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秘密の仕立て屋さん  作者: 江葉


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クラーラの復活

遅ればせながら令和最初の投稿です。時代が変わる高揚感は良いですね。

そんな新時代の幕開けを丁寧に書いていけたらいいと思います。



『金のリンゴ亭』は下町にあるクラーラ行きつけの居酒屋だ。中年の夫婦が2人で営んでおり、4人掛けの大テーブルが3つと2人掛けの小テーブルが2つ、カウンター席5つとそこそこの広さがある大衆居酒屋である。名物料理の腸詰めが人気でハーブ入りや赤唐辛子を利かせたもの、チーズが入ったものなど工夫を凝らしている。夜ともなれば仕事帰りの男どもが詰めかけ酔っぱらい特有の大声で話し笑いの大賑わいであった。


「アルベールの騒動ん時ぁ多少客足は減ったがね、そん代わり王都に居着いたもんもいるし店は繁盛しとるんよ」


 店主のニック・パリスが酒焼けした喉で笑えば、隣の女房もふくよかな体を震わせて笑った。夫婦は似るというが本当だ、とクラーラは会うたびに思う。それとも似た者同士がくっつくのだろうか。どちらにせよ面白い。


 そんなパリス夫妻が相談があるとクラーラの店に来たのは午前のことだった。今夜の仕込みに入る前に来たらしい。


「それで、相談というのはその子のことかしら?」


 パリス夫妻はひとりの少女を連れていた。黒髪に緑の瞳をした、中々に可愛い顔立ちだが、なぜか髪を前に下して顔を隠し、背中を丸めている。クラーラが声をかけると彼女はますます背を縮ませ、パリス夫妻は困り顔になった。


「ああ。この子はマチルダ・ポルクといって新しく雇ったんだ」

「みんな憂さ晴らしとばかりに飲みに来るから忙しくなってね。紹介所から来ただけあってよく働くし、真面目ないい子だよ」

「マ、マチルダ・ポルクです」

「あら商売繁盛なんて良い事じゃなぁい。馴染みの店が栄えるのは嬉しいわ」


 何の問題があるのかと首をかしげるクラーラに、ため息まじりにミュートが説明をはじめた。


「うちは知っての通り酒場だろう? 人を雇っただけでも酔っぱらいどもは喜ぶってのに、見ての通りマチルダは別嬪だ。そうなると酔っぱらいってのは調子に乗るんだよねえ」


 若くて可愛い娘が馴染みの居酒屋に来た。そうなれば客は可愛がる。酔いが浅いうちはまだいいが、マチルダに良いとこ見せようとおかわりを要求し、しまいにはへべれけになって絡み出す。


「適当に聞き流せばいいとは言ったけど、酔っぱらいのあしらいなんて慣れだからね。マチルダは真面目に受け止めちまうんだ」

「常連ならではの気安さもあるからな」


 目に見えるようだ。クラーラは額を押さえた。彼らの問題がどういうものかの見当もつく。


「そうなんだよ。おまけに、その……」

「セクハラね? 冗談やスキンシップとか言って触られたんでしょう」


 クラーラがズバリ指摘すると、マチルダは肩を震わせてうなずいた。


 泣きださないだけ根性がある。クラーラは感心して今度はマチルダから話を聞いた。


 マチルダ・ポルクは王都内にある酪農家の娘だ。農家の常として子供は大切な労働力とされ今まで実家の手伝いをしていたが、王都が厳戒態勢になり物流が滞ると窮地に陥った。肉が足りないと農業ギルドからお達しがあり、ポルク家も乳牛を数頭潰して食用肉に回さざるを得なくなった。牛の管理はギルドと相談してやるため、当時の現状では毎日搾れる乳より日々消費され足りなくなる肉が重視されたのだ。牛の数が減り増やすこともままならないのではポルク家は破産する。牛が減ればその分収入も減るわけで、このまま困窮するよりはとマチルダは家を出ることにしたのだ。ついでに結婚相手を見つけてこいと両親は気楽なことを言ってのけた。


 紹介所はマチルダと同じように家に居られなくなった女で溢れていた。混乱の最中で職を失くしたり、給金を払えなくなった雇い主を見限ったりと事情は様々である。人気があるのは衣食住が確保される住み込みメイドで、条件の良いものはとっくに契約済みになっていた。そんな中見つけたのが『金のリンゴ亭』の給仕ウェイトレスである。


「賄いがついていますし、アパートの世話もしてくれました。旦那さんと女将さんには感謝してるんです。私もこちらがはじめてのお仕事ですし、セクハラごときで辞めるようじゃどこに行っても続かないと思って踏ん張って来たんですけどもう限界です……!」


 元々広い農場を歩き回っていたので立ちっぱなしでも問題ない。ニックもミュートも食べることが好きなので従業員となったマチルダにも自慢の料理を振舞った。なにより3人とも働き者なのだ。ミュートは見所があると客に自慢していたほどである。珍しいほど円満な雇用形態だ。


「実はマチルダの前に2人雇ったんだけど2人ともすぐに辞めちまってね」

「立ち仕事に水仕事、酔っぱらいの接客に、酷い時ぁゲロの始末だ。娘さんにゃあきつい仕事だろう。けんど、給仕娘がいるとやっぱ活気が出てな。客も期待してるし、マチルダにまで辞められると次は来ねぇだろう」

「なるほどねぇ」


 話はわかった。しかしクラーラは仕立て屋であり、給仕の教育などやったことがない。


「それで、アタシに何をして欲しいの? 仕立て屋に相談するんじゃなくてセクハラ親父に説教かましたほうがいいんじゃなぁい?」

「クラーラさんが仕立て屋ってのはわかってんだ」

「この子が自信を持って働ける給仕服を作ってもらえないかと思ってね」

「そういうことか」


 クラーラはマチルダを立ち上がらせると上から下まで眺めまわした。眉が寄る。立ち上がってもマチルダは恥ずかしそうに背を丸め、前に回した手を所在なく組んでいる。


「背筋伸ばして、胸張って、手は横に。姿勢良く!」

「はいっ」


 ビシッと言えばマチルダは反射的に従った。


 背丈は標準だがクラーラの店に来るどの少女よりもしっかりした体つきだった。農業従事者らしく日に焼けており、小鼻の辺りにあるそばかすがチャーミングだ。


「ふぅん。足腰しっかりしてるし健康で体力もありそう。おまけにこのおっぱいじゃぁセクハラされるわねぇ」


 苦笑交じりにあえて言えばマチルダはまた背を丸くした。やっぱりね、とクラーラは納得する。胸の大きさをごまかすためにわざと背中を丸めて隠しているのだ。


 年頃の娘である。同年代と違う部分があるだけでも気になるのによりによって最もセクシャルな胸だ。コンプレックスに思うのも無理のない話である。


「いつもはどんな服で店に出てるの? まさか普段着?」

「これさね」


 ミュートが持っていた包みの中から取り出した黒のワンピースは給仕服というよりメイド服である。袖口のパフスリーブがクラシカルで可愛いものの、飾り気がなさすぎた。エプロンもただ白いだけである。


「……マチルダちゃんにはサイズが合ってないんじゃない?」

「最初の子に買ったやつだからね。その子には少し大きかったんだけどねぇ」


 隣の試着室で着替えさせ、今度こそクラーラは仕立て屋の目でマチルダを眺めた。


 肩幅と腰は良いとして、胸は詰まって苦しそうだし裾は短く足が見えすぎている。エプロンを着けるとかえって胸に目が行っただろう。


「パリスさん、ぶっちゃけ予算は? 支払いはどちらがもつの?」

「わ、私が自分で払いますっ」

「うち結構高くつくわよ? それでもいい?」

「かまいませんっ。こんな機会でもなければクラーラの店で服なんか作れないし、なんとしても払います」


 マチルダは目を瞑り思いの丈を叫んだ。クラーラの店は少女の憧れだ。たとえ給仕服のアレンジだろうと、いや、アレンジだからこそマチルダの給金でも支払うことができる。


 なによりマチルダは、変わりたかった。


「もう、もう私っ、乳牛とかホルスタインとか言われて黙って笑ってるのイヤなんです! 酔っぱらいのおっさんに「搾乳してやろうか~」っていやらしい手つきをされるのも酔ったふりして突かれるのもお客さんだから我慢してたけどもー限界よっ!」


 色々と苦労があったらしい。拳を握って吼えるマチルダにクラーラも憤慨した。


「なぁにソレ、そんなことがあったの!? 信じられないわ、酔っぱらいの風上にも置けやしないわ最低男! 好きな男にだってそんなことされたら百年の恋も冷めるわよ!? 金払ってるからっていい気になってるんじゃなぁい!?」

「ほんとそれです! だいたい店に来て飲み食いしたら金払うのなんか当然だわ! ツケの奴だっているし、ほんっと図々しい! 気色悪いんだよっ!!」

「戦いましょうマチルダちゃん! 乙女の肌はいつか出会う素敵な方のためのもの、安売りしちゃぁいけないわっ。お触り禁止!」

「クラーラ様!」


 がっしと両手を握り合うクラーラとマチルダに、もしや人選を間違えたかとパリス夫妻は顔を見合わせたのだった。


***


「さぁて、まずはサイズ直しね」


 既製服はだいたい緩めに作られ、誰にでも着られるのが売りである。しかしどこにでも規格外が存在するのも現実であった。


「その前にマチルダさん、コルセット着けましょう」

「え? いりませんよ」


 話を聞いたクラーラのメイド、レオノーラもそういうことなら人肌脱ぎましょうと応援に駆け付け、作戦会議がはじまった。


「ご実家の手伝いをなさっていた頃はコルセットは邪魔だったのでしょうが、接客仕事には必要です。思うに、執拗に触られたのは脇腹だったのではありませんか?」

「そうです! グラス置いた時とかにちょんって。え、まさかコルセットしてないから?」

「触った感触がやわらかければ一発でわかります。下着を着けていない、というだけで男の妄想をかきたてますね」

「するするする! もう今日からコルセット着ける!」


 ぞわっと鳥肌の立った腕を擦り、マチルダが半泣きで同意した。


 広い農場を駆け回り畑仕事もする農家では、憧れはするが動きを邪魔するものでしかなかったコルセットも、男が多く集まる居酒屋の接客ではむしろ必須アイテムだ。娘のやわらかな腹が指の圧で形を変える様はさぞやセクハラ男たちを喜ばせただろう。それが一転固いコルセットで阻まれたとなれば、マチルダが好きでされるがままだったわけではないという明確な意思表示となる。


「コルセット着けるならボディラインにメリハリができるわね」


 ためしにレオノーラのコルセットを着けさせてから給仕服を着ると、余計な肉が抑えられたぶん先程よりあきらかに締まって見えた。


「ふむ。これなら胸はなんとかなりそう。それよりは裾ね」


 胸は脇の肉を背中に持って行けばいいのだ。このタイプの服はスカートに広がりを作っているが基本的にストンとまっすぐになっている。胸が大きいため前側が持ち上がり、結果として裾が短くなってしまっていた。


「レースやフリルもいいけど、それはエプロンに付けたいところね。思い切って別の布で裾を作って、おしゃれにしちゃいましょうか」

「マチルダさんでしたら少し強気で攻めても良さそうですわね」


 ささっとスケッチしたデザインは給仕服のスカートに布を足し、裾にしたものだった。


「あの、触ったらただではすまない感じにできますか?」

「いいわねぇ。マチルダちゃんたら戦う気満々ね」

「た、戦うというか、触られないならそれでいいんです」

「それもそうよね。じゃあエプロンの腰ひもをベルトみたいにして、ナイフを仕込めるようにしちゃいましょうか」

「えっ、お客さんを捌くんですか!?」


 酪農家といってもただ牛を育てているだけではない。牛の飼料となる牧草やトウモロコシ、自分たちの食料となる小麦や野菜の世話もする。そして重要なのが害虫・害獣の駆除だ。狼や熊などの大物は猟師ハンターギルドに依頼するが、ネズミや野鳥、イノシシなどの罠で倒せるものは自分たちでなんとかする。ネズミはともかく鳥とイノシシは貴重な肉だ。捌いて売りに出すほかに自分たちでも食べる。おかげでマチルダも獣を捌く腕を磨いてきたが、こんなところで発揮される技術と度胸ではない。


「違うわよっ。威嚇よ、威嚇っ!」

「いえ、なんでしたら命中しないようナイフを投げる技を伝授しますが」

「師匠!」

「やめて」


 エプロンは肩部分に刺繍付きフリルを付け、腰ひもは外して代わりに太いリボンをベルトのように巻いて後ろで留めた。留め飾りもリボンで華やかさを出す。襟元にも濃紺のリボンを付けてシックな雰囲気だ。


 あえて胸を強調させるデザインにしたのにはクラーラの思惑があった。


「マチルダちゃんは、胸が大きいのが嫌で背中を丸めて隠したでしょう。そうなると余計に目が行くものよ。特に胸は男がつい見てしまう部分だわ」

「はい。……隠しているのにじろじろ見られてとても気持ち悪かったです」

「セクハラや痴漢をする男はね、弱い女を狙ってくるの。背中を丸めるのは逆効果ね。堂々と胸を張ってごらんなさい、見てしまうほうが恥ずかしくなるわ」

「そういうものでしょうか?」


 さんざん見られてきたマチルダは懐疑的だ。無理もない。クラーラはくすっと笑って彼女の目の前に立った。


「どう?」

「え?」

「アタシなんてどう見たって女装の大男じゃなぁい。マチルダちゃんだってはじめて会った時驚いたでしょう? でも、何も言わなかったわ」

「だって、それは」


 言われてみればそうである。クラーラが女装男であることはマチルダも噂で聞いていたが、聞くとみるとでは大違いだった。今日のクラーラは喪に服すような黒のドレスだが、ところどころにさりげなく青が仕込んでありそこまで重い雰囲気ではない。厳かで静謐な未亡人のようだ。


 男の体つきを完璧に隠すドレスはもちろん、髭剃り痕や指の太さ、喉仏など、粗探しのごとく見たりはしなかった。クラーラに対して失礼だし、なにより彼の粗探しをできるほど自分ができた女だとも思っていなかったからだ。


「ね? 目立つところってやっぱり本人は気にするわよ。それを凝視するのは良心が疼くというか罪悪感が湧くというか、ううん、恥ずかしい、ね。そんなことをしている自分がとても下品に思えるし、恥ずかしくなるものだわ」

「酔っぱらいのおっさんに通用するでしょうか」

「通じない人はいるでしょうけどね、それなら同じことをやり返してやればいいのよ」

「同じこと?」

「そう。『金のリンゴ亭』の客層は仕事帰りに一杯ひっかけていく中年男性がほとんどよ。そしてその年代の男が気にしないフリをしてその実とても気にしている部分――ズバリ、髪よ」


 若い頃と比べて運動量が減り体重の増加によっていわゆるビール腹になる男も多いが、彼らは痩せればいいとそれがどれほど大変なのか知らずに考えているのでそこまで気にしない。人に相談しにくく、かつ誰しもが気にしているがゆえにデリケートな問題といえば、年々減りつつある妻の愛情と頭髪である。もうひとつ股間の分身もサイズや持久力等いろんな問題があるのだが、あいにくそれは女との相性もあるので一概に良し悪しの判別はしにくい。マチルダにも股間をチラ見して鼻で哂えというのは高等技術だろう。余談ではあるが、ごくまれに蔑まれることを喜ぶ特殊な性癖の持ち主もいるので、ためしにやってみるのは非常に危険である。


「アンタその頭でこのアタシにお触りしていいと思ってんの? そんな気持ちでセクハラ野郎の頭を見つめてやりなさい。尻尾巻いて逃げ出すわよ。真顔だとなお良しね」

「そういえば父さんも薄くなってからは髪を伸ばしてるわ」

「あー、いるわねぇそういうお方」


 黒い木綿の給仕服との相性を見てクラーラが選んだのは濃紺の木綿布だった。マチルダの足に合わせて裁断し、縫い目が目立たないように縫い付けていく。


「……実はね」


 手を止めずにクラーラが言った。しっかり縫った裾に今度は飾り縫いを施す。せわしなく動く指先に迷いはなかった。ところどころにワンポイント刺繍が入り、清貧そのものだった黒い服が新しく生まれ変わっていく様子は本当に魔法の手だ。


「あんなことがあったでしょう。国中なんだか自粛ムードで、お店を再開するか迷ってたの」


 クラーラは微笑んでいる。椅子に腰かけ針仕事をしているクラーラがなんだか母を思い出させて、マチルダはゆっくりと聞き入った。


 幸いクラーラの店にたいした損害はなかった。せいぜいドアに傷と、ガラス窓にヒビが入った程度である。


 だが長期休暇に入る前、乱が起きることを予想して店中の布や見本のドレス、宝石などをすっかり片付けていた。クラーラが帰ってきてもすぐ元通りというわけにはいかなかったのだ。


「あなたが来てくれて嬉しいわ、マチルダちゃん。誰かに必要とされるっていいものね」

「クラーラ様……」


 笑うと目尻に皺ができた。マチルダには想像もできない苦労があったのだろう。


 マチルダは本当ならメイドになりたかった。賄いと、客商売なら心づけ(チップ)が貰えると期待して、下心があったから『金のリンゴ亭』で働くことを決めたが、それでも酒場は夜の店だ。どこか後ろめたいと思っていた。


 賄いは美味しいし、パリス夫妻は若い娘が遠慮するなとお腹いっぱい食べさせてくれる。酔っぱらいの相手もセクハラも嫌で何度も逃げ出したくなったけれど、なんとか持ちこたえていられるのはパリス夫妻の人柄とお客さんの笑顔があるからだ。娘のようだと笑う人、孫が同じ年頃だと心づけを弾んでくれる人、セクハラを諌めてくれる人だってちゃんといた。マチルダのために本気で怒って励ましてくれる人が、ちゃんといるのだ。それがマチルダを引き留めていた。


「そうですね……」


 まだ大丈夫。まだ頑張れる。根性だけは鍛えてあるのだ。牛と比べて言葉が通じるだけまだましだろう。


「さ、できた。そっちはどうかしら?」

「できました。これで大丈夫、ですよね」


 マチルダは料金をまける代わりとしてエプロンのフリル付けをやっていた。白いフリルに白糸の刺繍がされた布はマチルダが給料を前借りしてようやく手が届くかどうかの値段で、一目惚れしたものの悩む彼女に自分で縫うのなら割引するとクラーラが提案した。


「うん、よくできてるわ。お母様のお仕込みが良いのね」

「農家は子だくさんですから。自分の服は自分で縫いますし、忙しい家族に代わって縫うこともありました」

「お料理は?」

「ひと通りできます。火を使えるようになったら自分たちで作って食べてました」

「なんでもできるのね、たいしたものだわ」


 どこへ行っても苦労しないように育てられたのだ。農家の娘はたいてい早めに嫁いでいく。相手もまた同じ農家の場合が多く、若い労働力を期待されるからだ。


「働かざる者食うべからずが我が家の家訓ですわ」

「最高ね。大人になればみんなそうだもの、幼い頃から家訓が染み込んでいれば働き者になるわ」


 ところでクラーラは先程からなにやら刺繍をしている。金のリンゴを中心に、リンゴの花と葉がついた枝が両脇を飾っていた。肩にかける紐が付いたそれは小さなポーチだった。


「さ、これはクラーラの店再開一号様へのおまけ。チップを入れると良いわ」

「え、いいんですか……?」

「もちろんよぉ。あると便利でしょこういうの。気持ちよく受け取ってくれると嬉しいわ」

「ありがとうございますっ!」


 ポーチを胸に抱きしめ、マチルダは感激に顔を真っ赤にした。


 クラーラにしてみれば手慰み程度のポーチである。腕が鈍っていないか、ドレスの前に小物を作っておさらいしていたものの一つに刺繍を入れただけだ。それでもやはり、自分の作ったものが喜ばれるのは胸をあたたかくした。


「こちらこそ、ありがとう」

「え?」

「なんでもないわ。今度飲みに行くから、その時はよろしくね」

「はい! お待ちしています!」


***


 『金のリンゴ亭』は人の好い夫婦が営む、腸詰めが人気の居酒屋だ。そこに最近もう一つ、名物が加わった。


「いらっしゃいませっ。あ、クラーラ様!」

「様、はよして。こんばんはマチルダちゃん」


 看板娘のマチルダだ。働きはじめた当初とは打って変わって明るく溌剌とした彼女に、こちらが素だったのかと調子に乗っていた酔っぱらいどもは驚き歓迎した。酒飲みのほとんどは陽気に楽しく飲むことを好む。大きな胸を見せつけつつセクハラにきっぱりと対処するマチルダは人気急上昇である。


「元気でやってるみたいね、良かったわ」

「はいっ。この服を着るのはちょっと恥ずかしかったですけど、堂々としてたらみんな褒めてくれました。セクハラも、しつこいお客はクラーラさんに言われた通り頭をじーっと見てやったらそのうち来なくなりましたよ!」


 なんでえクラーラの入れ知恵だったのかとヤジが飛び、そんなら敵わねえやとどっと笑い声があがった。


「あらま。お客が減っちゃった?」

「いいえ。ヤなやつが減ったんです!」


 にこっと笑って腕を曲げたポーズを決めるマチルダには背を丸めていた頃の弱気は欠片もなかった。いよっ看板娘! とやんやの喝采がかかる。


「クラーラさん、いらっしゃい」

「ミュートさん、良い娘を雇ったわねえ」

「あたしの見る目に間違いはないよ。あの子はあたしの若い頃そっくりさね」


 クラーラはビールと赤唐辛子の腸詰めを注文すると、目当ての席に座った。奥の2人掛けテーブルには先客がいた。


「はぁい。お久しぶりねぇピエトロちゃん」

「クラーラ……? この、うらぎりものぉ……」


 どうやらすでに出来上がっているらしい。彼は酔って潤んだ目でクラーラを睨みつけるとテーブルに突っ伏してしまった。


「あらら、ずいぶん飲んだのねぇ」

「これが飲まずにいられるかってんだ。……ばかやろー……」


 クラーラは猫のようにふわふわした彼の髪を撫でた。


 ピエトロ・ロペスは野に下った論客のひとりだ。元は弁護士で、マイヤー氏に師事していた。庶民の味方となり貴族を相手に訴訟を起こしては負けている、連戦連敗の弁護士。志は高くとも勝てなくては金にならず、時折『王都新聞ザ・ロイヤル・ニュースペーパー』に批評を載せて糊口を凌いでいた。


 マクラウドが求める人物。国民議員への勧誘を蹴った男である。




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