおじいさんがいた。
おじいさんとは言っても、背が高く体つきも逞しいので、髪が真っ白でさえなければ50代くらいにも見える。
「女の子かね? こんなところで何を?」
「あっ、あの! 突然すみません。実は私たち、道に迷ってしまったみたいで……」
私はしどろもどろになりながら懸命に状況を説明した。
「ああ、玄関先にいるのがあんたの兄さんかね。子ども二人で暗い森の中にいては危ないぞ。今日はうちに泊まっていくといい」
「ありがとうございます! リュシアン! 今日、泊めてくれるって!」
私がリュシアンに声をかけると、リュシアンは振り向いて驚いた顔をした。
そして足早に私たちの元へやってくると、おじいさんへ挨拶をした。
「夜分に突然押しかけてすみません。どうも道にーー」
「ああ、事情はあんたの妹さんに聞いたよ。今日は泊まっていきなさい」
「ご親切にありがとうございます。助かります」
そして私たちは家畜小屋の端に馬を繋がせてもらうと、家の中へと入った。
玄関をくぐるとすぐに大きな暖炉が目に飛び込んでくる。
どうやら私たちはこの暖炉の火に導かれてここまで辿り着いたようだ。
扉を閉めようと何気なく後ろを振り向くと、扉のすぐ横の壁に立派な鞘に収められた剣がかかっていることに気が付いた。
それに、おじいさんが壁に立てかけた棒は、よく見ると細やかな装飾が施された高価そうな槍だった。
こんな人里はなれた寂しい場所に1人で住むおじいさんが、どうしてこんな武器を持っているのだろうと私は少し訝しく思った。
「それで、あんたたちは、どこに行くつもりだったのかね?」
先導していたおじいさんは、振り返って私たちを見た。
「はい。王都フリューゲルを目指していたのですが、一本道なのになぜか迷ってしまったようです」
「ははあ。おそらく、前の町を出るときに道を間違えたね。この道は旧街道で、20年ほど前に新しい道が出来てからはほとんど人通りがなくなってしまったんだよ」
まさかの旧街道!?
前の町を出るときから道を間違えていたなんて信じられない!
「そうだったのですか……。いや、まいったな。この道からでも王都へ行けるのでしょうか?」
「野宿でもいいなら、このまま進んでも行けることは行けるがね。何日も野宿じゃあ妹さんには辛いだろう。まっすぐ2時間ほど馬を走らせると、左に曲がる道がある。そこを曲がって5~6時間ほどで新街道沿いの町に出られるよ」
新街道と旧街道はだいぶ距離があるようだけど、7~8時間で新街道に戻れるならまだ傷は浅い。
これくらいの寄り道は仕方がないと諦めよう。
「それはよかった! 2時間進んで左ですね」
「ーー君は……。懐かしい誰かを思い出させるね……」
おじいさんはリュシアンの顔をまじまじと覗き込んだかと思うと、次の瞬間にはどこか遠くを見つめるような目になった。
急にどうしたんだろう?
私はおじいさんの態度にとまどいながらも、会話の糸口を探した。
「おじいさんはお1人でこちらにお住まいなのですか?」
私はとりあえず、無難なことを尋ねてみた。
本当はどうして武器を持っているんですかと聞いてみたいけど、いきなりそんなことを聞くのは失礼だろう。
「ああ……。かれこれ21年近く……。ここに1人で住んでいるよ」
「まあ、21年もお1人で……。ご家族は?」
「妻も子も亡くなってしまってね……。私は弔いのためにここに移り住んだのだ」
おじいさんは悔やむような表情で目を閉じた。
昔を思い出したのか、優しげな口調だったのが、いつの間にかどこか堅苦しい話し方に変わっていた。
「私の失策のために尊い命が犠牲になった……。悔やんでも悔やみきれんよ。今でも事あるごとに考えてしまうのだ。あの時ああすればよかった、こうすればよかったと」
「あの……。何があったか分かりませんが、よかったら私たちに話してくれませんか? 私たちは他国の人間でこの国には知り合いもいませんので、私たちから話が漏れることは心配無用です。それに、人に話すことで気持ちが軽くなるということもありますから」
おじいさんの話が気になった私は、詳しく話してくれるよう水を向けてみた。
なんとなくだけど、おじいさんは誰かに自分の罪を告白し、許されたいと思っているのではないかと感じたのだ。
「そうだな……。21年も経つ今となっては、気にする者もおるまい」
話しながら、おじいさんは暖炉近くにおかれたダイニングテーブルに座り、手振りで私たちにも椅子を勧めた。
おじいさんに続いて私たちも、向かい側の席に並んで腰を下ろす。
「ーー実は、私は……。20年前まではクラールハイト侯爵と呼ばれ、騎士団長としてフリューリング王家に仕えていたのだ」




