第15話 麗しの薔薇の本名
(さあ、ボヤボヤしてる時間はないのよ! 男性陣が帰ってくる前に売り物を考えないと)
それもそうだ。
屋台で売る物がなければ商売にならない。
(このみるくママの料理の腕前に惚れて、ウチの店は開店前から行列が出来るほどだったんだから! あ~、久しぶりの料理~、腕がなるわぁ~)
「ミルクママ? それが麗しの薔薇の本名なんですか? 聞いたことがないお名前ですけど、どのような意味が?」
(あっ! ああー……、ついポロッと言っちゃったわ……。アタシ、ここでは麗しの薔薇だったのに)
ここで食い下がらないと誤魔化されそう!
教えてください!
「どんな意味なんですか?」
(……ミルクはまあ、お乳よね)
「お乳」
(ママはお母さんよ)
「お乳と、お母さん……。つまり、ミルクママは”母乳”という意味なんですか? ずいぶん個性的なお名前なんですね……」
まさか過ぎる名前にちょっとびっくりしたけど、そんな名前だったなら”麗しの薔薇”と呼ばれたがる気持ちも理解できる。
自分の名前が”母乳”だなんて、辛すぎる人生だ。
(母乳じゃないのよ! ママは”店主”って言う意味でもあるの! アタシのお店での名前がみるくママなのよ)
「なるほどー。店主という意味なんですか。そっちの意味のほうがややマシですね」
(マシってなによ、失礼しちゃう!)
麗しの薔薇は、生きていたときはお店の経営者だったんだ。
それは頼もしいな、新しい屋台も大成功しそうな気がしてきた!
「あの……、あんた頭大丈夫なの?」
はっ、ついつい麗しの薔薇と話し込んでしまった。
こんなことではアンナに頭がおかしいと思われてしまう!
(まったく! さっさとこの国で安く買える材料は何か聞いてちょうだい)
「えーと、アンナさん。この国で安く買える材料は何でしょうか? やっぱりお肉ですか?」
「生肉は高いわよ。ソーセージなら少しは安いけど、ソーセージや串肉の屋台はもうたくさんあるわ」
お肉は高いのか。
ベルンさん、丸ごと一羽差し入れるなんて太っ腹なんだな。
「お肉がダメなら、野菜は?」
「じゃがいもや玉ねぎや豆は安いけど、みんな毎日のように食べてるし、お金を払って買う人がいるとは思えないけど」
(じゃがいも。あらっ、アタシのお気に入りの食材よ! じゃがいもがあれば結構いろいろ出来るわよ。コロッケとか、ポテサラとか、フライドポテトとか、ジャーマンポテトもいいわね。豆が安いなら、ジャケットポテトにチリコンカルネを乗せてもいいんじゃないかしら)
ちょちょちょ、ちょっと待ってください!
聞いたこともないメニューをつらつらと言い募る麗しの薔薇に、私の脳がとても追いつきません。
「あのー、じゃがいも料理の屋台に決定する模様です」
「模様ですって……、決めるのは自分でしょ?」
つい他人事のような言い方になってしまったけど、麗しの薔薇の存在を知らない人は不審に思うよね……。
「ええ、まあ、そうですね……。えーと、商売が初めてなら、一番簡単な物がいいと思います」
さりげなく一番作り方が簡単なメニューを推してみる。
あんまり難しい説明されても、私うまく伝えられませんからね?
(うーん、そうねえ。フライドポテトは切って油で揚げるだけだけど、揚げ物は危ないし失敗するかもしれないわよね。揚げ物以外で簡単なものというと、ポテサラかしらね)
「ぽて皿」
どんなお皿?
(ポテトサラダのことよ。茹でたじゃがいもを潰して、きゅうりやハムやにんじんを混ぜてマヨネーズで合えるの。失敗のしようがないくらい簡単よ)
「まよねーず」
え、それは食べ物なんですか?
(その反応……。もしかして、マヨネーズがないのかしら? まあ、生卵は危ないものね。サルモネラ菌には気をつけないと)
「猿もねら金」
急に金属が出てきた!?
あ、もしかして、麗しの薔薇の国の方言では、”もねら”は”~状の”という意味があるのかもしれない。
つまり、猿状の金属……!?
ますます意味不明だ……。
「ちょっとあんた大丈夫なの? さっきから1人でブツブツ言って怖いんだけど……」
「えっ、ええ、大丈夫です! 考え事をしてるとつい独り言を言ってしまう性質なのです」
(決めたわ! マヨなしポテサラに決定! パンに挟めばサンドイッチになるし、惣菜パンは昼時にちょうどいいわよ)
ああっ、何かに決まったことは分かったけど、商品名がよく聞き取れなかった!
確か、こんな感じだったような……。
「ポテトサラダに迷いなし。パンに挟んで昼時に売るべきかな」
(字あまり……、ってアンタ! 全然違うじゃないの! 一句詠んでる場合じゃないのよ)
だって……、全部は無理でした。
「わーっ、予言みたい!」
「かっこいい!」
「よげん、よげん」
麗しの薔薇には怒られてしまったものの、アンナの弟達は気に入ったようで大喜びしている。
(まあいいわ。早速作ってみましょ。子どもらにお使い頼んで。じゃがいもと卵とハムときゅうりでいいわ。あとはオリーブオイルとお酢と塩も必要よ。調味料もなければそれも買ってきて)
「はい。みんな、お使いに行ってきてくれる? じゃがいもと、卵と、ハムと、きゅうり。それから、お塩と……」
なんだっけ?
(オリーブオイルとお酢よ)
そうでしたそうでした。
「オリーブオイルとお酢ーー。どうしたの、みんな?」
心なしか子ども達の顔がしょんぼりしているように見える。
たくさん言ってしまったから、憶えられなかったのだろうか。
「卵もハムも高いよ……。オリーブオイルだって……」
まだ小さいのに、私よりも物価をよく知っているようだ。
「大丈夫よ、お金なら私がーー、……持ってないから原石を売りに行ってるんだったわ」
ポケットを探ろうとして、無一文である自分の現状を思い出す。
と、その時、食堂の戸口からリュシアンがひょっこり顔を出した。
「ただいま。いい値で買ってもらえたよ」
「リュシアン! 早かったわね!」
「ああ、思っていたよりあっさり交渉が成立して驚いたよ。ヴァインロート伯爵の名前を出したおかげだろう」
まだヴァインロート伯爵領内にいるだけに、伯父様の名前の効果は絶大らしい。
「伯爵様の……?」
急に伯爵の名前が出てきたことに驚いたアンナが目を見開く。
「ええ、まあ。私たちは親戚なの。だからあの暴力的な借金取りの男よりも私たちの方が信用できるわ。早くあの男へ借金を返してしまいましょう」
「……」
俯くアンナのことはひとまず置いて、先に子ども達にお使いを頼んでおこう。
「みんな、さっき頼んだもの憶えてる? リュシアン、この子達に買い出しを頼みたいの」
「ああ、これくらいで足りるか?」
リュシアンは最年長と思われる一番背の高い男の子に、いくらかのお金を手渡した。
「うん、大丈夫だよ。じゃあ行ってきます!」
子ども達を送り出すと、私は再びアンナに向き合った。
「アンナさん……、私には、アンナさんが過去にどんな目にあったのかは分かりません。もう二度と誰のことも信じられなくなるようなことがあったのかもしれない。でも……、私は、人を信じる心を捨てて欲しくありません」
「でも、また裏切られるかも……」
アンナは私の方を見ようとはせず、拒絶するように顔を背ける。
「アンナさん、私の故郷に伝わる話を聞いてくれますか?」




