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クラーラの見物


 ぱん、ぱぱん、と空砲が鳴る。


 良く晴れた空に白い煙がいくつも咲いていた。


 大通りは払い清められ、花があちこちに飾られている。国中から集めたような花々の香りが王都に満ちた。

 沿道には人の群れ。ひしめきあった人々は期待に顔を輝かせながらその時を待っている。小さな子供は父親に肩車され、あるいは母親としっかり手を繋いで、見慣れた王都が華やかに様変わりしたことにはしゃいでいた。


 今日は、王族によるパレード当日だ。


「クラーラ!あんたも来たの!」


 クラーラが沿道の人ごみに紛れていると、聞きなれた声が呼びかけてきた。

 とにかく人が凄い。せっかくはりきっておしゃれしたのに、これでは台無しだ。ドレスが破けなければいいけど。パレードがはじまる前からうんざりしはじめたクラーラは、声の主を探して周囲を見回した。


 群衆の最前列に陣取っている、八百屋一家の娘、チェルシーだ。懸命に背を伸ばし、クラーラに向かって手を振っている。


「こっちおいでよ!」

「身動きがとれないのよ!」

「なんのための図体なのさ!割り込んで来い!」

「無茶言わないでちょうだい!」


 怒鳴りつけるような会話は人が多すぎるせいだ。人々が口々にしゃべっているため、声を張り上げないと聞こえない。

 チェルシーとクラーラの会話に周囲から笑いが漏れた。まったく、レディが大声だすなんて、とクラーラは乱れた髪に手をやって整える。そろそろはじまるはずだ。


 王宮の方角から音楽が鳴り響き、パレードがはじまった。


 王族一家は雲の上の存在だ。新年か国王の生誕祭くらいでしか滅多にお目にかかれない。それも城のバルコニーから遠い姿を望むのみで、護衛付きとはいえこれほど近くで拝する機会など早々ないだろう。


 おまけに今回は最強軍団と呼び名も高い辺境軍の元帥がわざわざ召喚され、王族の護衛に就く。彼は美男としても知られており、彼の人気もあいまって観客が詰めかけた。おそらく護衛騎士もそれなりに顔の良い男たちが選ばれて、アクセサリーとしてパレードを飾るのだろう。


「来たぞ!」


 誰かが叫び、人々は王と王妃の名を呼んだ。第二王子のマルセルは多くの女性たちの声を集め、シャルロッテ王女は初お目見えとあって彼より少ない。


 先頭は国旗を捧げ持った騎士と楽団だった。脇に馬に乗った護衛騎士をつけ、列になり国歌を鳴らしながら進んでいく。


「国王万歳!」

「エドゥアール王万歳!」

「王妃様!」


 次に護衛騎馬隊。見事な体躯の馬に乗った騎士たちが均一に並び、蹄の音も高らかに通り抜けていった。馬は怒号や鐘、銃声に驚かないよう慣らされているため、群衆の歓声にも悠然としていた。


「国王エドゥアール、王妃フローラ万歳!」

「マルセル様!」

「万歳!」


 転ぶのを防ぐため、クラーラはヒールの高い靴は履いてこなかった。それでも人々の頭より目線は高い。四頭立ての馬車の音が近づいた。


「エドゥアール王に祝福を!」

「王妃フローラに祝福を!」

「シャルロッテ様、万歳!」

「マルセル様、万歳!」

「国王陛下万歳!」


 万歳の歓声の中、王族一家が現れた。


 先導にルードヴィッヒ・ユースティティア・クラストロ。護衛騎士とは違い、辺境軍正式礼装に身を包んでいる。白い詰襟に階級章、頭にも飾りのついた軍帽を被り、マントには辺境軍を示す交差する剣と薊の紋章が入っていた。黒い革手袋が白馬の手綱を握り、一欠けらの笑みもなく、冷たい眼差しをただ前に向けている。一瞬だけクラーラを映したが、それだけだった。


 仕事中、と書いてある顔にクラーラは苦笑した。そして少し顔を傾け、次の馬を見る。


 天蓋を降ろしたバルーシュタイプの馬車。屋根がないのが特徴で、車体も低く、乗っている人が良く見える。見せることを目的とした馬車だ。白く磨かれた車体には王家の紋章である百合紋が描かれ、彫金の飾りが付けられている。四頭の馬も白馬、御者もこの日のために誂えた白い御者服を着ていた。


「いてっ」

「あら、ごめんなさい」


 クラーラは一歩足を引き、後ろに立っていた男の爪先を踏んだ。彼は足の痛みもさることながら、一瞬でも王族一家を見逃したことに怒りを覚えたらしく、背の高いクラーラにぶちぶちと文句をつけた。クラーラは申し訳なさそうにひたすら謝った。


「本当にごめんなさい」

「ちっ!」


 男は舌打ちしてクラーラを睨みつけると、王妃への万歳を叫んだ。クラーラは頭を下げた。馬車が正面を通り抜ける。視界の隅でフローラが手を振っていた。


 座席に詰め物をしてあるのか、一般のバルーシュと比べると座高が高くなっている。フローラは白を基調としたドレスとマント、エドゥアールは国王の礼装。こちらも白だ。第二王子のマルセルは白に青の刺繍が入った三つ揃いのスーツ、王女シャルロッテは子供らしい花模様のドレスだった。


「エドゥアール王万歳!」

「王妃フローラ万歳!」


 国王と王子はともかく王妃と王女はずいぶん重そうなドレスだった。重量もそうだが、国庫に重く響くだろう。

フローラのドレスには宝石が使われ、胸元を飾るネックレスと揃いの耳飾りは大きなエメラルドだった。割れやすいエメラルドをあの大きさで、となると、相当な金額になる。

 シャルロッテも同様だ。アクセサリーこそ小ぶりだったが、花模様には宝石が縫い込まれていた。


 王が被る王冠と王妃の冠は代々伝えられているものだ。それだけはさすがに守ったかとクラーラは内心ほっとした。時代に合わせて王が独自の冠を作ることもあるが、エドゥアールにそれだけの予算はないはずだ。勅命を出したところで無い袖は振れず、ツケを背負うのは国民になる。


「ごめんなさい、失礼しますね」


 見るものは見た。クラーラは人の隙間を縫うように身をよじった。小声で囁く。


「早くしないとパンがなくなっちゃう」


 その言葉は驚くほど早く伝播した。パレード当日の今日は、待ちに待ったパンの配給日である。群衆ははっと我に返るや一斉に動いた。王宮に近い場所にいた者たちは、とっくに配給所に向かっているだろう。職のない浮浪者はもちろん、観客としてやってきた者も並ぶに違いない。パレードに興味のないものたちは言わずもがなだ。


 動き出した波に乗ってクラーラは沿道から脱出した。クラーラ本人はパンなど必要としていない。ただ群衆が集まったのが一瞬で、誰も余韻に浸らなかったという事実のみが必要だった。


 エドゥアールが狙った『王家の威信』など、パンの一切れを前にしたら何の意味もない。


 憐れなものね。微かに同情しながらクラーラは家路を急いだ。


 良く晴れた春空に、また空砲が鳴った。




 家に帰りつくや、クラーラはアーネストを呼んだ。


「アーネスト、手配は済んでるわね?」

「はい」

「市場の相場は?」

「現在の市場相場はこちらに。こちらが冬を予測したものになります」


 アーネストは主人が求めるものをすぐさま差し出した。着替えもしないクラーラは受け取った書類を睨み、熟考をはじめる。


 今でこそクラストロといえば養蚕が有名だが、もともとは豊かな穀倉地帯として知られていた。代々の領主が土壌改良に励んだ結果だ。クラストロは公爵であり、王家の剣であり盾でもある。初代が王から賜った領地は、国境に面し荒れ土に乾いた風が吹く、不毛な大地であった。生まれたばかりの国で、臣籍降下した弟が国を逼迫させてはならぬと、もっとも豊かな土地を王家の直轄としたのである。そして引き連れてきた民に告げた。我が領民には3年の貯蓄をさせよ。それが民を守り、国を守ることになる。


 クラストロ家の家訓にもある。どんな飢饉が起こっても、3年分の蓄えがあれば民は飢えずにすむ。飢えれば人は動けず、働けなければ大地は荒れる。その家訓を守り、クラストロ領は蝗や旱魃の時にも餓死者は出さなかった。民を安堵させての領主、これがクラストロの誇りなのだ。


 今はまだいい。どこの畑でも麦の植え付けがはじまったばかりだ。だが今回の大盤振る舞いで、収穫を早めるところが必ずでてくる。あるいは野菜を植える予定の土地に麦を植えろと命令が下るかもしれない。貯蔵庫で保管のできる麦とは違い、野菜は季節ものだ。わずかな畑にジャガイモなどを植えて、飢えを凌ぐ農民に無理を強いる領が出る。


 今回の配給のために、クラストロは要求された以上の麦を出さなかった。市場は高騰していたが沈黙を守り、一時の荒稼ぎに走らず他家の失笑を買った。


 冬が来るのだ。ただでさえ地方の貧しい庶民は冬の死亡率が高いというのに、わずかな麦さえも手に入らなかったら子供や老人だけではなく、働き手となる青年さえも死んでいくだろう。彼らに必要なのは一瞬で消えていくパンではない。食いつないでいけるだけの余裕なのだ。


 やがて飢えた民衆が、王都に押し寄せて来る。


 20年あった。


 エドゥアールが王になって20年。その間、彼は時候の挨拶のようにマクラウドに宰相の任に就くよう要請し、クラーラの傷を抉ってきた。マクラウドさえいればなんとかなると頑なに信じ、自分で改善しようとは考えることもなく。それが彼なりの謝罪のつもりだったのだろう。しかし、エドゥアールからの出仕要請が来るたびにクラーラは忘れかけていた傷の痛みを思い出し、発狂しそうな夜を思い出す。


 愛しいフローラ。嫋やかでやさしいその姿。彼女が傍にいる未来を思うだけで、マクラウドは自分が身を浸している闇に吞まれずに済んだ。彼女は癒しであり、愛の象徴であった。女神ではないかとマクラウドは本気で信じていたこともある。


 今日、見ることができたフローラは20年前と何も変わっていなかった。変わらずに美しく、すべてを許し包み込む笑みを浮かべ、民衆に手を振っていた。顔を伏せたクラーラに気づくことなく。


 マクラウドとフローラの婚約は家同士による政略的な意味合いの強いものであった。クラストロ家と繋がりを得たいフローラの実家は侯爵であり、貴族議会の議長を務める家であった。議長であるフローラの父は、癒着というより個人的にマクラウドが気に入ったようで、ぜひ娘と、と請われてのことだった。


 マクラウドも議長のことは好感を持っていた。議会を取り仕切るからには公正であれ、という信念を持つ男は、だからこそクラストロの在り方に感銘を受けたという。このご時世には珍しい、まっすぐな人柄である。彼の人柄とこの先のしがらみを思えば一度も会わずに断ることはできない。マクラウドはフローラと会うことにした。


 フローラはその名の通り、花のような少女であった。愛を注ぐことで成長し、愛によって花開く、花のごとき麗人。ただそこにいるだけで人の心を慰める少女だった。


 いつ会ってもフローラは花だった。マクラウドが父の手足となってエドゥアール廃嫡に蠢く貴族どもと対峙し、裏工作をこなした直後に会っても、何ひとつ気づくこともなく彼に微笑んだ。闇を寄せ付けぬ、闇の存在すら知らぬような人であった。


 宰相という重荷と背負う闇に潰されそうになっていたマクラウドには、フローラの光が救いだった。彼女であれば人に死ねと命ずる時でも微笑んでいてくれるだろう。嘘、欺瞞、謀略、暴力。それらを飲み込んだマクラウドを愛し続けてくれるだろう。マクラウドはそう信じ、信仰に似た愛情をフローラに注いだ。他国の王女との婚約に不満を漏らすエドゥアールにのろけさえした。


 エドゥアールについては、よく知っている。おそらく彼の周りにいる重鎮の誰よりも、クラーラのほうがその考えを読めるだろう。


 エドゥアールが欲しかったのはフローラその人ではなく、マクラウドの婚約者であるフローラだった。親友が愛する女を自分も同じく愛することで、エドゥアールはマクラウドとより近くなろうとした。


 自分の結婚と比べて嫉妬と羨望もあったのだろう。しかしそれならば別に恋人を作っても良かった。婚約者は変えられないが、恋まで否定されていたわけではない。結婚前に別れておけばいいのだから。


 エドゥアールにとって、マクラウドは共に育って来た親友であり、自分の影だった。育つにつれてマクラウドが自制し、エドゥアールから一歩引いた態度を取るようになったことに焦り、この優秀な男を自分に引き留めておく方法として、フローラを愛したのだ。


 いびつに歪んだ愛情である。だがエドゥアールはそれを真実の愛だと思った。親友から婚約者を奪うのではなく、同じく愛する。フローラと言葉を交わし、わずかな隙を縫って愛を告げ、思いの丈をぶつけた。


 エドゥアールの誤算はフローラが愛情を量る女だったことだ。結ばれるべきマクラウドより、苦悩するエドゥアールのほうが自分を愛してくれている。フローラの理想の愛は共に成長するものではなく、溺れてゆくものだった。何もかもを許し、互いのことだけを見つめて生きていく。マクラウドであれば彼女が溺れそうになるたびに引き上げてくれただろう。女の本能で彼の聡明さを察知した彼女は息苦しさを覚えた。エドゥアールであれば、しがみついて離れないでいてくれる。


 20年前、そうしてふたりは飛び込んだ。底なしの泥沼であることなど知りもせず、簡単にマクラウドを裏切り、捨てた。エドゥアールの隣から親友が消え、フローラへの愛情は息絶えた。


「…なにも変わっていなかったわ」

「……あるじ様」

「化け物みたい。信じられない。アタシとアレが同じ人間だなんて……」


 レオノーラとマシューも集まっていた。主人の心境を思い、フローラをはじめとする王家への表情を露わにしない。


レオノーラはクラーラがパレード見物に行くことを反対していた。わざわざ自分から傷口を抉る必要はない、と。クラーラが王妃のドレスを見たいと言った時も、どこの商会が仕立てたのか突き止め、その詳細まで報告した。もちろん支払額までわかっている。見に行くまでもない。


マシューは王都のパン屋を探り、彼らに労働の対価が支払われていないことを突き止めた。王家は小麦を用意してパンを焼けと命じればいいが、パンを焼く際に使うバターや窯に火を燈す薪の必要性をわかっていなかった。彼らの労働力も。祝賀の裏で一部の者たちだけに負担が集中したのだ。


「ご主人様」

「レオノーラ、今注文が残ってるのはドレス3着とティアラとネックレスだったわよね?」

「はい。貴族令嬢のデビュタント用ドレスとティアラが2件、それから令嬢付き侍女のウエディングドレスとネックレスです。祝賀のための注文はすべてお届けも支払いも済んでいます」

「それが終わったらクラストロに帰るわ。名目は、そうね、静養と絹地の仕入れってことにしておいて」

「はい」


 これから店を訪れる令嬢たちに、休業案内を出さなければならない。レオノーラは頭の中で常連の令嬢たちを数えた。


「アーネスト、この家とお店の調度品を預ける銀行の手配を」

「はい」


 店を閉めている間は見本品のドレスや宝石も片付けて、泥棒に入られても被害のないように手配する。家の調度品も良いものばかりだ、奪われるならともかく破壊されてはたまらない。


「マシューは道中のことを頼むわね」

「はい」


 王都からクラストロまでは長旅だ。道中の安全を確保し、宿と食事を手配し、無事に帰還しなければならない。


「焦んなくていいわ。仕事は確実に、ね」


 言って、クラーラは立ち上がった。群衆に揉まれたせいで傷んだドレスを確認し、哀しそうな顔をする。


「レオノーラ、これもう駄目かしら」

「生地がだいぶ引き攣れてますね…あ、ほつれまで。これは何かしら、食べ物の染み?」


 あーあ、とクラーラは天を向いた。

 クラーラのドレスをチェックしながら、レオノーラが訊ねた。


「それで、クラーラ様。いつまでクラストロに滞在する予定ですか?」


 決まってるじゃない。クラーラは答えた。


「冬までよ」


















 月夜の晩、ウエディングヴェールの裾を地面に引き摺ってその人は歩いている。


 虚ろな瞳。裾長の寝間着姿はどこかの令嬢のようにも見え、しかし短く切られた黒髪と体躯がそれを否定する。


 何かを呟きながら、その人は庭を歩いていた。月光、ウエディングヴェールは発光しているかのようだ。


 繊細なレースでできたヴェールはすっかり汚れ、ほつれてきている。もう毎晩、この人はこうして夜を歩いていた。ひとり、月明りの中。


 本来なら幸福に包まれていたはずだった。神の前に愛を誓い、その愛を永遠のものにしていたはずだった。


 ひらり、ふわりとヴェールが揺れる。青白いその頬。血の気を失ったその唇。紡ぐは愛しい人の名前。


 ―――フローラ


 耐え切れずに飛び出した人影。にいさん。にいさん。呼びかけてもその人が呼ぶのは愛しい名前だけだった。フローラ。


 抱きしめた弟の腕の中、主人は虚ろにただ一人を呼び続けている。しだいに弟の声に涙が混じり、見ている彼らの胸が締め付けられる。


 夜が明ければその人は何も覚えていない。夜だけに許される呼びかけ。囁くように、睦言のように、その人は愛を呼んだ。


 ―――フローラ


 青白い人はそうして彼を埋葬した。ひどく不釣り合いなウエディングヴェール。さようならやさしい月明り。


 やがて腐って骨になり、いずれ天へと還るでしょう。






ラストシーンをどの話に入れるか悩みました。これはどうしても書きたかった。マクラウドの死です。

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