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誰かの手紙

友人がアルベールの再登場を望んでいたので、彼の現状とユージェニー。


 アルベールがその手紙を受け取ったのは、祖国からの定期便だった。

 遠い異国にも彼の不祥事は伝わっていた。表向き留学の形をとり、学園にも通っているが、実質的な人質であり、祖国から追放された身である。学園に通う生徒たちはアルベールを遠巻きにするだけで親しみをみせず、侍従としてつけられた数人と教師以外の者とは言葉を交わすこともなかった。友人も、ましてや恋人もいない、孤独な日々。そんな彼の慰めが、祖国から定期的に届く小包であった。


 包みには日々の生活に困らないよう、細々とした生活用品や現金のほか、家族からの――母からの手紙が入っている。その中に一通の手紙が紛れていた。


「これは…?」


 アルベールは封筒を手に取り、眉を寄せた。母からの手紙であれば王家の百合紋の封筒に便箋が使われている。しかしそれは、どこにでも売られているような、それこそ庶民が使うような粗雑な封筒であった。


 宛名が間違いなく自分であることを確かめ、アルベールは裏を見た。差出人の名前を見て固まる。


「ユージェニー…!」


 それは、ユージェニーからの手紙であった。アルベールは何度も名前を見返し、丁寧に封を開けた。



『アルベール様


 お元気でしょうか。遠い異国で、とうにお忘れになったわたくしがこうして筆を執ることを、どうかお許しください。


 あれからわたくしは、妻に先立たれた男性の元に嫁ぎました。とうてい納得のできない結婚でございましたが、夫と日々を過ごすうち、あの時の自分が何と身勝手で身の程知らずであったのか、ようやく身に染みて理解いたしました。


 夫はわたくしの不祥事を知った上で、それでも娶ってくださいました。結婚当初、アルベール様を想って泣いてばかりいたわたくしをやさしく慰め、待つと言ってくれたのです。夫の連れ子である一人娘も、母を亡くした悲しみからかわたくしに理解を示してくれ、このふたりのおかげでようやく現実を受け入れることができました。


 あの頃のわたくしは、王都の華やかさ、高位貴族の皆さまのきらびやかな佇まい、そして、実家からの期待という重圧に潰されまいとするばかりの、田舎娘でした。金目当ての小娘と馬鹿にされないようにするのが精一杯で、周囲を見回すこともできておりませんでした。


 孤独の中で出会ったアルベール様は、まさしくわたくしにとって王子様でございました。わたくしは、おとぎ話のような夢物語に、すっかり酔いしれてしまった子供であったのです。


 もちろん、わたくしのしたことが、子供であったからという理由で許されるものではないということは、重々承知しております。


 ああ、わたくしは何故気づかなかったのでしょう?アルベール様のお申し出を伝えた時の、両親の戸惑いを。そして、周囲の目が厳しくなっていった意味を!


 この国の安寧は、たくさんの方々の努力によって成り立つものである、ということに、気づくのが遅すぎました。なによりフランシーヌ様には申し訳なく、あのお方の過ごした歳月を、ただわたくしのために無に帰す結果となったことは、悔やんでも悔やみきれません。


 アルベール様に恋したことを悔いているのではありません。アルベール様との恋は、わたくしの人生を輝かせる、宝石のような思い出でございます。ただ、思い出となることが最初から決まっていた恋であると、気づかなかったわたくし自身が悔しいのです。


 …アルベール様とのお別れとなったあの夜、わたくしは自分の無力を悟りました。そして、恋にしがみついていた自分の愚かさを知りました。


 わたくしは自分ひとりでは立つこともできぬ小娘であり、アルベール様、あなたは国を背負って立つ王子殿下であると。


 フランシーヌ様の着ていたドレスを覚えておいででしょうか?あのドレス、フランシーヌ様がどのようなお方であるかをはっきりと示していたあのドレス。あの素晴らしいドレスを見た時、わたくしは敗北を悟ったのです。


 わたくしはアルベール様を支えることもできぬ娘であり、国家を支えてきた皆様の努力を何もかも壊してしまったのだ、と。なんとおこがましい小娘でしょう!わたくしは恋のために、国を破滅させるところだったのです!ああ、お許しください。アルベール様の人生を滅茶苦茶にしてしまった、わたくしを。神に慈悲を願うしかありません。国民は誰ひとりとして許してはくれないでしょうから。


 わたくしはあれからすべてを承知の上で望んでくれたお方の元に嫁ぎました。夫はやさしく、夢破れたわたくしを気づかってくれます。一人娘を生んだ先の奥様は産褥でお亡くなりになり、今まで男手ひとつで育ててきた、御立派なお方です。娘もまた、母のいない哀しみを知るせいか、わたくしに共感してくれました。


 このふたりに囲まれて過ごすうち、わたくしの心に変化が訪れました。婚家は貧しく、アルベール様と共にいた日々とは想像もつかないほどですが、誰とも争わなくて良い日々はとてもやさしく、わたくしを慰めました。


 パンを買うにも困る生活です。アルベール様は驚かれるでしょうが、こんな生活は国では珍しくないのです。パンやスープもなく、プティングひとつで一日を過ごすこともあります。畑を自分で耕さなければ野菜も食べられません。お肉はとっておきのごちそうです。


 わずかな食事を家族で囲み、一日の出来事を笑いながら語り合う。アルベール様、ですが、わたくしはこれほど心温まる日々を過ごしたことはございませんでした。実家にいる間はどう貴族の体面を保つか気を使い、王都に来てからはアルベール様と離されぬよう心をすり減らす日々。それがどうでしょう、夫と娘がいる我が家では、わたくしは本当のわたくしでいられるのです!


 アルベール様、あなたとの出会いはわたくしが本当の愛を知るための運命だったのですわ。そしてアルベール様、本当の愛とは自分で形を決めるものではなく、ごく自然と生まれるものなのです。幸福とは形あるものではなく、ひとつでもありません。たったひとつの愛、たったひとつの幸福を求めるのではなく、もっと心にゆとりを持って、見つけ出すものなのです。


 今、わたくしは愛に包まれています。夫はちいさな幸福を見つけるのがとても上手で、庭に花が咲いただけで喜びます。娘はわたくしに懐き、実母のように甘えてくれます。娘の手を握り眠る夜、夫が目を細めてわたくしと娘を見つめます。その夫の瞳を見るたびに、わたくしは得も言われぬ幸福に震えるのです。


 こうして今になってアルベール様に手紙をしたためようと思ったのも、この幸福をお伝えしたかったからです。そして、アルベール様との愛がわたくしの中で輝く思い出として息づいている、お礼を言いたかったのです。なによりも夫と娘、そしてお腹の子に恥じぬ母になる決意として、王妃様にお願いして手紙を託しました。


 アルベール様の幸福を遠くから祈っております。


                                  ユージェニー・モーランド』




 便箋も粗末なものであった。紙質が荒く、インクも古い物を使ったのか時々ペンがひっかかり、インク垂れやにじみがあった。ユージェニーがこのような庶民の使うような便箋しか用意できないほど貧しい暮らしをしていることに驚いたアルベールは、その内容に目を見開き、震えはじめた。


「…ユージェニー…!」


 ひどい裏切りだ、と思った。まだ彼女を忘れられない男に、別の男と幸福になった、など。しかも彼女はその男の子を身籠っている。


 寡夫に嫁いだと聞いた時、アルベールは何もしてやれない自分の無力を嘆き、せめてもの償いとして生涯独身でいることを誓った。異国で軽蔑に晒され友人のひとりもいなくとも、ユージェニーの不幸を思えばまだ甘いとすら思っていた。


 ところがユージェニーはアルベールの苦しみも知らずに理解ある夫と娘に囲まれ、愛と幸福に包まれているという。アルベールも幸福になって欲しいという。


 これが裏切りでなくてなんだというのだ。自分は何のために意地を張り、国を出てこんなところにいるのだ。アルベールにはわからなくなった。自分との愛が彼女にとって通過点に過ぎず、本物ではなかったなどと、よくいえたものだ。この現状はすべて、彼女との――おとぎ話のような愛に酔ったせいなのに。


 許せない、と思った。愛に惑わせたユージェニーも。ユージェニーとの愛を認めなかった両親も。わざと傷つけるようなドレスをまとっていたフランシーヌも。追放することで体面を保った国も。アルベールは許せなかった。復讐してやらなければならない。自分が何もかも失ったように、彼らもすべてを失うべきだ。


 アルベールはユージェニーからの手紙を引き裂き、火をつけた。煙を上げて燃える手紙を見る彼の目は、黒煙よりも濁っていた。









「…これでどうでしょう?」


 ひとりの男が、いかにも粗末な便箋に書かれた手紙を受け取った。にやり、と口端を持ち上げて笑う。


「よく書けてる。どこからどう見ても彼女の筆跡だ」

「あの男が喜んで日記を売ってくれました。妻の物は夫の物、ですってよ」


 男は丁寧に便箋を折りたたみ、封筒に入れた。封蝋ではなく糊で留める。


「こんな内容、あの王子様は信じるのかね」

「信じるでしょう。現状に満足していない今、誰かのせいにしたくてたまらないはずだ。なによりあのバーカ王子です、見抜く目など持ち合わせておりませんよ」

「それもそうか。では、これを」

「はい。お任せください」


 アルベール王子への小包に手紙一枚忍ばせるなどたやすいことだ。手紙を預かった男は頼もしく請け負った。それが男の仕事だからだ。


 ギシリ、男が身を委ねたソファが軋みをあげた。古いソファは年季が入っている。物は良いのだが、さすがに綿が傷んできている。パイプを取り出して火をつけた。ゆっくりと吸いこみ、吐く。天井へと昇る煙を眺め、男は呟いた。


「さて、仕込みは上々…といったところかな」


 机の上に置かれた調査報告書に目をやる。たった一枚の紙には、ユージェニー・モーランドの現実が記されていた。


 ユージェニーに夫がいるのは事実である。連れ子の娘も、腹に子がいるのも事実だった。愛と幸福は、彼女にしかわからないことである。




さて、ユージェニーは本当に幸せでしょうか。結婚前に貞操を失った娘をそれでもいいと娶った子持ち男。血の繋がらない娘。先妻の死因は本当に産褥だったのか。いろいろ想像が膨らみますね^^

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