フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの憂鬱2
2話目投稿です。
クラーラの店には少女たちが集まる。庶民の少女向けの、ちょっと奮発すれば買える程度のリボンなどの髪飾りから、貴族令嬢向けの宝石などを使った装飾品からドレスまで、女の子のあこがれを詰め込んだ宝石箱のような店。それがクラーラの店だ。
そして少女が集まれば、当然のごとくおしゃべりがはじまる。最近の話題はもちろん第一王子のアルベールと、婚約者のフランシーヌだった。
「ええ、そうなの。あのバーカ王子様ときたら、ユージェニー嬢にご執心でフランシーヌ様をほったらかしなのよ!」
「もう許せないって、うちのお嬢様もおかんむりよ。おかげでご機嫌が悪いったら」
「ええー、王子様ってそんなんなの?なんだかがっかり」
「見た目だけなら王子様なんだけどね、あのバーカ」
あのバーカ、というのはアルベールの名前をもじった、令嬢方による王子のあだ名だった。若い娘は容赦ない。そんな噂に参加している庶民の娘もまた、自分の抱いていた『王子様』が砕かれたというのに実に楽しそうだ。
「そのユージェニーってお嬢様、そんなに綺麗なの?」
フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュ嬢の話は庶民の娘も知っている。彼女が思い描くお嬢様そのままにして、勇敢なるお姉さま。雲の上というよりあこがれのお嬢さまだ。
対するユージェニー・オルコットは子爵令嬢。王子と関係が噂されるまで名前を知っている者すら少ない地方貴族の令嬢であった。今年の社交デビューで王子の目に止まったらしい。
「フランシーヌ様とは違う美人ね。どちらかというと可愛い系?天然ぶってるけど、あれは絶対に造り物よ」
「わざとらしいものね、ユージェニー。あれに騙されるなんて、あのバーカもとんだお花畑よねー」
「おねえさまがお可哀想だわ。あれと結婚しなくちゃならないなんて、不幸になる未来しか見えない」
「それね」
「それよ」
「わたくしが男であれば、いつかおねえさまがしていたように颯爽と馬から攫うのに」
胸の前で手を組みうっとりと語る貴族令嬢は、かつて狩りに参加した際に馬が暴走し、そこをフランシスに助けられた過去がある。以来彼女はお姉さま信者だ。
「乗馬服のフランシーヌ様、まさにおねえさまだったわね…」
「あれこそ理想の男性ですわ」
「クラーラ様がフランシーヌ様の仕立てを受けてくださって本当にようございました」
笑いを堪えながら少女たちの話を聞いていたクラーラは、店を片付けていた手を止めて振り返った。
「そう言ってもらえて安心したわ。しばらくフランシーヌちゃんのドレスにかかりきりになっちゃうし、その間はお店閉めちゃうから、お嬢様方には申し訳ないと思ってたのよ」
フランシーヌほどの令嬢のドレスとなると完全一点物だ。デザインから縫製まで、通常なら数人がかりの作業となるが、クラーラはすべて自分ひとりで行っている。仮縫いに入ればそれにかかりきりになるだろう。当然のことながら、店など開いていられなくなる。
クラーラの言葉に少女たちは首を振った。
「フランシーヌ様のためですもの。わたくしたちのことはお気になさらないで」
「そうよー。その間はお小遣い貯めとくからいいわ」
「あのバーカ見返すドレスをお願いしますわ」
「いいなあ。あたしもフランシーヌ様見てみたい」
「あら、それなら一度フランシーヌ様をお連れしましょうか?侍女がいればジョルジュ家も許可してくれるでしょうし」
普通の貴族令嬢、特に身分の高い者は自分で買い物などしない。ここにいるのは親の許可があるものか、親の目を盗んでこっそり来ているかのどちらかだ。
「あなたたち、無理強いはだめよ?」
さすがにクラーラもたしなめた。フランシーヌはおそらく現金を持ったこともないだろう。
「わたくしたちと一緒なら大丈夫だと思いますわ」
「それに、ここならあのバーカのことをどんなに言っても誰も気にしませんしね」
笑いさざめく少女たちにクラーラは苦笑するしかなかった。彼女たちを真っ向から敵に回すほどの度胸が、アルベール王子とユージェニーという令嬢にあるのかしら。わかっていながら考えた。
翌日からクラーラはジョルジュ家に通い詰めた。
ドレスの見本となる生地や、デザインを描いたスケッチブック、そして装飾品。ずらり並べてどれがフランシーヌを一番輝かせるのか検討するためだ。
「ま、一番はフランシーヌちゃんの好みなんだけどね」
輝くシルバーブロンドの髪、新緑の瞳を持つ少女は、美少女を見慣れたクラーラが見ても美しい。ちょっと吊り目がちの目元がまだ幼い顔立ちをきつく感じさせているが、そこが良かった。このような少女にやさしく諭されたらたまらないだろう。お姉さまという評判も無理はないと思う。
「わたくしの好みとしては、リボンがたっぷりついたこちらのドレスですわね」
デザインの見本として用意させたのは、フランシーヌ本人が一番気に入っているドレス、母親がフランシーヌに一番似合うと思っているドレス、メイドたちから絶賛されたドレスの三着だ。フランシーヌの言う通り、三着ともリボンが使われたドレスだった。
彼女が一番にあげたのは、3年前にあつらえたドレスだった。13歳の少女が着るにふさわしい可愛らしさだが、今のフランシーヌから想像すると子供っぽすぎていてあまり似合っていたとは思えない。胸や袖、スカート部分にもリボンがたくさんついた、淡いピンク色のドレスは妖精のようだ。
このドレスを着て、アルベール王子と婚約した。思い出のドレスだった。
「いいわねえ、リボン。可愛らしいわ」
「はい。これを着ると楽しい気分になりますの」
残念ながら何回も着ないうちにサイズアウトになったが、それでもとっておいたのは純粋に気に入っているからだ。
母親が選んだのはリボンの数こそ少ないものの、背中にボタンのように並んだ少し濃いピンクのドレスだった。母が選んだだけあってフランシーヌの雰囲気を壊さぬよう大人の演出がされている。彼女のシルバーブロンドの髪に良く映えて似合っていただろう。しかし大人すぎてかえってきつい女性だと思わせてしまったのではないだろうか。
メイドたちが選んだのは、フランシーヌの瞳にあわせたのだろう若草色のドレスだった。リボンは控えめだが、色は夏の盛りの花を思わせる濃いピンク色。少女の儚さと大人びてゆく過程を想像させる、フランシーヌにもっとも似合うドレスである。さすがメイドの磨かれた目から選ばれたドレスだとクラーラも感心した。
「リボン、リボンね。花束かしら?いえ、プレゼントが良いかしら。フランシーヌちゃんこそとびっきりの宝石、リボンは包装ですものね」
ぶつぶつ言いながら思いついたデザインをスケッチしていく。フランシーヌの母やメイドがそのたびにきゃあきゃあと歓声をあげていた。フランシーヌ本人はそわそわしながら見守るだけだ。曰く、最終選考をお願い。
「色はどうしましょう?婚約披露のパーティですもの、大人の女性を演出してみましょうか」
頬を染めたフランシーヌは、そっと手元に視線を落とした。
公的な婚約が決まったのは三年前だが、外国からの賓客を招いてのお披露目はこれがはじめてだ。三年間、フランシーヌは王子の婚約者、未来の王妃として認められるべく、礼儀作法だけではなく外国語や歴史、経済に至るまでさまざまな分野の勉強をこなし、社交に出て貴族たちの信頼を集め、国の一端を担う女性となるべく励んできた。
今回のパーティはその努力が認められ、王妃のもっとも重要な役目となる外交の一環として開催される。次期王妃の顔を覚えてもらい、良い印象を広めてもらうためだ。
つまり、ここで王子の婚約者として紹介された女性が王妃となる。
だからこそ王子が暴走して婚約破棄をしてしまうのではないか。そこでユージェニーを正式な婚約者としてしまう腹づもりではないかと貴族たちは注視している。
フランシーヌの母、ジョルジュ伯爵夫人はすがるようにクラーラを見つめた。貴賓の集まる場で娘が辱めを受けたらと思うと、いてもたってもいられなくなる。娘を心配する母の顔であった。
「クラーラ殿、どうか最高のドレスを。フランシーヌはわたくしたちの宝。傷がつくなどあってはならないことです」
クラーラは深い同情を込めた瞳で夫人を見つめた。未婚で子もいないクラーラに親心はわからないが、衆人環視の中で辱められる惨めさは知っていた。屈辱と、憎悪の深さも。
「…挽回できるとお約束はできません。アルベール王子の心はアタシにもわからないですからね。ですが、辱めを受けるのはフランシーヌ嬢ではないことだけは確かですわ」
幸いなことにフランシーヌは少女たちの支持をすでに得ている。その親たちも好意的に見ているだろう。ならば、あとは男性陣の誤解を解き、フランシーヌの味方にしてしまえばいいのだ。
ただ、問題があるとすれば。
「…アルベール殿下は高潔なお方です。外交の場で無体なことなどなさらないはずですわ」
フランシーヌの気持ちである。フランシーヌは、アルベール王子に恋をしている。思い詰めた新緑の瞳からは、ほとばしるような彼女の恋が伝わってきた。
婚約こそ三年前だが、ふたりの出会いはもっと前だ。今は引退し悠々自適の隠居生活を送っている彼女の祖父、フランソワ・ドゥ・オルトー・ジョルジュを国王エドゥアールはたいそう頼りにしていて、折りにつけ遊びに来るようにと王宮に招いていた。そこにある思惑を正確に読み取ったフランソワは溺愛する孫娘を連れて王家の団欒に参加した。国の重鎮であるフランソワの大切な孫娘を王家に入れることで、底辺にまで落ちている貴族からの信頼を復興させようというのだ。
大人たちの策略など知らないフランシーヌは、父や弟、使用人とは違うアルベール王子と素直に仲良くなった。アルベールはフランシーヌより三歳年上で、幼い娘の目にはその三歳の差が彼を大人に見せていた。アルベールもまたフランソワの孫娘に好意を抱き、なにくれとなく気遣い、優しく声をかけてくれていたのだ。幼女が淡い初恋を抱くのには十分な御膳立てだったであろう。
だからこそ、正式な婚約者となった時の喜びをフランシーヌは忘れられない。今まで妹を見るような親愛しかなかった瞳が驚愕に見開かれ、フランシーヌをひとりの女性として見て輝いた。フランシーヌの恋に気づいていてもそれは身近な男だからだと余裕を見せていたアルベール。彼はたしかにあの時フランシーヌの恋を受け入れ、フランシーヌとの恋に落ちたのだ。やがてゆっくりとその瞳が甘やかに微笑むのをフランシーヌはうっとりと見つめた。
ユージェニー・オルコット子爵令嬢との噂はフランシーヌの耳にも届いている。だがアルベールが浮気などするはずがないとフランシーヌは頑なに信じようとした。
これは手強そうだ。荒療治が必要だろう。クラーラはため息まじりに彼女を見つめ、当日には最高に輝く女性に仕上げる算段をはじめた。
女の子って嫌いな男子に容赦ないよね。