アンジェリーク・ロッドの困惑
妹は何を思って姉の物を奪い続けたのか。
明暗がはっきり分かれます。
アンジェリーク・ロッドには、姉がいる。ラファエル・ロッド、御年18歳の花の盛りのうつくしい娘だ。アンジェリークはずっと、姉として生まれなくて良かった、と思っていた。
一番古い記憶は人形だった。姉が母から誕生日プレゼントとして贈られ、ベッドにまで持ち込んでいたお気に入り。金髪に青緑の瞳は姉とそっくりだった。そのうつくしい顔立ちも。
欲しいと口に出した時、もちろん姉は拒絶した。今までアンジェリークの我儘をなんでも聞いてくれていた姉の、はじめての明確な拒否。アンジェリークは驚き、ショックを受けて泣き出した。
本当に、驚いただけだったのだ。なのに両親はアンジェリークではなくラファエルを叱りつけた。お人形ならまた買ってあげるから、それは譲ってあげなさいと言った。人形を大切そうに胸に抱いていたラファエルは、両親の言葉に傷ついた顔をした。
人形はアンジェリークのものになった。
けれどアンジェリークは貰って満足してしまった。思えば幼い嫉妬だったのだろう。自分でさえたまにしか入れてもらえない姉のベッドで共寝をしていた人形。アンジェリークは人形を貰ってもろくに遊びもせず放置し、いつしか見かけなくなった。
姉は新しい人形を買ってもらっていた。
母の友人たちが子供を連れて参加するお茶会にアンジェリークを伴うようになると、ドレスが欲しくなった。サイズアウトして着なくなってはいたが、そのドレスを着ていた姉の姿はアンジェリークの脳裏に焼き付いている。それをねだった。
大切に着てね、と言い、姉はアンジェリークにドレスを譲った。その後ラファエルは新しいドレスを仕立ててもらっていた。
ピンクサファイヤのネックレスもそうだった。姉はあっさりとアンジェリークに譲ってくれた。金髪の姉にピンクサファイヤはきらめく小花のように映えていた。
姉の物を奪うたびに、アンジェリークには暗い喜びが広がった。
ラファエルの大切なもの、似合うもの、彼女を輝かせるそれらを剥ぎ取ってアンジェリークを飾り立てる。うつくしい姉がみすぼらしくなっていくようで楽しかった。
「お姉様には本当に感謝していますの」
アンジェリークはそっと首を飾るピンクサファイヤを撫でた。
姉だから、というただそれだけでラファエルは何もかもをアンジェリークに差し出さなくてはならない。なんて惨めなのだろう。こっそり笑っていることに気づかず可愛い妹とアンジェリークを大切にする姉の滑稽さは彼女を満足させた。幼い嫉妬心はいつしか優越感にすり替わり、アンジェリークの生きがいになった。
「ラエルは姉なのだから当然だな」
姉の婚約者でさえアンジェリークがうっとりと見上げれば頬を染めて視線をそらす。
ゴードン・ヘイゼルはアンジェリークの知る、身内ではない大人の男性だった。騎士としての態度を崩さず常に礼儀正しく、しかしアンジェリークへ恋心を抱いていることを隠しきれていない。跡取りとして両親に大切にされているラファエルより自分を見てくれるゴードンに、アンジェリークはどんどん惹かれていった。
「しかしアンジェはお転婆だな。こっそりおでかけしたい、なんて」
「うふふ。お姉様が言っていたクラーラの店に行ってみたいの!」
姉から奪ったピンクサファイヤのネックレスにあわせたピンクのドレスを着た、ピンクブロンドの髪のアンジェリークは、王都の大通りでも浮いていた。華やかな容姿は人目を惹くものの、どこかぱっとしない。ネックレスもドレスも日傘もすべてがラファエルから奪ったもので、ひとつひとつはアンジェリークにも似合うが全体的にちぐはぐな雰囲気だ。
女性の装いに詳しくないゴードンはそんな違和感に気づかずアンジェリークを褒め称えた。花盗人にでもなったような気分を味わっている。
「あ、ここね!」
クラーラの店を見つけたアンジェリークが駆け寄った。わくわくしながらドアを見上げるアンジェリークをよそに、ゴードンは小窓から飾られている小物の、ちいさな値札を確認して頬を引きつらせる。ラファエルにすら贈り物をしたことのないゴードンは、女性用アクセサリーの相場を知らなかった。
プライドにかけても今度にしようなどとは言い出せず、ゴードンはアンジェリークとクラーラの店に入った。
「いらっしゃーい」
ちりりん、と来客を告げるベルが鳴り、クラーラが振り返った。
成人男性よりやや高い身長とがっちりした体形にもかかわらず女性的な装いのクラーラに、アンジェリークとゴードンはぎょっとして下がってしまう。初見の客はたいていそんな反応だが、クラーラの店と知って来ているのだから本人の評判くらいは押さえておくべきだとクラーラはいつも思う。
「…一見様ね?ようこそクラーラの店へ」
まずは店のシステムの案内からはじめようとしたクラーラをさえぎって、アンジェリークが歓声をあげて並んだドレスに触れた。
「きゃあ!素敵なドレス!ねえゴードン様、私こんなドレスが欲しいわ!」
すかさずクラーラが扇でアンジェリークの手を払いのけた。痛くないように手加減はしたが、こんな扱いは初めてのアンジェリークは手を抑えて呆然としている。
「アンジェリーク…!」
ゴードンが駆け寄り、アンジェリークの背を支える。きっとクラーラを睨みつけた。
「レディになんてことをするんだ、乱暴な店主だな」
「こっちの話も聞かずにいきなり商品べたべた触られて怒られないと思ったの?」
文句をつけるも呆れたように論破されてゴードンは黙り込んだ。
クラーラはブラシをとると、アンジェリークが不躾に触れたドレスを丁寧に撫でる。
「こっちのドレスは見本だけど、クラストロ領のシルクよ。爪で引っかいたり皮脂で染みがついたら買い取ってくれるわけ?」
「客にその態度はなんだ…!」
「こっちにも客を選ぶ権利はあるのよ。気に入らないなら他に行ってちょうだい」
むすっとしたアンジェリークだがしぶしぶ謝ることにした。せっかく憧れのクラーラの店に来たのに何も買えずに帰るのは嫌だ。
「…ごめんなさい」
「はい。では、店について説明するわね」
子供相手に大人げないと思ったのか、クラーラも鷹揚に謝罪を受け取った。
「クラーラの店ではお客様にあわせて最高の品を提供します。ドレスはもちろんのこと、帽子、手袋、髪飾り、ネックレスなどのアクセサリー類もすべてデザインからお作りしています。その方の好みから容姿、仕草にいたるまですべてを完璧に整える。これがクラーラの店よ」
クラーラはそれを誇りにしている。少女たちを完璧にドレスアップし、恋愛だけではなく人生までコーディネートしたい。うつくしい飾りはうつくしい心の持ち主にこそふさわしいと信じている。
アンジェリークはクラーラの説明にほうとため息を吐いた。すべてを完璧に。いかにも女心をくすぐる謳い文句だ。
ゴードンはというと顔には出さないようにしていたが盛大に焦っていた。これほどこだわりのある店ならさぞかしお高くつくのだろう。見本品からしてクラストロ公爵領のシルクなのだ、レベルが違いすぎる。
「まあひとまずお座りなさいな。お茶を淹れるから楽にしてて」
クラーラは二人に椅子を勧めると奥に引っ込んだ。
「素敵ね…。ここにあるもの全部欲しくなっちゃうわ」
「むやみに触るなよアンジェ。見本品の買い取りなんか嫌だろう」
「そうね。気を付けるわ」
店内はアンジェリークが見たこともないほどのドレスや装飾、小物雑貨がバランスよく配置されていた。メインであるドレスは一番目に止まりやすい中央に。棚には帽子やリボン、宝石のついたアクセサリーがあり、ルースはガラス板の填められた机の中に並べられている。どこかの令嬢の部屋か、理想の宝石箱といった印象だ。
「お待たせ。まずはこちらの名簿に署名してもらえるかしら」
顧客名簿とペンを渡し、クラーラはカップに紅茶を注いだ。子供の好みそうな、苺の入ったフルーツティーである。ゴードンには苺なしだ。
「おいしい…!こんな飲み方があるんですね」
一口飲んだアンジェリークがぱっと笑った。すっかり機嫌が直ったようだ。
「それで、さっきドレスと言っていたけど…」
「今日はひとまず何を買おうか見に来ただけだ」
アンジェリークが口を開く前にすかさずゴードンが割り込んだ。こんな店でドレスをねだられたらたまらない。クラーラは緩くうなずいた。
「まあ、うちの店は一見さんにはお売りしていないのよ。店頭販売してないからね、さすがに今日中に作れって言われても無理」
「ええ~」
「そうか…」
あからさまに不満を顔に出したのはアンジェリーク、顔には出さないもののほっとしたのはゴードンだ。
「それに…。あら?アンジェリーク・ロッドとゴードン・ヘイゼルって、ラファエルちゃんのお家の方じゃない。それならラファエルちゃんへの贈り物なのかしら?」
「え……」
「あ、いや。………」
気まずそうに口籠った二人にかまわず、クラーラは続けた。
「内緒でプレゼントって依頼も何度かあったけど、本人を連れてきてもらわないと困るのよねぇ。今度一緒に来てくれる?」
「…………」
「偉いわねぇ。ラファエルちゃんは妹大好きだから喜ぶと思うわ」
「…………」
にっこり笑うクラーラは100%イヤミ営業だ。ちらちらと互いに目線を交わしている二人を見れば、そうではないことくらいわかっている。
しかし気に入らない。姉の婚約者とその妹が、おそらく本人の了承なしにこうしてデートまがいのことをしているなんてありえないことだ。アンジェリークには子爵令嬢としての自覚も、ゴードンは婿入りという意味も理解していないのだろう。
気に入らないが、似合いの二人だ。クラーラはさっさと追い出すことにした。
「ひょっとして、ウエディングドレスの相談なのかしら?さすがにそれはロッド家のご当主に来てもらわないと」
ここで二人がしつこくすれば、すぐにラファエルだけではなくロッド家の当主にまで話が行くと匂わせた。これくらいは察してもらわなければ困る。
思った通り、二人はすごすごと帰って行った。
家に帰ると、アンジェリークは早速とばかりに姉を突撃した。もちろんクラーラの店で買ったものを奪うためだ。
「お姉様!」
ラファエルはデスクに陣取り、書類に目を通していた。
「アンジェ、ノックくらいしなさい」
書類から目を離さずに言う。真剣な顔をしていることから家の仕事の手伝いをしているのだろう。アンジェリークはぽすんとソファに座り、むくれてみせた。机に向かっているラファエルには当然見えない。
「お姉様、クラーラの店で何を買ったの?」
「アンジェ、今忙しいの。後にしてくれる?」
「お姉様ったら!」
こうなるとラファエルは駄目だ。集中していてアンジェリークをかまってくれない。振り返りもしないラファエルをアンジェリークは物凄い目で睨んでいるが、その背に何の変化も起こせなかった。
アンジェリークは苛立ちのまま部屋から出た。自分の部屋に戻ると姉から奪い取った扇を床にたたきつける。次に靴で踏みつけられて瀟洒な扇はバキバキと嫌な音を立てた。
「お、お嬢様?」
着替えの手伝いに来ていたアンジェリークのメイドがおろおろと主人の狼藉を止めようとするが、癇癪を起こしたアンジェリークはその波が引くまで手を付けられない。一度抑えつけようとしたメイドがいたが、悲鳴をあげて泣き叫ばれ、まるで危害を加えられたかのように言いふらされたのだ。嫌気がさしたそのメイドは辞めている。
顔を見合わせたメイドたちは、そっと部屋のドアを開けた。抑えつけようが放置していようが、結局のところメイドのミスということにされるのだ。少しぐらい嫌がらせしたって自業自得だろう。
通りがかったハウスメイドが気の毒そうにアンジェリークのメイドを見つめ、手を振った。
「クラーラの店の?買えるわけないじゃない」
「えっ!?」
「あそこは素材からして他とは違うもの。クラーラの店で帽子ひとつ作るのにいくらかかるか…」
「…じゃあ、何をしに行ってるの?」
「気合いの補充かしらね。いつかうちを盛り立てて、ドレスを買うのが夢よ」
あっさりと言った姉にアンジェリークは拍子抜けした。同時にそんな店で買ってやると言ってくれたのがゴードンであることに優越感が浮かぶ。なんにも知らないお人よしの姉は、彼に何か贈られたこともないのだ。
「いいわよね、クラーラの店。行くのなら誘ってくれれば良かったのに。目の保養よね」
「そうね」
「ところでアンジェ、誰と行ったの?まさかひとりじゃないわよね?」
「え……っ」
アンジェリークの心臓がどきりと跳ね上がった。いくらなんでもゴードンに連れて行ってもらったとは言えない。秘密だからこその優越感であり、楽しみなのだ。
「そ、それは、その…お友達と」
「そう。でも、お母様に言ってから外出しなさい。社交デビュー前の娘がふらふらしているものではないわ。万が一のことがあったらどうするの」
ラファエルはどこまでも妹を心配する姉の顔だ。アンジェリークとゴードンが裏では通じているなど想像もしていないのだろう。欠片も疑わない。
「ごめんなさい、お姉様」
「いいのよ。今度は一緒に行きましょうね」
微笑む姉がこうも簡単に嘘を吐くなど、アンジェリークは思いもしなかった。妹の考えなどとうの昔に気づいており、回避する計画を秘かに企てていたなど、ラファエルを軽んじているアンジェリークには気づきようもなかった。
だからゴードンとの密会が見つかってしまっても、傷つくのはラファエルであり、アンジェリークは周囲に祝福されて幸福になるのだと信じて疑っていなかった。
「社交界に出さないって、どうして!?お父様!」
昔からの友人であったヘイゼル騎士爵当主との話し合い後、怒りの冷めやらぬ父はアンジェリークに冷たく宣告した。
「デビュタントも済ませていない娘が男と密通して、社交界に出す親などいるはずないだろう!」
未婚の娘が男と通じていただけでも醜聞だというのに、社交デビュー前、しかも相手は姉の婚約者だ。世間に知られたらアンジェリークだけではなくロッド家そのものの信用が失墜する。
「そ、そんな…。ゴードン様と結婚するのがお姉様から私に変わるだけじゃない……」
「だけ、だと?それですむと思っているのか!?」
「お父様、落ち着いて」
激昂する父を諌めたのはやはりラファエルだった。
本来ならもっとも傷つき悲しいはずの娘の取り成しに、父も大きく息を吸い込んで気を落ち着けようとする。
「アンジェリーク、事はあなたとヘイゼル様だけの問題ではないのよ。そんな躾をしていたと、我がロッド家が疑われる事態なの」
「で、でも、私は本気でゴードン様と…」
「本気か浮気かというのは関係ないわ。話をすり替えるのはおやめなさい」
耐え切れなくなったのか、母も口をはさんできた。
「アンジェリーク、いったいどういうつもりでヘイゼル様のいる客室に行ったの?酔いつぶれていたヘイゼル様を介抱でもするつもりだったのかしら?それはメイドの仕事であって、ロッド家の娘がすることではないわ。それはわかっているわね?」
あの夜の密会はゴードンが泊まっていた客室で行われていた。あんな夜更けに令嬢を呼びつけられてすんなり通すメイドたちではないし、誰も伴わずに行くものでもない。アンジェリークが忍んで行かなければ成立しないのだ。
男女の関係はどちらか一方が悪いと必ずしもいえることではない。ましてアンジェリークとゴードンは、婚約者であったラファエルを差し置いて親密にしていた。そのつもりで客室に行った、というのが正解であろう。
「だって…ゴードン様がお姉様と夜会に行ったから…お話だけでもしたくて」
「話だけですむとでも?本当にそう思っていたの?」
男の寝室に行くことがどういう事態に繋がるか、本当にわからないほど愚かなのか。母の厳しい眼差しはアンジェリークに嘘を許さなかった。アンジェリークはうつむいて黙り込んだ。それが答えであった。
父が重々しいため息を吐いた。
「事ここに至っても、お前は謝罪もできないのだな」
びくりとアンジェリークの肩が震えた。くしゃっと顔を歪め、ぽろぽろと泣きだす。アンジェリークが泣きだせばいつだって許してくれた両親は、自分の罪を理解しようとしない娘を許さなかった。
「アンジェリーク、ほとぼりが冷めるまで謹慎を命じる。ゴードン・ヘイゼルとの結婚はその後だ」
「こうなると社交界に出す前で良かったわね」
アンジェリークは顔を上げたが、両親の考えが変わらないと知って蒼褪めた。貴族として生まれ育ったというのに、いまさら庶民と変わらない生活などできるわけがない。
「お父様、せめてデビュタントには出すべきだと思います」
「ラファエル、お前は甘すぎる」
「考えてみてください。ヘイゼル様に嫁いでも、今のままのアンジェリークでは困窮するのは目に見えています。むしろ社交に出し、貴族の在り方を学ばせるべきです」
「む……」
ラファエルの言葉に両親は考え込んだ。
「幸い現場は我が家。緘口令を敷けば醜聞は最低限で抑えられるでしょう。…もちろん姉の婚約者との結婚は外聞が悪いですが、こちらからの婚約破棄ならそこまで広がることはないのではありませんか?」
ヘイゼル家にしてみても醜聞なのだ、広めることはしないだろう。
「ラファエル、あなたはそれでいいの?」
母が涙を浮かべながら問いかけた。ラファエルはきっぱりとうなずいた。
「私のことなら心配いりませんわ。きっと良い結婚相手を見つけてみせます」
「ラファエル…」
「ラエル」
むしろ晴れ晴れとした表情のラファエルを見て、彼女の決意が固いことを知った両親はその意見を受け入れることにした。
デビュタントは少女にとって、一生一度の晴れ舞台だ。真白いドレスを着て、頭にはティアラを被り、貴族の一員として正式に認められる。結婚式とはまた別の、一人前の大人になる儀式であった。
ラファエルの時はロッド家が一丸となってその時できる最高のドレスとティアラを用意した。ここでケチると娘の将来にまで影響する。どの家も張り切って精一杯の支度を整えるものだ。
アンジェリークも自分の時はどんなドレスにしようかと胸ときめかせていた。だがこの一件で、アンジェリークの支度のすべてはラファエルのお下がりになることが決まった。
「どうして!?お姉様のお古なんて嫌!!」
泣いて抗議するも、母はつれない態度だった。
「ならヘイゼル様におっしゃいな。妻のドレス代くらい稼いでくるものです」
姉に泣きついてもどうしようもない。決定権はラファエルにはないのだ。
「アンジェ、せめて手直ししなさい。私のお下がりといってもサイズがあわないでしょう」
ラファエルとアンジェリークでは体形が違いすぎる。デビュタント当時からラファエルは豊満な体つきで、華奢なアンジェリークでは胸が緩く裾も長すぎ、お下がりなのが目に見えてわかってしまう。姉の慰めにもならない慰めにアンジェリークは泣き喚くが、当主の父が許さないと言っている限りできることはなかった。
「…なんでもお下がりだからね……」
「男も姉のお古とか……」
メイドたちも蔑みを隠そうともせずアンジェリークを哂っている。とぼとぼと部屋に戻ったアンジェリークは、癇癪で散らかった床に座り込んだ。どうしてこんなことになったのか、アンジェリークにはわからなかった。
暗い気持ちのまま出たデビュタントの舞踏会では、誰もアンジェリークに話しかけなかった。
面と向かっては批難されなかったが、醜聞というのはどこからか漏れるものだ。噂好きな貴族ならなおさらである。王家の一件が起きて以来、こういった話には特に厳しい。家では威厳溢れる父が苦渋を飲み込んで言われるがままなのを見て、アンジェリークははじめて罪の重さを思い知った。
ゴードンの態度も一変した。彼がロッド家に婿入りする条件はラファエルとの結婚なのだ。それが一転してアンジェリークを娶ることになった。玉の輿がパアになり、ゴードンは荒れた。
「このままゴードン様と結婚して、本当に幸せになれるのかしら…」
アンジェリークが相談できるのは、もうラファエルしかいなくなった。友人たち、特に婚約者のいる友人たちは去って行き、メイドたちも今までの鬱憤を晴らすかのようにこそこそと避けている。一足先に結婚する自分への妬みだと思っていたが、それが間違いだと気づくには遅すぎた。
姉の婚約者を奪った女と、デビュタント前の少女に手をつけたロリコン男。どこへ行ってもそういう目で見られるのだ。
「堂々としていなさい。人の噂話なんてみんなすぐに忘れるわ」
「でも、ゴードン様まで冷たくするなんて。ひどいわ」
「男の人にもマリッジブルーがあるのかしらね。デートにでも行ってきたら?」
「…デート?」
「二人で出かけたことってないでしょう?いい機会だわ」
二人で出かけたことはある。クラーラの店に行ったこともそうだし、こっそり王都を散策したこともあった。だがそれはあくまで姉の婚約者とであり、その時のゴードンはアンジェリークの婚約者ではなかった。
何か違うだろうか。期待を込めて、アンジェリークはゴードンをクラーラの店に誘った。
「いらっしゃい。…あら」
笑顔で迎えたクラーラだが、来客がアンジェリークとゴードンだとわかると一瞬表情を消した。すぐに笑顔を浮かべたが、先程とは違い、親しみのまったくない営業スマイルだった。
店には先客がいた。デュラン・マージェスだ。カウンターには贈り物用の包装がされた箱が山と積まれている。
「デュランちゃん、これ本当に持ち帰れる?良ければ配送するわよ?」
「いえ、自分で持ちたいんです。やっと、ラファエルが受け取ってくれるっていうんですから」
箱の中身は、今までデュランがラファエルのために仕立てた贈り物だった。受け取らないと言いつつもラファエルはデュランがクラーラに依頼するのを止めず、わかっているデュランはクラーラに預かってもらっていた。
男の口から出てきた名前に、アンジェリークとゴードンは息を飲んだ。
「お姉様に……?」
震える声で問いかけたアンジェリークに、さも今気づいたという顔でデュランが振り返る。
「おや。あなたがアンジェリークさんですか。はじめまして、デュラン・マージェスと申します」
アンジェリークは呆然としただけだったが、ゴードンは彼の名前にさっと顔をこわばらせた。短期間ではあったがラファエルの恋人であった男だ。
外見は誰が見てもゴードンが上だ。美男子といわれるゴードンに比べ、デュランは小太りで、笑みを浮かべた顔は頼りなさそうに見える。眼鏡をかけた冴えない男だった。
だが自信に満ちたその態度には隙が見られなかった。マージェス家は成金呼ばわりされているが実力は本物で、とりわけ後継ぎはやり手と評判だった。
「諦めなくて良かったですよ。本当にお二人には感謝しています。おかげで僕がラファエルと結婚できる可能性ができました」
「どういうことだ……?」
ゴードンは怒りからか混乱からか、顔色が黒くなっている。気づいているだろうにデュランは快活に笑った。
「ラファエルがヘイゼル様と婚約してしまったでしょう?でも僕は彼女と結婚したくてずっと縁談を断り続けていたんです。今回のことで家族も諦めると期待したようですが、僕にとってはチャンスでした。ラファエルとでなければ結婚しないと宣言したらさすがに折れてくれましてね。ロッド家に婚約を打診しているところです」
恥ずかしそうに、幸せそうに、「ラファエル」と彼女を呼ぶ。笑いながら語るデュランにアンジェリークは言葉もない。忘れかけていたはずの姉への妬みと見下しが首をもたげた。
だが、細められたデュランの目がアンジェリークに発言を許さなかった。人好きのする笑顔の裏にある、まぎれもない憎悪の欠片を見せられ、アンジェリークは立ち竦む。
「…はっ。俺のお古に手を出すとはあんたも物好きだな」
代わりに毒を吐いたのはゴードンだった。隠しきれない嫉妬と羨望まみれの言葉では、デュランになんら痛痒を与えることはできなかった。
「お古…ですか?」
「そうだろう!あんなつまらない女が良いとはな。あれはこちらの顔色を窺うことしかできない女だ」
「…なるほど」
デュランはうなずいた。
「彼女は磨けば光る宝石ですよ。あなたはラファエルを輝かせることができなかったのですね。安心しました。…誰でも拾える石ころで、さぞや満足でしょうね」
そして、返す刀でゴードンを切りつけた。ついでに愛するラファエルを傷つけ続けたアンジェリークを巻き込むことも忘れない。
デュランはアンジェリークに微笑んだ。姉に似ている、とアンジェリークは気づく。人の好さそうな、慈愛に満ちた、安心させる笑みだ。
「あなたには本当に感謝しているんですよ?ラファエルのお古を欲しがるあなたなら、きっと彼も奪ってくれると思っていました」
だが、中身は悪意に満ちていた。デュランの笑みとラファエルの笑みが重なり、アンジェリークに真実を悟らせた。
ラファエルとデュランの結婚式は春に行われた。デュランが婿入りしてしまったためマージェス家はデュランの弟が継ぎ、ロッド家とは共同経営をすることになる。
盛大に開かれた結婚式にアンジェリークとゴードンの姿はなく、家族と親しい友人、本家からも何人か招かれ祝福された。花と笑顔に満ちた良い式であった、と誰もが口にした。
一方のアンジェリークとゴードンの結婚式は、家族だけのひっそりとしたものになった。ウエディングドレスはさすがにラファエルのお下がりではなかったが、ゴードンが贈った生地はラファエルのそれとは比べ物にならなかった。アンジェリークは終始不満ばかりで、ゴードンも彼女と目を合わせようともせず、しらけた結婚式になった。
そして―――……
「ねえ、お姉様。これ譲ってくださらない?」
「これは駄目よ。こっちなら良いわ。私はもう使わないから」
アンジェリークは姉の物をねだり、妹を愛するラファエルはこころよく譲っている。幼い頃と変わらない、しかし明暗ははっきりと分かれていた。
天然腹黒姉夫婦はそれなりに裕福に、目先のものに目が眩んだ妹夫婦は貧乏になりましたとさ。どっとはらい。