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トティ海を行く

西から吹く強い風が巻き上げた波しぶきが、船の甲板に散っている。

船べりに身をのり出し、前に見えてきた港を食い入るように見ているトティの顔にも、飛沫がパラパラと降りかかってきた。


トティは濡れた頬を手で拭うと、徐々に近づいてくる外国の港を再び興味深く眺めた。


大きな船が何隻も行きかう大きな港だ。


見上げるような高いマストに張られた帆に、いっぱいの風をはらませた帆船が、さっきトティが乗っている船のすぐ横を、悠々と通っていった。

帆船だけではなく、トティが乗ってきたような大陸沿岸航路の蒸気船も、港にたくさん停泊しているようだ。そんな大型船の水先案内をするボートが、スイスイと波間を駆け抜けていく。そのボートと競い合うように走っていた漁船は、さっき港を出ていった。


港の上には、カモメの鳴き声に混じって、船の汽笛や男たちの威勢のいいかけ声も響いている。

初めて国を出て外国に来たトティには、見るものすべてが珍しかった。


「すごいなぁ~」


ここを見ただけでもファジャンシル王国の発展がよくわかる。



トティの父親であるオディエ国の尊王(そんのう)と兄のジェイド第一皇子は、トティの留学にあたり、実現不可能な命令を下した。


「ファジャンシル王国の発展の秘密を探ってこい。できれば第一王子に見初められてこい」


言われたトティ自身はもちろん、こんなことを言っている本人たちも、この世の終わりが来てもトティに命令を遂行することなどできはしないとわかっていた。


トティはスパイの訓練など受けたことがないし、なによりただの留学生に、国の経済に関わるような重要事項を話す者などいないだろう。


それに第一王子のパスカルに見初められるなんてことは、トティには土台無理な話しだ。

なにせトティは姉たちとは違い、見た目が美しいとは言い難い。

遠慮のないジェイド兄様などはトティの容姿を「チンクシャ」と評する。つまり背が低く、美しいというよりは、可愛い部類の女の子だ。


朝起きるとあちこちに飛び跳ねている赤毛の癖っ毛も、鼻の上のたくさんのソバカスも、愛嬌があるクルクルとよく動く緑色の瞳も、すべてが子どもっぽい可愛いさの範疇(はんちゅう)に収まってしまう。

それにトティがただ歩いているだけで、全身がバネのような弾む足取りになってしまうので、貴族の、それも皇族の一員としては、ひどく落ち着きがない娘だと思われている。


つまり、先程の命令は冗談好きの尊王たちの戯言だともいえる。


ただ八人兄弟の末っ子であるトティを、ファジャンシル王国のレイトにある貴族学院に留学させるには、周囲を納得させるそれなりの建前というのは必要だ。

戯言の奥底には、一縷の望みも含まれている。できれば、トティには隣国の王族と親しくなって欲しいし、我が国に有益な情報を仕入れてきてもらいたい。

皇女としては型破りな娘だが、トティならやってくれるのではないか? そう思わせる資質がトティにはあった。


トリニティ・セルマ第五皇女、これがトティの正式な名前になる。



父親であるオディエ国尊王(そんのう)や、兄であり国の跡継ぎであるジェイド第一皇子としては、すっかり関係が薄くなった隣国との顔つなぎのために、王族の中の誰かを送り込みたいと常々思っていた。


かつてファジャンシル王国には、尊王の叔母様であるシオンが嫁いでいた。シオンは第一王妃だったので、その頃にはかの国の貴族間の情報も容易に手に入っていたのだが、シオンが亡くなると、隣国とはすっかり疎遠になってしまった。


そこでなんとかしたいと思った尊王は、自分の娘である第一皇女を、ファジャンシル王国のパスカル第一王子の后にと話を持ちかけたことがある。けれど双方の事情により、その婚姻の計画は流れてしまった。


この事情だが、第一皇女だけでなく、それに続く三人の皇女たちにも共通の問題があった。


皇女たちは四人とも見目麗しく人柄にも優れているのだが、残念なことに外国語をいくら勉強してもさっぱり習得できないという頭脳構造をしていた。

つまり相手との意思疎通ができなかったことが、こちらの皇女が誰一人として婚姻関係を結べない最大の原因だったのだ。


だが末っ子のトティは、何故か外国語、特にファジャンシル王国語がよくできた。


他の兄弟姉妹とは違い、トティの母親は民間からお嫁入りをした第三側妃(そくひ)である。

そんな後ろ盾のないポーラ妃の娘であるトティを、とても他国の王族に嫁がせるわけにはいかない。けれど友人としてなら、関係が築けるのではないか。


共に学び舎で同級生として過ごした友達の言うことを、無碍(むげ)にはできないだろう。今後も国同士の友好な関係を続けようと考えるだろう。


尊王やジェイド皇子のあけすけな本音を言うと、こういったところだろうか。


つまり王族を中心に主要な貴族の子息、子女らと友達になってこいというのが、トティに課せられた内なる使命であった。



ファジャンシル王国は先代の十五世の御代からこっち、近隣諸国が驚くほど急速に発展を遂げてきた。


トティは、隣国に向かうにあたり下調べをしたのだが、今一つ詳細な経緯がわからない。


どこかに秘密があるのよね。

神様からのお告げがあったとか?

でもファジャンシル王国は、うちの国とは違って、生きとし生けるものを大切にするという大らかな自然信仰だ。

神という概念があるのかすら、わからない。


意外とこれからトティが留学する貴族学院に秘密があるのかもしれない。

優秀な人材と潤沢な資金、それに研究機関が整っていれば、経済を大きく動かすような商品開発の原動力になると家庭教師のシバ先生も言ってたし…


海風に煽られクシャクシャに乱れた赤毛をそのままに、じっくりと考え込んでいるトティのことを、他の乗客たちは「可愛らしいこと」と微笑んで見ていた。

十二歳とは思えないくらい大人びた考え方と優秀な頭脳を持っているトティだったが、いかんせん見た目が子どもっぽい。どう見てもちっちゃな女の子が、大人の真似をして、眉間にしわを寄せ考えるふりをしているように思われてしまう。


子ども扱いをするのは他人だけではない。

トティのことを生まれた時からずっと身近で見てきた乳母のナサリーでさえ、トティの真意を見抜いてはいなかった。


「トティ嬢ちゃま! もうっ、こんな所にいらしたんですか。ナサリーの目の届くところにいてくださいと何度言ったらわかってくださるんです?」


船室にいたナサリーは、いくら待っても戻ってこないトティを探して、とうとう甲板までやって来た。

トティはナサリーの嬢ちゃま呼びにうんざりした顔をした。


「ナサリー、もう学院に入る歳なんだから『嬢ちゃま』はやめて!」


そんな風に反論しても、トティの声自体がまだ可愛いらしい子どもの声なので、どうにも迫力がない。ナサリーには、いつものようにサラリと受け流されてしまった。


「嬢ちゃまがそんなに大人になったと仰りたいのなら、言われたことを守ってくださいませ。もうすぐ船が着岸しますからね。船を降りる人の混雑が解消されるまでは、危険ですからおとなしく船室にいてくださいな」


「でもどうせ(しのび)がどこかにいるんでしょ?」


トティが小さな声で護衛のことを聞くと、ナサリーもそれにはコクンと頷いた。


「今回は二人ついて来てますけど、その人たちの仕事を増やさない努力も必要ですよ」


ナサリーが言ったことはもっともだと思ったので、トティも素直に船室に戻ることにした。



その時、トティの頭の上に何か固いものが落ちてきた。それはトティの頭に当たった後に、甲板に落ちて、コツンと小さな音を立てた。


トティはかがんで足元に転がった物を拾い上げた。


へぇー、硝子がはまってるタイピンか。


繊細にカットされた硝子が陽の光を浴びでキラキラ輝いている。


鳴き声がしたので空を見上げると、カラスとカモメがバサバサと羽音を乱れさせて飛び交っていた。

どうやら光るものが好きなカラスがピンを(くわ)えていたところに、カモメがぶつかってしまったのだろう。


こういうのを『漁夫の利』っていうのかしら?


トティはタイピンを何気なくスカートのポケットに入れた。


このタイピンがトティを運命の出会いへと導いていくことになるのだが、それはもう少し先のことになる。

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