フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの憂鬱5
の、前に。クラーラとおじいちゃんの対決。
申し訳ありません。タイトルが重複しておりました。
クラーラはジョルジュ前伯爵の隠居館に招かれていた。
「お久しぶりねぇ、老将軍。お元気そうでなによりだわ」
くすくすと笑うクラーラに老将軍と呼ばれた男は渋い顔をする。
フランソワ・ドゥ・オットー・ジョルジュは引退こそしたが、老いたと言われるほどではないと自負している。今も体を鍛えることは怠らないし、必要とあらば軍を率いて立つ覚悟もあった。
「その口調はやめんか」
「あら、お気にさわったかしら?」
「気色悪くてしょうがない。……変わったな、マクラウド」
マクラウドと呼ばれたクラーラは目を閉じた。
「クラーラと名乗っているので、そちらで」
もうマクラウドではないと言外に告げる。フランソワはますます渋い顔になった。
「宮廷に戻る気にはならんか」
「法の執行がなされないかぎりは」
「王と王妃を裁くことはできん。おぬしにもわかるだろう」
「おかしいですね、我が国は法治国家だ。罪人にはしかるべき裁きを与えねばなりません。そのような国に仕えることなどできませんよ」
マクラウド・アストライア・クラストロ――クラーラとなった男は冷徹なまなざしで国に尽くしてきた将軍を見つめた。
結婚式に花嫁を攫われた男。満座で屈辱を受けた男。国によって断罪すら叶わなかった男である。
「フランシーヌのことは、感謝する」
「あの娘に罪はありませんから」
あの時、エドゥアール王とフローラ妃をもっとも擁護したのがフランソワだった。国に忠誠を誓う将軍は、こんな愛憎劇などで国家がめちゃくちゃになることはないだろうと、マクラウドを説得したのだ。なめてかかっていたといってもいい。
『神と法と王の名において』の断罪の代わりになるものを、と前王はマクラウドの望みを訊ねた。前王にしても王太子でありたったひとりの子供であるエドゥアールを庇う気持ちが大きかった。これからエドゥアールと婚約していた王女への賠償とその国への謝罪をしなければならないのだ、マクラウドについては早めに片付けたかったのだろう。エドゥアールとマクラウドが親友だと、甘く見ていたこともある。
マクラウド・アストライア・クラストロは家督の放棄を求めた。前王は許さなかった。
マクラウドが家督を放棄したとなれば、次期宰相は彼の弟になる。だが、彼の弟も一筋縄ではいかない男だった。軍幹部におさまっている弟は、敬愛する兄を侮辱されたと貴族たちの不満分子をまとめあげ、クーデターでもやりかねないほど危険であった。それに、家督を放棄したマクラウドに亡命されたら大ごとだ。他の国があれだけ優秀な人材を放っておくわけがない。必ず取り込んでしかるべき地位を与え、そうなれば彼は雪辱の機会を作り上げてしまうだろう。
家督の放棄も認められなかったマクラウドは、次に出仕拒否と養蚕業の独占、そして完全なる自由行動を求めた。今度は認められた。ただし、国を出ないという条件をつけて。
マクラウドは数年間で養蚕の職人を領内に集め、研究機関を作り、領内の産業を活性化させた。クラストロ公爵領の絹は評判を呼び、国内のみならず外国からも商人たちが買い付けに来た。もちろん王家も専売させようとしたが、マクラウドは自由を認める免状を盾にそれを拒否した。クラストロ公爵家と王家の確執を知っている商人たちは、ここぞとばかりに王家へ売り出す絹の価格を吊り上げた。
商売が軌道に乗れば自然と人がやってくる。養蚕だけではなく農業、畜産も活性化し、材料が揃えば料理が研究され、わざわざ食べに訪れる者が後を絶たなくなった。食事ができれば観光にも力が入る。宿泊施設に温泉、温泉があれば美容関係と次々に事業が興った。クラストロ公爵領は近年稀に見る繁栄の時を迎えた。
領内が回ったのを見届けたマクラウドは弟に全権委任し、家を出奔した。クラストロ公爵領の繁栄を見たエドゥアール――この時すでに王位に着いていたかつての親友から、出仕の要請、ようは救助要請がひっきりなしに来ていたからだ。代官として弟を据え、家督はそのままに家出をかましたのである。
「未だ、赦せぬか」
「はい」
きっぱりとうなずくと、フランソワは長く重いため息を吐いた。
「おぬしが宮廷から消えて以降、この国は緩やかに衰退している。し続けている。貴族の信頼は離れ、外国との交渉も見下され、庶民の国への忠誠も信頼も薄くなっている。このままでは各貴族が独立を宣言しかねん。国家分裂の危機だ」
「そうですか。大変ですね」
人ごとのようにクラーラが言った。
「フランシーヌ嬢とアルベール王子が結婚すれば、少なくとも国内は保つんじゃないですか?ジョルジュ伯爵だって親王家派に傾くしかないでしょう。一度失墜した信頼を戻すには並大抵の努力じゃできませんって」
フランソワは膝に置いた手を握りしめた。
フランシーヌ。可愛い孫娘。ジョルジュ家の至宝の花。フランソワはそんな彼女を政争の道具に使ってしまった悔恨がある。なにより幸せになってほしいフランシーヌに、背負わなくても良い苦労を背負わせてしまった。
「…王、ではなくフランシーヌを支えてやってはくれぬか……。わしはもう長くはない。頼む」
「そうやって命を盾にとるの二回目ですよ。一生のお願いは一度だけって教わりませんでしたか」
エドゥアールの代わりにわしの首をと言ったのは二回目だ。
「それにフランシーヌ嬢には十分なことをしたと思っています。代金は受け取りました。これで契約終了です」
テーブルに額がぶつかるほど頭を下げたフランソワにもクラーラは動じなかった。出された紅茶にも手をつけないまま立ち上がる。もてなしを受けるというのはその人物への信頼の証だ。クラーラは拒否した。
立ち上がり、厚い絨毯にヒールの音はかき消される。しばらく頭を下げ続けていたフランソワは、腰に下げていた剣を抜いた。
「……どうしても、か?」
「くどい。しつこい男は嫌われるわよぉ」
クラーラの首に剣先を据える。
「どうぞ」
実に軽くうながすクラーラにフランソワは狼狽えた。剣が震える。
このままクラーラを殺せばもうこの国を立て直す者はいなくなる。クラストロ公爵領は完全に敵に回り、軍部を掌握している彼の弟がクーデターを起こすだろう。
振り返ることなくクラーラは歩を進めた。
老いた将軍の震えは手から全身に伝わり、剣が落ちる。
潤んだ視界の向こう、去って行ってのは、かつて光の中にあった少年が闇に飲まれた背中だった。
どちらが正しいとか、きっとないと思います。
クラストロが王家を乗っ取ることもできたけど、マクラウド(当時)はもう嫌気がさしていたんです。拭うことのできない屈辱と、消えることのない痛みを親友と愛する妻によって与えられた。