チャールズ・フォン・ヴァルツシュタインの献身
3人目のおじいちゃん。
チャールズ・フォン・ヴァルツシュタインは、元を正せば帝国の帝室に名を連ねる人物である。
ヴァルツシュタイン家はこの国で長く貴族議会議長の座を温めてきた家だ。陰湿極まる議会の長。先代となるチャールズの舅はしかし女児しか設けることができず、帝国からの婿入りの打診を喜んで受けた。帝国の血に連なる者であれば身分家柄ともにチャールズが上だが、そうしなければならない事情が帝国の側にあったためである。
帝国には、信仰ともいえる伝統が長く存在していた。血統を守るための純血主義、帝室の蒼き血を薄めてはならぬという、ある種の強迫観念にも似た信仰である。
今でこそ近親者同士の婚姻による弊害は知られているが、当時は血は濃ければ濃いほど貴いとされていた。さすがに同胎の兄妹での婚姻は倫理的に嫌悪されたが、皇太子の元に姉の娘が――つまりは姪が嫁ぐなどということが平然とまかり通っていた。姉は母の兄が生んだ男子の元に嫁いでいたというからその血の濃さはお墨付きである。
当然のことながら、弊害は現れた。異常なまでの近親婚姻に、遺伝子が異常を起こしたのである。帝室に生まれた男子はことごとく体が弱く、骨格が極端に曲がっていたり、精神が幼児のままで成長しない者も多く生まれた。女子は帝室特有の金髪碧眼に瓜実顔の美形なのが救いだが、やはり精神的に弱く、とても帝室を守れる状態ではないものばかりであった。
そうした子供を量産し帝室の維持が危機に陥ってようやく彼らは考えを改めた。あまりにも濃い血統では害にしかならず、貴い血を別の王室に分け与えて戻すことにしたのである。
現在の帝国王はそうして生まれた。他国の姫が帝国に嫁いで生まれた子であった。幸いなことに彼が見初めて恋愛結婚した帝妃は帝国貴族の娘だが帝室の血は引いておらず、しかも多産の家系だったので男女合わせて10人の子を産んでいる。中には帝室の血が濃く出てしまった子もいたが、おおむね健康で皆美形に育ち、皇太子をはじめとして他国との婚姻や婚約を結んでいた。
チャールズもまたそうして分散された帝室の血を引いた男だった。3代前の先祖は足腰が弱くまともに立てないほどであったが、チャールズはそれほどではない。走ることはできないがそもそもチャールズほどの貴族になると走る機会などなく、また幸いなことに彼の頭脳は非常に優秀だった。チャールズは自分が何をすべきかをきちんとわきまえていた。
貴族議会議長の家に婿入りした彼の役目は、この国の王家と帝室との婚姻を橋渡しして、いずれ帝国に染め上げることだった。まずは自分の娘をもっとも王家が信頼する宰相家に嫁がせて足がかりとする。次期宰相となるマクラウド・アストライア・クラストロは若いながらも切れ者の少年で、チャールズと同じく自分の役目を理解しているようであった。彼の信頼を得なければならない。チャールズは他国人ながらこの国に尽くす良き政治家の顔を作り上げた。
ところが若きマクラウドは、若者特有の潔癖なまでの真っ直ぐさでチャールズに接した。外国人だからと偏見を持つことなく、彼の実力と努力を認め、チャールズに選ばれたことが嬉しいと素直に伝えてきたのである。
この国に限らず、どこの国であろうと外国人が政治に干渉するのは嫌うものだ。外交交渉とはまた別の話で、内政に外国の常識を持ち込まれても理解は難しい。特にこの国は王の権限が強く残っており、帝国の政治に慣れたチャールズにはいささか古風に感じられた。そしてそのことをマクラウドも憂いているらしい。彼はチャールズから帝国の話を聞きたがった。帝国は最高位の帝王の他に、貴族議会、国民議会、元老院の三つから成る議会が国の方針を決定する。この三つの議会による承認を経て帝王が政策を発するのだ。たとえ暗君が帝位に就こうとも横暴を許さない、過去から学んだ帝国のシステムである。
マクラウドは王と宰相に権力が集中していることに行き詰まりを感じていた。なにより貴族の世襲によって議員や官位が決まってしまうことは、貴族としては安寧だろうがそれでは国民の道を閉ざすと考えていた。もっと広く国民から優秀な人材を集めるべきである。農村の子供たちにも勉学の機会を与え、いずれ女性にも道が開かれるべきであると言った。
理想論である。マクラウドの考えがどれだけ素晴らしいのかチャールズは理解を示したが、マクラウド一代でできることではない。国民がそれを望んでも、貴族は拒んでくるだろう。チャールズとて試験を受けて一から仕事に就き昇進しろとなれば反発する。能力のあるものが職を得ることには賛成するが、自分の身が脅かされるとなったら話は別だ。
それに、もしもマクラウドの話が実現したら、貴族から仕事がなくなる。平民が官吏になり徴税が一律になれば、今まで好き勝手にやっていた増税ができなくなるのだ。賄賂や不正に惑わされないよう管理法が定められ、監査も平民出の者になれば過去のことがあるだけに厳しさが増すのは目に見えている。平民が役人になるとはそういうことだ。国中の全員が理解できるように法整備が必須となる。賄賂はなくならないだろうが、それでは貴族の負担が増えるだけだ。働かずに遊び暮らしていたらあっという間に破綻する。今でさえ困窮して土地を切り売りしている貴族がいるのだ、金持ちの平民に買われ、あるいは借金に頭を下げなくてはならないのは貴族として矜持に触れる。大反対されるだろう。ヘタをすればマクラウドは殺されるかもしれない。
チャールズは時期を待てとマクラウドを説得した。まずは国王に集中している権力を分散し、国民議会を制定することが先だ。何の権利も持たずひたすら搾取されるのみの民を憐れむのは宰相としても、貴族としても危うく、一個人の感情としてマクラウドの心根の正しさに感嘆するが、それでも理想を掲げる彼が死んでしまっては元も子もない。理想の実現を目指すのであればゆるやかに国情が変化するように操作してくしかなかった。
チャールズはこの若き次期宰相の仁義に感動していた。国を思い民を憂う彼を娘の婿にできることが誇らしかった。初代クラストロ公爵の再来といわれる彼を、個人的に好きになった。この国の優秀な血と帝国の血が混じり合えば、どんな子供が生まれ育つのか、楽しみだった。
しかしチャールズの願いは最悪の形で裏切られた。今までこれといった瑕疵のなかったフローラの中で眠っていた、帝国の血が目覚めたと思った。他者を排除し自分の正義しか目に入らない、蒼き血を凝縮したような悪しき部分は、マクラウドへの裏切りとなって発露したのだ。
チャールズ・フォン・ヴァルツシュタインの献身はまさにここからはじまったといって良い。マクラウドのためではなく、彼が望んでいたようにこの国のためにチャールズは尽くした。とうとうヴァルツシュタイン家から王家と連なる者が出た、娘が王妃になったと喜ぶ妻や舅姑とは一線を画し、表向きは娘に甘すぎる父親を演じた。クラストロ領を発展させるマクラウドの邪魔をせず、エドゥアール王に阿り、ヴァルツシュタイン伯爵家はジョルジュ家に次ぐ王家派一党の一員になった。義両親の言う通り娘のために金を出し、領地を切り売りし、なんとか国の財政圧迫が持ちこたえるように工夫してきた。
チャールズは帝国生まれ帝国育ち、彼は帝国に伝えられている迷信を信じていた。
王は神に選ばれた唯一であり、国民は王を支えるものである。神は王が賢君であれば国民に対し大いなる恵みをもたらしてそれを知らせ、暗君であればあらゆる災いをもって国民に警告する。エドゥアールが王位に就いて20年、この国は幾度も災害に見舞われてきた。王はそれを憂いたが、川が氾濫しようと田畑が干ばつで枯れ果てようと有効な手立てを打たなかった。エドゥアールは苦しむ民を嘆くだけで彼らを慈しもうとはせず、空位となっている宰相を呼び戻すことに執心している。フローラは花のように微笑むだけで足元で死にゆくものの怨嗟の声など聞こえていないようだった。
マクラウド・アストライア・クラストロを望む声は年を追うごとに大きくなっている。やがて誰もが過去に殺した男を蘇らせるしかこの国を救う手段はないと知るだろう。チャールズはこの20年間をそのためだけに生きてきた。全き完璧な色をまとって彼は墓から甦る。色彩のすべてを塗りこめ飲み込んだ双頭の龍が吼える時が来る。
――カン!と木槌が鳴って、議会が終結した。
「…では、アルベール王子は発見しだい逮捕。殺人罪でかの国に強制送還とすることを可決する」
第一王子アルベールは、留学先から出奔する際に見張りであるその国の護衛官2名と、彼の侍従であった者1名を殺害していた。アルベール王子の侍従は側近であったかつての侍従たちがほぼ家督を外され任を解かれたため新たに選出された、下級貴族の子弟である。王子と共に逃亡した二人の侍従は王家への反感を抱いていたらしく、貴族でありながら反王家派と通じていた。アルベールに肩入れしすぎないよう配慮された人選であったが、そこにはチャールズの思惑が多分に絡んでいた。
貴族議員の多数決による可決に、エドゥアール王は悲痛な表情をし、王妃フローラは顔を両手で覆った。いかに国王といえど、国際問題に発展した王子の殺人罪をなかったことにはできない。他国でその国の国民を殺し、自国の侍従を殺した。殺人は大罪である。自分がやったにせよ、味方の侍従が殺したにせよ、アルベールの精神が吹っ切れてしまったことに間違いないだろう。自らの手を血で染めた以上、彼には突き進むしか道は残されていなかった。
「王都への関所はすべて封鎖、通行手形を持った者以外は通さぬよう通告を発する。現時点をもってジョルジュ将軍以下近衛軍団は王都防衛のため展開すべし。王と王妃ならびに殿下方は安全が確保されるまで王宮からの外出を禁ずる」
事実上、アルベール王子は国家に対する反逆行為をした謀反人である。王命に背き逃亡したあげくに邪魔となるものを容赦なく殺害している。王子という身分がなくとも国際指名手配されるには充分だった。
他国で評価されなくとも、アルベールを利用したい者はこの国にいくらでもいる。王家の華やかさの影で怒りの声さえ枯れ果てた国民が、やがて怒涛となって流れ込んでくるだろう。
いつかの日、光の中でマクラウドが語っていた改革を成し遂げるには、国を破壊するほどの熱を持った力が必要だ。誰かの血、誰かの涙、誰かの怒り、それらが雪崩のように古い慣習を破壊し、新たな道を生み出す。アルベールにはそのための贄となってもらおう。
大地と空を割り咆哮を響かせ、やがて龍が目覚めるだろう。
帝国出てきました。国力としては大陸最大の勢力。やむをえない事情込みで結婚による勢力拡大しています。モデルが丸わかりですが、あの国のあの家です。




