フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの憂鬱4
さて、長かったけどいよいよ対決の時です。
申し訳ありません。タイトルが重複しておりました。
パーティ当日、完成したドレスに身を包み、クラーラ自らの手による化粧を施されたフランシーヌは、彼女を見慣れた両親やメイド、弟が見てもハッとするほど可憐で綺麗だった。美しいと評するより綺麗というほうがふさわしいだろう。祖父譲りの吊り目は気の強さではなく気品となり、彼女にあわせて揺れるドレスは所作を優雅に見せている。
「姉さま、なんて可愛らしいのでしょう。まるでデメテルのようです」
微笑みの妖精デメテルはすべての人を笑顔にする、幸福の使者だ。弟の素直な感嘆にフランシーヌはにっこりと笑った。
「まあ、ありがとう」
蒼のドレスはフランシーヌが動くたびにきらめき色彩に花を咲かせた。
一口に絹といっても最高級のそれは蚕からして特殊で、通常の糸が白であるのに対し様々な色を付けた繭を紡ぎ出すのだ。それをクラストロ公爵家が編み出した技術で織り、クラーラが自分のすべてでもって仕立てた。
「さあ、仕上げよ」
言ってクラーラが取り出したのは、大粒の真珠のネックレスだった。
「まあ、真珠…!」
「悪いんだけど、これは商品じゃないのよね。特別に貸すだけ。フランシーヌちゃんだから、これを使ってもいいわ」
商品ではないと言うのは残念だが、無理もないと納得する。内陸にあるこの国では真珠はめったに流通しないのだ。しかも、これほど大粒でほぼ真円の真珠をネックレスにできるほど揃えるのは並大抵の財力ではできない。いくらフランシーヌが伯爵令嬢でも手に入れることはできないだろう。
「よろしいのですか?万が一のことがあっては……」
「いいのよ。フランシーヌちゃんはお友達だもの」
さあ、魔法をかけてあげる。クラーラの指がフランシーヌの細い首にネックレスを巻き付けた。
「真珠は純潔の象徴よ。固い貝の中で守られ、歳月をかけて育まれた少女にこれ以上ふさわしいものはないわ」
「クラーラ様……」
「綺麗よ、フランシーヌちゃん。胸を張っていってらっしゃい」
クラーラに見送られ、フランシーヌは馬車に乗った。
今夜のパーティの主旨はアルベール王子とフランシーヌ伯爵令嬢の婚約披露である。本日の主役はアルベールとフランシーヌであり、彼がどんなに我儘を叫んでもユージェニーをエスコートするのは許されなかった。
アルベールは今日まで王と王妃、つまり両親にさんざん諭されていた。ユージェニーではなくフランシーヌを見ろと。平気な顔で不貞を行うような娘では王子の妃が務まるはずがない。時にやんわりと、時に強く、ユージェニーとの結婚を反対された。
反対されればされるほど燃え上がるのが恋というもので、ユージェニーの身分が低いからというのなら上げればいいと、彼女にねだられるまま援助し続けた。できればフランシーヌと同等の伯爵位を与えようとしたが、さすがに王だけではなく大臣たちにも大反対され叶わなかった。
今まで順風満帆な人生を歩んできたアルベールにとって、ユージェニーとの恋ははじめての試練であった。フランシーヌには悪いが彼女に向ける感情はどこか家族への親愛めいたもので、ユージェニーに抱く肉欲を含んだ情動を抱いたことはなかった。
アルベールは会場でひとり佇むユージェニーを想像し歯噛みする。ユージェニーはここへ来る資格のない貴族であるが、アルベールは必ず諦めるからと約束して招待状を用意させた。もちろん諦めるつもりはない。貴族だけではなく外賓も揃った場でユージェニーを選び、なし崩しに認めさせるつもりだった。
フランシーヌを納得させるためなら、ユージェニーとふたり、フランシーヌに頭を下げても良いとすら思っている。もっともアルベールの知るフランシーヌは彼の友人たちの評判とは裏腹に優しい少女で、恋に夢見ているところもあるが礼儀正しい伯爵令嬢だ。幼い頃からアルベールのために尽くしてきた少女なら、真実の愛を見つけた自分たちを祝福してくれるだろう。婚約者を純粋に慕い恋していた少女に対し、手酷い裏切りをしたなどとアルベールは思っていなかった。
そんなアルベールにフランシーヌの訪れが告げられる。憂鬱な気分をなんとか振り払い、今はまだ婚約者である彼女を出迎えた。
「ごきげんよう、アルベール様」
すっと淑女の礼をとったフランシーヌにアルベールは息を飲んだ。
見たこともない美しい絹のドレスに身を包んだフランシーヌは、可憐としか言いようがない佇まいだ。こんなに綺麗な女だったのか。アルベールはこの一瞬たしかにユージェニーを忘れた。
「あ、ああ。フランシーヌ、今夜は…とても綺麗だな」
「ありがとうございます」
なんとか取り繕い、エスコートして会場に入る。すでに列席の方々は入場し主役を待っているところだ。護衛の騎士がふたりに続く。彼らもアルベールの側近としてフランシーヌを知っているが、やはり嫌悪感を持っていた。だが今夜のフランシーヌはそんな思い込みによる勘違いを払拭するだけの魅力を放っていた。
会場に入ると、好奇の視線がフランシーヌを見て驚きに変わった。
クラーラのドレスは完璧だった。大胆に胸元を開け、鎖骨が見えるデザインにはまだ少女であることを証明するかのように大きなリボンがひとつついている。蒼い絹の生地はフランシーヌが歩くたびに色彩を変え、シャンデリアからの灯りが当たって白く光った。どこか人魚姫を彷彿とさせる、可憐さと健気さ、そして気品を感じる。首を飾る真珠のネックレスがその連想を肯定していた。
フランシーヌは知っているのだ。今夜なにが行われるのか知っていて、それでも伯爵令嬢として、王子の婚約者としてやってきた。悲痛な恋心を訴えかけるその様子に思わず涙ぐむ少女までいる。言わずと知れた、おねえさま信者である。
フランシーヌは会場中が自分に飲まれたのを肌で感じていた。好奇と嘲りの視線が一気に好意的なものに変わる。
フランシーヌは微笑んだ。
いつもであればあれほど傲慢な笑い方はないと嘲笑っていた男たちが吸い寄せられるように魅せられている。滑稽であり、残念でもあった。こんなに簡単に好悪が逆転するのなら、今までの苦労はなんだったのだ。
王が合図をして、楽団が音楽を奏でる。アルベールとフランシーヌがファーストダンスを踊り始めた。
フランシーヌと踊りながら、アルベールはユージェニーを探していた。会場の隅、壁に身を寄せるようにしてぽつんとひとり立っている。顔色は紙のように白く、ぎゅっと手が拳を握りしめていた。
可愛いユージェニー。アルベールが贈ったドレスを身に纏い、花のようなその姿。護衛を指示しておいた騎士からも離れたところで壁の一部であるかのように身の置き所をなくしている。誰もが彼女に気づいているだろうに、誰も彼女を気づかうことなくまるでいないもののように避けている。自分がそうしたのだ。アルベールは唇を噛んだ。
アルベールの目が自分から反れたことに気づいているだろうにフランシーヌは何も言わない。目を戻すとにっこりと微笑まれた。最後のダンスとわかっているかのような、鮮やかな笑みだった。
ひどいことをしている。
アルベールは唐突に自覚した。自分の為に咲いた花を見なかっただけではなく、泥まみれの足で無残に踏みにじろうとしていることに今更ながらに気づき、狼狽える。だがもう引き返せないところまで計画を進めてしまっていた。
ユージェニーは今年社交デビューしたばかりで王子に見初められた、可憐な花だった。地方貴族の子爵家といえばたいていが食い詰めて零落している貴族で、王都まで出向いてくる見た目にそぐわぬその度胸がアルベールは気に入った。事実彼女は実家を立て直すことを夢見てやってきた。フランシーヌが百合ならユージェニーは菫。甘く香り周囲を惹きつけるフランシーヌであればアルベールでなくとも良いだろうが、ユージェニーはアルベールが見つけて保護しなければ野心を逆手にとられて身も心も持ち崩していただろう。
ユージェニー本人は、王都の金持ち商人の息子あたりと結婚できれば良いと思っていたようで、王子が庇護を申し出ると震えて恐縮しながら一度辞退した。王家を畏れ敬う姿勢もアルベールの気に入る要因だった。フランシーヌ本人や祖父である前将軍はともかくジョルジュ伯爵夫妻は王家に忠誠を誓っていないし、他の貴族たちはさりげなくではあるものの親しみを見せない。フランシーヌ以外の令嬢と婚約話が上がらなかっただけでお察しである。
もちろんアルベールも警戒した。もしもユージェニーが子爵の忠実な手先で、王家を牛耳ろうとしているのなら適度にあしらうだけのつもりだった。だがユージェニーは王都に借りた屋敷の家賃と、デビュタントのために使った借金返済の一部をアルベールから無利子無期限無催促の約束で借りただけで、それ以上の援助を申し出てくることはなかったのだ。アルベールがドレスや宝石を贈るたびに恐縮し、何度も礼を言い、フランシーヌを気にしてか彼女が出席する夜会などには付けることはなかった。
こんな女性ははじめてだった。田舎臭い少女を自分好みに変身させていく新鮮さにアルベールはのめり込み、やがてユージェニーに恋をした。両親がそれぞれ婚約者を捨ててまで結ばれたことを知っているアルベールは、真実愛し合う者同士が結婚するべきだという信仰にも似た思い込みがある。何年たっても両親の仲は良く、互いを労わり合い愛し合う姿は理想そのものだった。
周囲の説得に耳を傾けないのも無理はないだろう。国王夫妻は息子から軽蔑されることを懼れて真実の裏側を話さなかったし、側近たちも心が離れているせいかアルベールに教えようともしなかった。王家の醜聞など声高に噂できるはずもなく、フランシーヌたちの年代は裏を知らぬ者が多い。
ユージェニーへの警戒をすっかり解いたアルベールは、自身の才覚でもって彼女の実家を援助した。世間知らずの王子の提案など実際に行えるものが少なく、かといって無下にすることもできず、オルコット子爵家はそれなら資金も出してくれと援助を請うた。いくらなんでも地方貴族の一与力にすぎない子爵家の身分で娘を王子に嫁がせたらどんなことになるか、想像できないくらい馬鹿ではなかった。しょせんは金か、とアルベールが怒り失望してくれると思ってのことであった。
ところがアルベールはオルコット子爵に認められたと解釈し、本当に援助を施してきた。子爵家だけではなくユージェニーも驚き、王子の本気を感じて真っ青になる。
ジョルジュ家を敵に回したら、オルコット家などあっという間に潰されるだろう。ユージェニーに泣きながら訴えられたアルベールはむきになった。はじめて自分から好きになった少女を守ろうと、彼女を抱きしめて慰めた。
領地を持たぬ子爵であるから駄目だというのなら、与えてしまえばいい。王家の直轄地を与え、伯爵位なら買えばいい。あまり褒められたことではないが、爵位の売買は認められた正当な権利である。当然だが、国王だけではなく大臣たちにも話が伝わり、大反対にあった。フランシーヌとの成婚後、第一子として正式に立太子する予定のアルベール王子が、よりにもよってこの時期に恋人を作るなど認められるはずがないのだ。
そもそも国王と王妃の時とはわけが違う。アルベールには下に弟が3人と妹が1人いる。貴族たちが立太子に揃って反対すれば、最悪王家追放の憂き目にあうかもしれないのだ。特にすぐ下の第二王子はフランシーヌと同い歳、婚約が繰り下がるだけで済む。
反対されればされるだけ、アルベールは燃え上がった。フランシーヌとは違い何の後ろ盾もないユージェニーは自分が守らなくてはならないと思い、戦う決意をした。アルベールの側近、特に歳の近い友人とも呼べる彼らも賛成してくれた。あんな傲慢で鼻持ちならないフランシーヌが王妃になるより、か弱く庇護欲をくすぐるユージェニーのほうが仕え甲斐がある。
アルベールはユージェニーのために最高のドレスを仕立てようとクラーラの店に使いを出した。だが店は臨時休業の看板が出ていてクラーラはおろか使用人すら不在であった。何度も使いを出し、ようやくクラーラに会うことができたものの、今は立て込んでいると断られてしまう。王子の召喚に応じないとは何事だとアルベール自ら押しかけるが、クラーラの怒りを買っただけに終わった。
『悪いけどアタシ、人を選ぶのよネェ。王子様じゃぁその気にならないわぁ』
薄笑いに含まれる軽蔑と侮り。誰が相手であろうとあれほど露骨な態度をとられたことなどなかったアルベールはわめきちらした。
『わたしを誰だと思っている!?こんな店など王都から叩きだしてやるぞ!!』
『あらぁ、じゃ、そうすればぁ?ま、その時は王子様の受注は金輪際受けないけどね』
『………っっ!この、男女めがっ!!』
『男にもなれないボウヤが粋がってんじゃないわよ。出て行ってちょうだい』
ぎりぎりと歯噛みするアルベールを見もせずに、クラーラは犬でも追い払うように手を振った。懐から財布と、いくつか用意した宝石を見せつける。
『…クラーラとやら、なにが目当てだ?金なら出す。この宝石も好きに使うがいい。なんなら王家御用達として召し上げてやってもいいぞ?』
クラーラの挑発に乗ったアルベールはいつもの彼ならばしない、強権を使って脅しにかかった。彼の脳裏にはユージェニーの憂い顔がちらついている。妃となれば憂いなど晴れ、あの笑顔でそばにいてくれるだろう。
だがクラーラは屈しなかった。すっと真顔になったクラーラは、先程とは打って変わった低い声でアルベールにこう言った。
『……帰んな、ボウヤ。二度と来ないでくれ』
『……な………』
『ここは俺の店で、あんたは客だ。俺にも客を選ぶ権利があるんでな。あんたみたいな客はお断りなんだよ』
ほのかな怒りがクラーラから透けて見えた。クラーラはテーブルに転がった宝石を財布の中に強引に詰め、アルベールの懐にしまいこんだ。そして、思いがけない怪力でアルベールの胴に腕を撒き付け、ひょいっと持ち上げると足で店のドアを開けて放り投げてしまった。護衛が引き剥がす間もなかった。
慌ててアルベールを囲んだ護衛と側近に、クラーラは醒めた目を向けた。
『これだから王家はイヤよ。我儘言っても最後は許してくれると思ってるんだもの』
あーヤダヤダと首を振り、王子を掴んでいた腕をハンカチで拭う仕草までしてのけた。ドアを閉め、鍵をかけられる。ここまでの嫌悪を向けられたことのないアルベールも側近たちも、怒るよりただ呆けるのみだった。
結局ユージェニーにはいつもの仕立て屋のドレスを贈ることになった。王子からであることを主張するように、宝石や刺繍がふんだんについたドレスだ。正直いって、フランシーヌにこれ以上のものは用意できないと思っていた。
だが今夜のフランシーヌはどうだ。彼女は現れただけで会場を支配してしまった。いつもなら批判的な目を向ける側近たちでさえ彼女に見惚れている。アルベールはひたと見つめてくる新緑から逃げるようにユージェニーを探した。それが本当はユージェニーを見つめていたいからなのか、フランシーヌを見つめていられないからないのか、アルベールにもわからなかった。
手袋越しに握った指は細く、アルベールに身を任せている。
装飾は真珠のネックレスのみで、それがかえってフランシーヌの真心を訴えてくるようだった。ユージェニーに贈ったダイヤモンドとサファイヤのネックレスとイヤリングは見事なものだが、ユージェニーがかすんでしまっている。ドレスもユージェニーも引き立て役にしかなっていなかった。
ダンスが終わり双方礼をするとフランシーヌは友人たちに挨拶をしに行ってしまった。思わず引き留めようと手を伸ばしかけ、止める。アルベールはユージェニーを迎えに行った。
もう少しユージェニーについて書いても良かったかな?