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フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの憂鬱3

重なる過去。


 ドレスを作るには、正確なサイズが必要だ。クラーラは心は女性とはいえ体はれっきとした成人男性、計測をメイドに任せた彼は、指示だけを出す。


「コルセットは外して測ってね。細い腰が好まれるといっても限度があるわ。男にしてみれば腰だけ異様に細いのは見ていて恐怖よ。フランシーヌの目標はあのバー…アルベール王子を落とす事なんだから」


 さすがにアルベールに恋をしている少女に面と向かってあのバーカと言うのは避けた。それでも落とす、というあからさまな表現にフランシーヌは頬を染めた。


「女の子の魅力はなんといっても曲線よ!さあ、それをどう料理してやろうかしらね」


 下着姿でコルセットを外し、メイドたちが体のあちこちを計測していく。バストやウエストだけではなく、腕の長さ、肩幅、二の腕から肘、肘から手首、足首の細さまで、それこそくまなくメジャーが踊った。




 クラーラがフランシーヌのために用意したのは最高級の絹地だった。かつてこの国では一大産業としてどこの領地でも養蚕が行われていたが、現国王になってからクラストロ公爵家が独占している。職人たちをクラストロ公爵領で雇い入れ、価格が下がらないよう調整しているのだ。しかも最高級品ともなれば主に外国への輸出品であり、国内には滅多に出回らない。高価すぎて王家でも手に入れられないとまで言われている。クラストロ公爵家の研究によって、近隣諸国随一の品質を誇るものだ。


「まあ、絹…!しかもこんなに美しい絹ははじめて見ましたわ。いったいどうなさったの?」

「クラストロ公爵家にはツテがあってね。ちょっとお勉強してもらったの。フランシーヌちゃんの晴れ舞台ですもの!このクラーラも本気出していくわよ!」


 高価な絹地をはじめてみるメイドたちは歓声をあげ、涙ぐむものさえいた。ドレスは大切なお嬢様を輝かせる盾であると同時に、ジョルジュ家の財力を王家や貴族たちに知らしめる矛となるだろう。クラストロ公爵家との繋がりも匂わせられればなお良しだ。

 さすがに王子といえど、これと同レベルのドレスをユージェニーに用意することはできまい。絹は王家に直接卸していないし、どこの商家も王家相手ならふっかけてくる。王子の予算で買える値段ではないのだ。


「これで会場の目はフランシーヌちゃんが独り占めよぉ。ふふふ、今までとは違う印象を与えて男どもの思い込みを木っ端微塵にしてやるわ」


 腕まくりをして張り切るクラーラにメイドたちがきらきらと目を輝かせる。


「頼もしいですわクラーラ様…!」

「お嬢様、わたくしたちも全力で当日に備えます。ご安心くださいまし」

「そうですわお嬢様!ドレスはクラーラ様にお任せして、まずは髪からケアをはじめましょう」


 エリスからフランシーヌの世話を任されたメイドたちは、大切なお嬢様に対する心意気を叩きこまれている。その日から、フランシーヌはメイドたちによる全力のエステで磨かれることになった。




 デザインが決定し、仮縫いに入る。この段階まで行くとたいていの少女は嬉しさを堪えきれない様子を見せるものだが、フランシーヌの憂鬱は晴れなかった。いや、ますます深くなっている。

 理由はもちろん、アルベール王子とユージェニー嬢だ。どうやらアルベールは国一番の仕立て屋クラーラの噂を聞き付け、ユージェニーのためのドレスを作らせろと命令したらしい。しかしクラーラはフランシーヌのドレスにかかりきりで、店も閉めている。召喚に応じずけんもほろろに使者を追い返され、何様のつもりだとわめきちらしたという。クラーラはジョルジュ家の依頼であることを説明しなかったため、余計に怒りを買ったのだろう。


「あらら。フランシーヌちゃんの耳にまで届いてるの?」


 クラーラはあっさりと事実と認めた。


「はい。…父が、その噂を聞いたようです」


 ジョルジュ伯爵は苦虫を潰したような顔だったが、伯爵夫人はざまあみろといわんばかりの顔をしていた。

 政務に忙しいジョルジュ伯爵もクラーラと面会している。大事な娘のドレスが気になったのだろう。彼はクラーラを見て固まり、上から下まで眺めて蒼褪め、どうにか挨拶をしたもののふらりとその場を離れてしまった。あの厳格な父に女装の男性はきつかったのだろうとフランシーヌはおかしくなった。クラーラは肩をすくめただけだった。


「王子様の我儘にも困ったものよねえ。でも、クローズの看板だしてるのに押しかけてくるなんて、馬鹿なんじゃないの」

「よろしかったのですか?このまま放っておいては王子の不興を買います」

「もう買ってるわよ。もともとアタシ、王家嫌いなのよねぇ。フランシーヌちゃんのお家は親王家だから言い辛いけど、国王も王妃もどうにも危機感がないっていうか、国を背負うってことをわかってないっていうか、まああの王子を育てただけのことはあるわ」


 言ってる。言い辛いと前置いてもきっぱりはっきり言っちゃってる。フランシーヌは肯定することもできず、さりとて否定もできず、あいまいに微笑んだ。


「…宰相様のご病気は良くないのでしょうか」

「あー、クラストロ公爵ね」


 クラストロ公爵家は王家から分かれた家であった。かつて、この国が独立する際に尽力し、自ら宰相として臣下に降った。代々優秀で、影の王家とまで呼ばれている。現クラストロ公爵本人も王がまだ王子時代には傍仕えとして出仕していたが、病に倒れ、以来療養の日々を送っているのだ。

 彼はこれでは宰相になれぬと宰相位を返上し、領地経営は弟に任せていると聞く。王はクラストロ公爵が快復して戻ってくると信じ、宰相位を開けたまま待っているほど優秀であったという。

 クラストロ公爵がいてくれたらこの国はもっと繁栄していただろう。外国からどこか敬遠され、国交が希薄になっている今こそ宰相の力が必要だった。


「…ひょっとして、フランシーヌちゃん知らないの?」

「なにをでしょう?」

「宰相がいない理由よ」


 しかし、病気が嘘だという事は貴族の間では有名な話だった。フランシーヌははじめて聞く話に目を見開く。

 あの親バカめ、とクラーラが口の中でぼやいた。


「病気療養なんて嘘よ。クラストロ公爵はね、王様と絶交してるの」

「絶交って、そんな」


子供じゃあるまいし。呆れるフランシーヌにクラーラは苦笑した。


「…ジョルジュ伯爵はフランシーヌちゃんに言えなかったのね。婚約も反対したんじゃない?」


 フランシーヌはうなずいた。両親、特に父は絶対に許さんと息巻いていたのだ。祖父が頭を下げ、フランシーヌ本人も強く望んでいたから婚約が成立したが、アルベールに瑕疵があればすぐにでも婚約破棄に動くだろう。いや、すでに水面下では破棄に向けて準備が進んでいるに違いなかった。


「フランシーヌちゃんは、おかしいと思わなかった?今の国を見れば国内の貴族じゃなくて、外国の、できれば王女とアルベール王子は結婚するべきだわ。外交に力を入れたほうが貴族にも圧力がかけられるし、信頼回復にも繋がる。今さら親王家派のジョルジュを取りこんでもしょうがない」


 恋愛感情を抜きにして今の国を考えれば、フランシーヌにもその疑問は浮かぶ。


「ええ。ですがまずはジョルジュ家の発言権を確固たるものにすべきと考えたのでは?親王家派の勢力は古い家ばかりで…クラストロがいません」

「たしかにね。フランシーヌちゃんとの結婚によってジョルジュ家を公爵として迎え入れることもひとつの策だわ。でもねぇ、そもそものはじまりがクラストロ公爵家との確執なんだから、そっちを先に解決しなくちゃ信頼回復なんてほど遠いのよ。国内だけじゃない、外国もよ」


 はじまりは、フランシーヌが生まれる前。もう20年も昔のことだ。


「現国王であるエドゥアール王太子が、親友にして次期宰相であるマクラウド・アストライア・クラストロの婚約者を奪い取ったの」


 フランシーヌは息を飲んだ。


「もちろんエドゥアールにも婚約者がいたわ。あなたも知っている国の王女様よ。外国の姫だから直接お会いすることはなかったけれど、絵姿や書簡のやりとりで交流していたの。王女様は嫁ぐ日を指折り数えて待っていたという話よ」


 略奪は、よりにもよってマクラウド・アストライア・クラストロ公爵とその婚約者、現王妃であるフローラ侯爵令嬢との結婚式だった。

 クラストロ公爵はエドゥアールを信じ、フローラを愛していた。親友だからこそ婚約者が未来の王と仲良くしていることを誇りに思っていたし、次期王妃を支えていけるだろうと信じていた。


「エドゥアール王とフローラ王妃は、クラストロ公爵が贈ったウエディングドレスを着て裏切りを暴露したのよ。前王や前王妃、外国からの賓客、居並ぶ貴族たちの前でよ?とんだ赤っ恥をかかされたってわけ」

「そんな……っ!」


 激怒するのは当然だろう。前王と前王妃は頭を下げて詫びたが、エドゥアールとフローラは自分たちの真実の愛を認めてくれと懇願するだけで謝罪しなかった。


「当然、結婚は破談。王家は莫大な慰謝料を支払ってクラストロ公爵家に許しを請うたけど、マクラウドは突っぱねたわ。『神と法と王の名において』断罪するよう要求した」

「当然ですわね」


 愛する婚約者と信じていた親友の裏切りは、クラストロ公爵にどれほどの絶望を与えただろう――フランシーヌが自分の身に置き換えるのは容易かった。まさに彼女はその危機にあるからだ。

 巨額の慰謝料はかえってクラストロ公爵家を侮辱することになる。『神と法と王の名において』の断罪でなければ雪げないだろう。

 『神と法と王の名において』とは、この三つの名によって私刑を許す特別な法のことである。貴族にはそれぞれ家法があり、家内でもめごとがあればそれに則った裁きが行われるが、あくまでも家内。家の外、他家との争いや外国との私的な戦争は禁止されている。それを認めるための法律だった。神と法の後に王があるのは、王家も例外なく裁かれることを示している。


「でも、王家は認めなかった…」

「エドゥアール王子はすでに立太子していたし、内外に発表済み。私刑になんかかけられないわ」


 クラストロ公爵家でなくとも不義密通は死罪である。だが、身分は考慮される。王族なら毒杯、貴族ならナイフによる自死。クラストロ公爵家の家法で裁かれれば、男女とも鞭で百叩きの上、全裸で戸板に四肢を縛りつけられ川に流されるのだ。私刑であることを示す旗も立つため、助ける者は現れない。死ぬまで全裸で流れ、恥を晒す。男も女も衆人環視に秘部を披露し嗤われるのだ、王家が認めるはずがなかった。残酷だろうが私刑とはそういうものである。


「認められないことはクラストロ公爵もわかっていたのでは?別の方法はなかったのではないでしょうか」

「そうよ。わかっていたから宰相位につかなかったのよ。自分がいなくなった後のエドゥアールとフローラがどれほど苦労するのか、想像がつくもの」


 他国の王女との婚約破棄、それも不義密通という王族にあるまじき行為による一方的なそれは、国に大打撃を与えた。面と向かって泥を塗られた形の王女は衝撃のあまり倒れ、自殺未遂までしてしまう。自殺は認められていないため、表向きは婚約破棄による心身の病気となった。あながち嘘でもない。

 次の国王がそこまで人の心を踏みにじって恥じないというのは、他国の信頼が離れるには充分だった。外交では常に見下され、不本意な交渉しか結べない。エドゥアールが王となった今でも回復はならず、じわじわと国力は削られ、このままではどこかの国に降るしかないというのが評価だ。


「そんなふたりの間にできたアルベール王子とは、どこの国も婚約は敬遠するわ。同じことを繰り返さない保証はどこにもないもの」

「それでおじいさまがわたくしと王子の婚約を強く推したのですね」

「そうよ。フランソワ将軍のために言っておくけど、強行はしなかったと思うの。でもあの方、王家を護るのは自分だっていう意識が強いじゃなぁい?エドゥアール王が王子時代の守役でもあったし、なんとか貴族たちからの信頼だけでも自分が生きているうちに回復させたかったのでしょうね」

「…おじいさまからのお話がなくとも、いずれわたくしが王子との婚約を願っていたでしょう。おじいさまは悪くありませんわ。むしろ、感謝しております」

「良い子ねぇ、フランシーヌちゃんは。でももし、これで王子が婚約破棄なんて言い出したら、今度こそフランソワ将軍は王家を見限るでしょうね」

「…父と母は、とうに見限っておりましょう。わたくしのことがあるから耐えてくださっていたのです」


 今だから、わかる。仮にも王子との婚約がかかっているというのに、恐縮するでもなくむしろやり返さんとばかりに意気込んでいた父と母。フランシーヌは愛されていることを実感した。


「フランシーヌちゃんは、どうしても王子と結婚したい?」

「はい。……いいえ、今は、どうでしょう。よくわかりませんわ」


 即答したものの、フランシーヌはすぐに否定した。アルベールを好きであったのは確かだが、今でもそうかと言われると答えに困る。ただ、王子としてのふるまいと、素顔は別だったのだと知って落胆したのが大きかった。

王と王妃へのほのかな憧れ――本当に愛し合って結ばれたと思っていたふたりも、裏側を知ってしまえば嫌悪しか湧いてこない。自殺未遂をした他国の王女もさることながら、自国でそのような辱めを受け、雪ぐ機会すら王家によって取り上げられ、今もなお領内に閉じこもって外界を拒否しているであろうクラストロ公爵を思うと胸が締め付けられる気持ちになった。

 身勝手な同情かもしれないし、同じ屈辱を味わう者としての共感かもしれない。ただひとついえることは、もうアルベールを思いやることはできないという白けた感情があることだった。


「王子をお慕いしていたのは事実ですわ……。捨てられたらもう生きていけないと思ったほど。でも、事実を知った今、なぜそこまで執着していたのか自分でもわからないのです。他の女性に盗られるのが屈辱だったのかしら?」


 婚約を破棄して困るのは自分ではない、王子のほうだ。それがフランシーヌの目を醒ました。家族への罪悪感と家名に傷をつけてしまう不名誉、そして、周囲の好奇の目。それらはフランシーヌではなくアルベールとユージェニーに向けられるのだ。想像がつくだけについ憐れみさえ覚えてしまう。


「…失恋は、つらいわ。無理をしなくていいのよ。こればかりは貴族だからとか考える必要なんてないわ。泣き喚いたっていいのよ」

「クラーラ様。……クラーラ様にも失恋の経験がおありなのですか?」

「ええ。この人しかいないと信じていたのに、別の人と結婚するなんて言われてごらんなさい。みじめでしかたないわ。手袋を投げたのに逃げ出されて、気持ちのやり場さえ失った。…もう、昔のことだけど、今でも許せないでいるくらいよ」


 そう言うクラーラは笑うけれど、瞳の奥に憎悪が燃えている。決闘さえも拒否された憤りは察するに余りある。そんな腑抜けに恋人を盗られたとなればなおさらだ。


「あの、だから、そのような格好をなさっているのですか?」


 ずっと気になっていたことを思い切って聞いてみる。男性が女物の衣装をまとうのはだれが見ても非常識だ。

 クラーラはあっさり肯定した。


「そうよぉ。こうしてるとね、別人になったようで気が晴れるのよ」


 どこへ行っても腫物を扱うように接せられ、耐え切れなくなったのだと言う。別人になりたいと願い、今までの自分を捨てた。


「フランシーヌちゃん。それでも未練があるのなら、特効薬をあげるわ」

「特効薬?」

「ええ。これをやれば百年の恋も冷める鉄板よ」


 先程とは違う笑みでクラーラはフランシーヌに特効薬を教えた。

 フランシーヌは目を丸くした。




 そして。


「お、お嬢様、しっかり!」

「うう……。わたくし、わたくしもうだめですわ…」


 クラーラの特効薬、フランシーヌの恋の日記を朗読していた彼女は真っ赤になって崩れ落ちた。

 アルベールと仲が良かった頃の日記はまだ懐かしさに目も潤んだが、アルベールとユージェニーの噂を聞いた頃になるとそれはもう恥ずかしいくらいにポエマーな文章がつづられていた。


「わたくしどんな顔をしてこれを書いていたのかしら……。『ああ、アルベール。あなたがわたくしから逃げると言うのなら、わたくしはオーディットとなって攫いに行きましょう』あんな少年趣味の女神に自分をたとえるなんて、わたくし、もう」

「お嬢様―!!」


 オーディットとは美少年ガルムに一目惚れしたあげく遠くからこっそりつけまわし、怯えたガルムが逃げようとしたことに怒り、大鷹に化けて攫ったショタコンストーカー女神のことである。神話にありがちな話だが、自己に投影するとは。これはひどい。

 過去の自分を客観的に見つめることほど手っ取り早く現実を直視させる方法はないだろう。クラーラはそう思い、フランシーヌに特効薬を与えたのだ。たしかにこれ以上ないほど効いた。むしろ毒になるほど効果があった。すでにフランシーヌは重傷だ、心が。


「きゃああああ!こっちのページには『アルベール様』しか書いてない!!」

「怖いほど思い詰めてらした頃ですわ!無理もありません!」


 日記をめくるたびに悲鳴が上がり、メイドが懸命に慰めた。かさぶたを剥がすようにフランシーヌは過去の自分を切り捨て、決別した。



黒歴史を直視せよ!

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