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アルベールの終幕・前


 フランシーヌとアドリアンが着替えている頃、ジョルジュ家を取り囲むように民衆が集まりはじめていた。


 アルベールに唆された暴徒の他に、この騒動で商売ができなくなった者や病人を抱え途方に暮れる者。彼らはアルベールの反乱が私怨であるとわかっており、だからこそ婚約破棄で彼を追放したフランシーヌにも非があると叫んでいた。


 彼らの言い分はわからなくもない。誰かが堪えればいいのなら、何もアルベールでなくても良かったのだ。フランシーヌが身分をわきまえてアルベールに譲歩し、ユージェニーとの関係を祝福していればこんなことにはならなかった。男に嫌われていたのだから黙って嫌われたままでいさえすれば、何も変わらない王都が今もここにあっただろう。あまりにもフランシーヌの気持ちを無視した主張だが、これまでの生活基盤を失い未来が不安定になった彼らは誰かに怒りをぶつけるしか不満を解消するすべがない。怒りは他の貴族にも向かっており、警官隊に引っ立てられていく民衆に怒りの火は燃え盛るばかりだった。


「お嬢様、若殿様、今出ていくのはとても危険です。夜までお待ちになったほうが賢明かと」


 軍服を着た二人をメイドが目を潤ませて引き留めた。この状態で家を出たら、騎士団を率いていても怪我をするかもしれない。夜まで待ち、人がいなくなったのを見計らって王宮へ向かうべきだろう。


「大丈夫ですよ。よくお聞きなさい」


 伯爵夫人が子供たちの肩をやさしく撫でながら言った。


 耳を澄ましてみれば、男たちの怒号に混じって女たちの悲鳴に似た叫びも聞こえる。フランシーヌに責任転嫁する男の理不尽さへの怒りであった。


 女たちにしてみれば、男たちの非難はまったくの筋違いである。浮気だけでも許しがたい裏切りだというのにそれを認めろなどと、女を馬鹿にしているとしか思えなかった。毅然とした態度で王子であったアルベールに立ち向かったフランシーヌを擁護する声である。他の貴族はともかく、フランシーヌだけは別だ。そう反論していた。


「フランシーヌ、あなたの行いときちんと見ていてくれた人々がいるのです。胸を張ってお行きなさい」

「はい、母様」

「アドリアン。真の臣下とは、主君が道を誤った時、たとえ命を賭けてでも正道を説くことができるものです。何が正しいのか、自分の目で確かめなさい」

「はい」


 家宰とジョルジュ家の騎士団長に両脇を守られながらフランシーヌとアドリアンが屋敷を出ると、騒いでいた民衆がぴたりと止んだ。


 フランシーヌが出てくることは予想していただろうが、まさかの軍服姿に女たちの中には思わず顔を赤らめる者までいた。一瞬の静寂の後、金切り声にも似た歓声があがる。フランシーヌはあまりのことに苦笑し、照れくさそうに手を振った。歓声はさらに大きくなった。


「姉様の人気はすごいのですね」


 アドリアンはこれほど熱狂的な民衆を見たことがなかった。耳をつんざくという表現がぴったりな有り様に感動するより呆れている。耳を塞ぎたそうに眉を寄せた。


「あなたもよ、アドリアン」

「え?」


 フランシーヌが馬に、アドリアンが家宰と馬車――戦車に乗ると、彼の幼さに大いに刺激されたらしい彼らからどよめきが起こった。8歳の少年が乙女を連れて戦いに赴く様に伝説の聖乙女を連想し、年寄りは悲痛に口元を覆い、なんたることだと足を踏み鳴らす。あのような少年に国の命運を背負わせ、姉たる乙女まで支えようとしている。フランシーヌとアドリアンの名前を連呼する彼らは一体となって感動の渦に引き摺りこまれていった。


 ジョルジュ伯爵家騎士団を率い、民衆に見送られて出発した彼らは途中で近衛と合流した。将軍を失い数名がアルベールに賛同していた近衛だが、小隊長クラスの指揮官が軍勢をまとめ上げ、ジョルジュ伯爵家の跡取りを迎えに来たのである。


「アドリアン・ドゥ・オットー・ジョルジュ殿でありましょうか?」


 使者の旗を持った兵が近づいてきた。身構えた家宰を抑え、アドリアンが返事をする。


「そうです。近衛はどうなっておりましょう」

「一時混乱しましたが、クラストロ閣下のご助力もあり持ち直しております。現在閣下は軍司令部を占拠、乱を鎮静化すべく指揮を執っておられます。我ら近衛は亡きアントワーヌ将軍の遺志を継ぎ、御子息であられるアドリアン殿の旗下に入るようとの命令でございます」


 使者の指差す方向には王宮が沈んでいく夕日を浴びて赤く染まっていた。常ならば国旗が掲げられているはずのそこに、クラストロの双頭の龍がはためいている。


 フランシーヌは胸を押さえた。


 あの方がわたくしを守ろうとしてくれている。呼吸が止まるほどの感激であった。アルベールの魔の手から逃げるのではなく、戦えとフランシーヌに教えた彼は、背中を守るために軍まで動かしてくれたのだ。


「それは、軍部はクラストロ閣下の支配下にあるということか」


 しかしアドリアンは別のことを考えた。この乱を好機と見たクラストロがアルベールに王を害させ、王位を簒奪するつもりなのではないか。硬い表情のアドリアンにフランシーヌは諌めようとした。


「およしなさい、アドリアン」

「姉様、これは国家の大事です。確認しなくてはなりません」


 家宰も驚いたが、アドリアンの懸念はもっともである。国一番の大貴族であり、公爵家のクラストロが王家から王位を奪い取っても、乱を起こしたのがアルベールである以上やむをえない措置と諸国も考えるだろう。


 使者もこんな幼子がこれほど危機感を抱いているとは思わなかったのか、驚いた顔をした。それから表情を引き締める。


「支配下にあるかといえば、その通りです。ただし姫様と殿下方の身の安全は確保されました」


 ルードヴィッヒが真っ先におこなったのは軍司令部の占拠である。これで近衛を筆頭に軍幹部の首を抑えることに成功した。その次に王宮の守備を固めた。アルベールが失脚し、王子たちの先行きに影が差し始めたことでまたぞろ貴族たちが蠢く気配を感じ取ったからだ。


 順当に行けば次の王太子は第二王子のマルセルだが、成人前で未婚のため婚約者争いが激化する。乳母だけではなく教育係もつけられ、当然ながら側近候補として貴族の子弟から数名が出仕していた。マルセルの周囲は半ば固められている状態だ。


 それよりは未知数の第三、第四王子を担ぎ上げる、あるいは王族のいずれかを自分たちの権力で囲ってしまう方が利がある。今から自分たちに都合の良い教育を施して側近や大臣を囲いこめば思いのままに国を動かせるのだ。現状に不満を抱いている貴族はそう考えた。屋敷に戻った貴族たちは兵を集めて王宮に突入、それぞれに王子たちを排除しようと動いた。そこに激怒の民衆まで加わったのだから混乱は必至であった。


「まさに間一髪であったのです。閣下が来てくださらなければマルセル様も下の殿下方も無事ではいられなかったでしょう。貴族同士での内乱にまで発展しかねないほどでありました」


 さらに付け加えるなら王妃が人質としてアルベールに自ら捕まっている。王宮を取り締まる者がいなかったのだ。

 黙っていられずにフランシーヌもアドリアンを諭した。


「アドリアン、あなたの懸念はもっともです。ですがこのような時に疑心暗鬼に囚われてはいらぬ敵を増やすだけ。今はまず王宮が守られていることを喜びましょう」

「……はい、姉様」


 フランシーヌの言葉にアドリアンは顔をうつむかせる。家宰は幼い主君のちいさな肩が緊張に震えていることに気がついた。初陣の緊張に加え、姉と国を守らねばと必死に考えているのだ。パニックになって泣き叫ぶこともできぬ子供が不憫でならなかった。


「軍使殿、無礼を許されよ。それでは私たちはどちらへ行けばよかろう。王宮か?」

「恐れ入ります。今頃はアルベールが議会に乗りこんで陛下に退位を迫っているはず。議会堂へ向かい、陛下と議員方の救出を頼むと閣下の仰せです」


 アドリアンは一瞬息を飲み、姉を見上げた。フランシーヌがうなずく。軍人とはいえ貴族の初陣は勝てるようにお膳立てされるものだが、それでもここまで用意されることがあるだろうか。王を救い反逆者を倒す、その晴れがましい舞台を、クラストロはジョルジュ家にくれたのだ。


「あの方はそういう方なのです。未来を見据えて若者を育てようとする……」


 王宮にたなびく旗を見上げてフランシーヌが涙ぐんだ。アドリアンの腹が据わった。


「行きましょう、姉様。行きましょう、皆! 今こそ正道を歩む時!」


 アドリアンの檄に歓声が波のように広がった。進軍する彼らの前にアルベールに追従した近衛率いる部隊が現れたが、近衛正規兵とジョルジュ家の騎士団を前に瞬く間に倒れていった。特にフランシーヌの影響はすさまじい。レイピアを手に馬に乗る彼女を見た少女たちが手に手に石や煉瓦を投げ、中には熱湯を浴びせかける者もいて、元より統率力のない男たちの敵ではなかった。


 議会堂に着いた時のフランシーヌとアドリアンはそうした様子であり、一種異様な緊張に凍り付いていた中とは綺麗な対比を成していた。


 王妃殺害という思いがけない出来事にマクラウドが引き連れてきた民衆はほとんど恐慌状態だった。誰ひとりとして声もあげず、時が止まったかのように静まり返っている。


 そこにフランシーヌがアドリアンと共に飛び込んできた。現れた近衛にアルベールの側近が彼の周囲を取り囲み剣を抜いた。アルベールが振り返り、フランシーヌを見て目をみはった。


 白と青の軍服はフランシーヌを正義の使者たらしめていた。頭上でまとめられた長い銀髪は夕日を浴びて赤く輝いている。王妃を見て息を飲んだ彼女は濡れた新緑をきりりと吊り上げてアルベールを睨みつけた。憎しみの色はない。フランシーヌにあったのは、悲しみを乗り越えようとする強い決意だけだった。


「アルベール! 父の仇!」


 ついに緊張が爆発したアドリアンが突進した。体に合わない重い剣を引き摺るようにして振り被ったが、リョート・メイフィールドに跳ね返されてしまう。あっけなく尻餅をついた彼にリョートがとどめを刺そうとした。


「っ!」

「アドリアン!」


 フランシーヌが庇うよりも早く動いた者がいた。マクラウドの投げたペンがリョートの手の平を貫通した。


「がぁぁああっ!!」


 手を押さえて呻いたリョートだが、痛みに引き抜くこともできずうずくまった。すかさずフランシーヌがアドリアンを抱きしめた。遅れて入って来た家宰が剣を拾い、アルベールに向かって構える。


「……仇と言うのならわたしも言わせてもらおう」


 アルベールがゆらりと進み出た。何を言うのかとフランシーヌが弟を抱きしめる腕に力を込めた。


「ユージェニーの仇」


 ユージェニーの名を告げた瞬間の彼は、泣きだす直前の子供のようだった。



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