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王都の休日

王女さまの定番。


 祝賀が終わるとクラーラの店にも平穏が戻ってきていた。

 今日もクラーラの店には少女が集まりおしゃべりに興じている。だが、いつもとは少し様子が違った。


「アタシも歳ねぇ…。疲れを実感するようになったのよ」

「クラーラ様はまだまだお若いですわよ!」

「そうですわ。クラーラ様の活力に満ちた様子に元気づけられている方がどれだけいることか」


 しばらく休業の旨を伝えたところ、やってきたお嬢様たちに口々に反対されたのだ。嬉しい反面、正真正銘若者に言われるとけっこう精神的ダメージがくる。


「んふふ、ありがと。でも別にこれでさよならってワケじゃあないんだし、気長に待っててちょうだいな」


 クラーラの決意が翻らないことを知り、お嬢様たちは不満そうに頬を膨らませた。


「それよりデビュタント前に体形変わらないようにね。特に過激なダイエットはダメよ」


 一人の令嬢が仮縫いのドレスを着て、サイズの確認をしていた。


 例年と違い、今年の社交シーズンは二回ある。一回目は祝賀の舞踏会で、王家に招待された令嬢が一斉に済ませた。本来のデビュタントとは、貴族令嬢が社交界に出る資格ありと親が認めて、娘のための舞踏会を開く、あるいはしかるべき舞踏会に出席させることをいう。社交界にでるということは、すなわち結婚に適した令嬢になった、とおおやけにすることなのだ。


 娘を手放したくない親ならば遅らせることもでき、すでに婚約している令嬢は焦る必要がないため16歳くらいが一般的だ。反対に容姿に難ありだったり、早めに手放したい親だと13歳ほどで社交界に出される。一口に良し悪しは判断できないが、シーズンを2回過ぎても結婚相手が見つからないと行き遅れと囁かれ、肩身の狭い思いをするようだ。


「ですが今回のデビューで早くも婚約が決まった方もいるそうですわ。わたくしはあまり容姿に自信がありませんし、せめて体形だけでも…」


 彼女の言葉が尻すぼみになっていく。彼女は今回、王家主催の舞踏会に招かれなかったのだ。もっとも招かれたのは高位貴族や王家と繋がりのある――王家が繋がりを求める貴族ばかりなので、王都住まいでもそういった令嬢は多かった。彼女が引け目を感じる必要はない。


「だったら余計に痩せる必要はないわよぉ。男が女に求めるのはずばり包容力!やわらかな胸、曲線を描く腰、まぁるいお尻。むっちりくらいでいいのよ!」


 クラーラは力説した。少女が痩せたがる気持ちはわかるが、無理をして倒れては元も子もない。

 まるっきりセクハラ発言だが、クラーラが言うと嫌味もいやらしさもなく、そう言われるとそんな気になってくるから不思議だ。


「そ、そういうものですか?」

「そうよぉ。それにね、親にしたって、立派な子供を産めそうな女性のほうが安心するものよ。お姑さんに「孫はまだ?」なんて、言われたくないでしょ?」


 少女たちは神妙にうなずいた。嫁いじめの話はそこらじゅうに転がっている。誰だって嫁ぎ先でそんな目に遭いたくなかった。


「女の子は健康的なのが一番よ!さ、ちょーっと動かないでね、針を使うから」

「はい」


 自分のドレスが出来上がっていくのを見下ろして、彼女は嬉しそうに頬を染めた。


 クラーラは少女のその顔を見るのが好きだ。かわいいもの、綺麗なもの、うつくしいもの、女なら誰もが好むだろう。それを、ただひとり、他でもない自分のために特別に作り上げる。その幸福感に胸を躍らせ、微笑む少女はとても素直に輝いている。自分がその幸福を与えたと実感する時、クラーラの心に満足が込み上げた。


 令嬢付きの侍女に手伝わせてクラーラは手を動かす。侍女がここにいるのは単にお嬢様の付き添いだけではなく、クラーラからドレスの取り扱いについて細かく指導を受けるためだ。洗濯は専門のメイドか業者が行うが、手入れは侍女の役目である。特に裾の長いドレスは気を使い、ほつれや皺の直し方は生地によって異なった。大事な役目である。


「お腹は少し余裕を持たせておくわね…。踊っている時に呼吸が乱れたら幻滅されるわよ、気を付けてね」

「はい」


 初対面の男の人と手を取って踊る。少女は恥ずかしそうにうつむいた。


 ところでこれを行っているのは喫茶コーナーがある接客室ではなく、隣の部屋である。カーテンと屏風で仕切ってある程度だが、まさか令嬢の仕立てを誰もが覗ける接客室でやれるはずがない。


 ちりりん。


 扉が開く音がした。クラーラは振り返ってカーテンから顔を覗かせる。こういう時、店員を雇っていないと不便だ。


「いらっしゃいませ。少しだけ待ってくださる?」


 笑顔を浮かべて顔だけを出したクラーラは、入ってきた客を見て目を丸くした。慌てて振り返って彼女と侍女に着替えるように言い、そっとカーテンの隙間から出て少女に目線を合わせる。


 見たことのある顔である。そう、つい先日、馬車に乗っているところを見た。花模様の豪華なドレスを着ていた少女だった。お嬢様たちも誰だかわかったのか、息を飲んでいる。


「いらっしゃいませ、お嬢様。さ、どうぞ」


 少女なりに精一杯考えて変装してきたのだろう。だが、まったく隠れていないどころか逆に目立っている。少女を椅子に座らせ、クラーラはベルが鳴らないようそっと店の扉を開けた。


「…………」


 周囲を見回すと、案の定、王宮の護衛騎士と思われる男がひとり曲がり角の影に、ひとりは他の店を覗くふりをしてこちらを窺っていた。

 クラーラは怒りを押し殺した笑みを浮かべると、親指をクイッと向けて近づくよう合図を送る。ふたりは恐れをなしたのかそろそろとやってきた。


「…なにがあったかは聞かないわ。あんたは入り口を見張って、少し時間をおいてから慌ててやってきましたって振りして店に飛び込んできなさい。そっちのあんたは裏口の見張り。いいわね!」

「い、いやしかし…」

「あの子をひとりで外に出してどうするの?でも悲しませるわけにもいかないでしょう。罰は甘んじて受けなさい。とにかく大騒ぎになる前に帰すことだけ考えなさい」

「り、了解!」


 ひとりが勢いに吞まれて駆け出した。もうひとりもピッと背筋を伸ばして敬礼する。


 王女がひとりで王宮を抜け出して遊んでいるなどと、世間に知られたら大変なことになる。まださほど顔が知られていないが、パレードの直後だ、覚えている者もいるだろう。誘拐や暴行を受けたら護衛騎士だけではなく王宮の警護や門番、城内の女官まで含めた責任問題だ。こっそり帰すのが吉である。


「その場で走って息を切らせておきなさい。いい?探し回った演技に徹してね」

「了解であります!」


 クラーラが店に戻ると、お嬢様たちが少女に話しかけて意識を反らしていた。こういう時、女は本当に空気を読む。クラーラはほっとした。


「ほらほら、お嬢ちゃんが困ってるじゃない」


 ぱんぱんと手を叩いて、クラーラは少女に改めて向き直った。


「いらっしゃいませクラーラの店へ。かわいいお嬢様、お名前は?」

「シャルロッテ!10歳よ!」


 大振りの婦人用帽子には花とリボンの飾りがごてごてとついて重たそうだ。ドレスのシンプルさと比べると子供の可愛らしいおかしさもあいまって目を引いただろう。よく無事にここまで辿り着いたとクラーラは安堵と呆れに脱力しかけた。


「シャルロッテちゃんね、それで今日はどのようなご用件で?ここが何のお店か知ってるのかしら?」


 シャルロッテと名乗った少女――王女は顔を真っ赤にさせ、叫んだ。


「ルードヴィッヒ様をめろめろにさせるドレスをちょうだい!」


 あ い つ か 。


クラーラは天を仰いだ。お嬢様たちがきゃあと歓声をあげている。ルードヴィッヒ・ユースティティア・クラストロは、パレードで王族一家の乗った馬車の先導を務めたこともあいまって、人気が再燃しているのだ。


「ルードヴィッヒ様は素敵でしたわ」

「ねえ、凛々しくてたくましくて」

「白馬に乗ったお姿はとても立派でしたわね」


 お嬢様たちも口々に言う。クラーラは頭痛がしてきた。

 そこにシャルロッテの声が響いた。


「だめよ!ルードヴィッヒ様はわたくしがお嫁さんにしていただくの!」


 幼い少女の、おそらくは初恋。クラーラもお嬢様たちも微笑ましい気分になった。

 だが結ばれることのない恋だ。ルードヴィッヒは35歳、どこの親がそんなに歳の離れた男の元に娘を嫁に出すものか。なにより彼は既婚者である。法的にも結婚できない。


「閣下は結婚してらっしゃるわ。シャルロッテちゃんをお嫁さんにはできないわよ」

「いや!シャルロッテはルードヴィッヒ様と結婚するの!」


 まずは常識的に諭そうとするクラーラに、シャルロッテは首を振った。理屈はわかってもあきらめることができないのだ。


「お父様とお母様は何とおっしゃって?」

「父様も母様も関係ないわ!わたくしとルードヴィッヒ様の問題よ!」


 幼いながらもしっかりと自我を持っている。だが身分や家柄、それを含めた自分の価値を理解していない発言だった。クラーラの微笑みが苦笑に変わる。


「じゃあ閣下のお気持ちは?めろめろにするドレスが欲しいってことは、お断りされたのね?」


 痛いところを突いたらしい。シャルロッテの強気な目に、たちまち涙が浮かんだ。


「る、ルードヴィッヒ、様、は……」


 ひっく、としゃくりあげられ、慌ててクラーラは少女の頬を撫でた。




 シャルロッテの初恋のお相手、ルードヴィッヒ・ユースティティア・クラストロは彼女の理想の騎士そのものだった。彼女は凛々しく礼儀正しい彼にたちまち夢中になり、まずは両親に、つまり王と王妃に結婚したいと訴えた。もちろん彼らはルードヴィッヒが結婚していることを知っている。クラストロという家柄はシャルロッテのお相手として申し分ないが、なによりそうできないしがらみが王家とクラストロとの間にはあった。


 両親に却下されたシャルロッテは、それならとルードヴィッヒ本人に突撃した。子供ならではの行動力である。


「そう、それで?閣下はなんておっしゃったの?」

「『それは自分の職務に含まれません』って…。わたくし、遊びではないわ。本当にあの方と結婚したいの」


 クラーラはルードヴィッヒの顔を思い浮かべた。言いそう。それものすごく言いそう。おそらくは何の表情も浮かべず、もしかしたらシャルロッテを見ることもせずに淡々と断ったのだろう。シャルロッテはクラーラが差し出したハンカチで涙を拭き、言葉を続けた。


「今日も…お外へ連れていって、と頼んでみたの。でも、でも……っ」


 ―――恐れながら王女殿下。自分は王の臣下であって王女殿下の臣下ではございません。


 祝賀式典が終わったというのに王に引き留められ、ルードヴィッヒも苛立ちが続いているのだろう。無理もない。しかし明らかに自分に恋する10歳の少女に、何の感慨も浮かべずにそうも冷たく言ってしまえる、彼の精神状態がクラーラは心配になった。


 これ以上ないほどの拒絶である。シャルロッテも王女、何もかも我儘を叶えられていたわけではない。どんなに泣いても3歳からは母が一緒に眠ってくれることはなかったし、あの怖い教師を変えてくれることはなかった。授業をさぼれば叱られる。仲良しのメイドと食事を共にすることもできない。


 だが愛されていないと思ったことは一度もなかった。


 ところがルードヴィッヒはシャルロッテを気に留めることさえしてくれなかった。あくまでも事務的に、仕事としての態度を崩さず、さりとて礼儀正しく、きっぱりと、彼女を拒絶した。


「まあ…意外ですわ。ルードヴィッヒ様は女性に冷たい方ですのね」

「王に仕える元帥とはいえ、シャルロッテ様にそのような態度とは…」

「こう言ってはなんですが、少し…不敬ではなくて?」


 ルードヴィッヒの冷たい一面に、お嬢様たちから落胆の声が漏れる。しかしそれを否定したのはシャルロッテだった。


「いいえ!そこがあの方の素敵なところですわ!お仕事を真面目にするのは当然のこと。それに、あの冷たい瞳を見ていると、胸がどきどきしてきますのよ」


 うっとりと頬を染めてシャルロッテは言い切った。クラーラとお嬢様たちが若干引く。恋する乙女はどんなことでもポジティブに解釈し、恋に直結させるらしい。


 護衛たちは何をやってるのかしら。しだいに焦り始めたクラーラは、そっとディスプレイ用の小窓を見た。どうやらタイミングを図っていたらしい男と目が合う。


 ちりりりりん!


 クラーラの形相を見た男が、いかにも慌てて追いかけて来ました、というように髪を乱れさせ、胸元のタイも緩めて飛び込んできた。


「おう…シャルロッテ様!」


 王女様、と呼びかけそうになった護衛は、咄嗟に首を振ったクラーラを見て言い直した。シャルロッテはあっという顔になり、慌てて帽子で顔を隠す。


「どなたかしら?わたくしシャルロッテという名前ではありませんわ」

「探したんですよ!陛下…ではなくお父様に気づかれる前に帰りましょう!」


 駄目だわこの大根役者ども。クラーラは絶望的な気分で目の前の三文芝居を眺めた。お嬢様たちもほっとしたような困ったような、なんともいえない顔をしている。せっかくこちらがシャルロッテが王女であると気づかない振りをしていたのに、台無しである。シャルロッテは隠すことも忘れて話をしていたが、それはそれだ。


「あらら、お家の人に黙って来ちゃったの?ダメじゃなぁい」

「わたくし帰りません。絶対にドレスを作っていただくの。クラーラのドレスを着れば願いが叶うと聞いたのです!」


 クラーラは護衛の三文芝居に乗ることにした。しかし聞き捨てならないことを言われる。


「聞いたって、どなたに?」


 いくらなんでも願いが叶うドレスなどクラーラでも作れない。訝しるクラーラに、シャルロッテは自慢げに答えた。


「フランシーヌお姉様よ。アルベールお兄様のお嫁さんになれないのは残念だけれど、わたくしにとってお姉様はフランシーヌお姉様だけだわ」

「…フランシーヌちゃん……」


 おそらくフランシーヌは願いが叶うなどとは言っていないだろう。クラーラのドレスを着る夢が叶った、あるいはドレスを着たことで本当の願いがわかった、そんなふうに言ったに違いない。彼女が無責任な噂を流すとは思えなかった。


「いくらアタシでも、願いが叶うドレスを作るのは無理だわねぇ」

「嘘!クラーラの手は魔法の手なんでしょう!?」

「そういう意味じゃないのよ…」


 はーっとクラーラは盛大にため息をついた。首を振り、この夢見る少女に現実を突きつける。


「アタシは不倫の幇助なんかできないわ。それにね、シャルロッテちゃん。あなたお金持ってないでしょう?」

「お金…?」

「クラーラの店は、お店なの。お支払いできない方に商品をお売りすることはできないわ」


 シャルロッテは思いがけないことを聞いた、とばかりに目を丸くした。王宮でなにひとつ困らない暮らしをしている彼女には、金を見たことも、その価値も有難味もわからないのだろう。


「さ、シャルロッテ様。帰りましょう。お父様とお母様が心配なさいますよ」

「…………」


 しょんぼりとうなだれる少女に心が痛んだが、無理なものは無理である。ちりりん、とベルが鳴り、護衛が一度振り返って頭を下げた。


 やれやれ。クラーラはがっくりとため息を吐きだし、お嬢様たちも肩の力を抜いた。




 だが数日後、思いがけない使者がクラーラの店を訪れた。


「……………」


 なにしてんのあんた。そう言いたくなる口をクラーラは必死で閉じる。不本意極まりないと顔に書いたその人物は、ルードヴィッヒ・ユースティティア・クラストロその人だった。


「王女シャルロッテ殿下の命により、こちらに参った。クラーラというのはそなたか」

「はい、閣下」


 弟とはいえ今の自分はクラーラ。ルードヴィッヒを気安く「ルイ」などと呼べるわけがない。呆れを隠そうともしないクラーラに、さも不愉快とばかりにルードヴィッヒが眉を寄せる。


「殿下のドレスの依頼である。城へ召喚せよとの命令だ」

「…いつから王家は辺境軍元帥閣下を使い走りに使うようになったのかしらね?」


 ぴく、とルードヴィッヒのこめかみが引き攣る。それは彼が一番言いたいことだろう。彼と共に店に入ってきた侍従が不遜な態度にぎょっとしている。


「…陛下直々に任命された」

「ご苦労お察しいたしますわ、閣下」


 ルードヴィッヒが徒歩で来店したため、娘たちが店の前にたむろしている。供の騎士たちが扉の両端に立っているので入っては来られないが、迷惑もいいところだ。クラーラはルードヴィッヒから目を離し、侍従を見た。


「残念ですけれど、アタクシ召喚は受け付けませんの。遠慮してくださるよう王女殿下にお伝えくださいな」

「な…!?」

「ここは貴族から庶民まで気軽に楽しめる店ですのよ。王女殿下におかれましてはもっとご身分を考慮されて、不貞行為などはお止めになるよう、僭越ながら申し上げますわ」

「たかがドレスで何が不貞だ!殿下への不敬、許されることではないぞ!」


 侍従が怒鳴りつけるのをルードヴィッヒもクラーラも白けた表情で見た。


「…クラストロ辺境軍元帥閣下をめろめろにするドレスが欲しいとお聞きしておりますが?」

「なんだ、それは」


 激昂する侍従を手で抑え、ルードヴィッヒが怒りを堪えながら言った。


「先日突然ご来店なさいましたの。王女殿下直々におっしゃったことですわ。閣下との不貞のため、ふさわしいドレスが欲しいとね」

「………それで」

「さすがにそのようなドレスを仕立てることはできません。お断りしました。アタクシは不幸のドレスなんて作りたくありませんもの」


 言葉使いこそ慇懃だが、王女の命に背くなど不敬罪とも取られかねない。だがクラーラはどこか嘲りを含んだ態度で両手を広げ、肩をすくめてみせた。


 小窓の向こうでは、常連のお嬢様や町娘たちもハラハラしながら見守っている。この一件はたちまち王都に広がるだろう。王女殿下は不貞行為がお望み、と。こういう時、王女が10歳であることなど一切考慮されない。少女の初恋が大人の男性である微笑ましさは、王女という身分の娘が王の臣下に言い寄った権力の横暴にされ、不貞を迫った事実のみが強調されるものだ。


 そしてクラーラはあのフランシーヌのドレスを作った仕立て屋である。不貞や不実を嫌い、王子を断罪したフランシーヌの味方であると思われている。どちらが人気を集めるか、考えるまでもない。


「……そうか。それは大変失礼した。私も殿下の申し出は断っているのだが、まさかこのような店にまで迷惑をかけたとは思わなかった」

「ご理解いただけたようでなによりですわ」

「クラストロ閣下…殿下の命令ですぞ!?」


 侍従が噛みついた。ルードヴィッヒはあっさりとあしらった。


「私は当事者です。殿下には世の理を学んでいただかなくてはならん」


 ただでさえアルベールの婚約破棄で、不貞行為には厳しい目が向けられているのだ。ここにきて王女までとなれば、せっかく回復した王家の威信に傷が付きかねない。ルードヴィッヒの言葉に侍従もぐっと詰まった。


「失礼した。この詫びは必ずしよう」


 さっさと出て行こうとするルードヴィッヒを、クラーラが引き留めた。


「お待ちになって」


 振り返る。ルードヴィッヒはまだ何かあるのかと言わんばかりだ。


「閣下、お財布はお持ちでしょうか?」

「…ああ」

「では、何か殿下に買っていってはどうでしょう?」


 どういうつもりだ。訝しるルードヴィッヒに、クラーラは苦笑した。


「…女の子の初恋を無下にするものじゃあなくってよ、閣下。せめて良い思い出で終われば殿下も諦めがつくでしょう」


 そう、いくらクラーラとて、まだたった10歳の少女の初恋を毟り取る権利はないのだ。それはシャルロッテ本人だけのものであり、これから大人になる彼女の成長の一段階にすぎない。


「初恋は、尊いわ。きらめく宝石のように心の中で輝く。それを与えてやってはいかが?」


 お財布は痛むけど、心は痛まないでしょう?くすぐるようなクラーラの声音にルードヴィッヒは考える。


「…………」


 ふたりの視線が交錯した。

 ルードヴィッヒはちいさく息を吐き、店内を眺めた。そして、ひとつに目を止める。


「これは」

「アザミをモチーフにしたブローチです。銀細工で蝶を、こちらのアメジストがアザミを意味します」


 アザミは辺境軍の紋章にも使われている花だ。棘を持ったその花は敵を寄せ付けず、国を守護する。


「おお、それならクラストロ閣下との思い出にふさわしいですな!」


 侍従が明るい声でおべっかを使った。勅命に失敗したなどと報告すれば、どんな咎があるかわからない。彼も必死である。


「こちらは仕立てる余裕のない方向けの商品ですが、一点物ですわ」

「では、これを貰おう」

「はい。ありがとうございます」


 クラーラはそっとアザミのブローチを手に取り、丁寧に磨いた。銀は傷みやすい金属である。一度でも触ったら必ず手入れをしなければならない。かといって放置しておくと黒く変色してしまう。それを楽しむものもいるが、やはり銀の魅力はその輝きである。


 クラーラはブローチを専用の箱に入れ、贈り物用の包装紙で包んだ。シャルロッテに似合うリボンをかける。


「きっと喜んでいただけますわ」

「…そうか」

「ええ」


 笑みを浮かべるクラーラに、ルードヴィッヒの瞳がすっと弧を描いた。侍従は言い訳ができたことに安心したのか、店を取り巻く野次馬に散れと命令してお嬢様たちに睨まれている。突然来て楽しみを邪魔したのは誰か、わかっていないらしい。


「大変ね」

「まあ、ね」


 口だけを動かして軽い挨拶を交わし、クラーラは辺境軍元帥閣下に深々と頭を下げた。


「奥様のドレスでしたらいつでもどうぞ。お待ちしています」

「ああ。その時は頼む」


 ルードヴィッヒが店を出ると歓声があがり、代わりにお嬢様たちが憤慨しながら入ってくる。王女の横暴と王家の傲慢を嘆く彼女たちにお茶を淹れてやりながら、クラーラは微笑んだ。




 アザミの紋章。棘のあるその花は王家を守り、国を守護する。花言葉は「厳格」「高潔」「独立」――そして「復讐」



しかし相手が悪すぎた。

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