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リスティア・エヴァンスの参戦

大阪で大きな地震がありました。みなさまの無事を祈ります。


 朱金の髪、アーモンド形の新緑の瞳、まなざしには知性が宿り、立ち居振る舞いは淑女そのもの。

 王家主催のデビュタントで、リスティア・エヴァンスは話題を攫った。

 いくらクラストロ家の与力であろうと、エヴァンス家はしょせん田舎の地方貴族にすぎない。王都に一族郎党と暮らす貴族にしてみれば、吹けば飛ぶような勢力にすぎないはずだった。


 それが蓋を開ければどうだろう。いまやリスティアは、ジョルジュ家の花と謳われるフランシーヌと双璧を成す存在になっていた。特に金銭面で難のある貴族はリスティアの実家が栄えていると知ると、こぞって夜会や晩餐に招待し、あわよくば息子の嫁にと望むようになった。そうでなくともせめて何らかの繋がりを得て、この危機的状況の脱出を図るように工作を開始した。


 しかし、もっともリスティアに注目したのは、やはりこの二人であった。


 王妃フローラは王宮の園遊会で、ひとりの少女を探していた。少女はかつてフローラの婚約者であった男の与力貴族の娘で、彼の弟の妻が後見して王都に来ている。彼女から彼、マクラウドの様子を聞き、事態の打開を図りたかった。エドゥアール王はそんな愛妻の様子に苦いものを噛みしめつつ、それでも反対できずにいた。20年も顔を合わせぬ親友、本来ならこの場で王と王妃を支えていなければならないはずの男の現状を今更知っても、何をどうすればいいのか皆目見当がつかないのだ。


 園遊会は王族一家を囲み、招待された人々をねぎらい語らう場である。第二王子のマルセルと第一王女シャルロッテも王と王妃に連れられて、華やかな祝賀にやって来ていた。マルセルは16歳、シャルロッテは10歳。シャルロッテは金色の髪を下しレースとリボンのたくさんついたドレスを着てはしゃいでいる。


 今日のリスティアはクラーラのドレスを着ていた。朱金の髪をあざやかに輝かせる真紅のドレスには、やや控えめなレースリボンが胸から腰まで並んでいる。縁取りを黒、メインを白にしたレースリボンはバッスルスタイルの膨らみをまとめる飾りにも使われ、リスティアの面立ちもあいまって強気な、しかし少女であることを教えている。バッスル下のスカートも白だ。未だ未成熟な娘が精一杯背伸びをしているような、微笑ましい可愛らしさがあった。


「王都に来て一番良かったことは」


 と、リスティアははにかみながら言った。


「フランシーヌ様と出会えたことですわ」

「まあ、リスティア様。こちらこそリスティア様に出会えたのを嬉しく思いますわ。クラーラ様のおっしゃったとおり、可愛らしい方ですもの」


 やさしい笑みを浮かべ余裕を崩さないフランシーヌに、リスティアは尊敬の念を抱いた。うつくしさといい行動力といい、すっかりお姉様信者に染まりつつある。


 二人の出会いはジョルジュ家で開催された晩餐会だった。ジョルジュ家はフランシーヌの婚約破棄の一件から親王家派とは一線を引き、絶縁とまではいかないものの積極的に協力しなくなっていた。それで政権の中枢から外されたかというとそうではなく、未だ権勢を保ったままでいる。


 フランシーヌの力が大きかった。あの婚約破棄の夜、彼女がまとっていたドレスと首を飾った真珠のネックレス。それらの出所を辿ればクラストロに行き着く。ほぼ真円で粒の揃った真珠など、王家であってもネックレスに仕立てるには相当の資金と伝手がなければ無理だ。沈黙する宰相家はいつかの再現のような夜に、不気味な手を伸ばし、ここにいるぞと主張した。うつくしい貴族令嬢の背後に潜む影。あの場にいた貴族たちは誰がフランシーヌを守護しているのか理解した。


 今日の園遊会のドレスもクラーラ製だ。鮮やかな金髪が春の日差しに輝き周囲を明るくする。花の盛りを表すように淡いピンク色の薔薇の髪飾りを両サイドにつけ、たっぷりと巻き毛を作っている。ドレスは薔薇よりも濃い、ピンクと紫の境目の色。少女と女の狭間で揺れる娘の危うさがあった。バッスルの後ろには黒に白の刺繍とドレスと同じ色のラインが入った大きなリボンがつき、フランシーヌの華やかさを抑えている。


 主役はあくまで王家なのだ。リスティアとフランシーヌが並んで立つとそこに可愛らしいちいさな花が咲いたように見える。誰もが目に止めるが、王妃という大輪の薔薇には敵わない。あえてそう演出することで、リスティアとフランシーヌは一歩引いた姿勢を示した。


 特にフランシーヌはジョルジュ家の令嬢であることから、これからこの国の社交を背負うことを期待されている。彼女はそう育てられてきたし、それだけの器量があった。だが第一王子であったアルベールとの婚約が破棄されたことにより、フランシーヌはその重荷を背負う義務から解放された。自由になったフランシーヌは今、自分の好きなことを存分に満喫している。その解放感と自己の満足により自信がついたフランシーヌは、以前とは比べ物にならないほど綺麗になった。


 王妃フローラはそんなフランシーヌを複雑な気分で眺めた。

 息子の嫁にと望んだ少女が息子と別れてから綺麗になったとなれば、どんな母でも苦い気持ちを噛みしめるだろう。それに加え、フローラは王妃としてフランシーヌに期待していた。次代を請け負う貴族令嬢を見出したのは自分だという自負があったのだ。


 愛するエドゥアールとの間にできた第一子だが、アルベールはここにはいない。わずかな側近――監視と護衛のみを連れ、他国で人質の生活を送っている。どんなにつらいだろうと、母としての自分が叫ぶ反面、すべてを台無しにしてくれた王子に対する苛立ちが混在して、フローラを苦しめた。


「リスティア・エヴァンス」


 王妃が近づくにつれ、周囲の緊張が高まった。誰にお声がけするのだろうと思いながら、リスティアとフランシーヌは淑女の礼をとり、王家への忠誠を示す。


 まさか自分が呼ばれるとは思わず、リスティアの返事は一瞬遅れた。


「はい」

「クラストロはますます栄えているとのこと。なによりです」

「ありがとうございます」


 たとえ声をかけられても顔をあげて相手を見るのは失礼にあたる。目は合せず、口元に視線を固定し、腹の中心、臍のあたりに力を込めて返事をする。声を掠れさせても、聞き返しても駄目。言葉につかえてどもるのはもってのほか。相手が本当は何が言いたいのか、全身全霊で理解すること。ヴァイオレットの指導を頭で繰り返し、リスティアは王妃に集中した。


「これから夏に向けて、そちらでも百合が花盛りになるでしょう」


 ぴん、と空気が張り詰めた。

 百合は王家の紋章だ。王家から分かたれたクラストロは家紋に百合に入れ、そこに王家を守護する双頭の竜がいる。


「はい。王妃様。残念ながら、我が領では百合の咲く気配はございません」


 クラストロ領に百合が花盛りとは、当主マクラウドが宰相に就くかどうか訊ねているのだ。リスティアは王妃の問いに答えた。マクラウドの病が治ったという話は聞いていなかった。どんなに植えても根が腐り、百合は育たないのだ。


「そう…残念です。あそこは気候が良いのか、素晴らしい百合が咲くのですよ」

「はい。王妃様。わたくしは寡聞にして未だ見たことはございません」


 はい、と返事をするのは王家に対し否定をしてはならないからだ。必ず肯定し、その後に意見を述べる。こちらから話しかけてはならず、王妃が何かを言ってから返事をする。王家への憧憬と会ったこともない、しかしエヴァンス家の主への忠誠。リスティアは綱渡りのような気分で言葉を返す。


「まあ、もったいないこと。クラストロの百合といえば国中にその芳香を届けるものですのに。ではリスティア、今度一緒に咲かせてみましょう」

「はい。王妃様」


 リスティアは背筋が凍りつくのを感じた。一度唇を噛み、しかし思い切って口を開く。


「恐れながら、我が領の百合は枯れましてございます」


 王妃から笑顔の消えた気配を感じ、リスティアは自分が大胆すぎることを言ったと後悔した。だが再び王妃が口を開く前にフランシーヌが動いた。そっとリスティアに寄り添ったのである。


「フランシーヌ…」


 フランシーヌは最敬礼で王妃に応えた。

 彼女が出てきては王妃もさらに言い募ることはできない。王家が彼女に与えた傷は深く、彼女が消えた穴は大きかった。娘になるはずであったフランシーヌがリスティアの隣に立った。


 それがどんな意味を持つのかわからないほどフローラも愚かではなかった。ぎこちない頬に笑みを浮かべ、ゆったりと歩き出す。


 不穏な空気に周囲が王妃を注視していた。フローラは微笑みを振りまきながら見回す。誰も何も言わないのは彼女が王妃だからだ。百合を枯らしたのは誰か、彼女が一番良く知っていた。

 知らない者は不安気にフローラとリスティア、そしてフランシーヌを見比べ、知っているものは王妃への礼を崩さず態度を硬化させる。ヴァイオレット・ユースティティア・クラストロは遠い位置で貴婦人たちに囲まれ、王妃を見ようともしなかった。


 どうしてこうなってしまったのか、フローラには理解できない。マクラウドが自分を愛してくれていることを知っているだけに、なぜ彼が許してくれないのかわからなかった。愛しているというのなら、フローラのすべてを許すべきではないのか。たしかに彼には酷いことをしてしまったが、本当に愛しているのなら幸福を願ってくれるはずだ。こんなふうに追い詰めて、彼は何をしたいのだろう。フローラには理解できない。


 王宮の外ではエドゥアール王への歓声が鳴り響き、在位20年を祝っている。花々は咲き誇り王宮は豪華に飾り付けられ、王家はその中でいっそうの輝きを見せていた。夜には来賓を招いての晩餐会がある。翌日には夜会が開かれ、この国の権勢を他国に示す行事が続く。国民は国と王家への尊敬を取り戻し、その声はきっと彼にも届くだろう。


 王宮から続く大通りには花や食べ物を売る屋台が並んでにぎわいを見せていた。エドゥアールの肖像画や王家一家を描いた絵画、ミニチュアの人形などもある。王宮の模型に庭園を加えて並べれば、庶民も園遊会気分を味わえるというわけだ。


「ほぉ…よくできているんだな」


 無骨な指が陶器製の王妃の人形を摘み上げた。

 屋台の店主が顔を上げ、相手が礼服を着た紳士と見てにこやかに笑う。


「そりゃあもう!うちの職人は腕がいいんで!」

「へぇ…。じゃあひとつもらおうか」

「まいど!旦那、王様と王子さま方はどうします?」


 紙袋に王妃を入れた店主は、王家全員を勧めてきた。当然だろう。王妃だけで王と家族がいないのでは役者が揃わない。


「いや、王妃だけでいいよ。僕もこんな美人を貰いたいものだ」

「旦那も言いますねぇ。家族が欲しくなったらまたどうぞ!」


 財布から料金を取り出し、男は王妃の入った紙袋を受け取った。

 帽子をちょっとあげて店主に礼を返すと、男は紙袋を小脇に抱え、人の波に紛れ込んでいった。




 夜になり、ドレスを届け終えたクラーラがくたびれた様子で家に帰ってきた。


「ただいま~。もう疲れたわ」

「おかえりなさいませ、クラーラ様」

「どこを通っても人、人、人!いやんなっちゃう」


 大通りだけではなく、王都中心部の道は夜になって酔客で騒ぎが広がっている。パレード当日になればひと目王家を見ようとさらに人が押しかけるだろう。クラーラはうんざりという様子を隠さなかった。


「せっかく馬車を使ったのに、歩いた方が早いんじゃないのアレ。…レオノーラ、どうかした?」


 クラーラからコートを受け取り、いつもならすぐに部屋へと追い立て着替えを手伝うはずのレオノーラが、立ったまま何かを言いたげにしている。クラーラが愚痴を吐くのを止めて促すと、どこか困ったような顔をして、言った。


「ルードヴィッヒ様がいらしております」

「ルイが?」


 それを待っていたかのように低いバリトンが響いた。


「おかえり、兄さん」

「ルイ!」


 クラーラは驚き、腕を組んでドアに凭れ掛かっていたルードヴィッヒを上から下まで見回した。


 ルードヴィッヒ・ユースティティア・クラストロはクラーラ――マクラウドの実弟である。クラーラと同じ黒髪は短く切り揃えられ、黒い瞳は誇りと自信に満ちている。クラーラと比べると背が高く、肩も胸も腕も脚もがっしりとした体格だった。いかにも軍人らしい彼は、しかし軍人らしからぬ冷徹な知性を宿す黒い瞳で久しぶりに会う『兄』を眺めた。


「これ、お土産です」


 ぽいと手に持っていた紙袋をクラーラに放り投げる。慌てて受け取ったクラーラは思いのほか軽いそれに眉を寄せた。


「なぁに?」

「来る途中で買ったんですよ。人気商品らしい」


 紙袋からそれを取り出したクラーラは、歪んだ笑みを浮かべた。


「嫌な子。あいかわらずね」

「おかげさまでね」

「来るのなら前もって知らせなさい。アタシにだって仕事があるのよ」


 クラーラは王妃を紙袋に戻し、弟に手を伸ばした。ルードヴィッヒは逆らわず、兄の抱擁を受ける。


「久しぶり、ルイ。大きくなったわね」

「会うたび言うのやめてください。もう子供じゃないんですから」

「アタシからすればまだまだ子供よ。兄の特権じゃなぁい」

「だったら弟の我儘もきくんですね」


 軽口を言い合いながら兄弟は再会を喜んだ。ルードヴィッヒに居間で待つように告げ、クラーラは今度こそ自室に入る。レオノーラがそれに続いた。


 春とはいえ夜はまだ肌寒い。クラーラは玄関に焚かれていた暖炉へ無造作に紙袋を放り投げる。


 紙袋は一瞬で赤く燃え、露わになった王妃の人形にヒビが入った。





陶器というのは温度差で案外あっさり割れます。

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